大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map
使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]
4000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.com (アートアンドメディア株式会社)
【最終公演】 2024年3月22日(金)19時開演(18時半開場)
F.シューベルト:《楽興の時 D 780》(1823/28) 25分
I. Moderato - II. Andantino - III. Allegro moderato 「ロシアの唄」
- IV. Moderato - V. Allegro vivace - VI. Allegretto 「吟遊詩人の嘆き」
M.フィニッシー(1946- ):《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》
(1823/2023、献呈初演) 16分
(休憩10分)
近藤譲(1947- ):《ペルゴラ》(1994/2024、フォルテピアノ独奏版初演) 8分
F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第21番変ロ長調 D 960》(1828) 35分
I. Molto moderato - II. Andante sostenuto
- III. Scherzo. Allegro vivace con delicatezza - IV. Allegro ma non troppo
[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]
M.フィニッシー:《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》 (1823/2023)
シューベルトのソナタ断片D769Aは1823年頃の作品。ソナタ(ホ短調)の冒頭部分で、1ページしか残っていない。「Fortsetzung」という言葉は通常「続き」と訳されるが、私の作品は「続き」ではなく、シューベルトの現存する断片的な草稿を再文脈化(re-contextualise)している。この作品では、シューベルトのピアノ連弾のための《ハンガリー風ディヴェルティメント D 818》(1824)や、1822-23年のシューベルトの2つの歌曲、《愛は裏切られ D 751》《貴方は私を愛していない D 756》も参照したが、後者はシューベルトの未完ソナタ《レリーク D 840》の私の補完稿(2017)にも登場している。
シューベルトは「遠い人」であり、私の心を込めた補作は気に入らないかもしれないが、東欧の民俗音楽へのアウトサイダー的な興味は彼と共有している。研究の後には、努力と空想と想像がある。(マイケル・フィニッシー)
マイケル・フィニッシー Michael Finnissy, composer
1946年3月、テムズ川の南、ロンドンのランベス区に生まれる。 父親は写真家・記録家で、第二次世界大戦後のロンドンの爆撃被害と再建問題を記録していた。4歳から断続的にピアノを習い、独学で作曲を始める。奨学金を得て、ロンドンの王立音楽大学でバーナード・スティーヴンスに師事、さらにイタリアでローマン・ヴラドに師事。ブライアン・ファーニホウと出逢い、書簡で議論を重ねる。1977年、フライブルク=イム=ブライスガウでピアニストとしてデビュー。ダーティントン・サマースクール、サセックス大学、ルーヴェン・カトリック大学、英国王立音楽アカデミーで教鞭をとる。1990年、国際現代音楽協会(ISCM)会長に就任、1993年に再選され、1998年には同協会終身名誉会員となった。1999年から2018年までサウサンプトン大学教授、現在は名誉教授。2008年に英国王立音楽院フェロー、2023年にクーセヴィツキー賞。
近藤譲:《ペルゴラ》(1994/2024) [フォルテピアノ独奏版]
曲題「ペルゴラ」は、例えば藤棚のような、蔓性の花樹や果樹で作ったトンネル状の四阿の意。元の編成はフルートとピアノの二重奏だが、ピアノ伴奏付きのフルート曲というよりも、フルートのオブリガートを伴うピアノ曲であった。旋律楽器とピアノという二重奏のための私の作品では、大抵の場合、ピアノが音楽の持続を担う役割を果たしている。(近藤譲)
ロバート・レヴィン(ハーヴァード大学名誉教授)がシューベルト《2つの断章 D 916B/C》の自身による補筆稿と併せて2015年に発表したシューベルト奏法概論(約2万2千字)は、古楽器ならびに歴史的演奏実践を注意深く踏まえている点で例外的な文献である。この論考を叩き台として参照しつつ、現時点で妥当と思われる落としどころについて、幾つか省察を行う。いわゆる「古楽奏者とモダン奏者の温度差」や「古楽器へのアプローチ方法」については、10年前に《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》シリーズのためのプログラムノートで詳説した。
シューベルトの存命中、フォルテピアノ製造の中心地はウィーン、パリ、ロンドンの3都市だった。エラール(パリ)やブロードウッド(ロンドン)から楽器を譲り受けながらも、ベートーヴェン、そして無論シューベルトのクラヴィア書法は、あくまでウィーン方式の楽器を前提としていた。ハンマーシャンクの方向と打弦位置、フェルトではなく革で覆われた小さなハンマーヘッドにより、打鍵速度は俊敏で、明瞭なアーティキュレーションに長けていた。英仏の丸みを帯びた、いわゆる「歌うような」響きに対し、ウィーン方式では「語る」ように設計されている。クラヴィコードやチェンバロの流れを汲む後者は、シューベルトの死後急速に廃れ、前者の優勢は延いてはモダンピアノへと結実してゆく。ロマン派の嚆矢として解釈されがちのシューベルトは、少なくとも使用楽器の外形的な特性については、モーツァルト・ベートーヴェンと同じカテゴリーに属している事に留意が必要である。
ベートーヴェンのクラヴィア曲では、世紀をまたがりつつ5オクターヴから5オクターヴ半へじりじりと使用音域を拡げていったが、彼のホームグラウンド(そして当時の常識)は5オクターヴ半であり、Op.106(1818年)でもそれに準じて音域を狭めたロンドン初版が作成された。
対照的に、若いシューベルトは所与のものとして高音域を渉猟し、ベートーヴェンでは最晩年のバガテルでのみ無茶振りされる「高音域へのクレッシェンド」も、屈託なく指示される。一方、低音域はE1を絶対に下回らない。ソナタ第14番D 784第3楽章で、ベーレンライター版でD1と太字で印刷されている音符は、初版ではもちろんD(1オクターヴ上)であった。
シューベルトが作曲を始めた頃には、膝レバーは足ペダルに置き換えられ、ダンパーペダルも使いやすくなった。フンメルの教則本(1827年)では、「ダンパーをあげたままの演奏の流行は、未熟者の隠れ蓑である」「学習者はペダルを控えるべき」「ペダルの濫用に耐えられるのは鈍麻な耳の持ち主だけである」と、烈しい語気で戒めている。ことにシューベルトの中庸のテンポの楽章で、モダンピアノに準じてダンパーペダルを使用すると、途端に「語るような」アクションが不規則・不如意にかき乱されるため(生理的に弾きにくい)、むしろチェンバロ並みのかなり思い切った節制を余儀なくされた。
チェルニーの教本(1839年、シューベルトの死から11年後)では、ダンパーペダルを徐々に活用し始めたのは「ベートーヴェン(1770-1827)、ドゥシーク(1760-1812)、シュタイベルト(1765-1823)」以降であり、ペダルを頻用する新しい作曲家達として「リース(1784-1838)、カルクブレンナー(1784-1849)、フィールド(1782-1837)、ヘルツ(1803-1888)、リスト(1811-1886)、タールベルク(1821-1871)、モシェレス(1794-1870)」を挙げている。そこにシューベルト(とショパン)の名は無い。
シューベルト時代の弱音ペダルには2種類あり、1つはシフトペダル、もう1つはモデラートペダルである。ベートーヴェンOp.110(1821年)では、3本弦から2本弦、そして1本弦へとシフト指定がしてある(モダンピアノでは不可能)。シューベルトでシフトペダル(mit Verschiebung)が書き込まれているのは、ソナタ第16番第3楽章トリオとソナタ第17番第2楽章だけである。音楽面で際立った楽句でもないので、(シューベルト自身による)出版時の気まぐれな追加に見える。
シューベルト作品でのpppはモデラートペダルの使用を指す、という口頭伝承は、ソナタ第14番第2楽章(1823)での8分休符で枠取りされた短い挿入句「sordini」に由来する。歌曲《テクラ D595》と《死と乙女 D 531》(どちらも1817年)でsordiniはPed.と同時に併記されているため、この説を補強している(違う種類のペダルを指している事になる)。
pppの楽句が休符等で枠取りされていれば良いが、そもそもpppはppからの連続で現れる事も多い。ダンパーペダルと併用される条件下で、シフトペダルとモデラートペダルは連続させることが出来ない。シフトペダルの効き具合には楽器の個体差があるようである。
シューベルト中期ソナタの冒頭第1主題は、第13番イ長調(p)、第14番イ短調(pp/ユニゾン)、第15番ハ長調(p/ユニゾン)、第16番イ短調(pp/ユニゾン)と云った調子で、たとえp/ppと書かれていても、シフトペダルで輝きを減じさせて大ソナタを開始出来るものなのか、という疑問がある。シフトペダルが無ければ即死するか、と言われれば、《さすらい人幻想曲》第2部後半(1822)を除けば、おおよそどの曲も演奏可能であった。チェルニー曰く、「シフトペダルは滅多に用いてはならない」「最も美しく賞賛に値する弱音は、常に指の柔らかいタッチだけで作り出す物である」。さらには、「ファゴットペダルは、しっかりした演奏家なら決して使わない子供騙しである」。
シューベルト自筆譜のアクセント記号は、大きさも長さもまちまちで、時には(=五線譜にスペースがある時には?)斜め上方に伸ばされており、デクレッシェンドと区別が付きにくい。ベーレンライター社の新シューベルト全集は、一説には「長さだけで」即物的に判断してアクセント記号に統一しているため、この点で長らく悪名高い。
アクセント記号についてはやや配慮した他社の新しいエディションには、漏れなく編者による指使いが付け加えられており、その点のみがベーレンライター版の優位を保証していたが、2011年の《即興曲集》《楽興の時》の新訂版では何故かわざわざ指使いを添加し、旧版を絶版にしてしまった。モダン奏者による「レガート優先」の愚鈍な指使いに煩わされないためには、ベーレンライター社ライセンスによるヤマハミュージックメディアの日本版(2001年)を入手するしかなくなったが(!)、これも既に国内の在庫は払底している。
2015年以降、ウィーン科学研究技術基金(WWTF)のウェブサイトでシューベルトの自筆譜ならびに初版譜等は無料ウェブ公開が開始され、20/21世紀の原典版の校訂報告と照らし合わせなくとも、第1次史料に容易にアクセス可能となったのは喜ばしい。初版譜をそのままプリントアウトして使用すれば、少なくとも「指使い」問題は解決される。
シューベルトのディミヌエンド(dim.)には、デクレシェンド「かつ」リタルダンドが含意される、という口頭伝承も厄介である。《3つのクラヴィア曲 D 946》第1曲中間部の最後のように、ppでdecresc.した直後、pppがdimin.されて冒頭に回帰するような、一目見て分かりやすい箇所ばかりではない。構造上の区切りの前に出現するのは良いとして、変に早すぎるタイミングでのdim.指定も少なからず見かける。ただ、「ベートーヴェンは初期にはdecresc.を使っていたが後年はdim.に移行した一方、シューベルトは初期から両方同時に使用している」「a tempo指示はdim.のあとに書かれてもdecresc.の後には書かれない」等の指摘は傾聴に値する。
快速テンポで3連符が付点と一致するのは、18世紀以来親しまれた記譜法に過ぎず、シューベルト《グレート》(1826)の両端楽章とショパン《ロンド ハ短調 Op.1》(1825)は同じ慣行に従っている。ソナタ第19番第2楽章等の6連符での一致も同様である。どうしても諦めきれない場合は、彼らの自筆譜での音符位置を眺める事である。
シューベルトやショパンの新全集が現れる以前と以降の解釈差がはっきり分かりやすいのはこのリズムの扱いあたりで、シューベルトでは往年の巨匠は苦心して付点を詰めているし、21世紀でもショパンホ長調前奏曲をワルシャワ優勝者は律儀に一致させている(主催者からお達しが来るのだろうか)。
シューベルト時代の繰り返し記号は、任意ではない事を認めなければならない(閉館時間を気にしなくて良いのなら)。クラヴィア三重奏曲第2番第4楽章を846小節から約100小節ぶん刈り込んだ際、シューベルトは繰り返し記号を削除した。(繰り返しが任意ならそんな事をする必要はない)。翻って、《楽興の時》第1番の再現部、ヘ短調即興曲の再現部には繰り返し指定は無い。
《3つのクラヴィア曲 D 946》第1曲は、A-B-Aの3部形式であるが、元々はA-B-A-C-Aであった初稿を、シューベルト自身が最後の2セクションを抹消した。1828年の自筆譜が、40年後に初めて公刊された際、校訂者ブラームスは削除された2セクションを断り無しに復活させた。この「古い」楽譜をそのまま使った演奏もある(アラウ、ピレシュ、内田etc)。本来なら、ハース版とノヴァーク版の殴り合いになりそうなトピックスだが、聴き手の関心は呼んでいないようである。
シューベルトの生前に出版されたクラヴィア曲は限定的である。レントラー・エコセーズ・ワルツ・ギャロップ等の舞曲集(D 145 / 365/ 734/ 735/ 779/ 783/ 924/ 969)、連弾作品(D 599/ 602/ 617/ 624/ 675/ 733/ 773/ 813/ 819/ 818/ 823/ 824/ 859/ 885/ 951)を除けば、独奏曲としては《さすらい人幻想曲》(1823年出版)、ソナタ第16番イ短調「大ソナタ第1番」(1826年出版)、同第17番「大ソナタ第2番」(1826年出版)、同第18番「幻想曲」(1827年出版)、《即興曲 D 899》(1827年出版、第1・第2曲のみ)、《6つの楽興の時》(1828年出版)を数えるのみであり、残りは公刊前の推敲を経ない「遺作草稿」に過ぎない。言い換えれば、D 850の最終草稿と出版譜の差異程度の斟酌は、演奏者の裁量に任されている。バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの諸作とは事情が異なり、少なくともシューベルトの遺作群に関しては、1820年代当時の楽器で演奏されるのは20世紀/21世紀を待たねばならなかった。
シューベルトの1818年から1825年にかけてのクラヴィアソナタは、4曲の完成作品と5曲の未完成作品からなっている。シューベルトの未完成作品の補筆作業の意義は、偏に「現代人が『シューベルト様式』でゼロから作曲したもの」より、明瞭に上質なものが出来上がる点にある。
補筆にあたっては、シューベルト全作品の「悉皆調査」は当然の大前提であるとして、クラシック作品の「どこが面白いか(特別か)」についての直観的洞察力が問われる。嬰へ短調ソナタ(第8番)D 571では、マルコム・ビルソン、バドゥラ・スコダ(ヘンレ版)、マルティノ・ティリモ(ウィーン原典版)他の補筆例は、どうしても辛抱が出来なくなって余白を塗りつぶしてしまいがちなのに対し、2月16日公演で初演したロバート・レヴィン版(未出版)では、聴衆の想像力を誘発する余韻と悠揚迫らぬエレガンス、「何てことない機微」の決定的なセンスの差があるように感じられる。
この嬰へ短調ソナタ D 571については、ベーレンライター社の「シューベルト初期ソナタ集(第1巻)」は、2000年のエディション(BA5642)では、(伝統的に欠落楽章を補綴するとされる)D 570/ 571が含まれていた。(D 604は大冊のBA 5525にしか採録されず)。ところが奇妙なことに、2022年の新訂エディション(BA9642)では丸ごと削除されてしまった。旧エディション(BA5642)は、前掲の《即興曲集》と同様に廃版状態であり、「国立音大のアカデミア出張売店に売れ残っていた」のが国内最後の1冊だったようである。(大井浩明)