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POC2018 第37~第41回公演

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Portraits of Composers [POC] 第37~第41回公演
大井浩明(ピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
〈予約・お問い合わせ〉エッセ・イオ essai-Ïo poc2018@yahoo.co.jp




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浦壁信二+大井浩明(2台ピアノ)
2018年11月30日(金)19時開演(18時半開演) 入場無料(後払い方式)
東音ホール(JR山手線/地下鉄都営三田線「巣鴨駅」南口徒歩1分)
●G.ガーシュイン(1898-1937)/P.グレインジャー(1882-1961):歌劇《ポギーとベス》による幻想曲 (1934/1951)
  I. 序曲 Overture - II. あの人は行って行ってしまった My Man's Gone Now - III. そんなことどうでもいいじゃないIt Ain't Necessarily So - IV. クララ、君も元気出せよ Clara, Don't You Be Down-Hearted - V. なまず横丁のいちご売り Oh, Dey's So Fresh And Fine - VI. サマータイム Summertime - VII. どうにもとまらない Oh, I Can't Sit Down - VIII. お前が俺には最後の女だベス Bess, You Is My Woman Now - IX. ないないづくし Oh, I Got Plenty O' Nuttin - X. お天道様、そいつが俺のやり方 Oh Lawd, I'm On My Way
●L.バーンスタイン(1918-1990)/J.マスト(1954- ): ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」より 《シンフォニック・ダンス》 (1960/1998)
 I. プロローグ - II. サムウェア - III. スケルツオ - IV. マンボ - V. チャ・チャ - VI. クール(リフとジェッツ) - VII.決闘 - VIII. フィナーレ
●J.アダムズ(1947- ):《ハレルヤ・ジャンクション》(1996)
●N.カプースチン(1937- ):《ディジー・ガレスピー「マンテカ」によるパラフレーズ》(2006)
●H.バートウィッスル(1934- ):《キーボード・エンジン》(2017/18、日本初演)




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【ポック[POC]#39】 日本アカデミズムの帰趨  2018年12月14日(金)19時開演(18時半開場)
●松村禎三(1929-2007):《ギリシャに寄せる二つの子守唄》(1969)、《巡禮 I/II/III》(1999/2000)
●三善晃(1933 - 2013):《ピアノソナタ》(1958)、《前奏曲「シェーヌ」》(1973)、《アン・ヴェール》(1980)、《円環と交差Ⅰ・Ⅱ》(1995/98)
●野平一郎(1953- ):《アラベスク第2番》(1979/89/91)、《間奏曲第1番「ある原風景」》(1992)、《間奏曲第2番「イン・メモリアム・T」》(1998)、《響きの歩み》(2001)、《間奏曲第3番「半音階の波」》(2006)、《間奏曲第7番》(2014)
●棚田文紀(1961- ):《前奏曲》(2007/2018、改訂版初演)



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【ポック[POC]#40】 ハリソン・バートウィッスル全ピアノ作品  2019年1月26日(土)18時開演(17時半開場)
●H.バートウィッスル(1934- ): 《約言》(1960)、《悲しい歌》(1971)、《ジャンヌの子守歌》(1984)、《夜明けのヘクトール》(1987)、《ハリソンの時計》(1998)、《メロディとオスティナート》(2000)、《ベティ・フリーマン - 彼女のタンゴ》(2000)、《サラバンド:王の拝辞》(2001、日本初演)、《メトロノームの精の踊り》(2006、日本初演)、《ジーグ・マシーン》(2011、日本初演)、《ゴールドマウンテン変奏曲》(2014、日本初演)
●なかにしあかね:《Knot Garden》(2018、委嘱新作初演)
●金澤攝(1959- ):《Toilette Music》(2018、委嘱新作初演)



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【ポック[POC]#41】 権代敦彦・自選ピアノ代表作集  2019年2月23日(土)18時開演(17時半開場)
●権代敦彦(1965- ): 《十字架の道/光への道 op.48》(1999)、《青の刻 op.97》(2005)、《耀く灰 op.111》(2008)、《無常の鐘 op.121》(2009)、《カイロス―その時 op.128》(2011)、《時の暗礁 op.146》(2015)
●川島素晴(1972- ):《複数弦によるホケット/手移り/ジャンプ/ポリル/マルシュ・リュネール》(2019、委嘱新作初演)
●R.シュトラウス(1864-1949)/川島素晴編:歌劇「サロメ」より《七つのヴェールの踊り》(1905/2019、委嘱初演)




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(終了)【ポック[POC]#37】 北米ピアノ・アンソロジー 2018年10月6日(土)17時開演(16時半開場)
●E.カーター(1908-2012):《夜想(ナイト・ファンタジーズ)》(1980)、《懸垂線》(2006)
●M.バビット(1916-2011):《3つのピアノ曲》(1947)、《パーティションズ》(1957)、《ポスト・パーティションズ》(1966)
●G.クラム(1929- ):《マクロコスモス》第1巻(1972)&第2巻(1973)
●J.C.アダムズ(1947- ):《中国ゲート》(1977)、《フリュギアのゲート》(1977)、《アメリカン・バーセルク》(2001、日本初演)
●C.ヴィヴィエ(1948-1983):《シーラーズ》(1977)
●J.ゾーン(1953- ):《雑技団巡業(カーニー)》(1989)、《爾の懷ふを爲せ》(2005、日本初演)
●D.ゼミソン(1980-):《霞を抜けて》(2018、委嘱新作初演)



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(終了)【ポック[POC]#38】 ルチアーノ・ベリオ 全ピアノ作品  2018年11月9日(金)19時開演(18時半開場)
●L.ベリオ(1925-2003):《小組曲》(1947)[全5曲]、《ダッラピッコラの歌劇「囚われ人」による5つの変奏》(1953/66)、《循環(ラウンド)》(1965/67)、《水のピアノ》(1965)、《続唱(セクエンツァ)第4番》(1966)、《土のピアノ - 田園曲》(1969)、《空気のピアノ》(1985)、《火のピアノ》(1989)、《塵》(1990)、《葉》(1990)、《ソナタ》(2001)
●B.カニーノ(1935- ):《カターロゴ》(1977、東京初演)
●P.エトヴェシュ(1944- ):《地のピアノ - 天のピアノ(L.ベリオの追憶に)》(2003/2006、日本初演)
●小内將人(1960- ):《ピアノ造形計画/国歌--運動と停滞による》(2018、委嘱新作初演)



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POC2018:アカデミズム再考──野々村 禎彦

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 POCシリーズも今年度で8期目。戦後前衛の枠組みをひっくり返した異能者たちも昨年度に取り上げ、もはや残るはアカデミズムくらい…なのだが、「アカデミズム=保守の牙城」という図式は、戦後前衛の時代にはむしろ例外的だった。枢軸国側のドイツとイタリアの戦後処理では、「元々は都市国家の連合体だった両国は、統一が遅れた分中央集権を過度に指向しファシズムに至った」という判断から、特に文化面では徹底的な地方分権が行われた。統一国家における教育機関の序列化こそが「アカデミズムらしさ」の源泉であり、一国一城の主の集合体ではそうはならない。ファシスト党支配からの自力解放を果たしたイタリアではアカデミズムの大きな入れ替わりはなかったが、ドイツでは戦時体制の一翼を担った保守派は教育の場から追放され、アカデミズムはむしろ進歩派(ただし、尖鋭化した戦後前衛の主流派からは微温的とみなされた)の巣窟になった。前衛の時代が終わる頃には、リゲティ、クラウス・フーバー、シュトックハウゼン、シュネーベル、カーゲル、ラッヘンマンら、戦後前衛を代表する作曲家たちがアカデミズムの中枢を占めることになる。

 連合国側の米国でも、ブーランジェ門下の新古典主義者たちに代わって、米国独自のセリー主義者たちがアカデミズムの中心になった。文化面で米国のプレゼンスを示すために、米国発の潮流を現代美術の主役に押し上げた以上、音楽は旧態依然では格好がつかなかったのだろう。英国では伝統的なアカデミズムが保たれたが、行き過ぎた保守性ゆえに再生産は行われず、前衛の時代の終わりとともに保守化したかつての進歩派たちに取って代わられた。結局、伝統的なアカデミズムが戦後前衛を経た後も保たれたのは、ドイツ占領下で冷凍保存されていたフランスだけだった。日本においてもそのようなアカデミズムのイメージが保たれているのは、ドイツ系の作曲家たちは公職から追放されたがフランス系の作曲家たちは追放を免れ、戦後のアカデミズムの中心になったことに由来する。

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 以下では各回の特集作曲家を紹介するが、演奏会の順序とは少々変えて、まずはベリオ。ノーノと並ぶイタリア戦後前衛第一世代を代表する作曲家と一般にはみなされているが、表現したい題材に応じて前衛語法もそれ以外も使い倒すノーノとは対照的に、前衛語法を所与の前提として職人的に仕上げるベリオの姿勢は、伝統的なアカデミズムに極めて近い。彼の作風は1962年の米国移住、1972年のイタリア帰国、1983年のキャシー・バーベリアンの死という私的な出来事を境に、若干のタイムラグを伴って大きく変わる。妻バーベリアンの歌唱と電子音楽制作からインスピレーションを得て「前衛職人」道を邁進していた最初のイタリア時代。私生活ではバーベリアンと別れ(音楽生活では彼女はミューズであり続けた)、ポピュラー音楽やクラシック音楽との様式混淆を通じて才能が開花した米国時代。ミルズ・カレッジとジュリアード音楽院で教鞭を執り、ライヒやアンドリーセンらを教えて最も「アカデミック」に活動した時代でもある。米国時代のミニマル音楽の思い出と民謡への関心が前面に出てきた二度目のイタリア時代。そして、ミューズを失った後の抜け殻の時代。

 次はバートウィッスル。P.M.デイヴィスと並ぶ「マンチェスター楽派」を代表する作曲家であり、英国の戦後前衛第二世代のアカデミズム側を代表する。前衛の時代の終わりとともに急速に保守化し、古典的形式に則った「新・新古典主義」に落ち着いたP.M.デイヴィスとは違い、70年代まではベリオの歩みを参照して一歩遅れて追随していたが、80年代半ば以降はオペラを中心に、無調だがクラシック音楽の伝統的な様式感に沿った「進歩的アカデミズム」の見本になった。POCシリーズでは、英国のポスト戦後前衛の中心的潮流「新しい複雑性」を代表するファーニホウ(英国の保守性を早々に見限って、ドイツと米国の前衛アカデミズムを牽引した)とフィニッシー(状況の漸進的な改良を目指して英国に留まり、実験主義にも目配りしつつ作曲・演奏の両面で貢献した)を既に紹介しており、これで英国戦後前衛の主な流れを俯瞰する最後のピースが埋まったことになる。

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 そして、北米(ほぼ米国)アンソロジー。バビットは米国発の「総音列技法」の祖であり、総ての音楽要素を音列で管理するという点ではヨーロッパ戦後前衛に数年先行している。ただしヨーロッパ流とは対照的に、容易に聴き分けられる明晰さを目指した。シンセサイザーをいち早く取り入れた点でも彼は先駆者である。彼の路線はウォーリネンらに継承されたが、このような純粋培養組だけではセリー主義がアカデミズムの中心になるはずはなく、頭数は新古典主義からの転向組が主力である。かのコープランドすらその一人だが、その中でもカーターは飛び抜けた存在だった。バビットらとは対照的にヨーロッパ的な複雑さを志向し、英国発の潮流に先行する「新しい複雑性」のルーツとみなされている。米国音楽には辛辣なブーレーズも、カーターは唯一高く評価していた。ただし80年代に入ると「複雑性」からは距離を取り始め、《ナイト・ファンタジーズ》はその端緒である。

 セリー主義の主力は転向組なので、何らかの契機でそこから離れて伝統回帰する例は珍しくない。米国における「新ロマン主義」を代表するロックバーグ、デル=トレディチ、ツヴィリチは、60-80年代にそれぞれの理由で伝統回帰した。クラムもその中に含まれるが、彼は元々教条的なセリー主義者ではなく、声ならではの幻想的な世界を求め(《子供達の古の声》が特に名高い)、ロックに触発されて電気増幅を探求した(《ブラック・エンジェルス》が特に名高い)。このような志向は、直接の接点はないがベリオと軌を一にしており、ベリオが米国アカデミズムに溶け込めた背景でもある。《マクロコスモス》シリーズは、バルトーク《ミクロコスモス》を意識している時点でヨーロッパの伝統を志向していることは明白だが、彼は第1集と第2集の間で「新ロマン主義」の川を渡った。

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 ミニマル音楽はニューヨーク楽派以降の米国実験主義で最も影響力を持った潮流である。インド音楽とフルクサスの強い影響から出発したヤングやライリーと、よりアカデミックな発想から出発したライヒやグラスがサイケデリック・ムーヴメントの中で反復と電気増幅の魅力に目覚め、協同歩調を取って始まったわけだが、次世代になるとアカデミズムに取り込まれてゆく。ジョン・クーリッジ・アダムズはその代表である(米国実験主義の「素朴派」にあたるジョン・ルーサー・アダムズと区別するためにミドルネームも表記される)。グラスとライヒは、オペラや管弦楽曲の委嘱を受ける中で機能和声を用いた「マキシマル」な書法に移行してゆくが、その方向性ならばアカデミックな基礎が堅いJ.C.アダムズに優位性があり、表舞台の主役になってゆく。結局グラスはポップカルチャーとの折衷、ライヒはメディアミックス、ライリーとヤングは純正律探求と棲み分けることになる。

 ヴィヴィエは今回の特集作曲家では唯一のカナダ人。70年代前半、シュトックハウゼンがケルン音大で数年間教鞭を執っていた時期の学生として、W.リームと並んで後世に名を残した。彼が本領を発揮したのは70年代半ばに日本やバリ島に滞在し民俗音楽を深く身に着けてからだが(なお、委嘱作曲家のゼミソン・ダリルもカナダ出身。日本の民俗音楽に魅せられて移り住み、日本の風土の中での音楽のあり方を探求している)、フォルメル技法を使い始めた時期のシュトックハウゼンの関心を受け継いだ初期作品も、その後の展開の基礎として興味深い。「アカデミック実験主義」の孤高の作曲家テニーも長らくカナダに拠点を置いており、東海岸/西海岸、アカデミズム/実験主義といった表層的な二項対立に収斂しがちな北米の音楽状況の中で、カナダは第三極として機能している。

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 最後にゾーン。初期カーゲルに衝撃を受けて音楽を始め、ヨーロッパ自由即興に続く実験的ポピュラー音楽の潮流、NYダウンタウン即興をフレッド・フリスとともに牽引したサックス奏者であり、また様式混淆志向の一環として80年代後半から90年代初頭まで高円寺で暮らし、太田裕美を自作で起用し矢野顕子を米国市場に紹介した日本音楽マニアでもある(彼が主宰するTzadikレーベルは、日本のアンダーグラウンド音楽を紹介し続けている)。だが彼は、ウォーリネンに私淑し、その書法を作曲作品で用いた米国アカデミズムの継承者でもある。コロンビア大学による米国の作曲家の生涯業績賞であるウィリアム・シューマン賞を、彼はライヒとオリヴェロスの間という象徴的な順序で受賞しているが、Tzadikレーベルでウォーリネンやバビットらの作品を取り上げたことも無視できない貢献である。なお2000年以降の同賞の受賞者は、現時点でこの3人とJ.L.アダムズの4人のみ。

 旅の終わりは日本のアカデミズム。三善、松村、野平は日本の戦後前衛第一世代とポスト戦後前衛世代の一員としてシリーズ解説で既に触れており、池内友次郎門下の桐朋学園大と東京藝大の重鎮としてあらためて紹介するまでもないが、若くして将来を嘱望されていた三善はパリ音楽院留学を前提に音大には進まず、松村は結核療養のため音大受験を断念し、野平は大学院修了後にパリ音楽院留学を経てスペクトル楽派に加わり、アンサンブル・イティネレールのピアニストとして長期滞在した。みな日本のアカデミズムの典型的なレールからは逸脱しており、そこが彼らの個性の源泉になった。権代の音楽はしばしば奇矯さにおいて語られるが、アカデミズムの強固な基礎を土台にした逸脱は、中川俊郎や伊左治直と比べられる。その逸脱がメルツバウとの共同作業まで振れてしまうところが、彼の凄さだが… 彼が最も打ち込んできたピアノ独奏曲の特集は、彼の個性を確認する好機だ。


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by ooi_piano | 2018-11-11 02:46 | POC2018 | Comments(0)

【増補】11月9日(金)19時 L.ベリオ全ピアノ作品+小内将人新作(音源リンクつき)

Portraits of Composers [POC] 第38回公演  ルチアーノ・ベリオ 全ピアノ作品
大井浩明(ピアノ)

2018年11月9日(金)19時開演(18時半開場)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4) Google Map
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
【予約・お問い合わせ】 エッセ・イオ essai-Ïo poc2018@yahoo.co.jp
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●P.エトヴェシュ(1944- ):《地のピアノ - 天のピアノ(L.ベリオの追憶に)》(2003/2006、日本初演) 約3分
●L.ベリオ(1925-2003)
  《小組曲》(1947) 約10分
   ~ 前奏曲 - 小エール第1 - ガヴォット - 小エール第2 - ジーグ
  《ダッラピッコラの歌劇「囚われ人」による5つの変奏》(1953/66) 約8分
  《循環(ラウンド)》(1965/67) 約4分
  《水のピアノ》(1965) 約2分
  《続唱(セクエンツァ)第4番》(1966) 約11分
  《土のピアノ - 田園曲》(1969) 約2分
●小内將人(1960- ):《ピアノ造形計画/国歌--運動と停滞による》(2018、委嘱新作初演) 約10分

 (休憩 15分)

●B.カニーノ(1935- ):《カターロゴ》(1977、東京初演) 約8分
●L.ベリオ(1925-2003):《空気のピアノ》(1985) 約3分
  《火のピアノ》(1989) 約3分
  《塵》(1990) 約2分
  《葉》(1990) 約1分
  《ピアノソナタ》(2001) 約25分


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  《小組曲》(全5楽章)は1947年作曲、翌年にコモ(イタリア)で初演された。1975年に祖父エルネスト・ベリオ(1847-1942)、父アドルフォ・ベリオ(1883-1966)の作品とともにウニヴェルザル社から「ベリオ一家のアルバム」として出版。ガヴォットの中間部にミュゼットが差し挟まれるのは、シェーンベルク《組曲Op.25》(1921/23)の模倣というよりは、その元ネタであるバッハ《イギリス組曲第3番BWV808》の有名なト短調ガヴォットを直接的に参照している。
  《五つの変奏》は1952~53年に作曲、同年ミラノで作曲者自身により初演された後、出版にあたって1966年に大幅に改訂された。被献呈者であるイタリア人作曲家、ルイージ・ダッラピッコラ(1904-1975)のオペラ《囚われ人》(1948)で、看守が囚人に「兄弟よ」と呼びかけ、フェリペ2世に対するフランドル蜂起を伝える3音の動機(F-E-Cis)に基づく、5つの変奏と終結部から成る。後年ルイジ・ノーノも、打楽器アンサンブルとライヴエレクトロニクスのための《ルイジ・ダラピッコラとともに》(1979)で、このモチーフを援用した。

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  《循環(ラウンド)》は、まずモダンチェンバロ作品として1965年に作曲され、同年アントワネッテ・ヴィッシャーによりバーゼル(スイス)で初演。2年後にピアノ版へ改作され、指揮者マルチェロ・パンニに献呈、ジョエル・スピーゲルマンにより1968年ニューヨークで初演。第1部の譜面をひっくり返したものが第2部であり(変位記号はそのまま)、その後第1部がダカーポされる。「際限なく混淆され分岐する声部と音色の妙技」(ベリオ)。
  《続唱(セクエンツァ)第4番》は、ワシントン大学(セントルイス)の委嘱で、ブラジル人ピアニスト、ジョシー・デ・オリヴェイラ(カルヴァリョ)のために1965/66年作曲、同年同地で初演。1993年に改訂。《続唱》は独奏/独唱のための技巧的な作品のシリーズであり、全14曲(編曲を含めると19曲)を数える。その幾つかは協奏曲シリーズ《道(シュマン)》(全11曲)へと発展した。

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  《水のピアノ》は1965年作曲、1970年にブレシア(イタリア)でアントニオ・バリスタにより献呈初演。ブラームスのロ短調間奏曲Op.119-1やシューベルトのヘ短調幻想曲D940についてNYの友人達と雑談したことに着想を得たと云う。《土のピアノ》(1969)は米人批評家トーマス・ウィリスに献呈、1970年にベルガモでアントニオ・バリスタにより初演。《空気のピアノ》は、ピアノ協奏曲第2番《谺する曲線》(1988/89)のスケッチとして1985年作曲、翌年1月27日にフィレンツェでグレゴリオ・ナルディにより初演。当時21歳だったナルディが、《水》《土》に続く連作をベリオに手紙で問い合わせたのがきっかけらしい。《火のピアノ》は1989年作曲、同年NYでピーター・ゼルキンにより献呈初演。《塵》(1990)は、仏人ピアニスト、ミシェル・ウダル(1960-1993)に献呈。ウダル自身の録音が残っているので、早世したウダルへの追悼作品では無い。《葉》は、1989年に亡くなったロンドン・シンフォニエッタ音楽監督、マイケル・ヴァイナーの追憶に捧げられ、1990年5月6日ロンドンでポール・クロスリーにより初演。(ヴァイナー追悼作品としては、他にH.W.ヘンツェ《レクイエム》、武満徹《リタニー》《マイ・ウェイ・オブ・ライフ》、P.M.デイヴィス《単旋聖歌による葬送曲》、H.グレツキ《おやすみ》、O.ナッセン《密かな賛美歌》等がある。)1990年に『六つのアンコール曲』としてまとめて出版された際の楽章順は、《塵》-《葉》-《水》-《土》-《空気》-《火》、である。
  《ソナタ》は、チューリヒ音楽祭委嘱により2001年に作曲、ドイツ人音楽学者ラインホルト・ブリンクマンに献呈。2001年7月22日チューリヒ・トンハレにてアンドレア・ルケシーニにより初演。他界する2年前に書かれた、ベリオ最後にして最長のピアノ曲である。「古今のソナタに見られる二項対立については、統語論的に対手としていない」(ベリオ)。


■小内將人:《ピアノ造形計画  国歌~運動と停滞による》(2018)
  ピアノ造形計画とは、ピアノでどんな表現ができるのだろうかという自分なりの可能性を探ろうという取り組みのシリーズ。「国歌」で4作目だ。この作品には、日本を取り巻く国際情勢に対するアイロニーが国歌の引用という形で色々と表されている。曲は国歌のモチーフをふんだんに用いて賑やかで騒々しいカプリチオに始まり、特殊な響きを作り出そうとする中間部を経て再びカプリチオに終わる。素材はかなり自由に変容されているが、いくつの国歌が何カ所に引用されているかは皆さんの耳でご確認いただきたい。(小内將人)

●小内將人 Masato Kouchi, composer
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 1960年東京生まれ。明治学院大学文学部フランス文学科卒業。在学中より独学で作曲を始める。1983年仏ポワチエ夏期音楽大学に参加、パリ音楽院教授のM.メルレに対位法を学ぶ。 1986年第二回ヴィオラ・ダ・ガンバ作曲コンクール第一位入賞。1994年より「新しい世代の芸術祭」を主催。多くの若手リサイタルや他ジャンルとのコラボレーションを企画する。室内楽、管弦楽、オペラ、合唱、古楽、雅楽などの様々な分野に作品多数。



■B.カニーノ(1935- ):《カターロゴ》(1977) 
  私は常に迷宮、迷路、カレンダー、カタログに関心を抱いてきた。私が作曲した幾つかの迷宮は、何度も出発が繰り返され、到着は錯覚に過ぎないような領域の探求である。この《カターロゴ》では、探査される領域は非常に狭く、中央Cから1オクターヴ上のCまでの13音の可能な組み合わせに限定されている。ピアニストの2本の手で、この音域で何通り(100万以上?)の異なる分配が可能か計算したことは無いし、正直なところ、反復されたかどうかもチェックしていない。
  たった今、最小限の使用音域のせいで、この曲がアメリカ・ミニマリズムと関連付けられると思い至ったが、しかしそれは本意ではない。単調さを避けるのは困難であろう。もっとも、狭い和音に加えて、不如意に加えられる低音、アクセント、平手打ちのように使われる音塊、演奏者によって控えめに歌われる二つの音、それにある種の装飾音、ペダルのノイズ等が現れる。ともあれ、この単調さは《カターロゴ》を悲しげな小品にしている。
  悲しみは私の人生とはかかわりが無く、私は幸福な人間である。そして音楽は、それが私の音楽でさえ、人生の出来事に添うものとしては深刻に過ぎる。私の忘れられた作品を大井浩明が演奏することに感謝する。(ブルーノ・カニーノ、2018年10月)




ルチアーノ・ベリオ覚え書き──野々村禎彦(音源リンク付)

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 ルチアーノ・ベリオ(1925-2003) はオルガニストを輩出した音楽家一家に生まれ、ピアニストを目指して音楽を学び始めたが、第二次世界大戦で徴兵されて銃の暴発で右手を傷め、やむなく作曲家に転じた。ピアノ演奏はその後も続け、ミラノ音楽院に留学してきたアルメニア系米国人キャシー・バーベリアン(1925-83) の伴奏を行う中で親密になり、1950年に結婚した。心ならずも作曲を選んだ彼は同世代の進歩主義には共鳴できず、新古典主義的な堅実な作風だった。だが、タングルウッドの講習会でルイジ・ダラピッコラ(1904-75) に学び、後期ヴェーベルンに傾倒していた師の影響でセリー音楽に興味を持ったことで、彼の歩みは大きく変わった。この運命の岐路にも、バーベリアンの存在は無視できない。イタリアは敗戦国とはいえ、クラシック音楽の本場ミラノからわざわざマサチューセッツ州郊外に学びに行くことは、妻の出身地でなければ有り得なかったはずだ。

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 ヨーロッパ戦後前衛の中心地ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習に参加したベリオは、最新の流行を貪欲に吸収してゆく。総音列技法と管理された偶然性という戦後前衛の基本的な語法に加え、ブルーノ・マデルナ(1920-73) とイタリア国営放送(RAI)電子音楽スタジオを設立し(1955)、アンサンブルの空間配置なども試みた。5楽器群のための《アレルヤII》(1957-58) に至る作品群によって彼は戦後前衛を代表する作曲家のひとりに数えられるようになったが、彼が示したのはブーレーズやシュトックハウゼンのような開拓者精神ではなく、誕生後間もない語法ですら職人的洗練の対象として扱えることだった。左翼的な主題の表現のためなら調性も具体音も躊躇なく使ったルイジ・ノーノ(1924-90) とも対照的だ。なお、バーベリアンは活動初期から現代音楽に積極的に取り組んでいたわけではなく、ジョイスの詩によるベリオ《室内楽》(1953) の初演後数年は育児に専念していた。

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 バーベリアンの最初の本格的な仕事は1958年、ウンベルト・エーコとベリオが企画したラジオ番組で朗読を担当したことだった。この際のジョイス『ユリシーズ』の朗読の録音を徹底的に加工して彼の電子音楽の代表作《テーマ》(1958) が生まれた。RAIスタジオは国外の作曲家への新作委嘱も行ったが、ケージは《フォンタナ・ミックス》(1958) 制作中に《アリア》(1958) をバーベリアンのために書いた。そして「現代音楽の歌姫」は覚醒した。この曲を通じて彼女の現代音楽解釈能力は広く知られるようになり、内外から作品献呈が相次いだ。ベリオも彼女の歌唱に刺激されて声楽書法を研究し、前衛前期の代表作である《サークルス》(1960) (その1その2)や《主の顕現》(1959-61) を彼女の演奏を前提に書いた(あるいは、彼女の演奏がこれらの曲を彼の代表作に引き上げた)。

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 ベリオの電子音楽のもうひとつの代表作《顔》(1960-61) も、バーベリアンの声が素材である。シュトックハウゼンや湯浅譲二のように、正弦波発振音やホワイトノイズから未知の音響を作り出す志向は彼は持っておらず、既存の素材の精緻な加工が、彼にとっての電子音楽制作だった。この作品では特定のテキストを用いずに彼女の声のニュアンスを活かそうとした。それに応えて狂気の淵まで降りた彼女の表現は凄まじく、さすがのベリオも収録中に耐えられなくなってスタジオから逃げ出したというが、この時期の作品中でもインパクトの強さは飛び抜けている。ただし、声の魔力に目覚めてしまった彼女は、私生活のパートナーとしては強烈すぎる存在になっていた。

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 彼は1962年からオークランドのミルズ・カレッジで教え始める。当初は長期休暇を取るミヨーの代役という形だったが、その前年にはRAIスタジオを辞しており、そのまま米国移住する予定だったものと思われる。バーベリアンと距離を取って新生活を始めることが、大きな動機だったのだろう。ヨーロッパ時代の集大成《パッサジオ》(1961-62) の後、《セクエンツァII》(1963) から《見出される曲線上の点》(1974) までの、米国での音楽経験が色濃く反映された前衛後期の作品群こそが、作曲家ベリオのピークにあたる。彼は渡米後程なく、後に高名な心理学者となるスーザン・オヤマと暮らし始め、彼女と結婚するためにバーベリアンと正式に離婚するが、その年に現代音楽では屈指の人気曲となる民謡編曲集《フォーク・ソングス》(1964) をバーベリアンのために書き(彼女が採譜したアルメニア民謡も含まれる)、ふたりはその後も音楽上の重要なパートナーであり続けた。彼女のキャリアはここからが本番で、《ビートルズ・アリア》(1967)、モンテヴェルディから自作まで取り上げた《マニフィキャシー》(1971) などのアルバムでクラシック音楽界を超えて知られるようになった。なお、大井の師ブルーノ・カニーノ(1935-) は、彼女の伴奏者としても名高い。

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 彼が自ら手を動かして電子音楽制作に打ち込んだのはRAIスタジオ時代までだが、むしろスタジオを離れたことで、その経験は創作全体に広がった。器楽ソロの《セクエンツァ》シリーズでは、《サークルス》と一緒に最初のLP (WERGO, 1967) に収録された I (1958) / III (1965-66) / V (1966) が特に有名だが、各々ニコレ/バーベリアン/グロボカールが録音したことも手伝って、超絶技巧がテーマだと思われがちだ。だが、真の狙いは持続音の和声の精妙な制御にあり、テープ上で音色と残響を加工する操作の器楽曲への応用に他ならない。ソステヌート・ペダルを駆使したIV (1965-66) の実演はそれを体感する良い機会になるだろう。和声や対位法の拡張とコンテクストの置換を通じて小編成旧作を大編成に拡大する「注釈技法」は、《セクエンツァ》シリーズを《シュマン》()シリーズに発展させるところから始まったが、これもテープ加工操作の器楽曲への応用とみなせる。

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 ダンテ生誕700年記念曲《迷宮II》(1963-65) はベリオ終生の代表作になった。ダンテ作品と関連作品を再構成したテキスト+アンサンブルに大編成フリージャズ、合唱にスキャットを全面的に導入+サイケデリックな電子音の背景という構成は、ヨーロッパの伝統と米国の同時代が交錯する、前衛後期の豊かな時代様式の最良のサンプルだ。これに匹敵する作品は、B.A.ツィンマーマン(1918-70) 終生の代表作《ある若き詩人のためのレクイエム》(1967-69) くらいだろう。ミシェル・ポルタル(クラリネット)、ジャン=フランシス・ジェニー=クラーク(コントラバス)、ジャン=ピエール・ドゥルーエ(打楽器)ら、現代音楽とヨーロッパ・フリージャズ双方で活動する初演メンバーがリードする祝祭的な自演録音()も面白いが、ジョン・ゾーンとの共演歴も長いロックヴォーカリストのマイク・パットンが、あえて現代音楽的な音色の複雑さと間に焦点を合わせたIctusアンサンブルの精緻な音世界を達者な語りで引っ張る、パットンの個人レーベルからリリースされた2010年ライヴは、リーマンショック後の陰鬱な世界を反映した、今日の音楽に生まれ変わっている。

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 彼のもうひとつの終生の代表作が、NYP創立125周年記念作品として委嘱され、マーラー《復活》(当時の音楽監督バーンスタインの十八番)の第3楽章を泰西名曲の引用で装飾した第3楽章、キング牧師追悼曲《おおキング》(1968) を第2楽章として含む《シンフォニア》(1968/69) である()。レヴィ・ストロースのテキストをスウィングル・シンガーズが歌う設定は多元的文化状況を象徴しているが、音楽的には《迷宮II》よりも随分マイルドで、いまだ日本未初演の同曲とは対照的に、この曲は現在では《セクエンツァ》シリーズと並んで日本でも頻繁に演奏されている。


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 1965年からジュリアード音楽院で教え始めたベリオは教育にも力を入れ、翌年にジュリアード・アンサンブルを結成した。ミルズ・カレッジではスティーヴ・ライヒ(1936-) やフィル・レッシュ(1940-, グレイトフル・デッドのベーシスト)、同時期に欧州ではルイ・アンドリーセン(1939-) らを教えた。すなわち彼は、ある意味では「ミニマル音楽の父」にあたる。また、1972年の帰国後の代表作である、《2台ピアノのための協奏曲》(1972-73) や《見出される曲線上の点》を特徴付ける反復書法は、米国でのミニマル音楽の記憶の反映とみなせる。彼はイタリア帰国の理由を、国際的な委嘱で忙殺されホテル暮らしが常態になった中で、祖国での日常生活への郷愁が芽生えたと説明するが、その前年にはジュリアード音楽院を辞してオヤマとも別れており、米国移住時と同様のパターンと推察される。その中で1974年からはIRCAM電子音響部門ディレクターに就任し、ホテル暮らしは続いたが、1977年の最後の結婚を機にシエナ近郊の農村ラディコンドリに居を構えた。

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 合唱とオーケストラのための《合唱》(1975-76)()、チェロとアンサンブルのための《夢への回帰》(1976-77) からヴィオラ協奏曲《》(1984) に至る、彼のポスト前衛時代の最初の10年の作品群を特徴付けるのは、民謡素材への強い関心である。一般にはこの時期の代表作とされる、イタロ・カルヴィーノのテキストによる音楽劇《真実の物語》(1977-81)() と《聞き耳を立てる王》(1979-84) も、この傾向の一翼をなす。彼はIRCAMのディレクターを1980年まで務め、この間に電子音響部門では音響合成システム4Xを開発したが、クラリネットとの相互反応の実験(器楽パートのみ《セクエンツァIX》(1980) として発表し破棄)など、成果はいくつかの試作に留まった。バーベリアンは1983年に世を去り、彼は追悼音楽《レクイエス》(1984-85) を書いた。私見では、これがベリオが輝いていた最後の作品であり、彼の作曲家としての生涯はまさに彼女とともにあった。

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 その後の歩みで特筆すべきは、IRCAMディレクター時代の探求を引き継いだ、実用性を重視した音響合成システムを開発する研究所「テンポ・レアール」を1987年にフィレンツェに設立し、自作にも積極的に応用し始めたことだが、肝心の音楽の魂が抜けた状態で、オーケストラのリアルタイム音像移動を行っても… 彼の「注釈技法」は、多作な作曲家の生産性を支える秘訣としてW.リームらにも参照されたが、この時期になると《見出される曲線上の点》のオーケストラ版《協奏曲II:谺する曲線》(1988-89)、《主の顕現》のオーケストラ版《エピファニーズ》(1991-92) など、アンサンブルの代表曲まで再加工の対象にした。だがそれらは、弦楽四重奏の魅力が弦楽合奏に編曲した途端に失われる、クラシック音楽でも馴染み深い失敗の再生産にすぎなかった。なおこの時期には、シューベルトのニ長調交響曲の補筆完成版《修復》(1989-90) など、クラシック音楽の創造的編曲にも取り組んだ。戦後前衛とは一線を画した音楽職人にふさわしい終の住処だった。


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by ooi_piano | 2018-10-25 01:53 | POC2018 | Comments(0)

10月6日(土)17時 北米ピアノアンソロジー

Portraits of Composers [POC] 第37回公演 《北米ピアノ・アンソロジー》 
大井浩明(ピアノ)
2018年10月6日(土)17時開演(16時半開場)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4) Google Map
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
【予約・お問い合わせ】essai-Ïo(エッセ・イオ) poc2018@yahoo.co.jp

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【第一部】
●M.バビット(1916-2011):《3つのピアノ曲》(1947) 8分
   《パーティションズ》(1957) 3分
   《ポスト・パーティションズ》(1966) 4分
●E.カーター(1908-2012):《夜想(ナイト・ファンタジーズ)》(1980) 22分
   《懸垂線》(2006) 3分

  〔休憩10分〕

【第二部】
●G.クラム(1929- ):《マクロコスモス》第1巻(1972)+第2巻(1973)〔黄道十二宮による24の幻想小曲集〕 65分
  1. 原初に響あり(創世1) [巨蟹宮] - 2. 海神プローテウス [双魚宮] - 3. 牧歌~紀元前1万年のアトランティス王国より [金牛宮] - 4. 十字架 [磨蝎宮] - 5. 輕舸乗りの幻 [天蝎宮] - 6. 夜の咒1 [人馬宮] - 7. 蔭の音楽~エオリアン・ハープのための [天秤宮] - 8. 果てしなき魔法円(無窮動) [獅子宮] - 9. 時の深淵 [処女宮] - 10. 春の焔 [白洋宮] - 11. 夢の面影(愛の死) [双子宮] - 12. 渦巻く天の川 [宝瓶宮] - 13. 暁の音楽(創世2) [巨蟹宮] - 14. 神秘和音 [人馬宮] - 15. 死雨変奏曲 [双魚宮] - 16. 幻日(永遠の影法師) [双子宮] - 17. 幽遊夜曲~ストーンヘンジの道士達へ(夜の咒2) [処女宮] - 18. 石像鬼 [金牛宮] - 19. トラ・トラ・トラ!(ワレ奇襲ニ成功セリ)~黙示録的カデンツァ [天蝎宮] - 20. ノストラダムスの大予言 [白洋宮] - 21. 宇宙風 [天秤宮] - 22. 竈星からの呼び声 [宝瓶宮] - 23. 銀河の鐘の連禱 [獅子宮] - 24. 神羊誦 [磨蝎宮]

  〔休憩10分〕

【第三部】
●C.ヴィヴィエ(1948-1983):《シーラーズ》(1977) 13分
●J.C.アダムズ(1947- ):《中国ゲート》(1977) 5分
    《フリュギアのゲート》(1977) 24分
●J.ゾーン(1953- ):《雑技団巡業(カーニー)》(1989) 12分

  〔休憩10分〕

【第四部】
●D.ゼミソン(1980-):《霞を抜けて》(2018、委嘱新作初演) 7分
●J.C.アダムズ(1947- ):《アメリカン・バーセルク》(2001、日本初演) 6分
●J.ゾーン(1953- ):《爾の懷ふを爲せ》(2005、日本初演) 22分



ダリル・ゼミソン:《霞を抜けて Through the mist, empty sky》(2018、委嘱新作)
  霞のような三層の音楽素材が厚くなり、次第に消散していく。バスのクラスターは、次第に個々の音符になっていく。旋律が鍵盤の上に大きく広がり、だんだん早くなり、そして遅くなっていく。鍵盤中央部の倍音は、あるときは複雑な、またあるときは簡素なニュアンスの微分音の和音を伴なって、本曲のサウンドスケープを彩っていく。(ダリル・ゼミソン)

ダリル・ゼミソン Daryl Jamieson, composer
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  1980年、カナダ・ハリファックス生。ウィルフリッド・ローリエ大、英ギルドホール音楽演劇学校、ヨーク大を経て、文部科学省奨学生として来日、東京藝大で近藤譲に作曲を師事。代表作にモノオペラ《松虫》(2014年)、和楽器五重奏のための《憂きこと聞かぬところありや》(2017年)、大野一雄に献呈された声・琵琶・笙のための《スペクトル》、尺八協奏曲《鎖されし闇》等。作品はボッツィーニ弦楽四重奏団やMusiques Nouvelles、Orchestre National de Lorraine、アンサンブル室町、井上郷子(ピアノ)、上田純子(琵琶)、アルノルト・シェーンベルク室内楽団、ヨーク大学室内楽団などによって演奏されている。2018年、第3回一柳慧コンテンポラリー賞受賞。現在、ミュージック・シアター「工房・寂」アーティスティック・ディレクター、作曲家集団「Music Without Borders」メンバー、昭和音大非常勤講師。 http://daryljamieson.com/



POC流・北米「アカデミズム」小史──野々村 禎彦

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 POCシリーズで取り上げた北米の作曲家はアイヴズケージフェルドマンと、広義の実験主義の作曲家に限られ、今回がそれ以外の潮流をまとめて紹介する機会になる。とは言っても、ピストン、ロイ・ハリス、コープランド、ウィリアム・シューマン、バーバーら、パリに留学してブーランジェに学んだ新古典主義者たちやその周辺までは取り上げない。作品の質や企画意図との整合性以前に、彼らは第二次世界大戦後の米国アカデミズムの主流ですらない。米国発の抽象表現主義を現代美術の主役に押し上げた以上、音楽は旧態依然では格好がつかないという事情もあろうが、ナチスの伸張に伴ってストラヴィンスキー、ヒンデミット、ミヨーらヨーロッパの新古典主義を代表する作曲家たちも「米国の作曲家」になっており、そのエピゴーネンなど用済みということだったのだろう。

c0050810_21304477.gif まずはミルトン・バビット(1916-2011)。米国発の「総音列技法」の出発点になったのは、彼が博士論文’(1946) で原型を提出した「ピッチクラスセット理論」であり、《3つのピアノ曲》(1947) は最初の適用例だった。音楽要素を音響と切り離して数学的に操作する以上、総ての音楽要素に適用するのが自然な流れで、この独自理論はヨーロッパ戦後前衛の「総音列技法」に数年先行している。セッションズに師事した学生時代から新ウィーン楽派の音楽を研究してきた彼は生粋のセリー主義者だが、シェーンベルクとは直接の接点はない。米国亡命後の弟子で後世に名を残したのはケージら実験主義者であり、シェーンベルクは米国のアカデミズムから切り離されている。「現代音楽」の理論は米国独自のものであるべきだった。抽象絵画の歴史はカンディンスキー、マレーヴィチ、モンドリアン、クレーらヨーロッパの大家たちに始まり、アンフォルメルの画家たちに継承されたが、彼らとは独立な米国の抽象表現主義や色面抽象の画家たちが、彼らを差し置いて戦後の「現代美術」の主流になる過程で、美術評論家グリーンバーグによる独自の理論が大きな役割を果たしたように。

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 ピッチクラスセット理論は、創始者バビットの手を離れて音楽学者たちの手中で発展し、次世代を代表するチャールズ・ウォーリネン(1938-) は既にバビットと直接の接点はない。濃密な師弟関係の中で育まれた新ウィーン楽派の12音技法や、ダルムシュタット国際現代音楽夏期講習という共通の場で育まれたヨーロッパ戦後前衛の総音列技法とは成り立ちが違う。このようなプラグマティックな標準化志向と、貴族的な真理探究よりも短期的な資金獲得を重視して流行のテーマに集中する米国の学問的体質が相まって、前衛の時代の米国のアカデミズムはピッチクラスセット理論一色になった。平明な米国流新古典主義で一世を風靡したコープランドや、バビットの師だったセッションズすら、この流れの中でセリー主義者になった。ただしこの「総音列技法」は、英語圏の現代音楽史ではヨーロッパ戦後前衛のものと同列に扱われるが、それ以外の地域ではほぼ無視されている。複雑な迷宮を志向するヨーロッパ流とは対照的な、聴取可能な構造への志向も特徴的だが、この技法を使い始めて20年近く経た《ポスト・パーティションズ》(1966) も音楽的には殆ど差がないのが一番の問題だ。これはバビットに限った話ではなく、「伝統を墨守するアカデミズム」の証に他ならない。

c0050810_21315109.gif 米国のアカデミックなセリー主義者の頭数の主力は新古典主義からの転向組だったが、その中でもエリオット・カーター(1908-2012) は傑出している。ピアノソナタ(1945-46) や《ミノタウロス》(1947) までの作風はブーランジェに学びコープランドの影響を強く受けた平明な新古典主義だったが、チェロソナタ(1948) や弦楽四重奏曲第1番(1951) で複雑な半音階書法に転じた。作曲技法的には全音程テトラコードとメトリック・モジュレーションを組み合わせ、セリー書法は意図的に避けている。この独自路線を突き詰めた弦楽四重奏曲第2番(1959) でピューリッツァー賞を受賞するとピッチクラスセット理論を導入したが、全音程テトラコードに代わる原理という位置付けで、セリー生成手段としての標準的な用法ではない。そして作品はさらに複雑化し、ピアノ協奏曲(1964-65)、管弦楽のための協奏曲(1969)、弦楽四重奏曲第3番(1971)、3群の管弦楽のための交響曲(1976) などの中期代表作群は、英国発の潮流に先行する「新しい複雑性」のルーツと看做されている。

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 《交響曲》はブーレーズがNYPの首席客演指揮者を務めていた時期に献呈され初演された。ケージとの決裂以来米国音楽には辛辣だったブーレーズも、ヨーロッパ的な迷宮志向の彼は唯一高く評価しており、以後ヨーロッパからも多くの委嘱を受けるようになる。カーターが国際的評価を確立する中で、彼の作品を自前できちんと演奏しようとする機運も高まり、米国の演奏水準への絶望から作曲の中心をシンセサイザーに移していたバビットが、再び器楽曲を作曲の中心に据えるようになるような波及効果もあった。ただし80年代に入ると、カーターは「複雑性」からは距離を取り始める。既に70歳を越えた年齢も大きな要因だろうが、結果的に最晩年までコンスタントに委嘱を得られたのはこの路線変更の賜物である。《ナイト・ファンタジーズ》(1980) はその端緒になった。

c0050810_21351851.gif 米国における「新ロマン主義」の代表とされているジョージ・ロックバーグ(1918-2005) 、デイヴィッド・デル・トレディチ(1937-) 、エレン・ターフェ・ツヴィリチ(1939-) も軒並みセリー主義を経て伝統回帰した。理由は人それぞれだが、モダニズムを音楽的必然性から内発的に選んだのでなければ、自分を納得させる言い訳が見つかった時が転向する時だ。ジョージ・クラム(1929-) も「新ロマン主義」の作曲家に含まれるが、彼は元々教条的なセリー主義者ではない。《子供達の古の声》(1970) などで声と特殊奏法が織りなす幻想的な世界を求め、《ブラック・エンジェルス》(1970) などで電気増幅の効果を探求した。《マクロコスモス》シリーズは、バルトーク《ミクロコスモス》を意識している時点で明白にヨーロッパの伝統を志向している。彼は第1巻(1972)第2巻(1973) の間で「新ロマン主義」の川を渡り(2巻24曲構成はドビュッシー《前奏曲集》も意識している)、IIIにあたる《夏の夜の音楽》(1974) は2台ピアノと2打楽器奏者という編成でバルトークを参照し、IVにあたる《天体のメカニクス》(1979) は《ミクロコスモス》を締め括る連弾曲を参照している。これで音楽的にやり尽くしたタイミングで、新自由主義とともに押し寄せた「新ロマン主義」の大波は通俗的かつ大味で、ヴェーベルン的な音世界を持ち味にしていた彼の音楽は埋もれていった。

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 ミニマル音楽はニューヨーク楽派以降の米国実験主義で最も影響力を持った潮流である。インド音楽とフルクサスの強い影響から出発したラ=モンテ・ヤング(1935-) やテリー・ライリー(1935-) と、よりアカデミックな発想から出発したスティーヴ・ライヒ(1936-、ベリオに師事してセリー主義を見限る) やフィリップ・グラス(1937-、実験主義に向かう前はブーランジェに師事) がサイケデリック・ムーヴメントの中で反復と電気増幅の魅力に目覚め、協同歩調を取って始まったわけだが、次世代になるとアカデミズムに取り込まれてゆく。ジョン・クーリッジ・アダムズ(1947-) はその代表である(米国実験主義の「素朴派」にあたるジョン・ルーサー・アダムズ(1953-) と区別するためにミドルネームも表記される)。グラスとライヒは、オペラや管弦楽曲の委嘱を受ける中で機能和声を用いた「マキシマル」な書法に移行してゆくが、その方向性ではアカデミックな手堅い基礎を持つJ.C.アダムズに優位性があり、表舞台の主役になってゆく。オペラ《中国のニクソン》(1987) は、ニクソンと毛沢東の和平会談という題材も手伝って内外で再演が相次ぎ、グラス《浜辺のアインシュタイン》(1975) と並ぶ米国現代オペラの代表作と看做されるようになった。音楽も台本も現在でも評価は割れているが、舞台芸術では炎上商法が特に有効という確信を得て、金融自由化に支えられたバブル下でのブームに乗って現時点で8作を数え、すっかりオペラ作曲家と認知されている。ただし彼の本領はピアノ曲や小編成作品にあり、このような受容は果たして幸福だったのだろうか。ミニマル音楽第一世代の作曲家たちも完全に取って代わられたわけではなく、グラスはポップカルチャーとの折衷、ライヒはメディアミックス、ライリーとヤングは純正律探求と棲み分ける形になった。

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 クロード・ヴィヴィエ(1948-83) は70年代前半にケルン音大でシュトックハウゼンに学び、フォルメル技法を使い始めた時期の師の関心を受け継いだ。彼は70年代半ばにバリ島や日本に滞在して民俗音楽を深く身に着け、《サマルカンド》(1976) からオリエンタルな旋律素材を使い始めたが、構成手法は依然師の影響下にあった。60年代半ばに「世界音楽」を提唱したシュトックハウゼンのもとには主に非ヨーロッパの作曲家が集まり、彼の民俗音楽志向もその流れの中で育まれた。オペラ《コペルニクス:死の祭祀》(1979) と《オリオン》(1979) で旋法的な旋律の儀式的なユニゾンを基調とするヘテロフォニックな独自語法がほぼ確立されたが、前者では器楽奏者も歌手と同等に動き回る舞台構成、後者では生々しい声で音楽を異化する所作に、まだ同時期の師の面影が残っている。翌年の《孤独な子供》(1980) と《ジパング》(1980) で遂に独自語法のみで勝負する態勢が整ったが、その3年後にパリで男娼を装った19歳の強盗と同宿し数日後に刺殺体で発見された。エキゾティシズムをはるかに超えた「想像上の民俗音楽」に至った彼は、東海岸/西海岸、アカデミズム/実験主義といった表層的な二項対立に収斂しがちな北米の音楽状況の中で、第三極として機能したカナダを象徴する作曲家である。実験主義をアカデミックに精査したジェームス・テニー(1934-2006) も長らくカナダを拠点にしていた。日本の民俗音楽に魅せられて移り住み、日本の風土に即した音楽を探求している委嘱作曲家のゼミソン・ダリル(1980-) も、このカナダの「伝統」に連なっている。

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 最後にジョン・ゾーン(1953-)。音楽家として総合的に判断すると今回取り上げる中で最も重要な存在であり、「現代作曲家」としての側面は彼のごく一部に過ぎない。彼は70年代後半、NYダウンタウンの即興音楽を牽引するサックス奏者として頭角を現した。当時の即興音楽を代表する潮流は、デレク・ベイリー(1930-2005)、エヴァン・パーカー(1944-) ら英国の音楽家が牽引するヨーロッパ自由即興だったが、後期ヴェーベルンをモデルに録音を聴き返しつつ反復練習して「いかなる既存語法の痕跡も排除」する即興のあり方は、同質的なコミュニティだからこそ可能な姿勢で、この時点で既に新たな伝統語法と化しつつあった。ワールドミュージックやポップ音楽寄りの音楽家も多く、複数のターンテーブルを操って既存の録音のカットアップを「音楽」として提示するクリスチャン・マークレイ(1955-) のような音楽家(近年は映像を同様の手法で処理する美術作家としての活動の方が中心)も含む、NYダウンタウンのコミュニティにはそぐわない。そこでゾーンが考案したのは、即興の細部を指定せず音楽の成り行きを決めるルールのみ定めた、一連の「ゲームピース」だった。このような音楽のあり方はシュトックハウゼンのケルン・アンサンブルやNew Phonic Artのような60年代の現代音楽側の集団即興で既に試みられていたが、同質的な固定メンバーのアンサンブルと多様な背景を持つ不定メンバーのアンサンブルでは土台が違い、さらにパンクやハードコアを偏愛する彼の「速度」フェチの嗜好も相まって、NYダウンタウン即興を特徴付ける傾向が固まってゆく。特に《コブラ》(1984) は、具体的な音楽様式を一切指定せずに指揮者役の嗜好の表出も排除した、音響のサンプリングや指揮者への反逆まで含む柔軟なシステムであり、広範な影響を与えた。彼が80年代後半から90年代初頭まで高円寺で暮らしていたこともあり、日本では巻上公一を中心とする定期公演が現在まで続き、山本裕之らは音楽教育に取り入れている。多様式の混淆で特徴付けられるNYダウンタウン即興の傾向はゲームピースに留まらず一般化され、相性を意識した慎重な人選よりも意外な出会いを重視する方向に、即興音楽のあり方も変えた。

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 だが流行には終わりがある。ヘンリー・カウとアート・ベアーズに参加し、70年代英国の実験的ロックを代表するギタリストだったフレッド・フリス(1949-) が1979年にNYに移住すると、その知名度ゆえにNYダウンタウン即興はヨーロッパの即興フェスティヴァルの注目を集め、ゾーンらの音楽は徐々に世界に広まっていったが、「意外な出会い」も日常化すると新鮮さは薄れ、相性の良い組み合わせでなければ共演を繰り返しても深化は起こらない。90年代に入ると、素材を限定し相性を重視する(ヨーロッパ自由即興との差異化は持続音志向とエレクトロニクス志向で行う)「音響的即興」が世界各地で勃興し始め、数年後にはヨーロッパ自由即興の大家たちが彼らの志向を意識した方向転換を行ったことも手伝って、再び主役は入れ替わった。ゾーンはこの変化をいち早く察知しており、90年代に入ると活動の中心をユダヤ音楽と古典的作曲に移し始める。そのような作品は日本のDIWレーベル内に立ち上げたサブレーベルAvantでリリースし、NYダウンタウン即興の仲間たちの発表場所も確保した。1995年にはAvantレーベルの担当者杉山和紀と共にNYでTzadikレーベルを立ち上げ、プロデュース活動もさらに拡大した。彼は元々初期カーゲル作品に衝撃を受けて音楽を始め、〈九尾の猫〉(1988) や〈カーニー〉(1989) などの初期作曲作品ではNYダウンタウン即興の音楽様式を確定譜面に移植していたが、その後のより構築的な作曲作品では私淑するウォーリネンの書法を参照しており、この意味で米国アカデミズムの継承者でもある。彼の作曲作品はアカデミックにも評価されており、コロンビア大学による米国の作曲家の生涯業績賞であるウィリアム・シューマン賞は、最初の20年は専らアカデミックな作曲家の中で回されていたが、00年代以降は2000年のライヒを皮切りに、2007年のゾーン、2009年のポーリン・オリヴェロス(1932-2016)、2015年のJ.L.アダムズと、専ら実験音楽の作曲家に与えられている。ゾーンの早期受賞には、Tzadikレーベルからウォーリネンやバビットらの作品集をリリースした貢献も考慮されたのかもしれない。





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by ooi_piano | 2018-09-19 13:49 | POC2018 | Comments(0)