《先駆者たち Les prédécesseurs IV》
4,000円(全自由席)
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【POC第55回公演】 2025年2月22日(土)18時開演(17時半開場)
〈投機者Ⅰ ヒンデミット〉
P.ヒンデミット(1895-1963):
《3章の練習曲 Op.37-1》(1924/25) 10分
I. Schnelle Viertel, durchaus sehr markiert zu spielen - II. Langsame Viertel / Prestissimo - III. Rondo, Äußerst lebhaft
《自動ピアノのためのトッカータ》(1925/2023) [米沢典剛編独奏版、世界初演] 3分
交響曲《画家マティス》(1934/2016) [作曲者/米沢典剛編独奏版、世界初演] 28分
I. 天使の合奏 - II. 埋葬 - III. 聖アントニウスの誘惑
《C.M.v.ウェーバーの主題による交響的変容》より「トゥーランドット」(1943/2020) [米沢典剛編独奏版、世界初演] 7分
根本卓也(1980- ):《歩哨兵の一日 Ein Tag von einer Schildwache》(2024、委嘱初演) 6分
(休憩)
《ルードゥス・トナーリス(調の手習い) ~対位法・調性およびピアノ奏法の演習》(1943、全25曲) 55分
I. 前奏曲 / II. 第1フーガ(ハ調) - III. 第1間奏曲 / IV. 第2フーガ(ト調) - V. 第2間奏曲 / VI. 第3フーガ(ヘ調) - VII. 第3間奏曲 / VIII. 第4フーガ(イ調) - IX. 第4間奏曲 / X. 第5フーガ(ホ調) - XI. 第5間奏曲 / XII. 第6フーガ(変ホ調) - XIII. 第6間奏曲 / XIV. 第7フーガ(変イ調) - XV. 第7間奏曲 / XVI. 第8フーガ(ニ調) - XVII. 第8間奏曲 / XVIII. 第9フーガ(変ロ調) - XIX. 第9間奏曲 / XX. 第10フーガ(変ニ調) - XXI. 第10間奏曲 / XXII. 第11フーガ(ロ調) - XXIII. 第11間奏曲 / XXIV. 第12フーガ(嬰ヘ調) - XXV. 後奏曲
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東京藝術大学大学院修士課程(指揮)及び、国立リヨン高等音楽院古楽科(通奏低音)修了。新国立劇場他、国内の主要オペラ団体で音楽スタッフとして業界を支えつつ、バロック·チェロ奏者山本徹とのデュオ「ジュゴンボーイズ」を中心にチェンバロ奏者としても活動。オルガンのための連弾作品《Thème et Variations》(2010)が出版(Editions Delatour)されたのを機に、本格的に作曲に取り組む。近作に、オペラ《景虎》(2018、妙高文化振興事業団委嘱)、カンタータ《お前は俺を殺した》(2020、低音デュオ委嘱)、モノオペラ《寡婦アフロディシア》(2021、清水華澄委嘱)、舞台音楽《ばらの騎士》(2024、静岡県舞台芸術センター(SPAC))等。
根本卓也:《歩哨兵の一日》(2024、委嘱初演)
ヒンデミットは1918年、第一次世界大戦末期に従軍している。最初は軍楽隊員だったが、後に歩哨兵として前線にも配備された。ラヴェルもそうだったが、人々は当時こぞって愛国心から戦地へと赴いた。彼の《クープランの墓》は、戦死した知人の墓碑銘だし、すでに末期の直腸癌だったドビュッシーは、最晩年の作品《家なき子のクリスマス》(”Noël des enfants qui n'ont plus de maison”)で、「フランスの子どもたちに勝利を与え給え!」と自作の詞を締めくくっている。シェーンベルクは42歳にして従軍しているし、アルバン・ベルクも丁度《ヴォツェック》の作曲中に入隊している。
日本人にとって、第一次世界大戦はあまり印象が強くないが、ヨーロッパ人にとっては(ナチス・ドイツのそれとは全く別の意味で)真のトラウマを残した戦争だったようだ。『ロード・オブ・ザ・リング』三部作のピーター・ジャクソン監督によるドキュメンタリー、『彼らは行きていた』(”They Shall Not Grow Old”)などを見ると、「塹壕戦」という未知の世界へのイメージが、多少なりとも持てるかもしれない。
They shall grow not old, as we that are left grow old;
残された我々は老いていくが
Age shall not weary them, nor the years condemn.
彼らは歳月に疲れ果て、衰えゆくこともない
At the going down of the sun and in the morning
陽が沈み、また昇るたび
We will remember them.
彼らを思い起こそう
(Lawrence Binyon ”For the fallen”(1914)より)
ヒンデミットがアルザスでバスドラムを叩いている頃に完成させたのが、《弦楽四重奏曲第2番 Op.10》だ。第2楽章は「主題と変奏」と題されているが、その半ばほどに「遅いマーチのテンポで―遠くから聞こえてくる音楽のように」と指示された変奏がある。チェロがドラム風のリズムでピッツィカートを奏する上で、軍楽隊のパロディであろう明るいメロディが聞こえてくる。やがて彼はフランドルの塹壕で地獄を見ることになる。
「おれはこの頭の中に戦争を捕まえたんだ。そいつはいまだってこの頭の中に閉じ込めてある。」(ルイ=フェルディナン·セリーヌ『戦争』)
《兵士の告白》(2020、詩:谷川俊太郎)[Ms, Pf]
1.大小 - 2.死 - 3.誰が… - 4.兵士の告白 - 5.くり返す
《智恵子抄》(2023、詩:高村光太郎)[S, B, Pf]
1、梅酒 - 2、レモン哀歌 - 3、間奏曲 - 4、亡き人に
《見舞い》(2022、詩:谷川俊太郎)[S, T, Pf]
《そのあと》(2023、詩:谷川俊太郎)[Ms, 2Vn, b.c.(Fg, Vc, Cb, Cemb, barock Harp)]
《歌》(2019)[箏]
《死の遁走~パウル・ツェランの詩に寄せて》(2014) [4面の25絃箏]
《チャコーナ》(2018) [Vn, Vc, Cemb]
《アリア》(2019)[Vn, Vc, Cemb]
《春の臨終》(2014/2019、詩:谷川俊太郎)[Ms, Vc, b.c.(Cemb)]
《願い》(2015/2019、詩:谷川俊太郎)[Ms, b.c.(Vc, Cemb)]
《あなた》(2016、詩:谷川俊太郎)[S, Cemb, コンテンポラリーダンス]
《…後》(2020、詩:根本卓也)[S]
《島》(2017、詩:岸井大輔)[演技と語りを伴うCemb]
《お前は俺を殺した》(2019、詩:佐々木治己)[B、Tu]
パウル・ヒンデミット素描――野々村禎彦
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戦間期ドイツを代表する作曲家=ヴィオラ奏者のパウル・ヒンデミット(1895-1963)は、フランクフルト近郊ハーナウで生まれ育った。父は画家を目指したが果たせず、その技術を活かして装飾職人になった人物で、子供たちを芸術家にして夢を継がせようとした。パウルを長男とする三兄弟は音楽を選び、家庭内合奏(弦楽三重奏)で腕を磨いた。フランクフルトのホッホ音楽院(現在はフランクフルト音楽・舞台芸術大学)に進んで引き続きヴァイオリンを学び、1916年にはフランクフルト歌劇場管弦楽団のコンサートマスターに就いた。また同年からヴァイオリンの師アドルフ・レブナーの弦楽四重奏団の第2ヴァイオリン奏者(後にヴィオラ奏者)になった。同音楽院では作曲と指揮もアルノルト・メンデルスゾーンとベルンハルト・ゼクレスに学んだ。メンデルスゾーンは大作曲家フェリックスの親類であり、ゼクレスは多くの弟子を育て、指揮者ロスバウトは同期、社会学者=音楽評論家アドルノは後輩にあたる。作曲と指揮の師ふたりともユダヤ人であり、ユダヤ人音楽家との縁は当時から深い。なお、弟のルドルフ(1900-74)もホッホ音楽院に進み、チェロ奏者=作曲家として活動を続けた。
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彼のフランクフルトでの本格的な活動は、第一次世界大戦後に始まった。作曲家としてはまず、《殺人者、女たちの望み》(1919)、《ヌシュ・ヌシ》(1920)、《聖スザンヌ》(1921)という表現主義的な小オペラ(いずれも1幕物)に集中的に取り組んだ。職人の父が望んだ通り子供たちは芸術家になったが、あくまで職人気質の芸術家であり、自分の書きたいものを追求するよりも時流に沿って技術を発揮する道を選んだ。また演奏家としてはヴィオラに専念することを決め、ヴァイオリンとヴィオラに同じ重みで独奏曲を書いて(ヴァイオリンにはソナタ4曲と無伴奏ソナタ3曲、ヴィオラにはソナタ3曲と無伴奏ソナタ4曲)自らのレパートリーを増やした。さらに1921年、ドナウエッシンゲン音楽祭が室内音楽祭として始まり、彼は弦楽四重奏曲第3番(1920)を出品したが演奏を拒否され、初演のために自ら弦楽四重奏団を結成した。ベルリンフィルのコンサートマスターを務めていたリッコ・アマールを第1ヴァイオリンに迎え、自身がヴィオラ、弟のルドルフがチェロを弾くアマール四重奏団である。1922年に常設団体になると1933年に解散するまで約500公演を行った(ただしルドルフは1927年、彼も1929年に退団)。ヒンデミット作品は重要なレパートリーであり、《ミニマックス》(1923)や《保養所の二流楽団が朝7時に湯治場で初見演奏した「さまよえるオランダ人」序曲》(1925)のような冗談音楽もこの団体のために書かれた。自作に限らず同時代音楽を積極的に取り上げており、ヴェルディの弦楽四重奏曲やバルトーク第2番を初録音したのは彼らである。
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彼は1927年にベルリン高等音楽院作曲科教授に任命されてベルリンに活動の中心を移すが、これにはプロイセン科学文化教育省音楽部部長レオ・ケステンベルクが深く関わっている。ケステンベルクは1925年にシェーンベルクをプロイセン芸術アカデミー作曲マスタークラス教授に任命し、生活の安定が創作の充実に直結した稔り多いベルリン時代を生んだ立役者だが、ヒンデミットを任命した背景は全く異なっている。ケステンベルクはエリート音楽家の選抜に特化した旧来の音楽教育を改革し、民衆自身が主体的に音楽に関わる共同体を作ろうとしていた。「実用音楽」に関わり始めたヒンデミットには、その旗振り役を期待していたのである。「実用音楽」はドイツに特有の概念であり、固有の目的を持つ音楽のことで、それを持たない「芸術音楽」が美学的に格上だとする考え方へのアンチテーゼとして持ち出される。ドナウエッシンゲン音楽祭の常連になったヒンデミットは、1923年から企画側に回り、1926年には「機械音楽」特集として自動演奏楽器のための音楽を集めた。今回生楽器版が取り上げられる《自動ピアノのためのトッカータ》(1926)はこのために制作された。同音楽祭は翌1927年から保養地バーデン・バーデンでの開催に変更され、「実用音楽」の演奏指導を通じて音楽共同体を作ろうとする指導者組織「音楽ギルド」の首脳会議「全国指導者週間」と同地で共同開催されることになった。両組織の考え方の隔たりは大きく、共同開催は翌1928年限りで終わったが、「音楽ギルド」の人々のために彼が書いたさまざまな実用音楽(Op.43-45, 1926-29)は、組織内では一定の評価は受けた。ヒンデミットの試行はその後も続き、1929年のバーデン・バーデン音楽祭では聴衆参加の《教育劇》(1929)をブレヒトと共作した。彼が参加したブレヒトの教育劇には、音楽をヴァイルと共作した《リンドバーグの飛行》(1929)もあるが、「芸術活動と社会主義活動は同じもの」だと考えるブレヒトと、あくまで音楽と政治は切り離して考える彼の溝は埋まらなかった。
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彼の実用音楽はシンプルゆえに尖った室内楽が中心だが、その後は一種諦めたかのような穏やかな書法の大編成作品が中心になる。亡命生活に入ってもこの傾向は変わらず、《気高い幻想》(1938)や《ウェーバーの主題による交響的変容》(1943)は特によく知られる。実用音楽の探求が一段落すると彼は独自の音楽理論の開発に取り組み、《ルードゥス・トナーリス》(1942)はその集大成にあたる。J.S.バッハの平均律クラヴィーア曲集を意識しており、彼の理論では長短調は区別しないのでフーガ12曲で全調性が尽くされ、12曲の並びはCに始まりG (3/2) ー F (4/3) ー A (5/3) ー E (5/4) …と徐々に不協和度が上がってゆき、最後に三全音のF#が来る。性格小品11曲がフーガの間に挟まれ、前奏曲と後奏曲(前奏曲の反逆行形)が全体を包む。この大作は、オラトリオ《遅咲きのライラックが前庭に咲いたとき》(1946)と並ぶ米国時代の代表作である。
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