【増補】4/15(日)フェルドマン大作2曲+上野耕路委嘱新作

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京都在住の画家Mississippi氏:「大井浩明さんによる、morton feldman の演奏を聴きに行ったのは去年の夏。地下で、空調をとめて、知らないひとばかりで、いつ終わるともしれない不思議な曲で。明かりがついたとき、いちじかん潜水したみたいな気分でした。

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c0050810_23572718.jpg【特別公演】 フェルドマン全ピアノ曲総攬・完結編
2018年4月15日(日)午後2時半開演(午後2時開場) 全自由席3000円 
えびらホール (品川区/東急旗の台駅より徒歩6分)
[要・事前予約] feldman2018@yahoo.co.jp
(※プライベートホールの為、詳しい場所はチケット予約されたお客様のみにお知らせします。ネット上で住所や地図は公開されていません


【演奏曲目】
モートン・フェルドマン(1926-1987):《三和音の記憶(トライアディック・メモリーズ)》(1981) 約80分

  〔休憩10分〕

上野耕路(1960- ):《Volga Nights(たらこたらこたらこパラフレーズ)》(2018、委嘱新作・世界初演) 約10分
●モートン・フェルドマン:《バニタ・マーカスのために》(1985) 約70分


  【cf. POC#34 フェルドマン(没後30周年)ピアノ曲総攬  (2017/12/22) 】



上野耕路《Volga Nights(たらこたらこたらこパラフレーズ)》(2018、委嘱新作・世界初演)
 いわゆる「One Hit Wonder(一発屋)」のその後はどうなったのか?というのがこの曲の真相なのかもしれません。しかしこれは皮肉などではなく、そのような曲が自分に一曲でもあること、自分もあまたのOne Hit Wondersの一人であることにとても感謝しています。
  オリジナルは、キューピーたらこパスタソースCMのための音楽(2004年)で、ヴィヴァルディが好むコード進行とロシア民謡を意識して作りました。思いのほか人口に膾炙したこのCM音楽に基づき、ひねった独立作品ができないかと考えました。ロシア民謡かと思っていたら交響曲の一部だった、というレフ・クニッペル(1898-1974)の逆行形のようです。
  この楽想には、カルト的ロックバンド、スパークスロン・メイル氏によって、英語の歌詞を付けて頂く機会がありました。要人の履歴を改ざんする仕事をしているナターシャとレーニン廟のガードのセルゲイという恋人たちの歌、という内容となっています。そのタイトルが《ヴォルガ・ナイツ》です。(上野耕路)


上野耕路 Koji UENO
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  千葉県出身。日大藝術学部在学中に、「8 1/2」、サエキけんぞうらと「少年ホームランズ」「ハルメンズ」を、戸川純・太田螢一と「ゲルニカ」を結成、1982年に『改造への躍動』でYENレーベルからデビュー。1985年、無声映画のための『Music For Silent Movies』をリリース。1986/87年、坂本龍一の映画音楽プロジェクトへ参加、『子猫物語』『オネアミスの翼』『ラストエンペラー』などを手がける。高嶺剛監督『ウンタマギルー 』(1989)で第44回毎日映画コンクール音楽賞。14奏者のための《日本民謡組曲》(1990、国立劇場委嘱)、邦楽器アンサンブルのための《Sinfonietta Rurale》(1992)・《稲の王》(1996)(日本音楽集団委嘱)、6奏者のための《Connotations》(1993、ポール・ドレッシャー・アンサンブル(サンフランシスコ)委嘱)等。NHKテレビドラマ『幻蒼』(1995)で第32回プラハ国際テレビ祭でチェコ・クリスタル賞。1999年、全音楽譜出版社より『上野耕路 ピアノ作品集』を出版。2000年より日本大学藝術学部にて、映画音楽の講義を受け持つ。2004年、キユーピー「たらこパスタソース」のCM音楽が話題を呼ぶ。2009年、リコーダー四重奏のための《クァルテット・パストラーレ》初演。犬童一心監督『ゼロの焦点』(2009)で第33回日本アカデミー賞優秀音楽賞。2011年、音楽的側面の集大成とも言えるアルバム『エレクトロニック・ミュージック』を配信開始。蜷川実花監督『ヘルタースケルター』(2012)音楽監督。犬童一心・樋口真嗣監督『のぼうの城』(2012)で第36回日本アカデミー賞優秀音楽賞。2014年、NHKアニメ「ナンダカベロニカ」、NHKBSドラマ「プラトニック」等。16人編成のバンド「上野耕路・アンド・ヒズ・オーケストラ」を経て、現在は「ソシエテ・ノワール」で活動中。 https://www.alchemy-music.net/


●上野耕路:中全音律オルガンのための《パルティータ》 (2015)  ~〈プロローグ〉-〈ルール〉-〈第1スケルツォ〉-〈第2スケルツォ〉-〈トリオ〉-〈第2スケルツォ〉-〈第1スケルツォ〉-〈メヌエット〉-〈フーガ〉 大井浩明(中全音律バロック・オルガン) 
●上野耕路:《ブレーメン(ブレヘメン)》(1981) 大井浩明(ピアノ)
●上野耕路:《ウンタマギルー》(1981) 大井浩明(ピアノ)
●上野耕路:WOWOW連続ドラマ《夢を与える》オリジナル・サウンドトラック (music marketing research / BASiLiCA INC.) 大井浩明(ピアノ、フェンダーローズ他) 
●上野耕路:NHK土曜ドラマ《逃げる女》オリジナル・サウンドトラック (IDEAL MUSIC LLC. NGCS-1063) 大井浩明(ピアノ、オンドマルトノ、チェレスタ、フェンダーローズ他) 録音風景




フェルドマンと女性たち―――野々村 禎彦

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 音楽家の生涯を描く際に、パートナーや恋人たちとの関係を中心に据えるのは、通俗的な伝記では常套手段である。そして多くの場合、音楽の本質を描くには邪魔でしかない。だが、モートン・フェルドマン(1926-87) は例外のひとりである。彼と女性たちとの関係と作曲歴との相関は、シューマンとクララの場合ほど直接的でも能動的でもないが、彼の作風の大きな変化は常に女性関係の変化と時を同じくしており、意識的であれ無意識にであれ密接に関連している。本公演の対象である後期作品では、特に重要になる。

 ニューヨークのユダヤ系服職人の家庭に生まれたフェルドマンは、9歳で作曲、12歳でピアノを始め、15歳から作曲のレッスンも受け始めたが、本格的に職業音楽家を目指したわけではない。大学受験を前にいったんレッスンは止めたが、受験生の雰囲気が気に食わないと称して試験を放棄し、父が独立して始めた子供服会社でフルタイム事務員として働いた。余暇に作曲のレッスンも再開し、シュテファン・ヴォルぺ(1902-72) に師事した。だが、師の評価は「さまざまな書法を試みては否定するばかりで、5年間何の進歩もなかった」。最初の妻アーリーンと所帯を持つまでは、何事も中途半端だったようだ。

c0050810_17443350.jpg 1950年1月、ミトロプーロス/NYPによるヴェーベルン《交響曲》の米国初演で彼はジョン・ケージ(1912-92) と出会って意気投合した。夫婦でケージと同じアパートに移り、同世代の美術作家たちとも知り合ってキャリアが本格的に始まるが、実はその前年に決定的な出会いがあった。レッスンを止める時、ヴォルペは彼にヴァレーズを紹介した。ヴァレーズは彼をたびたび自宅に招き、作曲の心得を伝えた。この経験がなければ作曲家にはなっていなかったと彼は回想している。後にニューヨーク州立大学バッファロー校で得た常勤職の肩書は、彼の希望通り「エドガー・ヴァレーズ記念教授」になった。

 「音楽は音響現象であり、音が舞台から客席に達し再び舞台に戻るまでに要する時間を織り込んで作曲を行うべき」というヴァレーズの教えは、極端に少ない音数と遅いテンポで特徴付けられる、フェルドマンの特異な作風の土台になった。また、米国の作曲界に絶望していたヴァレーズは「この国で本物の作曲家になるためには、音楽で生計を立てようとしてはいけない」という持論を持ち、家業を生業とする彼を祝福した。なお、師弟関係を止めてもヴォルペとは、芸術談義を交わす友人として20年以上親交を続けた。

c0050810_17454355.jpg ケージとの出会いから程なく、彼はブーレーズの第2ソナタの米国初演を企画していたケージにピアニストとして同門のデヴィッド・チューダー(1926-96) を紹介し、ケージはクリスチャン・ウォルフ(1934-) への作曲レッスンを始め、「ニューヨーク楽派」の創立メンバーが揃った。一緒に行動することが多かった4人は、同1950年暮れのチューダーによるブーレーズの第2ソナタ米国初演後もケージとカニングハムのアパートに集まってケージの料理を待っていたが、この時フェルドマンに図形楽譜の発想が降りてきた。

 紙切れに引いた4本の横線の隙間を高音域・中音域・低音域とみなし、縦線でグリッドに区切ってところどころを塗り潰すと、五線譜を使わず音高も指定せずとも音楽的持続が生まれる。このスケッチが音楽史上初の図形楽譜作品、チェロ独奏のための《Projection 1》(1950) の原型になった。グラフで旋律をスケッチする手法はシリンガー・ハウス(後のバークリー音楽大学)で教えられた作曲システムに先例があり、グリッドを切って決めたリズム構造に音符をはめ込む手法もケージが打楽器合奏曲のために開発したものだが、旋律楽器でも音高を確定せずに「作曲」が可能だと示したことは彼の独創である。これはケージが《易の音楽》(1951) で「偶然性の音楽」に至るよりも前の出来事だった。

c0050810_17464649.jpg 彼が図形楽譜に至った背景として、ケージに導かれた美術への関心は見逃せない。翌年からは抽象表現主義の画家たちの交流会の常連になり、特にフィリップ・ガストンと親しくなった。「楽派のピアニスト」チューダーが、不確定性を含む譜面を読み解き演奏譜を作る作業を、作曲を学んだキャリアを演奏に生かす行為として歓迎したことも手伝って、各メンバーは思い思いの手法で「偶然性の音楽」を発展させた。ハーヴァード大学文学部に進んだウォルフと入れ替わるように、翌1952年からアール・ブラウン(1926-2002) が加わり、電子回路技師の経験を楽派初期の電子音楽に生かした。また、シリンガー・ハウスでジャズを学んだブラウンは、フェルドマンとは独立に図形楽譜に到達していた。

 フェルドマンの50年代前半の図形楽譜作品は、《Projection》シリーズ5曲(1950-51) と《Intersection》シリーズ4+1曲(1951/53) で出版曲は尽くされ、それ以外の曲(自演が前提のピアノ曲が多い)は伝統的な確定譜面で書かれている。彼にとっての図形楽譜はアイデンティティではなくイディオムであり、複数の記譜法を並行して使う姿勢を、絵画と彫刻を並行して制作する美術作家に喩えている。グリッドと数字で構成される彼のストイックな図形楽譜は、「抽象絵画のような図形」というこの記譜法の一般的なイメージとは様相を異にするが、このイメージはむしろブラウン《Folio》(1952-53) に由来する。ブラウンは50年代半ばから度々ヨーロッパに赴いてダルムシュタット国際現代音楽で講師も務めており、ヨーロッパにおける図形楽譜のモデルになったのはブラウン作品だった。

c0050810_17475084.jpg クラシック畑の演奏家には音高は特権的で、それが不確定であることは大きなストレスになる。ある者は苦し紛れに、ある者はサボタージュとして既存の旋律の切り貼りで音高選択を処理し、音楽が台無しになることも少なくなかった。1953年を最後に、彼がいったん確定譜面に戻ったのも無理はない。だが、それも1956年まで。この年は、抽象表現主義最大のスター画家ジャクソン・ポロックが交通事故死した年であり、図形楽譜による作曲と抽象表現主義が分かち難く結びついている彼にとっても大きな出来事だったことは想像に難くない。またこの年は、彼の最初の結婚が破綻した年でもある。

 彼は立ち直りも早く、同年にシンシアと再婚した。翌1957年にはピアノ連弾や複数のピアノのための曲に集中的に取り組み、「グリッド内の音符の音高のみ厳密に指定する」新しい書法を開発した。この書法は60年代末まで彼の作曲の中心になったが、ヨーロッパの「管理された偶然性」でも同様の書法が見られ、演奏実態にも即していた(むしろ音価は、厳密に指定しても守られることは殆どない)。ピアノ独奏曲《Last Pieces》(1959) や《Durations》シリーズ(1960-61) など、最初の代表作はこの書法から生まれている。翌1958年からグリッドと数字の図形楽譜作品も再び書き始めたが、あえて音高を指定せずにグリッド間を軽やかに飛び回る運動を生み出すという当初の意図は放棄して、トゥッティと沈黙が交代する、旋律的なソロがなるべく生じない展開に絞っている。

c0050810_17492651.jpg ペータース社は1960年からケージ、1962年からフェルドマンとウォルフの作品を網羅的に出版したが、この頃からチューダーは自作電子回路の即興的操作に基づいた活動に軸足を移し、ケージもチューダーに追随してマルチメディア・パフォーマンスに移行した。ウォルフはハーヴァード大学で西洋古典学の博士号を取得し、音楽とは無関係な研究生活に時間を割いた。相対的にフェルドマンへの注目が高まり、特に60年代前半は録音(ブラウンは録音技師の経験を積んだ後、Timeレーベル現代音楽部門のプロデューサーを任された)や大舞台での演奏(バーンスタイン/NYPによる定期演奏会での)に恵まれたが、新奇なコンセプトよりも漸進的な改良で質を高めてゆく彼の姿勢は米国では理解されず、振り回されただけとも言える。この時期を代表する《誤った関係と引き伸ばされた終結》(1968) や《カテゴリーの間に》(1969) などの作品は、60年代末に書かれている。

 ただし、「音高のみ厳密に指定」書法の円熟期は、私生活は底の時期だった。1960年代半ばから家業は傾き、生計が苦しくなってゆくにつれて二度目の結婚生活も冷え込み、1970年には破綻した。またこの年は、ポップアート絶頂の中でも抽象表現主義を守ったマーク・ロスコとバーネット・ニューマンが相次いで世を去り、フィリップ・ガストンも毒々しい具象絵画に転向して長年の親交が終わった年でもある。彼にとって、不確定性を内包した作曲と抽象表現主義の絵画は切り離せないもので、この界隈との交流が失われた時点で不確定性を含む作品を書き続ける気力も失せ、確定譜面に回帰した。ケージとの出会いから始まった、彼の創作歴の過半数を占める長い「前期」が終わった。

c0050810_17503924.jpg しかし、落ちるところまで落ちたらスカッと切り替えられるのが彼の強み。彼がいつまでも「ケージ一派」という扱いだったのは譜面も同じペータース社から出版していたからで、作風を転換した機会に出版社も、ヨーロッパに強いウニヴェルザール社に切り替えた(逆に言えば、この時点で彼を「ケージの亜流」ではないと評価する人々も存在した)。また、ニューヨークで生まれ育った彼は、芸術の最新動向に触れられる都市生活に拘りを持っていたが、もはや家業では暮らせないのであれば背に腹は代えられない。教職で生計を立てることを前提に、内外数校の非常勤講師や客員研究員を経て、ルーカス・フォスの招きでニューヨーク州立大学バッファロー校に職を得て同地に居を移した。結婚生活よりも上だった都市生活の優先順位は、抽象表現主義と縁が切れたら下がったのだろう。

 また彼は女性関係の切り替えも早い。確定譜面による最初の代表作《The Viola in My Life》シリーズ(1970-71) はヴィオラとアンサンブルの連作だが、ヴィオラ独奏者として想定されたカレン・フィリップスは新しい恋人に他ならない。彼女との関係が終わった後も、独奏楽器とアンサンブルという編成への偏愛は「中期」を特徴付ける。トゥッティと沈黙が交代し、トゥッティの音色変化に焦点を絞ったアンサンブル書法は、50年代末からの音高のみ厳密に指定した時期の方向性を受け継いでいるが、不確定性を排除した結果音色のコントロールはより精緻になった(近藤譲が最も影響を受けた部分である)。図形楽譜作品では既存の旋律の引用を防ぐため、不確定性を含む作品でも自己顕示欲の強い奏者の暴走を防ぐために、アンサンブル作品では旋律的なソロは極力排除していたが、確定譜面になればその心配はなく、むしろ差別化のために積極的に導入したのだろう。

c0050810_17520166.jpg この時期を代表する作品群は、《Cello and Orchestra》(1972) に始まる、独奏楽器とオーケストラのための連作である。この種の曲の演奏機会が得られるのは米国ではなくヨーロッパ、特に制度的に現代音楽に取り組むドイツの放送オーケストラであり、この連作でもチェロ、ピアノ(1975)、オーボエ(1976)、フルート(1977-78) のための4曲はみなツェンダー/ザールブリュッケン州立放送響が初演している。この連作に限らず、この時期の作品は楽器編成そのもののストイックなタイトルを持ち、自ら「ベケットの時代」と称していた。その総決算としてベケットに台本を依頼してオペラを書いたのは自然な成り行きだった。音響プロトタイプ3曲を書く入念な準備を経て、彼は《Neither》(1977) に臨んだ。彼がこの曲で「出し尽くした」ことは、ハイペースで書いていた声とアンサンブルのための作品を、この曲の後は殆ど書かなくなったことにも表れている。

 彼はニューヨーク州立大学で1974年に常勤職に昇格したが、それは研究室に大学院生が加わることを意味する。彼のもとには1976年にバニータ・マーカス(1952-) が入ってきた。彼女の基本的な作風は、調性的な素材を反復しつつ、和声進行を利用して展開する「ポストミニマル」書法だが、同世代の作曲家の多くは新ロマン主義的な文脈でこの書法を用いたのに対し、彼女はシステマティックな方法論と組み合わせた。中期フェルドマンの作風は、反復の積極的な使用も特徴のひとつだが、《Neither》以降の行き詰まり打開策としてさらなる反復(ただし不規則な)による長時間化を着想し、そのためには記憶に引っかかりやすい調性的な素材を用いることが有効である。彼女の研究室への参加は彼にとっても渡りに舟で、この意味では彼女は適切な研究室を選んだ。


c0050810_17533654.jpg 長時間化と調性化で特徴付けられる「後期」と中期の境界は、前期と中期のように明確ではなく行きつ戻りつしたが、分水嶺を定めるならば《Violin and Orchestra》(1979) になる。独奏楽器とオーケストラの連作の最後に位置し、管弦楽書法は中期を引き継ぐ一方、独奏パートの旋律素材には以後の作品で再利用されたものが多い。この次に書かれたのが弦楽四重奏曲第1番(1979)、少数の素材を不規則に反復し演奏時間は1時間半を超える、後期のプロトタイプである。彼の番号付き弦楽四重奏曲はもう1曲、5時間を超える第2番(1983) だけだが、それ以外にも独奏楽器と弦楽四重奏という編成でさらに3曲ある。すなわち、中期におけるオーケストラが後期は弦楽四重奏に入れ替わった格好になる。長時間作品に見合う練習時間をオーケストラに求めるのは非現実的という実際的な理由に加え、この時期の彼が重視したのは音色の変化よりも旋律断片の記憶の中での変容なので、アタックが目立たない弦楽四重奏の滑らかな音表面は理想的な表現媒体だった。

 また後期作品では、ピアノも弦楽四重奏と並ぶ大きな位置を占めている。弦楽四重奏を含まない編成では、ヴァイオリン、チェロ、フルート、打楽器からの組み合わせに、常にピアノが加わる。前期作品ではピアノが大きな役割を担っていたのは、自分で弾けることに加えてチューダーという信頼できる指標があったからだが、中期は独奏曲自体が少なくアンサンブル曲の中での役割も限られているのは、中期の協力者ウッドワードとの関係はそこまで緊密ではなかったということだ。だが後期は、高橋アキの「絶対的に静止した」タッチを基準にした長時間作品が、ピアノ独奏曲《三和音の記憶》(1981) を端緒に続々と書かれた。《バニータ・マーカスのために》(1985) もその中の1曲である。マーカスは1981年に博士号を取得し、フェルドマンの求婚を断ってニューヨークに移ったが、その後も密接な関係が続いた。彼女の公式サイトには「(フェルドマン後期にあたる)7年間の二人は分かち難く、手を携えて作曲し、音楽思考や発想を分かち合った」とある。

c0050810_18031479.jpg ニューヨークで活動を始めた彼女は、1982年に同地に移住してきた画家のフランチェスコ・クレメンテ(1952-) と親交を結んだ。80年代後半には連続サロンコンサートを共同企画している。イタリアに生まれ長年インドで暮らしていたクレメンテは、後期ガストンを思わせる具象画と抽象表現主義を受け継ぐ抽象画の二面性を持ち、晩年のフェルドマンも傾倒した。マーカスが委嘱し初演した彼の最後のピアノ独奏曲《マリの宮殿》(1986) はクレメンテに献呈されている。彼女の分析によると、この曲は彼女の旧作を明確に参照しているというが、本質的に1種類の素材を反復ごとに微妙に変容させてモノトーンと多様性を両立させる凝縮された書法は、《コプトの光》(1985) や《サミュエル・ベケットのために》(1987) にも見られる最晩年の新境地である。1987年6月、彼は研究室で博士号を取得したバーバラ・モンク(1953-) と結婚した。マーカスは彼女と親しく、結婚式では彼女のメイクを担当した。だがその数日後、胃潰瘍の手術を受けた際に末期の膵臓癌と診断され、同年9月に急逝した。葬儀では新妻ではなくマーカスが弔辞を述べている。

 マーカスは弦楽四重奏のための《絨毯職人》(1986) で少女時代の父親からの性的虐待を題材にし、作曲家として知られるようになった。彼女のキャリアはPTSDの発症でたびたび中断されたが、児童虐待被害者の支援活動を通じて克服し、音楽活動の傍らフェルドマンとの仲睦まじい思い出を語ってきた。だが2014年、彼女はイタリアの音楽情報サイトsentireascoltareのインタビューの中で、大学院生時代に彼からたびたび性的暴行を受け、それが原因で結婚生活が破綻したこと、作曲の素材や発想を彼に盗用されていたことなどを初めて語った。「7年間の二人は分かち難く…」という記述の真意、《絨毯職人》というタイトルの真意(彼は後期作品のテクスチュアをペルシャ絨毯に喩えていた)、彼女と出会うまでの彼の華やかな女性遍歴などとも整合的である。情報ソースはこのインタビューと当時のネット上の反応への彼女名義のコメントに限られ、また一方の当事者は四半世紀以上前に世を去っており、慎重に扱うべき事例ではあるが、複雑な権力関係を伴うハラスメントの被害者が真実を語るまでにはしばしば長い時間を要することは広く知られている。この事例は近年の#MeTooムーヴメントの中で再び注目され、追加取材を行ったジャーナリストもいるようだが、現時点で大きな矛盾は見出されていない。

c0050810_18050026.jpg ただし、後期フェルドマン作品は実はマーカスが作曲した、という単純な話でもない。彼女の作品と後期フェルドマン作品の持続の質は違い、それは彼の中期までの創作の積み重ねに由来する(ちなみに彼女は、「私と出会うまでの彼の音楽は退屈」という姿勢)。ケージと出会ってからの彼は、映画音楽のような特殊な機会以外は基本的に無調で作曲を行ってきた。後期の作風への飛躍は決して小さくなく、彼女がいなければ不可能だった。ハラスメントに寛容な時代背景と、父親からの性的虐待を内面化していた彼女の背景が、DVの共依存に似た不幸な関係を生んだ(80年代までの彼女のキャリアが「優秀な弟子」としての評価に支えられていたことも否定はできない)。彼女の痛みを意識することで、宗教的崇高さに傾きがちだった彼の後期作品への視座が広がることに期待したい。


【cf. リンク集】

https://sentireascoltare.com/articoli/bunita-marcus-intervista-2014/

https://nmbx.newmusicusa.org/hearing-and-remembering-trauma-in-bunita-marcuss-the-rugmaker/

https://nmbx.newmusicusa.org/who-is-bunita-marcus/

http://slippedisc.com/2014/12/us-composer-accuses-another-of-sexual-violence/ (コメント欄付)

https://slippedisc.com/2017/08/did-the-composer-write-this-piece-for-a-woman-he-raped/ (コメント欄付)

http://www.good-music-guide.com/community/index.php/topic,28007.20.html

https://twitter.com/bunitamuse


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Triadic Memories is jointly dedicated to Aki Takahashi and Roger Woodward. After the first German performance, Morton Feldman laconically described it as the “biggest butterfly in captivity", and it is indeed vast, lasting over an hour and a half. During the eighties, Feldman's pieces began to escalate in length – compared to the 5-hour String Quartet No. 2 or the 4-hourFor Philip Guston, Triadic Memories is almost aphoristic. Why these enormous lengths? Feldman says: "Personally, l think the reason the pieces are so long is that form, as I understand it, no longer exists... I'm not looking so much for a new form, I’d rather substitute the word scale or proportion, and in music it's very difficult to distinguish between a thing's proportions and its form...My pieces aren't too long, most pieces are actually too short...lf one listens to my pieces, they seem to fit into the temporal landscape I provide. Would you say that the Odyssey is too long?”

Let's not argue about Homer; there are other factors. During the eighties, Feldman became obsessed with 19th century Turkish carpets. Part of this interest was financial, and allowed him to die rich. But the patterning of these carpets also became a (musical) preoccupation for him, and is reflected in titles of late pieces such as Why Patterns? and Crippled Symmetries.This interest led him to completely reassess the role of pattern and repetition in his work, and, as indicated above, of 'scale':

“Music and the designs or a repeated pattern in a rug have much in common. Even if it be asymmetrical in its placement, the proportion of one component to another is hardly ever substantially out of scale in the context of the whole. Most traditional rug patterns remain the same size when taken from a larger rug and adapted to a smaller one...

I was once in Rothko's studio when his assistant restretched the top of a large painting at least four times. Rothko, standing some distance away, was deciding whether to bring the canvas down an inch or so, or maybe even a little bit higher. This question of scale, for me, precludes any concept of symmetry or asymmetry from affecting the eventual length of my music.

As a composer I am involved with the contradiction in not having the sum of the parts equal the whole. The scale of what is actually being represented, whether it be of the whole or of the part, is a phenomenon unto itself. The reciprocity inherent in scale, in fact, has made me realize that musical forms and related processes are essentially only methods of arranging material and serve no other function than to aid one's memory.

What Western forms have become is a paraphrase of memory. But memory could operate otherwise as well. In Triadic Memories, there is a section of different types of chords where each chord is slowly repeated. One chord might be repeated three times, another, seven or eight – depending on how long I felt it should go on. Quite soon into a new chord I would forget the reiterated chord before it. I then reconstructed the entire section: rearranging its earlier progression and changing the number of times a particular chord was repeated.

This way of working was a conscious attempt at formalizing a disorientation of memory. Chords are heard repeated without any discernible pattern. In this regularity (though there are slight gradations of tempo) there is a suggestion that what we hear is functional and directional, but we soon realize that this is an illusion: a bit like walking the streets of Berlin – where all the buildings look alike, even lf they're not.”

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For Bunita Marcus was untypical of my music, but I’ll tell you exactly how I wrote it, formally speaking. Not the notes; the notes didn’t write the piece. I have a talent for notes, the way some people have a talent for catching fish or for making money. I have no problems with notes. I just pull them back out of my ear – no problem at all.

For me, rhythm doesn’t exist. I would rather use the term “rhythmicize.” I started to get interested in metre; for me, at the moment when you use it, it implies the question, “How do I get beyond the bar-lines?” I wrote down 4/4, left a little space, drew a bar-line and then I wrote over that bar-line. “The black hole of metre,” because some people shouldn’t come too close to the bar-line – there is a lot of music where the style tends to pull it across the bar-line.

For Bunita Marcus mainly consists of 3/8, 5/16 and 2/2 bars. Sometimes the 2/2 had musical importance, like at the end of the piece. Sometimes the 2/2 acts as quiet, either on the right or the left or in the middle of a 3/8 or a 5/16 bar, and I used the metre as a construction – not the rhythm – the metre and the time, the duration which something needs.

What finally interested me were the “development sections,” where I was using mixed-metre. It went 2/2, 3/4, 5/8 … so I used metre up to a certain point as a period of instability. I didn’t consider it a development section where I – I can’t find a better expression – developed the metre. Then, like every other composer, I thought, how much change is possible in this grid? And I said; accelerate it or slow it down. But I couldn’t make a definitive plan – that wouldn’t work. It can only work if you go along with the material and see how it is turning out.

Morton Feldman

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# by ooi_piano | 2018-04-04 21:40 | POC2017 | Comments(0)

Portraits of Composers (POC) 第32~第36回公演

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Portraits of Composers(POC) 第32~第36回公演

大井浩明(ピアノ)
JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分

3000円(全自由席) [3公演パスポート8000円 5公演パスポート12000円]
【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
チケット予約フォーム http://www.opus55.jp/poc.html


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【特別公演】 フェルドマン全ピアノ曲総攬・完結編

2018年4月15日(日)午後2時半開演(午後2時開場) 全自由席3000円 
えびらホール (品川区/東急旗の台駅より徒歩6分)
[要・事前予約] feldman2018@yahoo.co.jp
(※プライベートホールの為、詳しい場所はチケット予約されたお客様のみにお知らせします

モートン・フェルドマン (1926-1987):《三和音の記憶(トライアディック・メモリーズ)》(1981) 80分
●同:《バニタ・マーカスのために》(1985) 70分
上野耕路(1960- ):《Volga Nights(たらこたらこたらこパラフレーズ)》(2018、委嘱新作初演)10分


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2017年9月20日(水)19時開演 東音ホール(巣鴨) 浦壁信二+大井浩明(2台ピアノ)

●ストラヴィンスキー(1882-1971):《結婚(儀礼)》(1917)
●一柳慧(1933- ):《二つの存在》(1981)
●西村朗(1953- ):《波うつ鏡》(1985)
●篠原眞(1931- ):《波状 B》(1997)
●南聡(1955- ):《異議申し立て――反復と位相に関する2台のピアノのための協奏曲:石井眞木の思い出に Op.57》(2003/10)
●湯浅譲二(1929- ):《2台のピアノのためのプロジェクション》(2004)
●西風満紀子(1968- ):《melodia-piano I/II/III》(2014/15、世界初演)
(終了)




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●川島素晴(1972- ):《アクション・ミュージック》(2017、委嘱新作初演)
●アレッシオ・シルヴェストリン(1973- ):《凍れる音楽》(2015、世界初演)
●ジャチント・シェルシ(1905-1988):《組曲第8番「ボト=バ」》(1952、東京初演)〔全6楽章〕、《アクション・ミュージック》(1955、東京初演)〔全9楽章〕、《組曲第11番》(1956、東京初演)〔全9楽章〕
(終了)


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【ポック[POC]#33】 2017年11月4日(土)18時開演(17時半開場) ウストヴォリスカヤ全ピアノソナタ集
●水野みか子:《植物が決める時》(2017、委嘱新作初演)
●ドミトリ・ショスタコーヴィチ(1906-1975):ピアノ・ソナタ第1番 (1926)
●ガリーナ・ウストヴォリスカヤ(1919-2006):ピアノ・ソナタ第1番 (1947)、ピアノ・ソナタ第2番 (1949)、ピアノ・ソナタ第3番 (1952)、ピアノ・ソナタ第4番 (1957)、ピアノ・ソナタ第5番 (1986)、ピアノ・ソナタ第6番 (1988) (終了)



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【ポック[POC]#34】 2017年12月22日(金)18時開演(17時半開場) フェルドマン主要ピアノ作品
●由雄正恒(1972- ):《セクシー・プライムズ》(2017、委嘱新作初演)
●シュテファン・ヴォルペ(1902-1972):《闘争曲(バトル・ピース) I~VII》 (1942/47、日本初演)
●モートン・フェルドマン (1926-1987):《天然曲(ネイチャー・ピース) I~V》(1951)、《変奏曲》(1951)、《交点 2》(1951)、《ピアノ曲》(1952)、《外延 3》(1952)、《合間 1~6》(1950/53)、《交点 3》(1953)、《三つの小曲》(1954)、《ピアノ曲》(1955)、《ピアノ曲A(シンシアに)/B》(1956)、《当近曲(ラスト・ピース) I~IV》(1959)、《ピアノ曲(フィリップ・ガストンに)》(1963)、《垂直の思考 4》(1963)、《ピアノ曲》(1964)、《ピアノ》(1977)、《マリの宮殿》(1986) (終了)




c0050810_11215674.jpg【ポック[POC]#35】 2018年1月27日(土)18時開演(17時半開場) フィニッシー自選ピアノ代表作集
●木山光(1983- ):《ピアノ・ソナタ》(2017、委嘱新作初演)
●マイケル・フィニッシー(1946- ):《英吉利俚謡(イングリッシュ・カントリー・チューンズ)》(1977/1985)〔全8楽章 /I.緑なす草場 II.夏の盛りの朝ぼらけ III.花飾を君に贈ろう IV.5月と12月 V.嘘と奇蹟 VI.シーズ・オブ・ラヴ VII.愛おしい人 VIII.打てよ太鼓、吹けよ横笛〕、《ヴェルディ編曲集》(1972-2005)より「合唱付き七重唱: 見よ、この殿方はいかにして [エルナーニ]」 「ロマンツァ: 私はさまよい歩くみなしごに [運命の力]」、《音で辿る写真の歴史》(1995–2001)より終曲「陽光の食刻」(日本初演)、《「テレーズ・ラカン」から五つの断章》(1993/2005、日本初演)、《第三の政策課題(イギリスのEU離脱に抗して)》(2016、日本初演)、《ミュコノス》(2017、世界初演)
(終了)


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【ポック[POC]#36】 2018年2月24日(土)18時開演(17時半開場) 知命作曲家特集
●山口恭子(1969- ):《zwölf》(2001、日本初演)
●望月京(1969-):《メビウス・リング》(2003)
●原田敬子(1968- ):《NACH BACH》(2004、全24曲・通奏初演)
●田村文生(1968- ):《きんこんかん》(2011、委嘱作・東京初演)
●山路敦司(1968- ):《通俗歌曲と舞曲 第一集》(2011、委嘱作・東京初演)
●木下正道(1969- ):《「すべて」の執拗さのなかで、ついに再び「無」になること II 》(2011)
●西風満紀子(1968- ):《wander-piano II (harmony go!) 》(2015、日本初演)
●夏田昌和(1968- ):《ガムラフォニー II》(2009)、《センターポジション》(2018、委嘱新作初演)
●伊藤謙一郎(1968- ):《アエストゥス》(2018、委嘱新作初演)
(終了)



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POC2017:戦後前衛の裏側に踏み込む────野々村 禎彦

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 POCシリーズも今年度で7期目。前年度は19世紀生誕のモダニスト特集だったこともあり、もう「現代音楽」には戻ってこないのではないか? と不安だった方も少なくないだろうが、そんなことはない。ただし、何から何まで元通りではなく、若手・中堅作曲家への委嘱と組み合わせるスタイルは前年度を踏襲している。そして特集作曲家も戦後前衛の落ち穂拾いではなく、その枠組みを引っくり返した異能者揃い。戦後前衛の全貌をその前史も含めて辿ってきたのは、〈歓喜の歌〉よろしく、今年度のためだったのだ! 逆に、戦後前衛に物申せるのはこのレベルのアウトサイダーに限られ、チンケな折衷主義者の出る幕ではない、ということでもある。



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 まずはシェルシ。ダッラピッコラやペトラッシと同世代のイタリアの作曲家であり、マリピエロやカゼッラらとノーノやベリオらとの狭間の世代の存在と見る向きもありそうだが、とんでもない! 彼の音楽が広く知られるようになったのは1980年代に入ってからだが、微分音程のうなりに焦点を絞った誰にも似ていない音楽はその後数年で爆発的に演奏されてゆき、1988年に死を迎えた時点で「いまや20世紀後半の音楽は、シェルシ抜きでは考えられない」と評価されるまでになっていた。「メディチ荘で過ごしていると、変な老人が寄ってくるから気をつけろ」というローマ賞の先輩たちの忠告を守らなかったグリゼーとミュライユは、彼の音楽に導かれてスペクトル楽派の活動を始め、楽屋を訪れた「変な老人」の音楽に心酔して80年代の「シェルシ・ルネサンス」を牽引したのは、アンサンブル2e2mの主宰者メファーノ、アルディッティ弦楽四重奏団、チェロのウィッティ、コントラバスのレアンドル、ピアノのミカショフとシュレーダーら、錚々たる顔ぶれだった。

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 彼の死後程なく「ジャチント・シェルシ、それは私だ」と題するインタビューが音楽学雑誌に掲載され、1940年代半ば以降の彼の「作曲」は、即興演奏(の録音)を助手が譜面化したものだったと明かされたが、シェルシ名義の作品の評価が揺らぐことはなかった。その核心は微分音オルガンによる即興の録音を素材とする《1音に基づく4つの小品》(1959) 以降の作品であり、ピアノ独奏曲はその前史に位置付けられるが、これまで日本で主に取り上げられていたのは後期スクリャービンの面影が強い中庸を行く作品だった。ピアノのひとつの音を何時間も弾き続けて倍音構造に聴き入ることを通じて精神の平衡を取り戻した、というエピソードそのものの作曲復帰作《ピアノ組曲第8番》と、暴力性と瞑想性の両極を体現してピアノ独奏曲の時代を締め括る2曲《アクション・ミュージック》《ピアノ組曲第11番》という選曲は、彼の凄味をこの編成で体験するには最もふさわしい。

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 続くはウストヴォリスカヤ。ショスタコーヴィチが高く評価していた弟子の女流作曲家という扱いだったが、彼女の真価が知られるようになったのはシェルシよりも遅く、1990年代に入ってからである。シェルシの音楽の評価ポイントは、戦後前衛の音群音楽の抜本的アップグレードという、クセナキスの音楽と対をなすものだったが、ウストヴォリスカヤの根幹はあくまで調性音楽だった。だがそれは師の再生産に留まるものではなく、調性音楽の始源――後期モンテヴェルディがルネサンス音楽から訣別した瞬間に匹敵する暴力性を体現していた。旧ソ連の崩壊過程でグバイドゥーリナ、シュニトケ、ペルトらの演奏機会は増えたが、程なく新ロマン主義に飲み込まれて牙を抜かれていった。その中で、真のラスボスである「ハンマーを持った聖女」への関心が徐々に高まっていった。

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 シェルシのピークは1950年代末から1970年代初頭まで、戦後前衛の音群音楽のピークと時期は同じで、今回取り上げられるピアノ曲はその直前の姿を伝える。他方、ウストヴォリスカヤのピークは《コンポジション》3曲(1971, 1973, 1975) と交響曲第2番(1979)・第3番(1983) に絞られる。いずれもポスト前衛時代に書かれた特異な編成(例えば《コンポジション》第2番は、コントラバス8挺、ピアノ、巨大な木材とハンマー)のアンサンブル曲であり、「私の音楽は、生死を問わず誰の影響も受けていない」という言葉通りの音楽である。だが、彼女のピアノソナタ6曲が書かれたのは1947-57年と1986-88年、習作期を脱した直後と最晩年(交響曲第5番(1989-90) が彼女の最後の作品)であり、彼女のピークを想像するには少々物足りない。そこで、師ショスタコーヴィチが最も尖っていた時期のピアノソナタ第1番(1926) と並べて、彼女の異才を照らし出す形を取った。

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 そしてフェルドマン。ケージと並ぶニューヨーク楽派を代表する作曲家だが、「ケージは窓を開けた、私は少し閉めた」という言葉が、彼のスタンスを象徴している。ケージが易経に基づく偶然性の音楽を始めた1951年は、彼が図形楽譜に基づく作曲を始めた年でもあり、このふたつの手法が楽派の基本的語彙になった、ただし「偶然性」の理念は楽派で共有されても、ケージの音選択手法を採用したのはケージ自身のみで、他メンバーは専ら図形楽譜を採用した。ブラウンはジャズ畑出身、ウォルフも即興が得意なピアニストで、一音ごとに易を立てる家事労働のような地味な作業に耐えられたのはケージだけだった。フェルドマン以外は図形楽譜の自由度を高め続け、後にケージも可動プラスティック板に図形を描く「天才的発明家」らしい発想で参戦した。だがフェルドマンは1960年代まで、自由度を上げ下げする試行を地道に続けた。チューダーのような「図形楽譜解釈の専門家」以外にも弾いてほしかったからだが、この歩みを全曲演奏で追体験するのがPOC流である。

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 だが1970年代に入ると、彼は図形楽譜に限界を感じて五線譜に回帰する。ただしこれは米国実験主義からの「転向」ではなく、彼がイメージする音世界を図形楽譜を用いずに実現する書法を見つけた、と捉えるべきだろう。編成=タイトルで統一されているこの時期は、自ら「ベケットの時代」と呼ぶあたりからも想像される通り、無時間的な持続の微妙なテクスチャーの変化に的を絞った、極めて内省的な作風の時期である。この時期の中心は独奏楽器とアンサンブル(しばしばオーケストラ、彼に言わせれば「ペダルのないピアノ」)のための作品群だが、多くのピアノ曲を自ら初演してきた彼の出発点は引き続きピアノであり、アンサンブルを用いる意味は色彩を豊かにすることではなく、アタックの立ち上がりを消して滑らかな音表面を得ることだった。この時期を締め括る《ピアノ》は、いよいよ満を持して出発点に帰ってきた、このプログラムのクライマックスである。

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 ここで彼は作風を再び転換し、今度はペルシャ絨毯のような、少数の素材を果てしなく繰り返すが細部はその都度微妙に変化する、「記憶と忘却の対位法」の時期を迎える。数時間に及ぶ長大な作品も珍しくなくなり、編成は総じて小さくなる。記憶への引っかかりを重視すると、必然的に調性的な素材が用いられる。ピアノ曲にも《三和音の記憶》と《バニータ・マーカスのために》という大曲があり、近年は演奏機会も増えているが、今回取り上げられるのは《マリの宮殿》、長時間化から再び凝縮に向かい始めた最晩年の境地である。これで彼の全人生を辿った…ことにはならない。ケージと出会って図形楽譜を使い始める以前、ウォルペに師事していた時期が抜けている。今回はこの時期の素朴な調性音楽の代わりに、ウォルペの代表作《バトル・ピース》を日本初演する。12音技法による濃密な大曲であり、チューダーがブーレーズの第2ソナタやシュトックハウゼンの前衛時代の鍵盤曲を軒並み米国初演できたのは、このウォルペ作品で鍛えられていたからだった。

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 20世紀後半を代表する3人の次はフィニッシー。英国でファーニホウとともに「新しい複雑性」を始めた作曲家と紹介されがちだが、二人のスタンスは大きく異なる。ファーニホウが目指したのは、英国には存在しなかった戦後前衛第一世代の音楽を蘇らせることで、英国の保守性を早々に見限ってドイツで一時代を築いた。「新しい複雑性」の次世代を代表するバレットも英国を離れ、独自の活動をオランダで続けている。しかしフィニッシーは英国に残り、その保守性と折り合いながら活動を続ける道を選んだ。それが可能だったのは、彼が優れたピアニストだったことが大きい。保守的な同僚たちとは演奏家として関わり、創作では馴れ合わなかった。ピアノ曲を創作の中心に据えれば自分で演奏すれば良いので、演奏会企画でも馴れ合わずに済む。「新しい複雑性」とは言ってもピアニストらしくヴルトゥオーゾ志向が強いが、「英国音楽」の悪弊には染まらずに筋を通してきた。

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 今回は彼の自選プログラムだが、まず大井がプログラム案を送り、その改良案として選曲された。彼には全曲演奏すれば2時間ないし6時間という大曲がいくつもあり、昨年度のソラブジ回のようにそれ1曲という選択も有り得た。だが大井が求めたのは、代表作の《英国田舎唄》を中心に創作史を俯瞰するプログラムだった。彼のピアノ曲の一つの軸である「編曲もの」の代表として《ヴェルディ編曲集》抜粋、民衆音楽を素材にした最初の曲《テレーズ・ラカン》抜粋、全6時間の集大成的大作《音で辿る写真の歴史》の終曲、彼の知られざる軸である、政治参加の側面を代表する《政策課題》シリーズの最新作、この日のための新作。彼の全貌を体験できるまたとない機会である。

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 そして最後は大井の同年代アンソロジー。そもそもPOCの第1期は、戦後前衛世代と同世代の日本の作曲家を組み合わせるコンセプトだったが、この回はさらに細かく、同学年(1968年4月~1969年3月生)に限定した。当初は内外半々程度を想定していたが、曲を比較検討するうちに日本国内に絞った方が稔りが多いという結論に達した。現代音楽界において、日本が依然アウトサイダーなのは否めない。録音や委嘱に至るまで欧米の楽譜出版社中心に回っているこの業界で、この構造に組み込まれている日本の作曲家は一握りである。だがそれは、新自由主義の進行に伴う地盤沈下に巻き込まれずに済むということでもあった。今期のテーマは、形を変えながらどの回にも通底している。



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# by ooi_piano | 2018-03-02 05:57 | POC2017 | Comments(0)

2/24(土)「知命」作曲家特集/夏田昌和新作+伊藤謙一郎新作

ポック[POC]#36】 2018年2月24日(土)18時開演(17時半開場) 「知命」作曲家特集

大井浩明(ピアノ独奏)

JR渋谷駅徒歩8分、井の頭線神泉駅徒歩3分
3000円(全自由席)

【お問合せ】 合同会社opus55 Tel 050(5849)0302 (10~18時/水木休) Fax 03 (3377)4170 (24時間受付)
チケット予約フォーム http://www.opus55.jp/poc.html
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●原田敬子(1968- ):《NACH BACH》(2004、全24曲・通奏初演) 60分
  I.田崎悦子に II.中川賢一に III.ラースロ・シャーリに IV.フェルディナンド・デュボワに V.大宅裕に VI.ル・コルビュジェに VII.ジェームズ・テニーに VIII.稲垣聡に IX.間宮芳生に X.美加理に XI.アントン・ウェーベルンに XII.シュテファン・フッソングに XIII.ニューヨーク市に XIV.鈴木俊哉に XV.〈水のガムラン〉--廻由美子に XVI.吉村七重に XVII.〈間奏曲〉--子供時代に XVIII.三善晃に XIX.山根孝司に XX.ジェルジ・リゲティに XXI.ブライアン・ファーニホウに XXII.(From "BONE")--ジョージ・ヴァン・ダムに XXIII.(Bone Variation)--ジェルジ・クルタークに XXIV.未来に 

 (休憩10分)

●山口恭子(1969- ):《zwölf》(2001、日本初演) 4分
●望月京(1969-):《メビウス・リング》(2003) 7分
●田村文生(1968- ):《きんこんかん》(2011、委嘱作・東京初演) 10分
  I. きん - II. こん - III. かん
●山路敦司(1968- ):《通俗歌曲と舞曲 第一集》(2011、委嘱作・東京初演) 20分
  I. 滲んで消えてしまう理想 - II. 色褪せた世界を照らし出す僕らの胸に刻むように - III. 愛を誓う - IV. 乱反射 - V. 私のこと、答えはその - VI. ワンダーレボリューション

 (休憩10分)

●木下正道(1969- ):《「すべて」の執拗さのなかで、ついに再び「無」になること II 》(2011) 7分
●西風満紀子(1968- ):《wander-piano II (harmony go!) 》(2015、日本初演) 6分
●夏田昌和(1968- ):《ガムラフォニー II》(2009)、《センターポジション》(2018、委嘱新作初演) 15分
●伊藤謙一郎(1968- ):《アエストゥス》(2018、委嘱新作初演) 7分



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原田敬子:《NACH BACH I-XXIV》 (2004)
  突き抜けた個性と創造的スピリットを持ち合わせた音楽家、田崎悦子さん(ピアニスト)との出会いによって、全24曲70分の『NACH BACH』 を作曲することになりました。田崎さんとは2001年頃から、草津、ニューヨーク、東京、八ヶ岳などあちこちで、折に触れて濃い時間を共にしました。
  田崎さんは J.S. Bachの『平均律クラヴィーア集』を敬愛し、2004年のリサイタルシリーズでプログラミングするにあたり日々アイデアを練っておられて、ある日 「『平均律・・』に関係する作品を作ってほしい」、とリクエストを受けました。
  私は『平均律…』第一巻の各曲の、プレリュードかフーガのいずれかを任意で選び、各主題の音組織を全く自由に並び替えることで、各曲に対応する全24曲を作曲することにしました。特殊奏法を予め禁止されたので、ピアノという楽器は、当然ながら「12の音高」から逃れられない、いわば古典楽器となりました。そこで様々考え抜いた末、音高から逃れられないなら、敢えて音高を主役に作曲しようではないかと決めました(それで『平均律・・』の各曲の主題音列を並び替えるという手段をとった)。私にとっては、幼少期から10代を除き、音高が支配的ポジションを占める楽器での独奏曲作曲は難関です。いくら組み合わせが無限にあるとしても、音高から逃げられずに音楽の中身そのものを新たに創造することは至難で、逃げ場は一切ありませんでした。
  各曲は、私が影響を受けてきた、主に芸術関係者へのオマージュとして作られていて、演奏者と聴衆が、それらオマージュの人々と間接的に出会うことを意図しました。オマージュの人々の個性が、私に与えてくれたインスピレーションは計り知れなかったからです。そしてありったけの力で、真剣に、とことん遊んだ作品となりました。 (平均律クラヴィーア集第1巻の、どの曲がどのオマージュに関連しているかは非公表。)
  今回、音楽家として同期の大井浩明さんに取り上げて頂けるご縁に驚き感謝しています。そして今回が全24曲通奏としては初めての機会となります。(田崎さんは12曲ずつ2夜に分けて世界初演)。 (原田敬子)


原田敬子 Keiko Harada, composer   
  1990年代半ばより「演奏家の演奏に際する内的状況」に着目し、主に音楽的身振り、時間構造、音楽的テンションにおいて独自の作曲語法を追求している。作品は国内外の主要な音楽祭や放送局、アンサンブル、管弦楽団やソリストの指名により委嘱を受け、演奏の国際コンクール課題曲にも選定されている。日本音楽コンクール第1位、安田賞、Eナカミチ賞、山口県知事賞、芥川作曲賞、中島健蔵音楽賞、尾高賞ほかを受賞。国内外で異分野とのコラボレーション多数。作曲を川井學、三善晃、Brian Ferneyhoughに、ピアノと室内楽を間宮芳生、Gyorgy Kurtag に師事した。
  '15年 サントリー芸術財団主催、管弦楽作品による「作曲家の個展」、'16年 ISCM台湾支部の招聘で「臺北国際現代音楽祭」のテーマ作曲家として「室内楽曲の個展」に加え、新作の舞台作品が初演された。また日本の各地域で育まれた楽器や声のフィールドワークを行い、日本独自の美学や表現を、新たな響きと身体表現によって再発見する「伝統の身体・創造の呼吸」を開始('15)、第1回は鹿児島伝統の薩摩琵琶にとって約130年ぶりとなる新曲を作曲(西行法師 句)、鹿児島本土の人々の協力と支援の元、鹿児島市で初演。3枚目の自作品集CD「F.フラグメンツ」(ドイツWERGO、キングインターナショナル出版)は、レコード芸術「特選盤」となり、同アカデミー賞のファイナリスト、朝日新聞 推薦盤('14) 。'17年には4枚目の自作品集CD「ミッド・ストリーム」(WERGO)がブレーメン放送局の最後の現代音楽プロジェクトとして収録、リリースされた。
  ’18年以降は「伝統の身体・創造の呼吸」vol.2 として、世界自然遺産登録を目指す日本の南西地域の音楽(島唄・三線)をフォーカス、第1回は「喜界島」を特集。その他、日本とロシア主催「シアター・オリンピックス」委嘱を受け、振付家の金森穣氏と組み世界初演作品(舞踊 x 音楽)を発表予定。
  現在 東京音楽大学 (作曲芸術) 准教授、桐朋学園大学 非常勤講師。また桐朋学園大学附属音楽教室や静岡音楽館(AOI)などで毎年70名以上の子どもたち(小1〜高3)への作曲体験クラスや楽曲分析、楽曲解釈講座を担当している。作品は (株)全音楽譜出版社、(株)東京コンサーツ、Edition Wunn (ドイツ)が出版、管理。 https://www.keikoharada-music.com/



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山口恭子:《zwölf 》(2001)
  オランダ人ピアニスト、Marcel Wormsより「ブルースにインスパイアされた作品を」との依頼を受け、作曲。それまであまりジャズやブルースを聴き込んだことのなかった私にとっては難題であったが、それ以降、意識的に様々なジャンルの音楽を聴くようになる節目となった作品でもある。典型的なブルースの中核は、12小節から構成される。この作品もいわゆる12小節のテーマとその変奏で作られている。それ以外にも「zwölf(ドイツ語で12)」は重要な数字である。曲中ほぼすべての音は完全12度、完全5度、または完全4度に由来する。(山口恭子)

山口恭子 Yasuko Yamaguchi, composer
  1969年長崎県生まれ。1991年東京芸術大学作曲科卒業。2000年ロベルト・シューマン音楽大学作曲専攻修了。1989年第13回神奈川県芸術祭合唱曲作曲コンクール、1992年第8回現音作曲新人賞入選。2005年デュッセルドルフ市奨励賞(音楽部門)受賞。2016年ニーダーザクセン州・シュライヤーン村の芸術家の家にレジデンス、2018年にはドイツ文化省より奨学金を得て、イタリア・ヴェネツィアのドイツ研究センターにおけるレジデンスが決まっている。ノルトラインウェストファーレン芸術財団、デュッセルドルフ音楽堂等より委嘱多数。多くの作品がStudio Musikfabrik(ドイツ)、De Ereprijs(オランダ)、Ensemble Espai Sonor(スペイン)、新日本フィルハーモニー交響楽団、オーケストラ・アンサンブル金沢、東京シンフォニエッタ等の演奏団体により、ガウデアムス音楽週間1999(オランダ)、ミュンヘンビエンナーレ・クランクシュプーレン 2008(ドイツ)、ADEvantgarde 2009(ドイツ)、ミュージック・フロム・ジャパン・フェスティヴァル 2010(アメリカ)、rainy days 2012(ルクセンブルク)、Vertixe Sonora Vigo 2015(スペイン)等のフェスティヴァルで演奏されている。また2007年5月にドルトムントで、2008年9月にはデュッセルドルフで室内楽作品の個展が開かれた。現在フリーの作曲家としてドイツ・デュッセルドルフに在住。 http://www.yasukoyamaguchi.de/


望月京:《メビウス・リング》(2003)
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  オーストリア・クラングシュプーレン音楽祭委嘱。2003年9月13日インスブルックにてニコラス・ホッジスにより初演。
  メビウス・リングとは、帯の一端を180度ひねってもう一方の端と留めた輪のことで、この帯状の輪の表面上を辿ると、常に同じ表面上にありながら、ひねった 帯の裏と表を絶えず行き来するというパラドックスを発見したドイツの数学者アウグスト・フェルディナント・メビウスの名にちなんで名付けられました。
  私の《メビウス・リング》は、冒頭提示される拍動リズムに基づく変奏曲の連なりで、各変奏ごとにその拍動リズムから遠ざかろうとするものの、姿や速度を変えつつ常に原点に戻ってきてしまうというプロセスを繰り返します。(望月京)



c0050810_09282488.jpg望月京 Misato Mochizuki, composer
  1969年東京生まれ。東京藝術大学大学院作曲専攻およびパリ国立高等音楽院作曲科、楽曲分析科修了。1996~97年IRCAM(フランス国立音響/音楽の探究と調整研究所) 研究員。
  繊細さとダイナミズム、多彩な音色やバランス感覚に優れたユニークな作風が各地で注目を集め、ザルツブルク音楽祭、ウィーン・モデルン、ベルリン・ムジークビエンナーレ、ヴェネツィア・ビエンナーレ、サイトウ・キネン・フェスティバル(松本) など、数多くの主要音楽祭等で作品が初演/再演される。パリの秋芸術祭、アルス・ムジカ音楽祭(ブリュッセル)、アムステルダム・ムジークヘボウ、サントリーホール、ミラーシアター「作曲家の個展シリーズ」(ニューヨーク)などでは、オーケストラやアンサンブル作品による個展が開催され好評を博す。現在、国内外でもっとも活躍する作曲家のひとりである。
  講演や作曲の講師として招聘されることも多く、社会や芸術に対する幅広い興味や関心、知識に裏付けられた講義、また2008年より8年間読売新聞に連載した「音楽季評」をはじめとする執筆活動も高く評価されている。ダルムシュタット国際夏期講習会(ドイツ)、ロワイヨモン国際作曲セミナー、コレージュ・ド・フランス、ニース国際音楽研究センター、パリ・エコール・ノルマル音楽院、ウィーン芸術写真学校、ニューヨーク・コロンビア大学、アムステルダム音楽院、武生国際音楽祭等で講師を務める。
  1995年第64回日本音楽コンクール作曲部門第1位及び安田賞、2000年芥川作曲賞、2002年アルスムジカ音楽祭聴衆賞(ブリュッセル)、2003年芸術選奨文部科学大臣新人賞、出光音楽賞、 2005年尾高賞、2008年ユネスコ国際作曲家会議グランプリ(ダブリン)、2010年ハイデルベルク女性芸術家賞などを受賞。作品はドイツのBreitkopf & Härtel社より出版、Kairos(2002年)、Neos(2014年)の各レーベルよりCD作品集がリリースされている。2018年は、クロノスカルテット委嘱作品や新しい経済システムを考えるアニメと音楽のためのアンサンブル作品の作曲、また1月から6月まで日本経済新聞でのコラム連載(毎土曜夕刊)などが予定されている。現在、明治学院大学文学部芸術学科教授。 http://www.misato-mochizuki.com/



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田村文生:《Ding Dong Ding - きん こん かん》(2011、委嘱作・東京初演)

  私が過去にピアノ独奏のために作曲したものは、1994年に1曲、1996年1曲の僅か2曲と少ない。どちらも、ある種の限定を設定することから作曲が始められた。前者は、ピアノの音域(上半分のみ)と音の出現順を限定(一種の音列作法)、一方後者は、中央の1オクターブのみを用い、常に最高音と最低音で小節を開始する・・・という具合である。
  88個の鍵盤、合計200本近くの弦を持つ楽器が身近にどれだけあるだろうか?ピアノ曲とは「200人までの音楽」という潜在的なものの中からの抽出結果、ということになるかと思うが、良く考えてみると、音を出すための手は2本、指は10本、(クラスターでもなければ)それによって瞬時に発音できる音は、せいぜい15個以下ということになる。それを踏まえると、この楽器は(もちろん鍵盤楽器全般においても)特殊な演奏様式を持つ楽器と言えるかも知れない。しかしそれこそが「ピアニスティック」なものであると言えるだろう。その意味では、例えば、200(弦)対15(指)の関係によってイディオム化される「ピアニスティックなもの」に対して、15(弦)対15(指)で(あるいは200対200で)イディオム化されるそれは全く異なるであろうことは想像に難くない。
  いずれにせよ「作品」とは、楽器や演奏様式などの様々な側面に、ある種の「限定」を設定することによって異化された状態の表出であり、同時に、楽器そのものに対する、また、それを作品としてどのように記してゆくかという作者の見解を反映するものであろう。

 さて、この作品における限定とは何か。明白に音域が限定されているわけでもなく、特定の音階や音列への固執が本来的である訳でもないが、音高素材や展開の限定という意味ではミニマリズムからの、運動の限定という意味では点描主義的なものからの、そして、倍音を部分抽出したかのような響きは音響派からの、どれもある種の限定の要素が顕著に見られる音楽的傾向からの影響があるように思う、それらは以下のような点に要約されるであろう。

・限定された響きからの逸脱、響きの変調
・音響構造と旋律的・身体的運動の限定(あるいは排除)
・音程構造の限定と響きの単純な段階的推移

  木村カエラ「Ring a Ding Dong」を思わせるタイトル(・・・或いは和田アキ子やF.リストでも良いが・・・)は、作品を発想する際のアイデアや部分的な音響構造が、埼玉県川越市の「時の鐘」の音を周波数分析した結果に基づいていることに由来した、いわゆる、「カンパノロジー」的な発想を示している。微分音を含む音響構成を平均律で調律されたピアノによって再現すること自体が殆ど不可能であるが、鐘は、音響構成のヒントとして作品に反映されている。(田村文生)


田村文生 Fumio Tamura, composer
  東京都杉並区に生まれ、埼玉県川越市に育つ。東京藝術大学大学院およびGuildhall School of Music and Drama, London大学院修了。1995年から97年まで文化庁芸術家在外研修員としてイギリスにて研修。作曲を北村昭、近藤譲、松下功、R,サクストンの各氏に師事。これまでにVallentino Bucchi国際作曲コンクール(ローマ)、安宅賞、文化庁舞台芸術創作奨励特別賞、朝日作曲賞、国立劇場作曲コンクール、ジェネシスオペラ作曲賞(ロンドン)審査員特別賞などに入選・入賞。作品は、アジア音楽祭、東京の夏音楽祭、Spitalfields音楽祭(ロンドン)、The State of the Nation音楽祭(ロンドン)、アンジェリカ・フェスティバル(ボローニャ)、アジア作曲家協議会音楽祭(ソウル)2003、国際現代音楽協会(ISCM)世界音楽の日々(香港)など、各地で演奏されている。
  日本作曲家協議会、日本電子音楽協会、作曲家グループTEMPUS NOVUM、邦楽器アンサンブル日本音楽集団各団員・会員。現代音楽演奏団体Ensemble Contemporary α代表として現代音楽の演奏会企画・制作に携わる。教員として神戸大学、姫路市立生涯学習大学校、神戸シルバーカレッジ、神戸女学院大学に出没。  http://www.edu.kobe-u.ac.jp/hudev-bunsay/



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山路敦司:《通俗歌曲と舞曲 第一集より From "Popular Songs and Dances Vol.1"》(2011、委嘱作・東京初演)

  実は僕は現代音楽から興味を失ってしまっていて、かれこれ10年以上コンサートのための器楽曲を書いてなかったんです。その間何をしていたかというと、コンピュータミュージックやメディアアート、そして情報デザインの分野で作品を作ったり考えたりしていました。現代音楽は遠くから眺めていただけなんですけど、それでも自分が40歳を越えた時にもう一度現代音楽を書こうと、心の中でひっそりと決めていました。そして、40歳を越えてしまったなという時、丁度よいタイミングで大井君から作曲の委嘱を受けたんです。しかもTwitter経由で。かつて僕らが20代だった頃、大井君と初めて会った時に見せてくれた公演企画書というのがあって、当時、企画書を書いてプレゼンする演奏家がいるってことがとても新鮮だったわけですが、初対面の僕に向かって大井君は演奏会の企画意図を力説していたのです。どんな企画かっていうと、同世代というか同級生の作曲家によるオーセンティックな関係を探るということだった。40歳を越えた今、今回はその時と同じというか延長にある企画でした。喫茶店のテーブルの向こうで、すごい勢いで喋る20代の大井君がとっさに思い出された。僕は10年以上の月日を遠く思いながら、この委嘱を引き受けることにしました。ブランクの間に自分の中にあちこち散在しながら溜まってきたものどもを整理するために。そして現代音楽を作曲するリハビリも兼ねて。

  最初に大井君の演奏を聴いた時、その超絶技巧と音楽を読み解く力に圧倒されました。彼の巨体で鳴らされるクラスターが素晴らしく美しい響きだった。その後、彼もヨーロッパに留学し、現代音楽に留まらず古楽演奏にも活動の幅を広めたと聞きました。じゃあ今回の曲はクラスターと装飾音を素材として用いようと単純に考えました。大井君の「音響体」としてのダイナミックレンジと繊細さを引き出そうと考えたわけです。
  実際の作業工程としては、ピアノを初めて触る子供がよくやる即興演奏のような、あえて稚拙で単純なフィジカルなアイデアをスケッチし、それをコンピュータのアルゴリズムを使ったりして、デザインとして音楽をとらえるというスタンスでディテールを詰めていきました。言うまでもなく、僕が机上というかコンピュータの画面上で実際にどんな作業をしたのかなど、演奏の結果には何も関係ないことですけれど。でもそこには僕がこの10年の間にやってきたこと、建築家や現代美術作家とのコラボレーションで経験したことなどの影響もあるかと思います。
  僕の中にある既成的な構成感覚を捨てて突き放す。そしてまた引き戻すことを何度も繰り返しながらこの作品を完成させました。しかし結果的にはライヴでそれをも破壊させてしまうスリリングさと寛容さこそが、同時代における作曲家と演奏家のオーセンティックな関係だと思っているわけです。(山路敦司)


山路敦司 Atsushi Yamaji, composer
  クラシック、現代音楽の作曲家として活動する傍ら、映像音楽からポピュラー音楽まで幅広く手掛ける。特にコンピュータ音楽やノイズ音楽において多くの海外の音楽祭で作品が発表され高く評価されている。Cartier、Panasonic Latin America 等の企業CM音楽の他、クリエイティヴユニット・TOCHKA(トーチカ)とのコラボレーションによる一連のアニメーション作品は上海万国博覧会や世界中の映画祭で入選し上映されている。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。スタンフォード大学Center for Computer Research in Music and Acoustics(CCRMA)客員研究員、国際情報科学芸術アカデミー(IAMAS)を経て、現在は大阪電気通信大学総合情報学部教授を務める。武満徹のポピュラー・ソングと映画音楽に関する実証研究により京都市立芸術大学にて博士号取得。映画『悲しき天使』(監督:大森一樹)で第2回おおさかシネマフェスティバル音楽賞受賞。デレク・ジャーマン監督の盟友として『カラヴァッジオ』『ラスト・オブ・イングランド』『BLUE』など多くの作品を手掛けた音楽家、サイモン・フィッシャー・ターナーとの協同作業による映像作品『Dies Irae』(監督:若桑江織)でミラノ・ファッションフィルム・フェスティヴァル入選。その他、ビデオゲーム『龍が如く』『けいおん!放課後ライブ!!』ほか長年に渡りゲーム音楽を多数手掛ける等、ニューメディアとしてのサウンド表現の可能性を追求しながら芸術とエンタテインメントの領域を横断する活動は多岐にわたる。 http://sushilab.jp



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西風満紀子:《wander-piano II (harmony go!) 》(2015、日本初演)
  近年、旋律について考えながら創作を続けている。
  wander - piano II (harmony go!) は和音のみで構成されており、異なる縦の響きの連続で一つの大きな流れ(旋律)を紡ぎあげるよう試みた。
  wander さまよう go 行く
  音の流れがどこへ向かうのか、ピアニストが探しながら歩み行くのを聴衆が寄り添うよう聴くことができればと願う。(西風満紀子)

西風満紀子 Makiko Nishikaze, composer
  和歌山県出身。ベルリン在住。作曲家、ピアニスト、サウンドパフォーマー。愛知県立芸術大学卒業後、ミルズカレッジ大学院(カリフォルニア)を経てベルリン芸術大学大学院修士課程修了。
  これまでドイツ国内をはじめ、カリフォルニア、オーストリア、イタリア、アイスランド、スイスなど各地のアーティスト・イン・レジデンスに招待されている。ベルリンの芸術アカデミー(Akademie der Künste)の奨励賞など様々な賞を受賞。ベルリン市、その他各地の機関から委嘱、助成を受けながら活動を展開中。様々な楽器や声のための作品のほか、最近は特殊な空間で上演する大掛かりなプロジェクトに取り組むことが多い (spatial music/ Räumliche Musik)。ppt (2013), morepianos I, II (2014) wanderlied (2015) など実験的なパフォーマンスを作品の中に取り入れ、通常のコンサートの枠を超えた表現方法を追及している。2018年は朝食をテーマにした新しいミュージックシアター、breakfast operaが実験音楽のアンサンブルDie Maulwerkerによってベルリンで上演される。
  またピアノ、クラヴィコード、チェンバロなど鍵盤楽器の自作自演も活動の中心である。古い鍵盤楽器のために特殊な新しい演奏技術を取り入れるのではなく、楽器そのものの特性を生かしつつ多様な音色を引き出せるような作品作りを試みている。楽器を使わない音のパフォーマーとしての活動も活発に行っており、ドイツ語の“musizieren”- 音楽すること、という言葉をモットーに、作曲と演奏・パフォーマンスを合わせた独自の創作活動を目指している。 http://www.makiko-nishikaze.de/


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夏田昌和:《Gamelaphony II》 (2009)
  この作品は、ピアニストの左右の手を独立した2つのガムラン・アンサンブルと看做し、その同時演奏によって複層的な時間感覚と複調的な旋法感覚による音楽体験を生み出そうと試みたものである。主部においては、リズム転調によって結び合わされる4つの基本テンポ(160、120、90、68)上において、2種の基本パルス(16分音符と8分音符の3連符)の2、3、4、5つというグルーピングによって生み出される、13種のヴァーチャルなテンポ感の26通りの組み合わせを、左右の手による2つのガムランが一つずつ試していく。また音高システムでは、ガムラン音楽にもともと見られるペログとスレンドロに近い2つにその変種3つを加えた計5種の5音音階が、左右のガムランに補完的に(互いの構成音が重複しないように)組み合わされる。
  微分音程によって12平均律の響きを越えることを創作の大きな柱としている私にとって、内部奏法もプリペアードも用いないピアノのために音楽を書くことはかなりの難題である。紛れもなく金属打楽器の一種であるピアノの鍵盤をある種のガムランに見立てることは、ドビュッシー以来珍しいことではない(中でもプーランクの素晴らしい2台ピアノの協奏曲や、リゲティのピアノ・エチュードを特に挙げたいと思う。)が、 私にとってはこの作品が書かれたのが主に夏であったこと、そしてこの季節になるときまってブラームスよりはガムランを聴きたくなることと関係していなくもない。
  飯野明日香さんよりの委嘱作品として書かれ、彼女のリサイタルで2009年に初演された。その後演奏上の困難さから4手連弾や2台ピアノの形でも何度か再演され、そちらは大変好ましい結果を得ている。ソロでこの難曲に大井さんが挑まれるは二度目であり(一度目は関西であったこともあり、私自身は聴けなかった)、その果敢な挑戦の行方を期待をもって見守りたいと思う。(夏田昌和)

夏田昌和:《センターポジション》(2018)
  昨年の夏、新作の構想をまだ全く練ってもいない頃に、大井氏から「”チラシ用の仮タイトル”が欲しい」とのご要望を頂いた。さすがに内容も何も決まっていない時点であったので「とりあえず<新作>にしておいて欲しい」と返したのだが、どうにも許してもらえず、かわりに氏の方から提案してきたタイトル候補の一つが<センターポジション>というものであった。氏曰く「Googleで『なつだ』で検索して、最初の画面から文字列を抽出した」そうである。(因にこの時提案された残りの候補3つは<赤帽急便> <きせつのうた> <全員集合>)
  ということで当初はあくまで”かりそめの”タイトルであったのだが、しかしそのうちに「このタイトルを出発点に音楽を構想してみたらこれ如何に?」と発想を転換し、そこで出来上がった(出来上がりつつある)のがこの楽曲である。ピアノの鍵盤は1オクターヴ内の12音が白鍵7つと黒鍵5つで構成され、レの音を中心に置くと白鍵・黒鍵の並びが左右(上下)対称となる。またこれを弾く人間の手も、鍵盤の上では親指同士が内側、小指が外側という左右対称の形となる。この構造をピアノの広い音域に敷衍し、真ん中付近の一点ニ音(D4)を「センターポジション」として左右(上下)対称の形を保ちつつ、全ての楽想を展開させることにした。(夏田昌和)


夏田昌和 Masakazu Natsuda, composer
  1968年東京生まれ。東京芸術大学及び大学院にて永冨正之、野田暉行、近藤譲の各氏に作曲を、パリ国立高等音楽院にてジェラール・グリゼイに作曲、ジャン・セバスティャン・ベローに指揮を学ぶ。同音楽院作曲科を審査員全員一致による首席一等賞及び音楽院卒業生協会によるEbersold賞を得て卒業。作曲と指揮の両分野において、出光音楽賞や芥川作曲賞をはじめとする様々な賞を国内外にて受賞し、アンサンブル・アンテルコンタンポランやフランス文化省、サントリー音楽財団他より数多くの作品委嘱を受ける。作品はISCM(横浜)やザグレブ・ミュージック・ビエンナーレ、メルツ・ムジーク(ベルリン)、マンカ音楽祭(ニース)、ミュージック・フロム・ジャパン(ニューヨーク)、アヴァンティ夏期音楽祭(フィンランド/ポルヴォ)、大邱国際音楽祭(韓国)、武生国際音楽祭(日本)、プレザンス(パリ)などにおいて紹介され、オランダ放送交響楽団、ベルリン交響楽団、新日本フィルハーモニー、東京交響楽団、アンサンブル2e2m、アンサンブル・アンテルコンタンポラン、アンサンブル・ルシェルシュ、アンサンブル・クール・シルキュイ、ジュリアード・パーカッション・アンサンブル、東京シンフォニエッタをはじめとした著名なオーケストラやアンサンブル、クロード・ドゥラングル(Sax.)やバリー・ウェッブ(Trb.)、セドリック・ティベルギアン(Pn.)などの優れたソリストによって、世界各地で幅広く演奏されている。
  指揮者としてもアンサンブル・コンテンポラリーαやアンサンブル・ヴィーヴォなどの団体と共に、数多くの邦人新作の初演や海外現代作品の紹介に携わり、その数は現在までに合わせて120曲を超えている。なかでもグリゼイの<Vortex Temporum I~III>や<境界を超えるための4つの歌>、ライヒの<Tehillim>といった大作の日本初演は特筆に値しよう。また市民オーケストラへも数多く客演し、若い世代の現代音楽演奏家の育成にも貢献してきた。
  主要な作品に、オーケストラ作品として <アストレーション>、<重力波>、室内オーケストラ作品として <巨石波>、<交差光>、<レ、ファ、ラによるタブロー>、<収斂>、室内楽作品として <西、あるいは秋の夕べの歌>(BIS-CD, Editions Henry Lemoine)、<ギャロップ>、<落下>、<二重にされた古の歌> 、声楽作品として <良寛の二つの詩>(BIS-CD)、<ノヴァーリスによる12声のコラール>、邦楽器作品として <啓蟄の音> などが挙げられる。指揮者の阿部加奈子と共に日仏現代音楽協会を設立し、初代事務局長を務めた。2013年にはオペラシティーリサイタルホールで大規模な室内楽個展が開催されると共に、ジパング・プロダクツよりCD「先史時代の歌 ~夏田昌和作品集」他がリリースされている。 http://imusika.com/musicians/natsuda.html


c0050810_20145552.png伊藤謙一郎:《アエストゥス》 (2018)
  この曲は、今回の演奏企画「『知命』作曲家特集」のために、大井さんから依頼を受けて書かれたものです。
  企画のお話を伺って、ふと、これまでの自身の「生い立ち」を振り返りました。その中での数々の必然・偶然の出来事の集積(そしてそれはまさに今も現在進行形なわけですが)が私にとって大きな意味をもっていることを改めて強く感じました。それとともに、さまざまな事象や出会いによって常に影響を受けて「変化」した(しつつある)自分と、生来の性格や志向に縛られた変え難い「不変」の自分がいて、「変わるもの」と「変わらないもの」を捉え直す機会ともなりました。
  タイトルの「AESTUS」(アエストゥス)は「炎」や「波」(あるいは「炎熱」「うねり」「情熱」「激情」など)を意味するラテン語ですが、この曲はそれらの様相を音で描こうとしたものではなく、作曲の基本的なアイデアを言葉に置き換えたに過ぎません。そのアイデアは、今から22年ほど前に書いた木管五重奏曲やピアノソロ曲(今回の曲はそれ以来の2作目になります)と共通する部分があり(もちろんそれらの作品を書いたときと今とでは創作における意識も姿勢も異なりますが)、さらにもう一歩推し進められないかという課題としていつも頭の片隅にありました。「炎」も「波」も一つの事象ながら、その形象は常に流動的です。作曲上のアイデアを表す言葉であるとともに、前述の「生い立ち」の一部分を成す20数年という時間の中での自身の創作での変化・不変のありようを象徴する言葉としてタイトルにしました。
  曲は、最小で1.1秒、最大で51秒の長さをもつ複数の断片を結合して構成されています。それらの断片をつくるにあたっては次のような外面的特徴をもつ7つの素材を単独で、あるいは断片の中での主要度・使用頻度の観点で「主素材」「副素材」に設定して組み合わせています。
  (1)連続的フレーズ(同音反復)
  (2)連続的パッセージ(音高変化)
  (3)分節的フレーズ(同音反復)
  (4)文節的パッセージ(音高変化)
  (5)短い持続性をもつロングトーン(同音反復)
  (6)短い持続性をもつロングトーン(音高変化)
  (7)長い持続性をもつロングトーン(音高維持)
  上記の素材は、さらに「前打音」「大幅な跳躍音型」「和音形態」といった副次的要素を特定の周期で伴って現れます。また、8つに区分した音域のどれを使用するかも厳格に適用し、「主素材」「副素材」の組み合わせがすべて異なるよう配置されています。
  なお、音高の要素としては、「AESTUS」の初めの3文字「A」「E」「S」からそれぞれ「A音」「E音」「Es音」を導き、この3つの音を曲全体の支配音と位置づけています。そして3つの音を核に複数の音列を作り、水平的(フレーズやパッセージ、断片の中心音)にも垂直的(音響体)にも限定性をもたせています。
  このような素材や諸要素を一定の規則で配置・変換することで、「変化」と「反復」のさまざまな様相が1つのテンポ(♪=126)での時間の流れの中で織り成され、かつ統一的な音楽表現を創出する試みを行っています。

  ところで、大井さんとの最初の出会いは、私が留学していたソウルで1995年の秋に行われた「パン・ミュージック・フェスティヴァル」で、演奏者として来韓された大井さんを金浦空港に迎えに伺った日でした。大井さんの滞在先となっていたソウル大学のゲストハウスまでの車中、大柄な体格でありながら(失礼!)、京都弁の軽妙な語り口で矢継ぎ早に初対面の私に話をしてくださる姿に強い印象を受けました。演奏は、さらにその印象を凌駕する衝撃的なものであったのは言うまでもありません。もちろん、大井さんとの出会いも私の「生い立ち」の中で大きな意味をもつものとして刻まれているのですが、今回このような形で作曲の機会をいただいたことに心から感謝申し上げる次第です。(伊藤謙一郎)


伊藤謙一郎 Ken-ichiro Ito, composer
  東京生まれ。1989年、尚美学園短期大学ピアノ専攻卒業。1994年、国立音楽大学作曲学科首席卒業(有馬賞受賞)。1995年から1998年までソウル大学校音楽大学大学院作曲科に学び、帰国ののち自作に関する修士論文を提出して2001年に修了。作曲をトーマス・マイヤー=フィービッヒ、大村哲弥、姜碩熙の各氏に師事。
  第1回東京国際室内楽作曲コンクール第3位入賞、第13回現音作曲新人賞、’97大田現代音楽祭(韓国)入選。
  主要作品に《Intentionale Figuren》[Fl.](1993年/初演:’97大田現代音楽祭)、《FRACTAL》[Fl. Ob. Cl. Hrn. Bsn.](1995-96年)、《Self-Similar Set》[Pf.](1996年/初演:第13回現音作曲新人賞)、《NOCTURNUM》[Vc.](1998年/初演:ソウル大学校音楽大学大学院修了演奏会)、《Glide-Grade-Grain》[Cl.](2010年/初演:現音・特別音楽展2011)があり、Pan Music Festival、2nd Arts Festival Dimension、アジア音楽祭などでも演奏されている。
  現在、東京工科大学メディア学部准教授。日本作曲家協議会会員。 http://www.teu.ac.jp/info/lab/teacher/index.html?id=1551




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cf. POC第1回~第5回公演における〈知命〉作曲家・全ピアノ作品集と演奏動画

【ポック[POC]#1】 2010/9/23
野村誠(1968- )《DVがなくなる日のためのインテルメッツォ》(2001) 、《ロシアンたんぽぽ》(2004/10、ピアノ版初演) 、《誰といますか》(2004/10、ピアノ版初演) 、《ベルハモまつり》(2009、東京初演) 、《六つの新しいバガテル ~松下眞一のタイトルによる空想作曲》(2010、委嘱新作初演) [VII. フーリエ変換 - VIII. アンダルシアに - IX. 月の光 - X. シャンソン - XI. 語れや、君、そも若き折、何をかなせし - XII. 主よ、主よ、そは現し世なり]

【ポック[POC]#2】 2010/10/16
●山本裕之(1967- ):《東京コンチェルト》(1993)、《フォールマ》(1996)、《月の役割》(1999)、《テレプシコーレ舞踏者》(2000)、《足の起源I/II》(2002/2004)、《ハウス・カスヤのための音楽》(2005)、《東京舞曲》(2010、委嘱新作初演)

【ポック[POC]#3】  2010/11/13
●伊左治直(1968- ):《墜落舞踏遁走曲》(1997)、《虹の定理》(1998/2002)、《魔法の庭》(2001)、《ガルシアは寒かった》(2006)、《海獣天国》(2010、委嘱新作初演)《ビリバとバンレイシ》(2010、委嘱新作初演)

【ポック[POC]#4】 2010/12/15
杉山洋一(1969- ):《君が微笑めば、それはより一層、澄んでゆく》(1995)、《間奏曲I./II./III./IV.「ロマンツァ」》(2000)、《ビオンディネッタ》(2006)、《翔る》(2007)、《間奏曲V》(2010、委嘱新作初演)

【ポック[POC]#5】 2011/1/29 
●田中吉史(1968- ):《TROS III》(1992、東京初演)、《eco lontanissima II》(1994/96)、《air varie》(2004)、モーツァルト《自分で自分が分からない K.492》(1786)+《air (de Cherubino)》(2005)、《松平頼暁のための傘》(2010、委嘱新作初演)


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●P.ブーレーズ:第2ソナタより第1楽章(1948)
●福井とも子(1960- ):《超ラセン》(1992、東京初演)
●山本裕之(1967- ):《東京コンチェルト》(1993、世界初演)
●夏田昌和(1968- ):《星々と生命の岸辺にて》(1992、改訂初演) ピアノ独奏+作曲者指揮による14人の土笛と打楽器
●大村久美子(1970- ):《揺曳の時》(1993、世界初演) 大井(笙)+吉田秀(コントラバス)+二ツ木千由紀(打楽器)
川島素晴(1972- ):《静寂なる癈癲の淵へ》(1992/93、改訂初演)
●A.シェーンベルク(シュトイアマン編):《浄夜》(1899)ピアノ・トリオ版 大井(ピアノ)+双紙正哉(ヴァイオリン)古川展生(チェロ)



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# by ooi_piano | 2018-01-28 00:34 | POC2017 | Comments(0)