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松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
【予約・お問い合わせ】 エッセ・イオ(essai-Ïo) poc2019@yahoo.co.jp



【ポック(POC)#42】 「戦後前衛音楽の濫觴」 2019年10月14日(月・祝)17時開演 松涛サロン(渋谷区)

●R.シュトラウス(1864-1949):皇紀2600年奉祝音楽(1940/2019)(米沢典剛によるピアノ独奏版、世界初演)
  海の情景 - 桜祭り - 火山の噴火 - サムライの突撃 - 天皇頌歌
●成田為三(1893-1945):「君が代」変奏曲(1942)
  主題 Largo - 変奏1 - 変奏2 Poco più mosso - 変奏3 Animato - 変奏4 Andante - 変奏5 Allegro moderato ma non troppo - 変奏6 Tempo di Thema - 変奏7 Più mosso - 変奏8 Allegretto agitato - 変奏9 Scherzando - 変奏10 Lento ad libitum - 変奏11 Con moto - 変奏12 Con forza - 終結部 Allegro con fuoco
●M.グルリット(1890-1972):信時潔「海ゆかば」による変奏曲(1944、全曲による世界初演)
  主題 - I.導入 - II.前奏曲 - III.夜想曲1 - IV.幻想曲1 - V.夜想曲2 - VI.プレスト1 - VII.カプリッチョ - VIII.エレジー1 - IX.バラード1 - X.幻想曲2 - XI.夜想曲3 - XII.バラード2 - XIII.間奏曲 - XIV.プレスト2 - XV.エレジー2 - XVI.プレスト3 - XVII.葬送行進曲 - XVIII.牧歌 - XIX.闘い - XX.終曲

(休憩)

●黛敏郎(1929-1997):オール・デウーヴル(オードブル)(1947)
  I. 導入部とブギウギ - II. ルンバ
●松平頼則(1907-2001):盤渉調音取(1988) + 盤渉調越天楽による主題と変奏(1951/1983)
  主題 - 変奏I Andante - 変奏II Allegro - 変奏III Allegro - 変奏IV Lento - 変奏V(ブギウギ) - 変奏VI(トッカータ・メカニコ) - 終結部 Lento
●しばてつ(1959- ) :「君が代」逆行形による変奏曲(2007/2019、委嘱改訂初演)
  主題(君が代逆行形) - 変奏1(順行と逆行) - 変奏2(逆行カノン) - 変奏3(和声1) - 変奏4(和声2) - 変奏5(和声3) - 和声6(ジャズ/2声のインヴェンション) - 変奏7(和声4/エッケルト) - 変奏8(拡大縮小音価) - 終曲
  
(休憩)

●李聖賢(1995- ):君が代-遺聞(ユムン)(2019、委嘱初演)
●諸井誠(1930-2013):α(小ソナタ)とβ(主題と12の変奏)(1954)、ピアノ曲(1956)
●入野義朗(1921-1980):三つのピアノ曲(1958)
  I. トッカータ - II. コラール - III. スケルツォ
●松下眞一(1922-1990):可測な時間と位相的時間(1957/60)
  I. - IIa. - IIb. - III



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しばてつ Shiba Tetsu, composer
  ピアノ/ピアニカ奏者、作曲家、即興家。1984年よりスティーブ・レイシーのソプラノサックスsoloに感銘し、ピアニカsoloの即興を始める。書かれた作曲作品として、ピアニカ5重奏「5chサラウンドサウンド ハイドン変奏曲」、「リトルネロ練馬」、オンド・マルトノとピアニカのための「電波梅」、ピアノ曲「フリードリッヒ・タンゴ・バッハ」、jazz曲「ビネール」「土木」などなど。2016年ピアニカ生音soloのCD「Plastic Pneuma」をFtarriよりリリース。2019年還暦達成。




大政翼賛と万博の間 - 戦後作曲家の同人会とは何だったのか?―――白石知雄

「日本の作曲家たちが得たのは、好きなように作品を書き、それを好きな時に自分たちの資金と手間で発表する権利になるだろう。[…中略…]戦後、作品発表を目的とする作曲家たちの自主的なグループが次々と生まれるが、その理由はつまりそのへんにあったと言える。」(片山杜秀「戦前・戦中・戦後 -- その連続と不連続 1945-1951」佐野光司他編『日本戦後音楽史』上、平凡社、2007年、86頁)

  大日本帝国の大政翼賛を強いられた作曲家たちは、敗戦後に芸術音楽の再建・復興に取り組んだ。セリエリズムに代表される国際的で合理的な創作技法(世界標準の「ゲームの規則」)に準拠した前衛・実験音楽は、戦後立憲民主主義ニッポンの音楽芸術におけるシンボルだったとひとまず言うことができるのだろう。
  音楽における「戦後」は、敗戦の1945年から、復興・成長の総仕上げとして日本万国博覧会に前衛・実験音楽が再び「総動員」される1970年までの四半世紀25年と考えるのがわかりやすい。
  片山杜秀が指摘するように、この復興・成長の四半世紀は作曲家同人会の時代でもあった。大政(=国家)礼賛へのアンチとしての、個人の自由意志による作曲家の連帯・グループ活動である。橋本國彦は東京音楽学校教授、マンフレート・グルリットは同校講師にして藤原歌劇団常任指揮者の肩書きを背負ったが、黛敏郎といえば團伊玖磨、芥川也寸志との「三人の会」、入野義朗は第1回毎日音楽賞を得た柴田南雄らの「新声会」、松平頼則は戦前からの「新作曲派協会」、松下眞一はやや遅れて大阪で「現代音楽研究所」や「えらん」名義のグループ作品発表会を開いた。
  そして1970年大阪万博が戦後の終わりに見えるのは、彼らが個人/同人の趣旨とは別次元の「構造と力」(という名の本を1983年に書いた浅田彰は丹下健三の腹心というべき都市プランナー浅田孝の甥なわけだが)によって、再び国家(ならびに協賛企業)の巨大プロジェクトに組み込まれたからである。
  どうしてこうなったのか?

●同人会の世俗性

  同人活動は、個人の自由意志によるが、俗世から浮いた無重力空間ではない(無調・セリー音楽は無重力な宇宙というSF的なイメージと親和しがちだが)。
  レイボヴィッツ『シェーンベルクとその楽派』をサイゴン(現ホーチミン)で入手して入野や柴田とむさぼり読んだ戸田邦雄は外務官僚だったのだから、十二音技法の日本上陸は国家外交の副産物。非転向の十二音主義者、入野義朗が(短命に終わった本家シェーンベルクの「私的演奏会」と違って)長く同人活動を維持できたのは、彼が経済学部出身で財務に長けていたのと無関係ではないだろう。同人会は公権力の外部というより隙間に花開き、手弁当ゆえに、地味だが膨大で、決して効率的とは言えない雑務を発生させる。
  そして戦後はマス・メディアの時代だった。オーケストラを雇って華やかだった團・黛・芥川の「3人の会」は、それぞれが映画の仕事で滞在していた京都の旅館で結成されたと伝えられる。ケルンのシュトックハウゼンと同じく日本の電子音楽はラジオ放送で発表されたが、柴田南雄や芥川也寸志は音楽番組の有能なパーソナリティでもあった。黛敏郎はテレビ番組「題名のない音楽会」で和製バーンスタイン(ニューヨーク・フィル/CBSの「ヤング・ピープルズ・コンサーツ」におけるような)を演じ、柴田はのちに放送大学の音楽史初代教授に就任する。
  「日本前衛音楽のウッドストック」というべき20世紀音楽研究所の軽井沢での現代音楽祭(1957-1959)には、このように俗世の才に長けた人材が集まっていた。「記録魔」柴田の自伝『わが音楽わが人生』(岩波書店、1995年)に詳しいが、人脈を頼ってNHKやドイツ大使館等の協力を取り付けて、第2回音楽祭(1958)では音楽之友社協賛の作曲コンクールが開催された。かつて大政翼賛のメディアだった放送局、出版統制下で生まれた国策出版社が新時代の旗振り役を演じたわけだ。
  音楽之友社は1959年から1973年まで『音楽芸術』別冊として『日本の作曲』という年鑑を出し、当初は柴田と吉田が編集人に名を連ねた。そして『音楽芸術』自体が1960年から大判横書きの判型に変わる。2000年代にオタク文化が出版物のデザインを一変させたように、作曲家たちの同人活動は1960年代「文化の最前線」として晴れやかな表舞台に出た。(『音楽芸術』の判型はわずか3年で元に戻るのだけれど。)
  作曲コンクールで順位なしの入選、音楽之友社賞を得たのが武満徹(「ソン・カリグラフィ」)と松下眞一(「八人の奏者のための室内コンポジション」)である。やり手の同人たちとはやや距離のあった2人は、その後、前衛運動を広い文脈に開く役割を果たすことになる。
  「実験工房」で詩人や美術家とつきあっていた武満はメディア・ミックスに強い、彼が手がけた映画を通じて、不定形のサウンドを切り裂く邦楽器の一打一吹きが「現代日本の音」としてブランディングされる経緯は今さら詳述するまでもないだろう。
 一方、松下眞一は関西、大阪北部の丘陵地帯、茨木在住の数学者。第4回現代音楽祭(1961)が大阪、第5回(1963)が京都で開かれたのは、松下の地元というより別の事情によるが、松下は東京の作曲家たちの動きに対抗しつつ「ワルシャワの秋」(1956-)の向こうを張る意気込みで、現代音楽祭がなかった1962年に「大阪の秋」国際現代音楽祭なるものを開催した。(ちなみに「可測な時間と位相的時間」を1959年に初演した「現代音楽研究所」は計4回公演した関西の団体で、発足時は大栗裕や評論家の上野晃、指揮者の岩城宏之らが同人に名を連ねた。団体名はこれも「20世紀音楽研究所」のモジリだろう。)「大阪の秋」は、大阪フィルの経営母体、関西交響楽協会が主催を引き継ぎ、1963年に第1回のカウントで再出発して1973年まで続いた。
  ただし結局のところ、武満や松下にとって、国内の同人活動は海外へ出るための通過点に過ぎなかったかに見える。武満は当時バーンスタインのもとにいた小澤征爾の推薦を得て、ニューヨーク・フィルハーモニック125周年記念委嘱作として書いた「ノヴェンバー・ステップス」(1967)以後、海外の仕事が増える。数学論文が物理学者パスカル・ヨルダンの目にとまり、松下は1965年ハンブルク大学客員研究員となりドイツに拠点を得る。1970年万博の開催地は奇しくも松下の生まれ故郷の茨木から吹田にまたがる千里丘陵だが、彼が期間中の内外作曲家のシンポジウムに呼ばれたのは、地元代表というより、ヨーロッパ事情に詳しい国際派としてであった。

●万博、「普通の国」へ

  そして1970年日本万国博覧会である。
  堺屋太一のアイデアとされる「プロデューサー・システム」で、作曲家たち(実は案外世辞に長けた)が「一本釣り」される。京大人文研の中堅学者たちがイベントの立案実働部隊として動き、跡地の一角、西ベルリンのフィルハーモニー周辺を思わせる広大な造成地にダーレム博物館風の国立民族学博物館が建ち、梅棹忠夫が館長になった。
  三波春夫が「こんにちは、世界の国から」と歌った万博は、ヨーロッパもアメリカもアジアも、西も東も北半球も南半球も、経済大国も新興AA諸国も、あらゆる国(と企業)を横並びで参加させるフラットな世界像(「丸い(=global)」地球像)を実感させるイベントであり、文化人類学時代の到来を印象づけたと言えるだろう。科学的客観性(実態はフランシス・ベーコン流の比較と計量)に固執していた柴田南雄は1970年代のシアターピースで「農村」を発見して、民間フランス派の武満徹は1980年代に「海」「水」「島」(日本の人類学は南洋に強い!)を発想の拠り所にする。かつて都会の一室で日々顔を付き合わせていた同人たちが、山や海で身心を癒やす中高年になった。
  世界規模で見れば、「戦後」と呼ばれる25年は、1930年代にはじまる金本位制ブロック経済/鉄鋼と石炭・石油の重工業/映画・放送等のニューメディアがタッグを組んだ大衆動員の時代から、1970年代以後のブレトンウッズ体制による信用通貨/半導体産業/情報ネットワーク・システムで世界がフラットにつながるグローバルでパーソナルな時代への過渡期だった。日本の戦後作曲家たちの振る舞い、時代の各局面における行動・選択は、偉大なアートに期待される冒険・挑戦・投企というより、事態の推移へのドメスティックな反応の集積に見える。未來への旅というより、直近の対処に追われる日々。同人活動と切っても切れない無数のやりくり、そこで鍛えられた終わりなき日常のエートスこそが、当時さかんに言われた「コンテンポラリー/同時代性」の正体ではなかったか。
  こうして日本は、「帝国」から「普通の国」へと軟着陸した。

●「つながり」の日本前衛音楽史?

  携帯通信器機によるSNSが急速に普及した2000年代には、歴史学が社会学化して、国家や企業と個人の中間、テンニース流に言えば機能集団(Gesellschaft)でも血縁集団(Gemeinschaft)でもない社交(「つながり」)の意義が様々に検証・称揚された。ひょっとすると、労音の盛衰を追う長崎励朗『「つながり」の戦後文化誌』(河出書房新社、2013年)の姉妹編として、作曲家同人会をめぐる「つながりの日本前衛音楽史」が書かれていいのかもしれない。
  高潔なアヴァンギャルドを俗世に引きずりおろすと、往年の諸先輩から不謹慎だと怒られてしまうだろうか?
  万博の年に5歳で大阪に越して来た私よりも若い世代の音楽学者は、第33回京都賞を得たリチャード・タラスキン (Oxford History of Western Music, 2010) など北米の「新しい音楽学 New Musicology」(カルチュラル・スタディーズ、ポスト植民地主義と軌を一にするニュー・レフト)を見習って、音楽史のあらゆる領域を日常のコモン・センスで語り直す作業を着々と進めているように見えるのだけれど。



by ooi_piano | 2019-09-14 10:34 | POC2019 | Comments(0)


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大井浩明 POC [Portraits of Composers] 第42~第46回公演 《先駆者たち Les prédécesseurs II》
大井浩明(ピアノ独奏)

松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分
3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
【予約・お問い合わせ】 エッセ・イオ(essai-Ïo) poc2019@yahoo.co.jp
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c0050810_06225588.jpg【関連公演】
日本シベリウス協会例会 〈ピアノで紡ぐシベリウスの管弦楽の世界――その3〉 2019年9月16日(月・祝)14時開演 マルシャリンホール(調布市)
K.シマノフスキ:ピアノソナタ第2番 Op.21 イ長調 (1910) 
J.シベリウス:交響曲第3番 ハ長調 Op.52 (1907/2018)(米沢典剛編独奏版、世界初演)
J.シベリウス:交響曲第2番 ニ長調 Op.43 (1901/2017)(マイケル・グラント編独奏版、世界初演) 



c0050810_04130168.jpg【ポック(POC)#42】 「戦後前衛音楽の濫觴」 2019年10月14日(月・祝)17時開演 松涛サロン(渋谷区)
R.シュトラウス:《皇紀2600年奉祝音楽》(1940/2019)(米沢典剛によるピアノ独奏版、世界初演
しばてつ(1959- ) :《「君が代」逆行形による変奏曲》(2019、委嘱改訂初演)
李聖賢(1995- ):《君が代遺聞》(2019、委嘱初演
成田為三(1893-1945):《「君が代」変奏曲》(1942)
M.グルリット(1890-1972):《信時潔「海ゆかば」による変奏曲》(1944、全曲による世界初演)
黛敏郎(1929-1997):《オール・デウーヴル》(1947)
松平頼則(1907-2001):《盤渉調越天楽による主題と変奏》(1951/1983)
諸井誠(1930-2013):《αとβ》(1954)、《ピアノ曲1956》(1956)
入野義朗(1921-1980):《三つのピアノ曲》(1958)
松下眞一(1922-1990):《可測な時間と位相的時間》(1957/60)



c0050810_00001711.jpg【ポック(POC)#43】 「ヤナーチェクからの眺望」 2019年11月9日(土)18時開演 松涛サロン(渋谷区)
間宮芳生(1929- ):ピアノソナタ第2番(1973)
林光(1931-2012):ピアノソナタ第2番「木々について」(1981)
レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928):《ズデンカ変奏曲 Op.1》(1880)、《草かげの小径にて》(1901-08/1911)、ピアノソナタ 変ホ短調「1905年10月1日 街頭にて」(1905)、《霧の中で》(1912)、弦楽四重奏曲第2番「ないしょの手紙」(1928/2018)(米沢典剛によるピアノ独奏版、世界初演



c0050810_06264238.jpg【関連公演】
〈超人とアンチクリスト〉 2019年11月22日(金)19時開演 東音ホール(豊島区) 浦壁信二+大井浩明
R.シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはこのように語った》 作品30 (1896、オットー・ジンガーによる二台ピアノ版、日本初演)
  導入部(ツァラトゥストラの序説) - 背後世界論者について - 大いなる憧れについて - 歓楽と情欲について - 墓の歌 - 学問について - 病の癒えゆく者 - 舞踏の歌 - 夢遊病者の歌
R.シュトラウス:《アンチクリスト ~ アルプス交響曲》 作品64 (1915/2019、米沢典剛による二台ピアノ版、世界初演)
  夜 - 日の出 - 登り道 - 森に入る - 小川沿いに歩く - 滝 - 幻影 - 花咲く草原で - アルムの牧場で - 道に迷い茂みと藪を抜ける - 氷河で - 危険な瞬間 - 頂上で - 幻視 - 霧が立ちのぼる - しだいに日がかげる - 哀歌 - 嵐の前の静けさ - 雷雨と嵐、下山 - 日没 - 終了 - 夜



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【ポック(POC)#44】 「スクリャービンの窯変」 2019年12月20日(金)18時開演 松涛サロン(渋谷区)
山田耕筰(1886-1965):《スクリャービンに捧ぐる曲》(1917)、舞踊詩《青い焔》(1916)
スクリャービン(1871-1915) :ソナタ第7番「白ミサ」Op.64 (1911)、詩的夜想曲 Op.61 (1911/12)、ソナタ第6番 Op.62 (1911/12)、2つの詩曲 Op.63 (1911/12)、3つの練習曲 Op.65 (1912) 、2つの前奏曲 Op.67 (1912/13)、ソナタ第9番「黒ミサ」Op.68 (1912/13)、2つの詩曲 Op.69 (1912/13)、ソナタ第10番「トリル・ソナタ」Op.70 (1913)、ソナタ第8番 Op.66 (1913)、2つの詩曲 Op.71 (1914)、詩曲「焔に向かって」Op.72 (1914)、2つの舞曲 Op.73 (1914)、5つの前奏曲 Op.74 (1914)



c0050810_06280988.jpg【関連公演】
〈花々に蔽われた大砲 ~ショパンのマズルカを巡って Armaty ukryte wśród kwiatów - Mazurki Chopina〉 2019年12月29日(日)15時開演 松山庵(兵庫県芦屋市) 
F.F.ショパン(1810-1849):マズルカ風ロンド Op.5 (1826)、マズルカ風ロンド Op.21-3 (1830、作曲者による独奏版)、5つのマズルカ Op.6 (1830)、4つのマズルカ Op.17 (1831/33)、マズルカ Dbop.42A 「ガイヤール」 (1840)、3つのマズルカ Op.50 (1841/42)、3つのマズルカ Op.56 (1843)、3つのマズルカ Op.59 (1845)、3つのマズルカ Op.63 (1846)、マズルカ Op.68-4 (1849) [使用エディション:ポーランド・ナショナル版(1998/2017)]
C.ドビュッシー(1862-1918):マズルカ (1890)
A.スクリャービン(1871-1915):マズルカ Op.25-3 (1898)
L.ゴドフスキー(1870-1938):マズルカ(ショパンOp.25-5に基づく) (1904)
K.シマノフスキ(1882-1937):2つのマズルカ Op.62 (1933/34)
T.アデス(1971- ):マズルカ(2009)



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【ポック(POC)#45】 「シマノフスキの讖緯」 2020年1月18日(土)18時開演 松涛サロン(渋谷区)
若尾裕(1948- ):《さりながら雪》(2019、委嘱初演
李聖賢(1995- ):《夜の集(すだ)き》(2019、委嘱初演)
カロル・シマノフスキ(1882-1937):《メトープ(浮彫) Op.29》(1915)、《仮面劇 Op.34》(1916)、《ピアノソナタ第3番 Op.36》(1917)、《20のマズルカ集 Op.50》(1924/25)、《2つのマズルカ Op.62》(1933/34)




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【ポック(POC)#46】 「ジョリヴェの蚕蝕」 2020年2月15日(土)18時開演 松涛サロン(渋谷区)
門脇治(1964- ):《前奏曲第11番》(2020、委嘱初演)
前田克治(1970- ) :《影と形Ⅲ》(2020、委嘱初演)
アンドレ・ジョリヴェ(1905-1974):《マナ》(1935)、《五つの儀式的舞踊》(1939)、ピアノソナタ第1番(1945)、ピアノソナタ第2番(1957)
エドガー・ヴァレーズ(1883-1965):《アルカナ》(1927/2018、米沢典剛によるピアノ独奏版、世界初演





POC2019:日本戦後前衛の源流を辿って――野々村 禎彦

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 POCシリーズも今年度で9期目。第6期ではヨーロッパ戦後前衛に直結したシェーンベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーを取り上げたが、日本の戦後前衛への直接的な影響は実は限定的だった。12音技法の学習は柴田南雄、入野義朗らの戦後最初の課題だったが、生まれてきたのは新ウィーン楽派とは似ても似つかない音楽だった。新古典主義を取り入れた作曲家は多いが、ドイツ系ではヒンデミットやオルフ、フランス系では後期ラヴェルや六人組が参照され、ストラヴィンスキーに挑んだ作曲家はいない。バルトークの影響を標榜する作曲家も多いものの民謡素材の導入という入り口の段階に留まり、それを活かすためにヨーロッパ古典音楽の体系の方を組み換える(対象が微分音や噪音ならば前衛語法に直結する)という核心部分には至らなかった。

 むしろ同時代には、スクリャービン(シマノフスキが後期ロマン派風書法から飛躍したのも、スクリャービンの影響が大きい)やジョリヴェ(「若きフランス」の作曲家としては、メシアンよりも断然)の方が、日本作曲界への直接的な影響ははるかに大きかった。またオペラ作曲家として発話旋律の収集を根幹に据えたヤナーチェクのアプローチは、日本語に根ざしたオペラの指標になった。ロシアと東欧、及びフランスでのオリエンタル志向という彼らの立ち位置が、ヨーロッパの中心から見ればさらに辺境にあたる日本の作曲家たちにとっては近づきやすかったことは疑いない。前衛の時代が終わってから欧米では再評価が始まった彼らと日本の作曲家たちの影響関係や照応関係を具体的に見てゆくことが、今年度のテーマである。
 
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 アレクサンドル・スクリャービン(1872-1915) はモスクワ音楽院でセルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943) と同期だった。十度を楽に掴める大きな手と異常に柔軟な指関節を活かし、楽曲の対位法構造を徹底的に抽出してモダニズムを体現したピアニスト=ラフマニノフは、作曲家としては19世紀の語法の革新を必要としなかったが、ピアニストとしては化け物ではなかったスクリャービンはそれでは済まない。《法悦の詩》(1908) 《プロメテ》(1910) で独自の無調書法を編み出し、ようやくライバルの影から解放された。長三度・完全四度・増四度を堆積した「神秘和音」で「無調」のトーンを作り、時間分節は持続音で行う。ダンパーペダルで持続音を作ると和音が混濁するピアノ独奏曲の場合は、アルペジオとトリルで代用する。彼にとって管弦楽の作曲は得意分野ではなく、この2曲以降に完成されたのはすべてこの書法によるピアノ独奏曲だった。その大半が今回網羅的に取り上げられる。

 スクリャービンは音楽史から隔絶された特異な存在だと長年見做されてきた。彼のインスピレーションの源泉は神智学やニーチェの超人思想で、色彩と音響の共幻覚が強調されてきたことも要因のひとつだろう。彼の影響を神秘和音の使用に限定すると、その構成音は全音音階の構成音1個を半音ずらしたものなので、彼の影響は無視して「印象派風」と見做されがちだった(シマノフスキがまさにそうだった)。だが「無調的な構成音と持続音による分節」まで拡大すれば影響圏は一挙に広がる。ロスラヴェッツ、ルリエー、ヴィシネグラツキーらロシア・アヴァンギャルドの作曲家の大半はこの意味では彼の影響下にある。シェルシも12音技法と並行してスクリャービンの弟子からその作曲法を学び、微分音オルガンを使い始めるまでのピアノの即興に基づいた作品群に至った。セリー技法は本質的に筆記的だが、広義のスクリャービン流「無調」は即興音楽における「無調」表現の現実的な処方箋になった。

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 カロル・シマノフスキ(1882-1937) は、当時はロシア支配下のポーランドの貴族の家庭で生まれ育った。親戚のネイガウス家の音楽学校で学び始め、スクリャービンの音楽に初期から親しんでいた。ワルシャワ音楽院に進み、ルービンシュタイン、コハィンスキらと音楽家集団「若きポーランド」を結成する。当時の彼はワーグナーやR.シュトラウスを好み、交響曲第2番(1909-10) やピアノソナタ第2番(1910-11) はまさにそのような音楽だ。1914年に南欧や北アフリカを旅行してオリエントやアラブの音楽を知り、異国の音組織と無調化以降のスクリャービンの音組織の類似性は、後期ロマン派を超える音楽を模索していた彼に啓示を与えた。ピアノ独奏のための《メトープ》(1915) 《仮面劇》(1916)、ヴァイオリンとピアノのための《神話》(1915)、交響曲第3番(1914-16)、ヴァイオリン協奏曲第1番(1916)、ピアノソナタ第3番(1917)、弦楽四重奏曲第1番(1917) などで、彼は一挙にヨーロッパ作曲界の最前線に立った。なかでも《神話》は、バルトークの最も尖鋭的な作品であるヴァイオリンソナタ第1番(1921) に直接的な影響を与えている。

 この充実期は、ロシア革命に際しボリシェヴィキの一団に自宅を襲撃された事件で終わる。そのショックで音楽活動を中断していた彼が活動を再開したのは、第一次世界大戦が終結してポーランドが独立を回復した時だった。しばらくは「若きポーランド」の盟友との海外での活動が中心だったが、ストラヴィンスキー《結婚》に衝撃を受けて民俗音楽に目覚め、1922年からポーランド南端ザコパネに別荘を借り、近代西洋音楽に毒されていない同地の音楽を収集した。充実期の作風を受け継いだオペラ《ロジェ王》(1918-24) 完成後の《20のマズルカ》(1924-25)、《スターバト・マーテル》(1925-26)、弦楽四重奏曲第2番(1927) がこの時期の成果である。ただしフィラデルフィア音楽財団の弦楽四重奏曲コンクールでは入賞を逃し(バルトーク第3番は相手が悪すぎたが、カゼッラ《セレナータ》にも後塵を拝した)、この時期の彼の方向性はもはや同時代にも作曲界の最前線とは見做されていなかった。

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 レオシュ・ヤナーチェク(1854-1928) は生年で見れば今期最年長だが、音楽的にはむしろバルトークやシマノフスキと同世代と見做せる。生涯の大半をチェコ・モラヴィア州の州都ブルノで過ごし、晩年までヨーロッパのモダニズムの動向とはほぼ無縁だったが、この孤立が唯一無二の音楽を生んだ。彼の音楽歴は修道院で暮らす聖歌隊員として始まり、声楽曲の作曲が終生活動の中心になる。教会オルガニストとしても頭角を現し、1882年にはブルノにオルガン学校を設立して長らく校長を務めた(チェコスロヴァキア独立後の1919年にブルノ音楽院に発展)。また彼はモラヴィア民謡を網羅的に収集・刊行し、チェコ文化の中心地であるボヘミア州の州都プラハでは長らく、「作曲も嗜む民俗音楽学者」という扱いだった。《ズデンカ変奏曲》(1880) などのロマン派風の初期作品の後は、民謡を直接的に用いた作品が続くが、カンタータ《アマールス》(1897) でその段階を離れた。

 民謡研究を進める中で、言葉が内包する「発話旋律」こそが民謡の起源だと考えるに至った彼はその収集も始め、オペラ《イェヌーファ》(1894-1903) から作曲に応用した。ただし発話旋律の収集はそれを直接引用するためではなく、既存の旋律に引きずられないためのガイドだった。彼の旋律はテキストと不可分で、望ましい旋律を得るためにしばしばテキストの方を変更していた。今回の曲目の中核となるピアノ曲集《草陰の小径にて》(1901-08/11)《1905年10月1日》(1905)《霧の中で》(1912) は、独自語法を見出しても世間では正当に評価されない、鬱々とした日々の中で書き溜められた。単純な動機の執拗な反復と唐突な転換、全く異質な要素の重ね合わせと結果的に生じる斬新な和声。動機の有機的な展開と対位法的な構成を良しとする伝統的な価値観(たとえ技法的には「前衛」であっても)に立てば、同時代には素朴なローカル作曲家として片付けられていたのもやむを得ない。

 第一次世界大戦の趨勢と共に独立への期待が高まった1916年、《イェヌーファ》はようやくプラハで上演されて大成功を収め、翌年には40歳近く年下の人妻カミラ・シュテスロヴァと出会って一方的な恋愛感情を抱いた。このように公私とも充実した最晩年の十余年が彼の「傑作の森」になった。今回は最後の完成作、弦楽四重奏第2番《内緒の手紙》(1928) のピアノ独奏版が取り上げられる。彼が本格的に評価されたのは1950年代以降、まずマッケラスの尽力で「ブリテンと並ぶオペラ作曲家」という位置付けで英国で受容された。さらに1980年代以降、ポストミニマルやスペクトル楽派第二世代以降の潮流が「新しい調性」に向かう中、そこで議論されていた「新しさ」は彼が既にはるかに高い水準で達成していたことが再発見されてゆく。モダニズムの歴史は無調とその組織化及び特殊奏法の探求にほぼ特化していたわけだが、それが相対化された時、ヤナーチェクの真価が明らかになった。

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 アンドレ・ジョリヴェ(1905-74) は師エドガー・ヴァレーズ(1883-1965) からオリヴィエ・メシアン(1908-92) を経てモーリス・オアナ(1913-92) まで続く、エキゾティックな音楽に強いインスピレーションを受けたフランス近代の作曲家の列に連なる。作曲家集団「若きフランス」結成に際してメシアンが在野の作曲家ジョリヴェに声をかけたのは、ヴァレーズ譲りの無調書法が反新古典主義を旗印にしたグループの理念に合致していたからだが、早くから電子音響を夢想していたヴァレーズ、インド音楽の旋法やリズムを科学的に分析したメシアン、セリー主義へのアンチテーゼとして地中海の民俗音楽を創造的に用いたオアナと比べると、ジョリヴェの姿勢は典型的なエキゾティシズムに留まっていたことは否定できない。

 《マナ》(1935)、《5つの呪文》(1936)、《5つの儀礼的舞踏》(1939) などの生気に満ちた作品群から出発した彼は、《兵士の3つの嘆き》(1940) で調性回帰し、ピアノソナタ第1番(1945) の頃にはすっかり保守的な精神の持ち主になっていた。80年代は「クセナキスの唯一の弟子」にふさわしい輝きを見せていたデュサパンの90年代以降の変節を例に挙げるまでもなく、「在野の改革派」がいったん名声を確立すると保守派以上に保守的になってしまうのはフランス作曲界の宿痾なのだろう。ただし、マッカーシズムに葬られたニューディール左派の理想主義が日本国憲法に残されたように、《赤道協奏曲》(1950) の悪名の前に忘れられたジョリヴェ初期の輝きは、日本の現代音楽草創期の作品群に残されていた。

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 このような認識を踏まえて日本の作曲家の曲目は選ばれた。スクリャービンの影響を直接的に受けた山田耕筰の2曲を本家と聴き比べ、合唱曲やオペラを通じて日本語の話し言葉に正面から対峙した間宮芳生林光の代表作にヤナーチェクの精神を確認し、ジョリヴェ受容の諸相を日本の現代音楽草創期の作品群に探す。初期ジョリヴェの影響を最も強く受けたのは湯浅譲二福島和夫だが、このリストには黛敏郎も含まれる(彼の場合はその後の顛末も含めてだろうが)。松平頼則《盤渉調越天楽による主題と変奏》(1951) は、フランス新古典主義(モデルは主にプーランク)から雅楽のフィルターを介した戦後前衛に乗り換える瞬間に現れた、創作史の特異点という位置付けだが、雅楽の素材をエキゾティシズムの対象として扱って多様式を繋ぐハブにするという発想には、同時代の「ジョリヴェ的なもの」も無関係ではないだろう(その影は石井眞木やその後の世代まで伸びている)。この文脈では、諸井誠・入野義朗・松下眞一の初期作品は解毒剤として並んでいることになりそうだが、併せて聴くことで見えてくるものもあるはずだ。


by ooi_piano | 2019-09-14 05:59 | POC2019 | Comments(0)

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【New!】
■長瀬弘樹(1975-2012):《見えない星》(2007)
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■C.フランソワ (1939-1978)/J.ルヴォー(1940- ):《マイ・ウェイ》(夏田昌和によるピアノ独奏版)(1967/2014)
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■吉本光蔵(1863-1907):《君が代行進曲》(ca.1902)
■宮川泰(1931-2006):《宇宙戦艦ヤマト》(1974、宮川晶(彬良)による2台ピアノ版) [+浦壁信二(ピアノ)]
■姜碩煕(カン・スキ)(1934- ):《ゲット・バック》(1989)

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一般社団法人全日本ピアノ指導者協会[PTNA]のYouTubeアカウント(+α)で公開されている動画一覧 大井浩明(ピアノ/フォルテピアノ/クラヴィコード/オルガン)

【作曲家五十音順】
■A.アレクサンドロフ(1883-1946):《ボリシェヴィキ党歌》(1938)
■伊藤謙一郎(1968- ):《アエストゥス》(2018)
■P.オリヴェロス(1932-2016):《ノルウェーの木》(1989)
■金澤攝(1959- ):《烏枢沙摩》(2018)  
■姜碩煕(カン・スキ)(1934- ):《ゲット・バック》(1989)
■喜多郎(1953- ):《絲綢之路》(1980)
■I.クセナキス(1922-2001):《シナファイ》(1969) NJP 1996 Jul. / KSO 1996 Nov.(前半後半)/LPO 2002 Mar.  《エリフソン》(1974)
■剣持秀紀(1967- ):《ピンチェ》(2015)
■坂本龍一(1952- ):《エナジー・フロー》(1999)
■清水卓也(1986- ):《町田のヤンキー》(2011)
■A.シルヴェストリン(1973- ):《凍れる音楽》(2015、テイク1テイク2)
■鈴木悦久(1975- ): 《クロマティスト》(2004)  《ピアノの練習》(2019)
■I.ストラヴィンスキー(1882-1971)(米沢典剛編):舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917/2017) [+浦壁信二(ピアノ)]
■棚田文紀(1961- ):《前奏曲》(2007/18)
■田村文生(1968- ):《きんこんかん》(2011)
■P.チャイコフスキー(1840-1893) (K.クリントヴォルト編): 《弦楽四重奏曲第1番ニ長調 Op.11 第2楽章「アンダンテ・カンタービレ」》(1871/73)   
■寺内大輔(1974- ):《地層》(2014)
■冨田勲(1932-2016):《きょうの料理》(1957)
■長瀬弘樹(1975-2012):《見えない星》(2007)
■橋本晋哉(1971- ):《ゆたにたゆたに》(2016)
■S.バーバー(1910-1981) (米沢典剛編):《弦楽四重奏曲第1番第2楽章「アダージョ」》(1936/2017)
■G.プッチーニ(1858-1924)(=R.T.カッツ編):《弦楽四重奏曲 「菊」 嬰ハ短調》(1890/2017)
■C.フランソワ (1939-1978)/J.ルヴォー(1940- ):《マイ・ウェイ》(夏田昌和によるピアノ独奏版)(1967/2014)
■L.v.ベートーヴェン(1770-1827): ソナタ第20番第2楽章(1795)  交響曲第3番《英雄》第1楽章(1803)(F.リストによる独奏版、前半後半) ソナタ第23番《熱情》第1楽章(1806)  弦楽四重奏のための《大フーガ》(1826)(L.ヴィンクラーによる独奏版、前半後半)(全てフォルテピアノ独奏)
■細川俊夫(1955- ): 《メロディア II》(1977/78)
■松尾賢志郎(1995- ):《なにがでるかな?》(2019)
■松下眞一(1922-1990): 《スペクトラ第4番》(1971)
■G.マーラー(1860-1911) (米沢典剛編): 《花の章》(1888/2017)
■O.メシアン(1908-1992)(=米沢典剛編):《星の血の悦び》(1948) [+浦壁信二(ピアノ)]
■吉本光蔵(1863-1907):《君が代行進曲》(ca.1902)
■L.J.A.ルフェビュール=ヴェリー(1817-1869):《H.ルベールの歌劇「ガイヤールのおやじ」による華麗な二重奏曲》(1852)[+金澤攝(ピアノ連弾)]


by ooi_piano | 2019-09-09 22:52 | 雑記 | Comments(0)