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3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_19263419.jpg

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【最終公演】 2024年3月22日(金)19時開演(18時半開場)


F.シューベルト:《楽興の時 D 780》(1823/28) 25分
I. Moderato - II. Andantino - III. Allegro moderato 「ロシアの唄」
- IV. Moderato - V. Allegro vivace - VI. Allegretto 「吟遊詩人の嘆き」

M.フィニッシー(1946- ):《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》
(1823/2023、献呈初演) 16分

(休憩10分)

近藤譲(1947- ):《ペルゴラ》(1994/2024、フォルテピアノ独奏版初演 8分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第21番変ロ長調 D 960》(1828) 35分
I. Molto moderato - II. Andante sostenuto
- III. Scherzo. Allegro vivace con delicatezza - IV. Allegro ma non troppo


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]




M.フィニッシー:《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》 (1823/2023)
 シューベルトのソナタ断片D769Aは1823年頃の作品。ソナタ(ホ短調)の冒頭部分で、1ページしか残っていない。「Fortsetzung」という言葉は通常「続き」と訳されるが、私の作品は「続き」ではなく、シューベルトの現存する断片的な草稿を再文脈化(re-contextualise)している。この作品では、シューベルトのピアノ連弾のための《ハンガリー風ディヴェルティメント D 818》(1824)や、1822-23年のシューベルトの2つの歌曲、《愛は裏切られ D 751》《貴方は私を愛していない D 756》も参照したが、後者はシューベルトの未完ソナタ《レリーク D 840》の私の補完稿(2017)にも登場している。
 シューベルトは「遠い人」であり、私の心を込めた補作は気に入らないかもしれないが、東欧の民俗音楽へのアウトサイダー的な興味は彼と共有している。研究の後には、努力と空想と想像がある。(マイケル・フィニッシー)


マイケル・フィニッシー Michael Finnissy, composer
 1946年3月、テムズ川の南、ロンドンのランベス区に生まれる。 父親は写真家・記録家で、第二次世界大戦後のロンドンの爆撃被害と再建問題を記録していた。4歳から断続的にピアノを習い、独学で作曲を始める。奨学金を得て、ロンドンの王立音楽大学でバーナード・スティーヴンスに師事、さらにイタリアでローマン・ヴラドに師事。ブライアン・ファーニホウと出逢い、書簡で議論を重ねる。1977年、フライブルク=イム=ブライスガウでピアニストとしてデビュー。ダーティントン・サマースクール、サセックス大学、ルーヴェン・カトリック大学、英国王立音楽アカデミーで教鞭をとる。1990年、国際現代音楽協会(ISCM)会長に就任、1993年に再選され、1998年には同協会終身名誉会員となった。1999年から2018年までサウサンプトン大学教授、現在は名誉教授。2008年に英国王立音楽院フェロー、2023年にクーセヴィツキー賞。


近藤譲:《ペルゴラ》(1994/2024) [フォルテピアノ独奏版]
 曲題「ペルゴラ」は、例えば藤棚のような、蔓性の花樹や果樹で作ったトンネル状の四阿の意。元の編成はフルートとピアノの二重奏だが、ピアノ伴奏付きのフルート曲というよりも、フルートのオブリガートを伴うピアノ曲であった。旋律楽器とピアノという二重奏のための私の作品では、大抵の場合、ピアノが音楽の持続を担う役割を果たしている。(近藤譲)


3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_19262350.jpg


 ロバート・レヴィン(ハーヴァード大学名誉教授)がシューベルト《2つの断章 D 916B/C》の自身による補筆稿と併せて2015年に発表したシューベルト奏法概論(約2万2千字)は、古楽器ならびに歴史的演奏実践を注意深く踏まえている点で例外的な文献である。この論考を叩き台として参照しつつ、現時点で妥当と思われる落としどころについて、幾つか省察を行う。いわゆる「古楽奏者とモダン奏者の温度差」や「古楽器へのアプローチ方法」については、10年前に《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》シリーズのためのプログラムノートで詳説した。

 シューベルトの存命中、フォルテピアノ製造の中心地はウィーン、パリ、ロンドンの3都市だった。エラール(パリ)やブロードウッド(ロンドン)から楽器を譲り受けながらも、ベートーヴェン、そして無論シューベルトのクラヴィア書法は、あくまでウィーン方式の楽器を前提としていた。ハンマーシャンクの方向と打弦位置、フェルトではなく革で覆われた小さなハンマーヘッドにより、打鍵速度は俊敏で、明瞭なアーティキュレーションに長けていた。英仏の丸みを帯びた、いわゆる「歌うような」響きに対し、ウィーン方式では「語る」ように設計されている。クラヴィコードやチェンバロの流れを汲む後者は、シューベルトの死後急速に廃れ、前者の優勢は延いてはモダンピアノへと結実してゆく。ロマン派の嚆矢として解釈されがちのシューベルトは、少なくとも使用楽器の外形的な特性については、モーツァルト・ベートーヴェンと同じカテゴリーに属している事に留意が必要である。

 ベートーヴェンのクラヴィア曲では、世紀をまたがりつつ5オクターヴから5オクターヴ半へじりじりと使用音域を拡げていったが、彼のホームグラウンド(そして当時の常識)は5オクターヴ半であり、Op.106(1818年)でもそれに準じて音域を狭めたロンドン初版が作成された。
 対照的に、若いシューベルトは所与のものとして高音域を渉猟し、ベートーヴェンでは最晩年のバガテルでのみ無茶振りされる「高音域へのクレッシェンド」も、屈託なく指示される。一方、低音域はE1を絶対に下回らない。ソナタ第14番D 784第3楽章で、ベーレンライター版でD1と太字で印刷されている音符は、初版ではもちろんD(1オクターヴ上)であった。

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 シューベルトが作曲を始めた頃には、膝レバーは足ペダルに置き換えられ、ダンパーペダルも使いやすくなった。フンメルの教則本(1827年)では、「ダンパーをあげたままの演奏の流行は、未熟者の隠れ蓑である」「学習者はペダルを控えるべき」「ペダルの濫用に耐えられるのは鈍麻な耳の持ち主だけである」と、烈しい語気で戒めている。ことにシューベルトの中庸のテンポの楽章で、モダンピアノに準じてダンパーペダルを使用すると、途端に「語るような」アクションが不規則・不如意にかき乱されるため(生理的に弾きにくい)、むしろチェンバロ並みのかなり思い切った節制を余儀なくされた。
 チェルニーの教本(1839年、シューベルトの死から11年後)では、ダンパーペダルを徐々に活用し始めたのは「ベートーヴェン(1770-1827)、ドゥシーク(1760-1812)、シュタイベルト(1765-1823)」以降であり、ペダルを頻用する新しい作曲家達として「リース(1784-1838)、カルクブレンナー(1784-1849)、フィールド(1782-1837)、ヘルツ(1803-1888)、リスト(1811-1886)、タールベルク(1821-1871)、モシェレス(1794-1870)」を挙げている。そこにシューベルト(とショパン)の名は無い。

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 シューベルト時代の弱音ペダルには2種類あり、1つはシフトペダル、もう1つはモデラートペダルである。ベートーヴェンOp.110(1821年)では、3本弦から2本弦、そして1本弦へとシフト指定がしてある(モダンピアノでは不可能)。シューベルトでシフトペダル(mit Verschiebung)が書き込まれているのは、ソナタ第16番第3楽章トリオとソナタ第17番第2楽章だけである。音楽面で際立った楽句でもないので、(シューベルト自身による)出版時の気まぐれな追加に見える。
 シューベルト作品でのpppはモデラートペダルの使用を指す、という口頭伝承は、ソナタ第14番第2楽章(1823)での8分休符で枠取りされた短い挿入句「sordini」に由来する。歌曲《テクラ D595》と《死と乙女 D 531》(どちらも1817年)でsordiniはPed.と同時に併記されているため、この説を補強している(違う種類のペダルを指している事になる)。
 pppの楽句が休符等で枠取りされていれば良いが、そもそもpppはppからの連続で現れる事も多い。ダンパーペダルと併用される条件下で、シフトペダルとモデラートペダルは連続させることが出来ない。シフトペダルの効き具合には楽器の個体差があるようである。
 シューベルト中期ソナタの冒頭第1主題は、第13番イ長調(p)、第14番イ短調(pp/ユニゾン)、第15番ハ長調(p/ユニゾン)、第16番イ短調(pp/ユニゾン)と云った調子で、たとえp/ppと書かれていても、シフトペダルで輝きを減じさせて大ソナタを開始出来るものなのか、という疑問がある。シフトペダルが無ければ即死するか、と言われれば、《さすらい人幻想曲》第2部後半(1822)を除けば、おおよそどの曲も演奏可能であった。チェルニー曰く、「シフトペダルは滅多に用いてはならない」「最も美しく賞賛に値する弱音は、常に指の柔らかいタッチだけで作り出す物である」。さらには、「ファゴットペダルは、しっかりした演奏家なら決して使わない子供騙しである」

3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_20242077.jpg
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 シューベルト自筆譜のアクセント記号は、大きさも長さもまちまちで、時には(=五線譜にスペースがある時には?)斜め上方に伸ばされており、デクレッシェンドと区別が付きにくい。ベーレンライター社の新シューベルト全集は、一説には「長さだけで」即物的に判断してアクセント記号に統一しているため、この点で長らく悪名高い。
 アクセント記号についてはやや配慮した他社の新しいエディションには、漏れなく編者による指使いが付け加えられており、その点のみがベーレンライター版の優位を保証していたが、2011年の《即興曲集》《楽興の時》の新訂版では何故かわざわざ指使いを添加し、旧版を絶版にしてしまった。モダン奏者による「レガート優先」の愚鈍な指使いに煩わされないためには、ベーレンライター社ライセンスによるヤマハミュージックメディアの日本版(2001年)を入手するしかなくなったが(!)、これも既に国内の在庫は払底している。
 2015年以降、ウィーン科学研究技術基金(WWTF)のウェブサイトでシューベルトの自筆譜ならびに初版譜等は無料ウェブ公開が開始され、20/21世紀の原典版の校訂報告と照らし合わせなくとも、第1次史料に容易にアクセス可能となったのは喜ばしい。初版譜をそのままプリントアウトして使用すれば、少なくとも「指使い」問題は解決される。

 シューベルトのディミヌエンド(dim.)には、デクレシェンド「かつ」リタルダンドが含意される、という口頭伝承も厄介である。《3つのクラヴィア曲 D 946》第1曲中間部の最後のように、ppでdecresc.した直後、pppがdimin.されて冒頭に回帰するような、一目見て分かりやすい箇所ばかりではない。構造上の区切りの前に出現するのは良いとして、変に早すぎるタイミングでのdim.指定も少なからず見かける。ただ、「ベートーヴェンは初期にはdecresc.を使っていたが後年はdim.に移行した一方、シューベルトは初期から両方同時に使用している」「a tempo指示はdim.のあとに書かれてもdecresc.の後には書かれない」等の指摘は傾聴に値する。

 快速テンポで3連符が付点と一致するのは、18世紀以来親しまれた記譜法に過ぎず、シューベルト《グレート》(1826)の両端楽章とショパン《ロンド ハ短調 Op.1》(1825)は同じ慣行に従っている。ソナタ第19番第2楽章等の6連符での一致も同様である。どうしても諦めきれない場合は、彼らの自筆譜での音符位置を眺める事である。
 シューベルトやショパンの新全集が現れる以前と以降の解釈差がはっきり分かりやすいのはこのリズムの扱いあたりで、シューベルトでは往年の巨匠は苦心して付点を詰めているし、21世紀でもショパンホ長調前奏曲をワルシャワ優勝者は律儀に一致させている(主催者からお達しが来るのだろうか)。

 シューベルト時代の繰り返し記号は、任意ではない事を認めなければならない(閉館時間を気にしなくて良いのなら)。クラヴィア三重奏曲第2番第4楽章を846小節から約100小節ぶん刈り込んだ際、シューベルトは繰り返し記号を削除した。(繰り返しが任意ならそんな事をする必要はない)。翻って、《楽興の時》第1番の再現部、ヘ短調即興曲の再現部には繰り返し指定は無い。
 《3つのクラヴィア曲 D 946》第1曲は、A-B-Aの3部形式であるが、元々はA-B-A-C-Aであった初稿を、シューベルト自身が最後の2セクションを抹消した。1828年の自筆譜が、40年後に初めて公刊された際、校訂者ブラームスは削除された2セクションを断り無しに復活させた。この「古い」楽譜をそのまま使った演奏もある(アラウ、ピレシュ、内田etc)。本来なら、ハース版とノヴァーク版の殴り合いになりそうなトピックスだが、聴き手の関心は呼んでいないようである。

  シューベルトの生前に出版されたクラヴィア曲は限定的である。レントラー・エコセーズ・ワルツ・ギャロップ等の舞曲集(D 145 / 365/ 734/ 735/ 779/ 783/ 924/ 969)、連弾作品(D 599/ 602/ 617/ 624/ 675/ 733/ 773/ 813/ 819/ 818/ 823/ 824/ 859/ 885/ 951)を除けば、独奏曲としては《さすらい人幻想曲》(1823年出版)、ソナタ第16番イ短調「大ソナタ第1番」(1826年出版)、同第17番「大ソナタ第2番」(1826年出版)、同第18番「幻想曲」(1827年出版)、《即興曲 D 899》(1827年出版、第1・第2曲のみ)、《6つの楽興の時》(1828年出版)を数えるのみであり、残りは公刊前の推敲を経ない「遺作草稿」に過ぎない。言い換えれば、D 850の最終草稿と出版譜の差異程度の斟酌は、演奏者の裁量に任されている。バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの諸作とは事情が異なり、少なくともシューベルトの遺作群に関しては、1820年代当時の楽器で演奏されるのは20世紀/21世紀を待たねばならなかった
 
 シューベルトの1818年から1825年にかけてのクラヴィアソナタは、4曲の完成作品と5曲の未完成作品からなっている。シューベルトの未完成作品の補筆作業の意義は、偏に「現代人が『シューベルト様式』でゼロから作曲したもの」より、明瞭に上質なものが出来上がる点にある。
 補筆にあたっては、シューベルト全作品の「悉皆調査」は当然の大前提であるとして、クラシック作品の「どこが面白いか(特別か)」についての直観的洞察力が問われる。嬰へ短調ソナタ(第8番)D 571では、マルコム・ビルソン、バドゥラ・スコダ(ヘンレ版)、マルティノ・ティリモ(ウィーン原典版)他の補筆例は、どうしても辛抱が出来なくなって余白を塗りつぶしてしまいがちなのに対し、2月16日公演で初演したロバート・レヴィン版(未出版)では、聴衆の想像力を誘発する余韻と悠揚迫らぬエレガンス、「何てことない機微」の決定的なセンスの差があるように感じられる。
 この嬰へ短調ソナタ D 571については、ベーレンライター社の「シューベルト初期ソナタ集(第1巻)」は、2000年のエディション(BA5642)では、(伝統的に欠落楽章を補綴するとされる)D 570/ 571が含まれていた。(D 604は大冊のBA 5525にしか採録されず)。ところが奇妙なことに、2022年の新訂エディション(BA9642)では丸ごと削除されてしまった。旧エディション(BA5642)は、前掲の《即興曲集》と同様に廃版状態であり、「国立音大のアカデミア出張売店に売れ残っていた」のが国内最後の1冊だったようである。(大井浩明)



# by ooi_piano | 2024-03-17 19:18 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)
2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15490018.jpg


大井浩明(フォルテピアノ)
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使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席)
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【第4回公演】 2024年2月16日(金)19時開演(18時半開場)

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第8番嬰へ短調 D 571》(1817/1997)
[R.レヴィンによる補筆完成版/日本初演]  8分

F.シューベルト:《3つのクラヴィア曲 D 946》(1828) 23分
I. Allegro assai - II. Allegretto - III. Allegro

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第16番イ短調(「大ソナタ第1番」)D 845》(1825) 35分
I. Moderato - II. Andante poco mosso
- III. Scherzo. Allegro vivace /Trio. Un poco più lento - IV. Rondo. Allegro vivace

(休憩 10分)

南聡(1955- ):《帽子なしで: a Capo Scoperto Op.63-4》(2023、世界初演) 5分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第20番イ長調 D 959》(1828) 35分
I. Allegro - II. Andantino
- III. Scherzo. Allegro vivace / Trio. Un poco più lento - IV. Rondo. Allegretto


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]




南聡:《帽子なしで》(2023、委嘱初演)
  極めて圧縮された奇想的なファンタジーである。シューベルトのファンタジーが残骸のようにちりばめてあるが、音楽の質量の差を際だだせる効果を曲のなかで形成することが狙いだった。その他、師匠の初期作であるファンタジーの一節を同時に引用した。師へのささやかな敬意表明と追悼の意をこめた。当初二曲でセットにしようとしたが適当な二曲目を作ることができなかった、そのため、短いながら単独の曲となった。
 作品63は老いの遊興といったかんじの独奏曲・室内楽をあつめたもの。相互の関連性は室内楽以外ない。独奏曲は衛星的な存在だ。(南聡)

南聡 Satoshi MINAMI, composer
2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15503474.jpg
  1955年生まれ。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。在学中作曲を野田暉行、黛敏郎に師事。 1982年今日の音楽国際作曲コンクール入選。 1983年日本音楽コンクール作曲部門2位(1位空位)。 1983年より八村義夫の周辺に集まった、中川俊郎、久木山直、内藤明美らと同人グループ「三年結社」を結成活動。 1986年北海道に移住。 1988年日本現代音楽協会と日本フィルの共催コンサートで初演された、独奏ハープを伴うオーケストラのための《譬えれば・・・の注解》によって注目される(2003年アジア音楽祭に入選)。 1990 年環太平洋作曲家会議に参加。 1991 年オーケストラのための《彩色計画Ⅴ》の初演が評価され村松賞。1992年3人の独奏と3群のための《歓ばしき知識の花園 Ib》にて文化庁舞台芸術奨励賞。同年ケルンでの日本音楽週間 '92 に湯浅譲二、藤枝守らとともに招かれ、室内アンサンブルのための《昼Ⅱ》の委嘱初演と自作に関する講演を持つ。 2001年ISCM 世界音楽の日々に3楽器のための《帯 / 一体何を思いついた?》 (1998)が入選。翌 2002 年にも8人の奏者のための《日本製ロッシニョール》 (1994) が入選した。現在は、北海道教育大学岩見沢校教授を経て同校名誉教授、日本現代音楽協会会員、荒井記念美術館評議委員、北海道作曲家協会会員。






「補筆完成」などあり得ない
川島素晴

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15463051.jpg
 作曲家が様々な理由で完成できなかった作品を、後世の別人が補筆して完成させるということはしばしば行われてきた。例えばマーラーの《交響曲第10番》の場合は、第1楽章がほぼ完成していて、残る楽章をクックが補筆完成したものが広く演奏されているが、これは、作曲者が遺したスケッチなどを参照して、その様式によって完成を試みるものである。この手のものでは(2月14日に没後1年となる)ツェルハによるベルクの《ルル》3幕版などが有名だが、ツェルハのように補筆者が作曲家として活動している場合、その献身的な労力たるや、想像を絶するものがある。この二つに共通するのは、作曲者の逝去により絶筆、未完となった作品という点だが、補筆者が、学者としての活動がメインの場合と、現役で作曲活動もしている場合とでは、その作品性のあり方において異なる背景を見ることになる。学究的な肉薄か、それとも作家性を備えた筆による作品としてのリアリティか。前者に傾けば芸術性への疑義が、後者に傾けば学術的な疑義が生じ、どちらに対しても、それぞれの立場で賛否が分かれることだろう。つまり、どちらの立場からも完全なる同意や納得を得る仕事は、なかなか困難なのではなかろうか。

 一方、ベリオが、シューベルトの未完の交響曲を素材として作曲した《レンダリング》の場合は、ベリオ自身が「修復」作業と位置付けているように、遺された部分以外の埋め合わせを、シューベルト様式を逸脱してベリオのオリジナル部分によって行っている。この場合は、学究的な態度を残しつつ、作曲家独自の「作品」としても位置付ける取り組みとなっているわけだが、こうなると、もはやオリジナル作品としてみなされることで、学究的な意味での批判は免れる(というよりは無視することになる)だろう。実際、この作品はベリオの管弦楽作品の中でも再演回数が多いものの一つであり、ある種の「現代音楽マーケティング」成功例とも考えられよう。

 今回のコンサートシリーズにおけるレヴィンの態度が学究的なものの究極とすれば、フィニッシーの態度はオリジナルであることを厭わない態度の究極である。そもそもフィニッシーは、民謡や既存の名曲を素材に、編曲と称して全く原型を留めない作曲を行うことでよく知られている。原作者の様式に忠実に、などという考えは毛頭ないであろうことは想像に難くない。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15463987.jpg
 では、レヴィンの試みが、果たして原曲作曲家の想定通りに作曲されたものと考えられるのか、と言えば、それはまた別の議論になるだろう。そもそも、作曲家逝去による絶筆ではない作品の場合、それを補筆完成することにはどのような意義があるのだろうか。初演予定に間に合わなくてお蔵入り、初演機会が頓挫してお蔵入り(コロナ禍では頻発した)、などの理由(つまり作曲家自身がそれを完成させる意欲があったに違いないと推定される場合)であれば、それを完成させる意義はあるかもしれない。しかし、作曲者自身が作品の完成を望まず、破棄と同義で完成を放棄したのだとしたら、それを「作曲者の意を汲んで」完成させるということは、ある種の矛盾を孕んでいる。そもそも、本当に「作曲者の意を汲む」のであれば、完成させないことこそが最も意を汲むことなのだから。では仮に、何らかの理由でお蔵入りして絶筆したものだったとしよう。それにしても、作曲家は、いついかなるときもある一定の様式をもって作曲に臨んでいるわけではなく、時代とともに、あるいは人生の様々な場面に応じて、その都度、少しずつでも新しい思考や経験則を伴って作曲を行うものだとするなら、その筆が途絶えたその瞬間の思考に肉薄してこそ「正しい」補筆と言えるわけだが、しかし果たして、そんなことが可能なのだろうか。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15470407.jpg
 ここで、武満徹の《リタニ》のような作曲者自身による補筆完成作品を思い出してみよう。1950年に作曲した《二つのレント》の紛失した譜面を思い起こしつつ1989年に再作曲したというこの作品は、1989年時点の武満の経験値なり審美眼なりが反映しているという意味で、1950年当時のものと異なる姿であることは明白だ。しかし同時に、作曲者自身の手によるものという意味で、これ以上の説得力はないし、その作品性に疑義を呈する必然性はない。1950年当時の完全再現ではないということの批判にどれほどの意味があるだろうか。武満自身が1989年時点での眼が入ることを厭わなかったとしても、それは紛うことなき武満自身の作品である。では仮に、後世の者が、この作業を行ったとしたらどうだろうか。1950年当時の武満を想定すべきなのか、それとも1989年時点の武満を想定すべきなのか。このように、後世の者が補筆する場合は、どちらの武満を想定すべきか、という観点での判断の難しさを提供することになるだろう。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15465051.jpg
 筆者自身の補筆経験として、1998年に行った甲斐説宗(1938-78)の生誕60年、没後20年企画に際して実行した《コントラバスとピアノのための音楽》について振り返りたい。遺族とともに4公演とシンポジウムなどを開催したこのイベントの首謀者だった筆者は、日本初演、未演奏作品の初演などを集めた回を設定し、そこでこの作品を補筆完成、初演した。甲斐本人によって遺されたものは、少しの断片とメモのみであった。その意味では、補筆というよりは事実上の再作曲と言ってよい取り組みだった。40歳を目前に逝去した甲斐の短い創作期間においても、作風には変化が見られる。この作品のメモが遺された時点の作風を想定すべきなのか、はたまた、最晩年に到達した世界を参照すべきなのか。逡巡はあったが、ここでは、学究的な態度を極めることよりは、むしろ自由にアプローチすることとした。しかしながら、甲斐説宗ならばどうしただろうか、という問いは常に保ち続けていた。このイベントの準備のために、遺族の協力のもと甲斐説宗の全作品のスコアも参照し、遺された様々なノートなども参照していたので、当時筆者は26歳と若かったが、その時点で筆者以上に甲斐説宗作品に通じている作曲家はいなかったはずだ。《コントラバスとピアノのための音楽》のために遺された断片とメモは、それを完成させたいと思わせるに足る魅力的なものだったし、この編成のための作品になかなか名曲が存在しないことを思うと、完成させることへのモチベーションは極めて高いものだった。筆者が試みたことは、当該メモが遺された1970年頃よりは少し後の時期である《ピアノのための音楽Ⅰ》(1974)の作風を主体として、最晩年(といってもそのたった4年後ではあるが)の世界も織り込んだ、いわば「甲斐説宗の軌跡」を一作に込めるものだった。だから、当然のことながら、作者自身が生きてこれに取り組んだら、このようにはならなかったであろう。ベリオのように、補筆者(即ち筆者)のスタイルを盛り込むことはしなかった(ただし、調弦変更などに筆者自身のアイデアも含めてはいる)が、しかし、全体としては確実に甲斐自身が書いたはずのものを想定するならそれとは異なる内容であり、それと同時に、どの瞬間も、甲斐自身が書いたかもしれない内容を想定して作業しており、そのことについては(少なくとも他者による作業を凌駕する)自負がある。このような補筆作業の実例、つまり作曲家の創作の軌跡を織り込みつつ細部は作曲家の書法を再現する試みは、他にはあまり存在しないかもしれない。武満が《リタニ》で見せたように、1998年時点からの再作曲作業は、1970年当時の本人の仕事とは異なるものを導くこととなったが、これが適切な作業だったのかどうかは、当然、賛否が分かれるだろう。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15472567.jpg
 筆者による補筆の実例をもう一つ挙げておく。筆者が師事した師匠である松下功(1951-2018)が舞台作品《影向のボレロ》という新作の委嘱を受けていた。2019年3月24日に福島県白河市で初演されるはずのその作品は、松下自身は全く手付かずの状態で、松下は2018年9月16日に急逝した。その後、主催者による判断で、弟子である筆者が継承することになったのである。管弦楽、合唱のほか出演者総勢200名、正味2時間半に及ぶ全体の中で、幾つか、既存の松下作品を組み入れて上演することは予め決まっていたことだが、残る2時間程度の新しい音楽を作曲しなければならなかった。しかもその依頼を受けたのが9月下旬。本番まで半年を切る状況でのスタートだった。(それだけだったらよかったものの、これ以外の新作8曲の作曲と、本番直前にドイツに一週間滞在する仕事を抱えた状況だった。)組み入れることが決まっていた作品と、白河踊りの音楽など、使うことが決定している素材を軸に、筆者が「作曲」そのものを継承するというオーダーだったため、実際の作業は補筆ではなく、事実上の作曲であった。構想メモのようなものもない全くの手付かずの状況だったため、使用素材以外の事前情報は全く無い。ならば筆者自身の創作として自由に作曲できるかというと、予め組み入れられる素材とのバランスを調停しなければ全体がバラバラになるため、そうはいかない。そこでまず、組み入れることが決まっている松下による3作品と白河踊りを検証し、リズム的な共通点と、旋律的な共通点を見出した。(そのような共通点が存在したこと自体、奇跡的である。)さらに、そのリズム素材と旋律素材を全体の核となす素材として定義した。その上で全体を構築、管弦楽作品や合唱に加え、自身によるピアノや打楽器を用いたブリッジ部分を含めて2時間に及ぶ楽曲を完成させた。構想メモすらない状況での作曲は、補筆とは言えないかもしれない。しかし、既存部分との繋がりもあるので、筆者が筆者のスタイルで作曲したものとも言えない。と同時に、松下の筆ではあり得ず、筆者でなければ実行しないような部分も多々あった。そういった意味では筆者の作品であるが、もしも一から委嘱を受けたなら、全く異なる作品になったであろう。この事例は、作曲者没後の取り組みの実例ではあるものの、前述のマーラー/クックやベルク/ツェルハ、シューベルト/ベリオ等のいずれの例とも異なる、これまた珍しいタイプの補筆完成作業だったと言えよう。この場合はもちろん、松下功の仕事を再現することを目的にしたものではなく、筆者の作品であると思われることを厭わない態度だったが、それと同時に、筆者としては、筆者のオリジナル作品であるという意識もなかった。この作品は何だったのか。筆者自身、明確な答えを未だ持てずにいる。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15471407.jpg
 このような稀有な上演を遂行した後、しばらく経ってから、同時期にオペラ《紫苑物語》を完成させていた西村朗と話をする機会を得た。師匠の松下功を継承して舞台作品を完成させたという話をしたところ、西村曰く、「病気を患っていたこともあり、万が一、この《紫苑物語》のオーケストレーションが完成しなかったら、川島さんに頼もうと思っていたんだよ。」本気か冗談かはともかく、ご一緒しているいずみシンフォニエッタ大阪での編曲の仕事などを通じて技術への信頼を得ていることの証左であり、誠に光栄な話だが、実際には、上記の松下功の件もあって、もしも依頼されたとしても手がけることはできなかっただろう。それに、ご承知の通り、《紫苑物語》は全て本人の手によって完成されており、実演に接しその完成度を目の当たりにした筆者は、到底その代行なぞできなかったと感服し平伏したものである。
 補筆してまでして完成に至らしめたいと思うような作品であればあるほど、その本人の筆致を完全再現する、いや、再現しないまでもせめて足元に及ぶ程度の内容になる、ということのハードルが高くなる。とある音楽作品の補筆完成などということは、それが高度なものであればあるほど、とどのつまり絵空事であり、実際に達成をみることなどあり得ないという言説も成立するのではなかろうか。
 ところで、そうした「完全再現」を目的とする補筆作業こそ、昨今話題の生成AIに実行させたらどうなのか。完成度や理念的な観点から、完全再現が実際に達成をみることなどあり得ないのだとすれば、AIをひたすら稼働させて、出力された無数の候補の中から、ベストと考えられるものを選択すればよいのではないだろうか。実際、作曲に関していうと、かなり前からプログラミングを行った上での自動作曲は実行されていた。ここ最近の生成AIの発展を見るだに、生成AIが絶筆作品の補筆完成を行うこと、それも、その候補を無数にはじき出すことは、近い将来に実現する話だろう。しかし、この事実をもってしても、なお、誰の目にも納得のいく補筆完成など存在しない、ということを物語っている。結局のところ、多くの候補が出力されて、それを判定するという過程が存在する以上、そこで全ての人が納得する唯一無二の候補を導くことはできないだろう。
 そう。作曲とは、そういうものなのだ。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15473883.jpg
 仮に個人様式を確立していたとしても、そのときまでの体験に根差し、そのときに置かれた状況に影響され、思いついたり立ち止まったり、あるいは破棄してやり直したり、といったことをしながら完成させていく過程は、その作品を書き始めた本人が、その瞬間に紡いでいくことでしか、達成できない。少なくとも筆者は、「AIにはできないであろう仕事」を心がけているし、昨日の自分では思いつかなかった発想を得た瞬間など、AIにも、後世の他人にも、絶対に導けないだろう、という確信を感じている。
 そしてそれは、過去のあらゆる作曲家も同じだったことだろう。真の意味での「補筆完成」など、あり得ないのである。

 「補筆完成」・・・それは、いわば高度な遊戯である。今風に言うなら「◯◯が絶筆した作品を完成させてみた!」という動画をYouTubeにアップロードするかのような。それ以上でも以下でもない、という自覚をもって、こうした作業には臨むべきだろうし、こうした仕事に接するべきだろう。どうせ誰もが認める補筆なぞあり得ないのだから、真顔でその是非を論じても仕方あるまい。ツッコんだり愚痴こぼしたり、ときにスゲーと感嘆しながら、楽しんで聴けばいいのだ。







2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15494985.jpg



# by ooi_piano | 2024-02-05 15:36 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)

《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_10025244.jpg《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_10031972.jpg




《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席) [3公演パスポート 11,000円 5公演パスポート 18,000円]
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(


F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第13番イ長調 D 664》(1819)、《幻想曲ハ長調「さすらい人」 D 760》(1822)、《クラヴィアソナタ第17番ニ長調「ガスタイナー」 D 850》(1825)
杉山洋一(1969- ):《華(はな) ~西村朗の追憶に》(2023、委嘱初演)
ブリス・ポゼ(1965- ):《フォルテピアノのための「ミニュット3/ミニュット4」》(2021/23、世界初演
【アンコール】 F.シューベルト(F.リスト編):《魔王 D 328》(1815) /S.558-4 (1837/76)

F.シューベルト:《4つの即興曲 D 899》(1827)、《クラヴィアソナタ第14番イ短調 D 784》(1823)、《クラヴィアソナタ第18番ト長調「幻想曲」 D 894》 (1826)
横島浩(1961- ):《マッシュプローム Maschubroom》(2023、委嘱初演)
ブリス・ポゼ(1965- ):《フォルテピアノのための「ミニュット5/ミニュット6」》(2021/23、世界初演
【アンコール】 F.シューベルト(S.ラフマニノフ編):歌曲集《水車小屋の娘》より「何処へ」(1823/1925) [生誕150周年]、G.リゲティ:歌曲集《笛と太鼓とフィドルで》より「懸巣」(2000) [生誕100周年]

F.シューベルト:《4つの即興曲 D 935》(1827)、《クラヴィアソナタ第15番ハ長調「レリーク」 D 840》(1825/2017) [M.フィニッシーによる補筆完成版/日本初演]、《クラヴィアソナタ第19番ハ短調 D 958》(1828)
小林純生(1982- ):《ポホヨラの火の娘たち Pohjola's Daughters of Fire》(2023、世界初演)
【アンコール】 F.シューベルト(F.リスト編):歌曲集《冬の旅 D 911》(1827)より第24曲「辻音楽師」+第19曲「まぼろし」 [S. 561- 8+9] (1840)

F.シューベルト:《3つのクラヴィア曲 D 946》(1828)、《クラヴィアソナタ第16番イ短調(「大ソナタ第1番」)D 845》(1825)、《クラヴィアソナタ第20番イ長調 D 959》(1828)、《クラヴィアソナタ第8番嬰へ短調 D 571》(1817/1997) [R.レヴィンによる補筆完成版/日本初演]
南聡(1955- ):《帽子なしで: a Capo Scoperto Op.63-4》(2023、世界初演)
【アンコール】 F.シューベルト:ソナタ《グラン・ドゥオ D 812》第4楽章(1824) [J.F.C.ディートリヒ/L.シュタルク編独奏版]

F.シューベルト:《楽興の時 D 780》(1823/28)、《クラヴィアソナタ第21番変ロ長調 D 960》(1828)、M.フィニッシー(1946- ):《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》(1823/2023、世界初演)
近藤譲(1947- ):《ペルゴラ》(1994/2024、フォルテピアノ独奏版初演
【アンコール】 シューベルト:《クラヴィアソナタ第8番嬰へ短調 D 571》 第3・第4楽章 (1817/1997) [R.レヴィンによる補筆完成版/日本初演]、杉山洋一(1969- ):《華(はな) ~西村朗の追憶に》(2023)


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]


《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_04414818.jpg
(左から)杉山洋一(11月公演)、ブリス・ポゼ(11月公演)、横島浩(12月公演)、
小林純生(1月公演)、南聡(2月公演)、マイケル・フィニッシー(1月/3月公演)、近藤譲(3月公演)


"Schubertiade von Zeit zu Zeit" (5 concerts)
Hiroaki OOI, fortepiano
Shōtō Salon (1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo) Google Map https://shorturl.at/bgzJM
instrument: An original Hammerflügel by Johann Krämer [1825, Vienna, 80 keys, 4 pedals, 430Hz]
4,000 yen
reservation: poc@artandmedia.com (Art & Media Inc.)

Fri. 10 November 2023, 7pm start
Franz Schubert : Sonate Nr.13 A-Dur D 664 (1819), "Wanderer-Fantasie" D 760 (1822), Sonate Nr.17 D-Dur D 850 "Gasteiner" (1825)
Yoichi Sugiyama (1969- ): "Hana - in memory of Akira Nishimura" for fortepiano (2023, world premiere)
Brice Pauset (1965- ): "Minutes 3-4" for fortepiano (2021/23, world premiere)

Fri, 8 December 2023, 7pm start
Franz Schubert : 4 Impromptus D 899 (1827), Sonate Nr.14 a-moll D 784 (1823), Sonate Nr.18 G-Dur "Fantasie" (1826)
Hiroshi Yokoshima (1961- ) : "Maschubroom" for fortepiano (2023, world premiere)
Brice Pauset (1965- ): "Minutes 5-6" for fortepiano (2021/23, world premiere)

Fri, 19 January 2024, 7pm start
Franz Schubert : 4 Impromptus D 935 (1827), Sonate Nr. 15 C-Dur D840 "Die Reliquie" (1825) [+ Michael Finnissy : "Vervollständigung von Schuberts D840" (2017, Japan premiere)], Sonate Nr.19 c-moll D 958
Sumio Kobayashi (1982- ) : "Pohjolas Daughters of Fire" for fortepiano (2023, world premiere)

Fri, 16 February 2024, 7pm start
Franz Schubert : 3 Klavierstücke D 946 (1828), Sonate Nr.16 a-moll D 845 "Première Grande Sonate" (1825), Sonate Nr.20 A-Dur D 959 (1828), Sonate Nr. 8 fis-moll D 571 (1817/1997) [completed by Robert Levin, Japan premiere]
Satoshi Minami (1955- ) : "A Capo Scoperto Op. 63-4" for fortepiano (2023, world premiere)

Fri, 22 March 2024, 7pm start
Franz Schubert : Moments musicaux D 780 (1823/28), Sonate Nr.21 B-Dur D 960 (1828)
Michael Finnissy (1946- ) : "Fortsetzung von Schuberts Sonaten-Fragment D769A" (1823/2024, world premiere)
Jo Kondo (1947- ) : "Pergola" (1994/2024, fortepiano solo version, world premiere)

*This is the first attempt in Japan to cover Schubert's major piano masterpieces in five concerts on the ancient instrument (fortepiano/ Hammerflügel) of Schubert's period.


《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_10380035.jpg
  シューベルトの後期クラヴィアソナタの復権は、20世紀後半を待たねばならなかった。数百~数千席の大ホールでは、外面的・即時的な演奏効果とは縁遠い内向的なシューベルト作品に、爛熟した後期ロマン派の過剰な演出を施される事も多く見られた。
  シューベルトの主要クラヴィア作品を、フォルテピアノの繊細な息遣いが聴き手にもダイレクトに届く親密なサロンの空間で、当時の演奏慣習(Historische Aufführungspraxis)に則って行われる本シリーズは、日本国内では初の試みとなり、同一会場での集中的な連続コンサートとしては欧米での先例も見当たらないと云う。


  現代音楽の演奏で名高い大井浩明は、ベルン芸術大学(スイス)で名匠イェルク・エヴァルト・デーラー教授からフォルテピアノによるシューベルト演奏法の手ほどきを受けて以来、長らくこの楽器にも取り組んできた。日本モーツァルト協会例会にて寺神戸亮指揮レ・ボレアード(古楽器オーケストラ)とフォルテピアノで協奏曲(KV453)を共演、その成果により第61回文化庁芸術祭新人賞を受賞(2006)。また、ベートーヴェン:クラヴィアソナタ全32曲ならびにリスト編交響曲全9曲を、時代順様式別の9種類のフォルテピアノで弾き分けるシリーズ(全13公演)を開催、NHK-BS「クラシック倶楽部」等で紹介され、第15回日本文化藝術賞を受賞している(2008)。
 近年では、1843年製プレイエルで初期ロマン派(ベルリオーズ/ショパン/シューマン/リスト/アルカン)を5回シリーズで紹介(2020)、1887年製スタインウェイで後期ロマン派(ワーグナー/フランク/ブラームス/フォーレ/レーガー)を同じく5回シリーズでを取り上げた(2021)。これらのプログラミングは、いずれも本邦初の試みであった。大井にとって長らく「伏せ札」であったシューベルトチクルスは、いわば一連のフォルテピアノシリーズの完結編にあたる。

 大井は、チェンバロ・クラヴィコード・フォルテピアノ・オルガンといった古楽器のためにも、内外の作曲家に新作委嘱を続けており、この十数年で既に40曲以上に及ぶと云う。本シリーズでは、南聡、横島浩、杉山洋一、小林純生、そしてマイケル・フィニッシーが書き下ろしたフォルテピアノのための新作が、併せて世界初演される。

 1825年ウィーンのヨハン・クレーマー製作によるオリジナル楽器(80鍵、4本ペダル、430Hz)の修復にあたる高木裕は、つい先ごろ(2023年2月)、「ヴィンテージピアノを極力オリジナルのままに、今なお生きた楽器として当時の音をステージから伝えている」長年の功績を称え、第33回日本製鉄音楽賞を受賞したばかりである。

  シューベルトの生前、個人宅のサロンで気の置けない仲間たちが集まり音楽を楽しんだ催しは、当時「シューベルティアーデ(シューベルトの集い)」と呼ばれた。音楽構造を決定付ける音像の距離・乖離、そして「沈黙」の重みを、至近距離で聴き手がそのまま味わえる200年前のピリオド楽器(古楽器)を通じて、自身が病に斃れ貧困のうちに夭折したシューベルトの19世紀ウィーンと、コロナ禍によって多様なコミュニケーションの有りようが一変した21世紀の東京を切り結ぶ、都市の日常生活に根差した「そのときどき (von Zeit zu Zeit)」のシューベルティアーデに想いを馳せたい。(三輪与志)




大井浩明 Hiroaki OOI, fortepiano

  京都市出身。スイス連邦政府給費留学生ならびに文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルン芸術大学(スイス)に留学、ブルーノ・カニーノにピアノと室内楽を師事。同芸大大学院ピアノ科ソリストディプロマ課程修了。また、チェンバロと通奏低音をディルク・ベルナーに師事、同大学院古楽部門コンツェルトディプロマ課程も修了した。アンドラーシュ・シフ、ラーザリ・ベルマン、ロバート・レヴィン(以上ピアノ)、ルイジ・フェルディナンド・タリアヴィーニ(バロック・オルガン)、ミクローシュ・シュパーニ(クラヴィコード)等の講習会を受講。
  第30回ガウデアムス国際現代音楽演奏コンクール(1996/ロッテルダム)、第1回メシアン国際ピアノコンクール(2000/パリ)に入賞。第3回朝日現代音楽賞(1993)、第11回アリオン賞奨励賞(1994)、第4回青山音楽賞(1995)、第9回村松賞(1996)、第11回出光音楽賞(2001)、第61回文化庁芸術祭新人賞(2006)、第15回日本文化藝術奨励賞(2007)、第1回一柳慧コンテンポラリー賞(2015)等を受賞。2010年からは、東京で戦後前衛ピアノ音楽を体系的に網羅する作曲家個展シリーズ「Portraits of Composers (POC)」を開始、現在までに51公演(約500曲)を数える。
  近年の主な活動として、中全音律バロックオルガンによるフレスコバルディ《音楽の花束(3つのオルガン・ミサ)》(全曲による日本初演)(2015)、ヒストリカル・チェンバロによるフランソワ・クープラン連続演奏会(全27オルドゥル/220曲)(2012/18、全8回)、2段鍵盤ペダルクラヴィコードによるバッハ:トリオソナタ集 BWV525-530(全6曲)(2016)、シリーズ《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》(2012/15、全8回)、ピアノ独奏/重奏によるマーラー:交響曲集(全11曲)(2012/15)等。公式ブログ: http://ooipiano.exblog.jp/


高木 裕 Yu TAKAGI, piano restorer/technician
《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_17242935.jpg
  ニューヨークにてスタインウェイ&サンズ本社の研究開発コンサルタント兼調律技術統括マネージャーであったW・ガーリック氏とコンサート部チーフのフランツ・モア氏に師事。コンサート・チューナーとして、著名アーティストのコンサートや、レコーディングを数多く手掛けている。1992 年より自社所有コンサートグランドピアノをステージに持ち込むスタイルを開始。これによりピアニストと技術者が理想とするコンサートやレコーディングが可能となり、すでに全国で7000回を越える日本唯一最大のコンサート&アーティスト部に成長した。
  2004 年、洋泉社より『スタインウェイ戦争』(共著)、2010 年 11 月、朝日新書より『調律師、至高の音をつくる』を出版、朝日新聞の天声人語に引用される。
  2013 年、日経プレミア新書より『今のピアノでショパンは弾けない』、2019 年音楽之友社より『ホロヴィッツ・ピアノの秘密』を出版。『音楽の友』誌に 3 年にわたって連載を執筆。テレビ朝日「徹子の部屋」「題名のない音楽会」などにゲスト出演。全国で講演、レクチャーコンサートなど多数に出演。



大井浩明による古楽器委嘱作

【チェンバロ】
伊左治直《機械の島の旅(夜明け)》[harpsichord solo](2004年2月初演)
三宅榛名《Come back to music(チェンバロ版)》[harpsichord solo](2004年2月初演)
等々力政彦編《豊かな森 Bai-la Taigam》《残忍な領主 Ambïn Noyan》《子守歌 Öpei Ïrï》 [Igil, Xöömei-vo, harpsichord](2009年9月初演)
佐野敏幸《GRS(ガレサ)》[harpsichord solo](2009年9月初演)
川上統《花潜(ハナムグリ)》[harpsichord solo](2009年9月初演)
エムレ・デュンダル《S.シャルボニエール氏の墓》[harpsichord solo](2018年6月初演)
古川聖《アリアと18の変換》[harpsichord solo](2018年6月初演)
上野耕路《リベルタン組曲(全7楽章)》[harpsichord solo](2018年8月初演)

【クラヴィコード】
鈴木優人《バッハ「フーガの技法」より未完の3重フーガ補筆》[clavichord solo](2007年6月初演)
福島康晴《楽興の時 I/II/III》[clavichord solo](2014年3月初演)

【フォルテピアノ(60鍵~80鍵各種)】
林加奈《好転反応II》[fortepiano solo](2006年10月初演)
安野太郎《ダニエラ》《カナスヴィエイラス》[fortepiano solo](2008年2月初演)
小出稚子《ヒソップ》[fortepiano solo](2008年4月初演)
川上統《閻魔斑猫》[fortepiano solo](2008年4月初演)
鈴木光介《Even Be Hot(ホットこともありえます)》(全7曲)[fortepiano solo](2008年7月初演)
河村真衣《クロスローズ》[fortepiano solo](2008年7月初演)
安野太郎《帰って来ないあなた》[fortepiano + mp3](2008年7月初演)
清水一徹《老人の頭と鯨の髭のためのクオドリベット》[fortepiano solo](2008年10月初演)
鈴木純明《白蛇、境界をわたる》[fortepiano solo](2008年11月初演)
有馬純寿《琥珀のソナチネ》[fortepiano solo](2009年3月初演)
福井とも子《夜想曲》(全3曲)[fortepiano solo](2009年3月初演)
野村誠《ベルハモまつり》[fortepiano solo](2009年3月初演)
高橋裕《濫觴》[fortepiano solo](2020年10月初演)
鈴木光介《マズルカ》[fortepiano solo](2020年11月初演)
中川真《非在の声》[fortepiano solo](2020年12月初演)
アダム・コンドール《5つの超越的前奏曲集》[fortepiano solo](2021年1月初演)
クロード・レンナース《パエトーン》[fortepiano solo](2021年2月初演)
杉山洋一《華(はな) ~西村朗の追憶に》[fortepiano solo](2023年11月初演)
横島浩《マッシュプローム Maschubroom》[fortepiano solo](2023年12月初演)
小林純生《ポホヨラの火の娘たち Pohjola's Daughters of Fire》[fortepiano solo](2024年1月初演)
南聡《帽子なしで: a Capo Scoperto Op.63-4》[fortepiano solo](2024年2月初演)
マイケル・フィニッシー:《ソナタ断章 D769a》(2024年3月初演)

【オルガン】
河合拓始《オーガンザ》[organ solo](2005年6月初演)
木下博史《九重親方のイビキ》[organ solo](2005年6月初演)
久保田翠《くろきもの わが眼おほへど》[organ solo](2005年10月初演)
石川高《何処で私は道を踏みはずしたのか。何を私は行ったのか。なすべきことの何を私は成し遂げないでしまったか。》[sho + organ](2011年3月初演)
池田拓実《Pearl on Ruby》[organ + live-electronics](2011年3月初演)
有馬純寿《多色刷りの後奏曲I、II》[organ + live-electronics](2011年3月初演)
多久潤一朗《オル・ガン・バン・スリング》[microtone flute + organ](2011年3月初演)
上野耕路《パルティータ》[baroque organ](2015年3月初演)
福島康晴《モノローグ》[baroque organ](2015年3月初演)



《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_10141633.jpg


# by ooi_piano | 2024-02-05 06:56 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)
1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02304499.jpg

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席) [3公演パスポート 11,000円]
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【第3回公演】 2024年1月19日(金)19時開演(18時半開場)

F.シューベルト:《4つの即興曲 D 935》(1827) 30分
I. Allegro moderato - II. Allegretto - III. 主題と5つの変奏 - IV. Allegro scherzando

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第15番ハ長調「レリーク」 D 840》(1825/2017)
[M.フィニッシーによる補筆完成版(*)/日本初演] 35分
  I. Moderato - II. Andante - III. Menuetto (*) - IV. Finale (*)

 (休憩10分)

小林純生(1982- ):《ポホヨラの火の娘たち》(2023、世界初演) 6分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第19番ハ短調 D 958》(1828) 30分
I. Allegro - II. Adagio - III. Menuett. Allegro - IV. Allegro

[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]





M.フィニッシー:《シューベルト クラヴィアソナタ D 840 メヌエット/フィナーレ楽章の補筆》(2017、日本初演)

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02335434.jpg
 シューベルトをはじめとする過去の作曲家たちの音楽が、コンサート演目やレコード・カタログの中で重要な位置を占め続けている今、私はしばしば自分の作品の中で、この「文化的状況」を分析し、有意義に考察しようと試みている。尤も、巧緻さを競ったり、直接引用したり、パロディやフェイクに走ることは避けている。そうではなく、「クラシック」音楽の内容のさまざまな側面に思慮深く疑問を投げかけ、向き合い、発見したものを自分自身の創作物と同様に扱うのである。その結果は、ある種の肖像画作法、「再映像化」「再編集」されたモンタージュであり、音楽史の諸相を今日の世界(と現代の作曲手法)から選択的に再構築したものと考えている。

 シューベルトがピアノ・ソナタ D840を作曲し始めたのは1825年4月のことで、あちこちが未完成であった事もあり、初めて出版されたのは彼の死後33年経った1861年のことだった。最初の出版物の編集者であるF.ホイッスリングは、第1楽章(モデラート)に細かな加筆修正を加え、第2楽章(アンダンテ)の24小節の終わりと87小節の始まりの間の「隙間」を埋めた。現存する第3楽章(メヌエット)の自筆譜には、17小節から80小節までと、トリオ(95小節から122小節)までしか書かれていない。1877年から現在に至るまで、この楽章の「様式的に一貫した」11の代替的な補筆例が存在する。しかし、第4楽章(フィナーレ)については現在何も残っていない。

 メヌエットにおける空白部を、私は1825年と2017年の間のどこかに位置する曖昧な方法で埋めた。フィナーレは明らかに内省的で「現代的」だが、それにもかかわらず、ソナタの他の3つの楽章や、アウグスト・フォン・プラーテン(1796-1835)の詩による2つの歌曲《貴方は私を愛していない D 756》《愛は裏切られ D 751》を引用している。この補筆(2016-17)は、ロンドン王立音楽アカデミーでジョアンナ・マクレガーから紹介された彼女の弟子、イェフダー・インバールの委嘱により作曲された。(マイケル・フィニッシー)



小林純生:《ポホヨラの火の娘たち》(2023、委嘱新作)
 この作品において最も重視されているのは、幻覚的な作用をもたらす音群を論理的に構成することである。シェパード・トーンと三全音パラドックスと呼ばれる二つの特殊な音響が用いられており、音が上行しているのか、下降しているのか、分かりづらく、聞きながら辿っていく音階は気付けば別の位置に存在する。幻覚をもたらすというと、不快なものにも捉えられるかも知れないが、この作品ではむしろ、特徴的な美学を想起させることを目的として幻覚が用いられている。
 幻覚で描かれるのは、フランスの作家、ジェラール・ド・ネルヴァル的な書法での、火のように不定で捉え難い、混濁して歴史によって色褪せた記憶と焦燥した意識下の描写による、女性である。ネルヴァルは、幸か不幸か、先天的にこういった描写が可能だった人物であり、今なお比類ない書法をもった作家だと言える。この作品はそういった生まれつきの書法を後天的に再現しようとしているとも考えられるだろう。ペダリングに関しては演奏者に委ねられているが、その一方で、幻覚的作用を実現するために正確な音量のコントロールが求められている。(小林純生)


小林純生 Sumio Kobayashi, composer
1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02315001.jpg
 1982年、三重県菰野町生まれ。三重県私費海外留学生奨学金を受け、英国ケント大学博士後期課程修了、博士(言語学)。日本音楽コンクール (2009)、 国際尹伊桑作曲賞 (2011/韓国)、ICOMS国際作曲コンクール (2011/イタリア)、 アルヴァレズ室内オーケストラ作曲コンクール (2012/英国)、 武満徹作曲賞 (2013)、 パブロ・カザルス国際作曲コンクール (2015/フランス)、ワイマール春の音楽祭作曲コンクール (2016)、ブロツワフ国際作曲コンクール(2016/ポーランド)等に入賞・入選。アイコン・アーツ現代音楽際 (2013/ルーマニア) 、武生国際音楽祭 (2010/2013/2014)、統営市国際音楽祭 (2015/韓国) 、メロス・エトス国際現代音楽祭(2015/スロバキア)等で、アンサンブル・カリオペ、アンサンブルTIMF、東京シンフォニエッタ、東京フィルハーモニー交響楽団、アンサンブル・ミセーエン等により作品が演奏されている。日本大学芸術学部専任講師。http://sumiokobayashi.com/



小林純生・作品リスト(音源リンク付)


駆ける緑、うねる青 (2009) 11.5'
ピアノ五重奏のための

アメジストの樹の上から (2010) 12.5'
フルート、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、チェロとピアノのための

草とサファイアの平原 (2011) 11.5'
オーケストラのための

雪のなかのヒバリ (2012) 13.5'
フルートと弦楽オーケストラのための

馥郁たる月の銀色のノート (2013) 10'
フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープのための

水中の雪 (2014) 15'
クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとピアノのための

水が咲いて (2014) 15'
フルート、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとピアノのための

森から聞こえるのは… (2014/2015)
リコーダーのための

レクイエムズ (2015) 10'
オーケストラのための

《フーガ ~ モーリス・ラヴェルを頌して》(2016、大井浩明委嘱作) https://www.youtube.com/watch?v=N-zYvn721do

ファンタジー I・II (2016) 6' 6'
ヴァイオリンのための

小人の音楽 (2016) 15'
オーケストラのための
ノスタルジア (2018) 11'
フルート、クラリネット、ピアノとヴァイオリンのための

ミラージュ (2019) 10’
ヴァイブラフォン、ヴァイオリンとチェロのための
アンリアル・レイン (2020) 5'
ピアノのための

オープン・ユア・ストリングス (2023) 4’
弦楽オーケストラのための

ロマンス (編曲作品 2023) 8’
ピアノのための


1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02350538.jpg



シューベルトに魅せられた人々、受容史の万華鏡
白石知雄(音楽学)

 シューベルトはヨハン・シュトラウス父子と並ぶ生粋のウィーンっ子、古都の秘蔵っ子として愛されているが、人なつこい外見の裏に未完成交響曲や「冬の旅」の荒涼とした闇が口を開いている。同主長短調のポジとネガのような反転は、優しさと孤独が背中合わせであることの端的な表現に聞こえる。しかも31歳で生涯を終えてから10年以上、重要な作品が埋もれていた。没後の評価を含めてのシューベルトであり、実像と後世の虚像を簡単には切り分けられない。以下、その概略を俯瞰してみよう。

 フランツ・シューベルト(1797〜1828)の父親はウィーン近郊で小学校長を務める名士で、フランツ少年は王宮礼拝堂の合唱団員に選ばれて、宮廷音楽家サリエリから特別レッスンを受ける優秀な生徒だったが、ナポレオン戦争後の不景気もあり定職が見つからず、友人の家を転々とする。
 ただし歌曲や舞曲、ピアノ小品は生前にウィーンで順調に出版・演奏されていたことがわかっている。三大歌曲集に現れる弱々しい自己愛は、ドイツ文化史で言う「新興市民の微温的ビーダーマイヤー」なのか、凡庸を嫌うロマン主義の価値反転なのか。そして交響曲やソナタを書き続ける諦めの悪さは、弱々しい自己愛と順接するのか逆接するのか。シューベルトの「実像」のわかりにくさは、このあたりに帰着する。

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02460291.jpg
 シューマン、リスト、ベルリオーズなどシューベルトの没後1830年代にデビューした若い世代の態度は明快で、彼らはロマン主義の名の下に、シューベルトを独創的な「器楽」の先駆者として評価した。
 リストは歌曲のピアノ・トランスクリプションを量産して、「さすらい人」幻想曲を華麗な協奏曲に作り替え、ベルリオーズは「魔王」を管弦楽伴奏に編曲した。歌曲から言葉を引きはがし、圧倒的な超絶技巧や極彩色の楽器法でシューベルトを「絶対音楽」「言語を越えた王国」に迎え入れる。ライプツィヒでは、シューベルトの「大ハ長調」交響曲発掘・初演(1839年)に関わった2人が、「大ハ長調」と同じように金管楽器の主題ではじまる「春の交響曲」(シューマン、1841年)とカンタータ交響曲「讃歌」(メンデルスゾーン、1840年)を書いた。パリのドイツ派、ドイツのベートーヴェン主義者は、いずれもシューベルトに敬意を払った。

 1850年生誕100年のバッハ全集を皮切りに、19世紀後半、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社は大作曲家の作品全集を次々出す。シューベルトの作品全集は没後百年の1897年に完成した。
 ブラームスは傑作と凡作をいっしょくたにする「作品全集」という出版形態に懐疑的だったとされるが、案の定、量は質に転化する。室内楽や宗教音楽の全貌が知られて、シューベルトの評価は、「ロマン派の先駆者」から「最後の古典派」、ベートーヴェンに匹敵する「本格派」へと塗り替えられた。そして「シューベルトはロマン派か古典派か」という果てしない議論がはじまるのだが、「古典的vsロマン的」のヘーゲル風観念論はともかく、シューベルトが18世紀の音楽文化と地続きの素養を持っていた可能性は考察に値するだろう。寄宿学校時代にサリエリの個人指導を受けたとき、その場にどんな楽器があったのか。フォルテピアノかチェンバロか、あるいはクラヴィコードだったのか・・・。ヴァイオリンとクラヴィアが親密に語り合う初期の愛らしいニ長調ソナタ(二つの楽器は室内楽としても異例なほど「距離が近く」感じられる)や、指先が鍵盤上を転げ回る変ホ長調の即興曲(指先で愛でる無窮動のミニチュア感はショパンの即興曲につながる)は、ずんぐりしていたと伝えられるシューベルトの体型だけの問題ではないかもしれない。

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02475377.jpg
 19世紀に「大作曲家」の作品全集(いわゆる「旧全集」)はケルンの大聖堂やベルリンのフリードリヒ大王馬上像と同根で、「音楽の国」ドイツ帝国のナショナル・アイデンティティの誇示と総括されても仕方がない面がある。
 一方、第二次大戦後に出版社と研究機関が総力をあげた「新全集」は、CERNやNASAの大規模プロジェクトを連想させる。O.E.ドイチュの一連の「ドキュメント」は、足で稼ぐ犯罪捜査に似た実証主義の極みだが(楽譜の年代特定には新バッハ全集でおなじみの筆跡鑑定・透かし調査が威力を発揮)、膨大なデータを蒐集したのは、その先に19世紀的観念論とは水準の違う理論的・美学的「発見」があると信じられていたのだと思う。
 事実、新シューベルト全集の編集主幹W.デュルは、「声楽における言葉と音楽には不可避的なズレがあり、それが声楽に豊かさをもたらす」という主張を言語学で補強しながら展開した(『19世紀のドイツ独唱歌曲』)。K.シュトゥッケンシュミットからベルリン工科大学音楽学講座を引き継いだC.ダールハウスは、「主題的コンフィギュレーション」というドライな言い回しでシューベルトのト長調の弦楽四重奏曲を分析した。極端に鋭い付点リズム、ゼクエンツ風の半音下降、同主和音への反転などの特徴的なパラメータの束が、まるでデジタル機器の「カスタム設定パネル」のように舞台裏で楽曲を制御しているという見立てである。この分析はダールハウスが準備中だったベートーヴェン論(『ベートーヴェンとその時代』)の副産物で、後期ベートーヴェンとシューベルトがほぼ同等の抽象度で音楽を捉えていたという歴史的な見取り図が議論の背景にある。
 戦後西ドイツ学派の楽曲分析はちょっと偏屈で高精度な職人芸、ライカのレンジファインダー機のようなところがある。シューベルトの「冴えない豊かさ」は楽曲構造、音楽思考の問題でもある。

 20世紀末から音楽論・音楽研究の焦点は社会史とメディア史(音が織りなす構造体としての音楽というより、人間たちの行為・交流としてのミュージッキング)に移っている。帝国のエリートたちを夢中にさせた詩と音楽の会とは、具体的にどういうものだったのだろう。サリエリの弟子シューベルトと引退した宮廷歌手フォーグルがそれほどおかしな演奏をしていたとは思えないが、衆人環視のショウアップされた「本番」ではなかっただろう。現在の音楽会にその空気感を蘇らせることはできるのか。歴史情報化(Historically informed)されたシューベルティアーデを体験してみたい。



# by ooi_piano | 2023-12-29 01:54 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)

12月7日(土)〈暴(あら)ぶるアルバン・ベルク〉


by ooi_piano