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公開録音コンサート 《 \重・厚・長・大☆MAX!/ 》
浦壁信二+大井浩明(2台ピアノ)
2022年5月19日(木)19:00開演(18:30開場)
東音ホール(JR山手線/地下鉄都営三田線「巣鴨駅」南口徒歩1分)
入場料: 3500円
peatrix予約ページ https://pubrec220519.peatix.com/


5/19(木) マックス・レーガー:二台ピアノのための全作品 (Opp. 86/96/114/132a)  [5/11 update]_c0050810_05213486.jpeg
マックス・レーガー(1873-1916):
《L.v.ベートーヴェン「11のバガテルOp.119」終曲の主題による12の変奏曲とフーガ 変ロ長調 Op. 86》 (1904) 22分
 Theme. Andante - I. Un poco più lento - II. Agitato - III. Andantino grazioso - IV. Andante sostenuto - V. Appassionato - VI. Andante sostenuto - VII. Vivace - VIII. Sostenuto - IX. Vivace - X. Poco vivace - XI. Andante con grazia - XII. Allegro pomposo - Fuga: Allegro con spirito

《W.A.モーツァルトのピアノソナタ第11番「トルコ行進曲付き」K.331 の主題による8つの変奏曲とフーガ イ長調 Op.132a》 (1914) 24分
Theme: Andante grazioso - I. L'istesso tempo (quasi un poco più lento) - II. Poco agitato (Più mosso) - III. Con moto - IV. Vivace - V. Quasi presto - VI. Sostenuto (quasi Adagietto) - VII. Andante grazioso - VIII. Moderato - Fuge: Allegretto grazioso

  (休憩)

《序奏、パッサカリアとフーガ ロ短調 Op.96》(1906) 18分

《ピアノ協奏曲 ヘ短調 Op.114》 (1910、作曲者編2台ピアノ版)[全3楽章] 40分
  I. Allegro moderato
  II. Largo con gran espressione
  III. Allegretto con spirito



【浦壁+大井ピアノドゥオ動画プレイリスト】
ストラヴィンスキー《結婚》、武満徹《クロスハッチ》、篠原眞《波状B》、フォーレ《幻想曲 Op.111》、メシアン《星の血の悦び》、バーンスタイン《トゥナイト》、宮川泰《宇宙戦艦ヤマト》、冬木透《ウルトラセブン》等

レーガー《マリアの子守歌》(作曲者編独奏版、レーガー最大のヒット曲)、《ドイツ国歌によるフーガ》(1916、遺作)、《夜の歌 Op.138-3》(W.ビツァン編によるパラフレーズ)、《「聖しこの夜」による幻想曲》(1902)、ブラームス《4つの厳粛な歌 Op.121》(レーガー編独奏版)、ブラームス:交響曲第2番第2楽章/同第4番第2楽章(レーガー編独奏版)、ブラームス《メロディーのように Op.105-1》(レーガー編独奏版)

5/19(木) マックス・レーガー:二台ピアノのための全作品 (Opp. 86/96/114/132a)  [5/11 update]_c0050810_13512899.jpg


# by ooi_piano | 2022-05-17 11:22 | Comments(0)

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大井浩明(ピアノ独奏)
松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
全自由席 5000円
〈要予約〉pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)
チラシpdf 


【最終回】2022年3月24日(木)19時開演(18時30分開場) 〈レーガー主要ピアノ作品〉

●F.リスト(1811-1886): 《B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ S.529》(1871) 11分


■M.レーガー:《J.S.バッハの昇天祭カンタータ「ただキリストの昇天にのみ」 BWV 128-4 〈主の全能は計り知れず〉の主題による14の変奏曲とフーガ ロ短調 Op.81》(1904) 30分
 Thema: Andante - I. L‘istesso tempo - II. Sempre espress. ed assai legato - III. Grave assai - IV. Vivace - V. Vivace - VI. Allegro moderato - VII. Adagio - VIII. Vivace - IX. Crave e sempre molto espressivo - X. Poco vivace - XI. Allegro agitato - XII. Andante sostenuto- XIII. Vivace - XIV. Con moto - Fuge: Sostenuto

  (休憩)

●林加奈(1973- ):《そっかー》(2022、委嘱初演) 6分

■M.レーガー:《G.P.テレマン「食卓の音楽」第3集序曲〈メヌエット〉の主題による23の変奏曲とフーガ 変ロ長調 Op.134》(1914) 31分
  Thema: Tempo di Minuetto - I. L‘istesso Tempo - II. L‘istesso Tempo - III. L‘istesso Tempo - IV. L‘istesso Tempo - V. Non troppo vivace - VI. Non troppo vivace - VII. Quasi Tempo primo - VIII. Tempo primo - IX. Non troppo vivace - X. Quasi Adagio - XI. Quasi Adagio - XII. Poco Vivace - XII.I Tempo primo - XIV. Meno vivace - XV. Andante - XVI. Adagio - XVII. Poco Andante - XVIII. Tempo primo - XIX. Poco vivace - XX. Poco vivace - XXI. Vivace - XXII. Vivace - XXIII. Poco Andante Molto Adagio (Überleitung) - Fuge: Vivace con spirit



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林加奈:ピアノフォルテのための《そっかー》(2022)

  最近しょっちゅう言っている言葉が「そっかー」です。自分は聞くよりしゃべっているような気もしていましたが、今は、人生の中で人の話を聞く時期みたいなものなのかもしれないです。日々の暮らしが「そっかー」を主軸とした会話で満ちているその様子を、音のつながりや重なりといった、フォルテピアノのおしゃべり感に託しました。
  曲は、2種類の師弟関係と2種類の親子関係で構成されています。友人関係が構成に組み込まれなかったのは、作曲の時期がコロナ禍だったことが影響しています。出かけることをだいぶ自粛しているので、家族間と仕事で出会う人とのおしゃべりはあっても、仕事とかは抜きの友人関係でたっぷりおしゃべりする機会はぐっと減りました。話す相手が変わると随分おしゃべりのトーンが変わるものだなあと改めて思います。
  レーガーが現代に生きていて、自分と友達だったりして、おしゃべりする機会があったら、自分はきっとたくさんの「そっかー」を発していることでしょう。(林加奈)


林加奈 Kana HAYASHI, composer
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  アーティスト(音楽家・美術家・紙芝居師)。東京生まれ。女子美大付属高校、東京藝大絵画科油画専攻卒、同大学院修了。在学中から併行して音楽活動も開始する。鍵盤ハーモニカ・おもちゃ楽器演奏・即興歌・音遊びなどでソロや様々なグループで演奏活動やワークショップを行う。絵から発想した物語に音楽や実演を加えた紙芝居パフォーマンスや「絶叫紙芝居」なども展開しアーティストのみならず子どもや学生や知的障害者など様々な人たちとのコラボレーションにより総合芸術作品を作るプロジェクトを数多くプロデュースする。アクリル画・油画・線画などでの展覧会や雑誌のイラストなども手がける。
  作曲作品に、鍵ハモ五重奏のための《いかにしてカレー》(2001)、《犬が行く》(2003)、マリンバ/鍵ハモ/ピアノのための《好転反応》(2006)、フォルテピアノのための《好転反応 II》(2006)等。2006年NHK教育テレビの音楽番組「あいのて」の挿入歌として1年間放映された「ワニバレエ」など歌手としても活動。演劇プロデュースユニット Moratorium Pantsメンバー。京都女子大、京都精華大非常勤講師を歴任。著書に「創造性を育む 音楽あそび・表現あそび」(共著・音楽之友社)「音・リズム・からだ」(共著/民衆社)。 




レーガー概観―――本郷健一

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  1910年代、旧世界は第一次大戦を断層として瓦解した。音楽もまた時代と軌を一にし、古い響きを捨てようとした。
  パリでは有力な作曲家たちが競ってバレ・リュスに曲を提供したが、その斬新さゆえ、時には大きな物議を醸した。1913年のストラヴィンスキー『春の祭典』初演時の騒動は今なお語り草である。音楽の破天荒なリズムと激しい不協和音が聴衆の嘲笑と怒りの元となった騒ぎだったらしい。
  ストラヴィンスキーは後年、面白いことを言っている。「不協和音はそれだけで独立したものとなったわけでありまして、もうなにも他の和音を準備したり、予告したりするものではなくなったのであります」 「音楽の磁極はもはや狭い意味での調性組織の中心点には存在しなくなっております。・・・すなわち私たちは長短両調が絶対的な価値を持っているなどとはもはや信じないのであります。なぜならこの調性組織はたんに、音楽学者のいわゆるハ音の上に立つ音階なるものに基づいているにすぎないからであります」。
  こう述べるに当たりストラヴィンスキーが引き合いに出すのは、シェーンベルクだ。「今までに彼の作品はしばしば烈しい反対や、嘲笑の的になっております。しかし・・・シェーンベルクは自分にふさわしい音楽の組織を用いているのでありまして、彼はその音楽組織の内容ではまったく論理的で、つじつまがあっております」。
  そのシェーンベルクが重視した同時代の作曲家が、マックス・レーガーである。
  1918年から21年にかけて113回にわたり開催した〈音楽の私的演奏会〉で、レーガーの作品を23曲、延べ62回とり上げている。同シリーズの中でシェーンベルク自身のものが13作、延べ31回演奏されたのに比べても段違いに多い。シェーンベルクがレーガーに大きな意義を見出していたことを、この数字は物語っている。

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  シェーンベルクは作品10以降、自作に「調」を記しておらず、伝統から離れる姿勢を前面に打ち出していたと言える。一方、レーガーは終生、自作に「調」を明記していた。作品番号を付した最後の作品であるクラリネット五重奏曲Op.146も、「イ長調」をうたっている。
  1896年、レーガーはオルガン独奏曲《組曲第1番 ~J.S.バッハの亡き魂に Op.16》を、ブラームスに送る。ブラームスは好意あふれる返信をしたため、その後二人は写真を交換した。同年、ブラームスは作品番号を付した最後の作品、オルガン独奏曲《11のコラール変奏曲 Op.122》を書いたが(作曲者の死後1902年に出版)、同じカテゴリの作品ながら、ブラームスの平板な書きぶりに比べ、23歳のレーガーが書いた組曲は一曲一曲を壮麗な音楽に仕立てていて、翌年には死去する巨匠の来し方と、次代の作曲家の行く末のあいだの、くっきりした陰影を見せつけている。
  レーガーのオルガン書法は、2年後の1898年、同い齢の名オルガニスト、カール・シュトラウベと出会うことによって深化した。1903年までに、レーガーはシュトラウベの演奏需要に応じ、オルガンのための作品を26曲書いている。主要な創作カテゴリであるオルガン曲(全43曲)の半数以上を、この時期に集中的に作曲した事になる。

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  シェーンベルクが十二音技法で「調」からの解放を目指したのとは異なり、レーガーには結局「調」から離れる考えはなかった。1903年に著した《転調学習への補遺 Beiträge zur Modulationslehre》 では、プロかアマチュアかを問わず音楽を学ぶ人に、一つの調からあらゆる調への転調方法を、古典的なカデンツに倣った譜例や解説で示した。方法は全部で100挙げてあり、うち入口となるハ長調に対しては、(異名同音調を含め)40を示している。
  これが実際、レーガーの作曲に欠かせない技術にもなっていた。自在すぎて把握しにくい転調や、ときにデュナーミクの激しい落差を叩きつける書法などが原因したものか、レーガー作品への理解は得られにくかった。「曖昧模糊としたものに多くの労力を費やし苦痛を感じ続けることに価値があるとは思えない。しかし、火曜日の夜に計り知れない情熱を込めて演奏された、マックス・レーガーの⦅トリオ Op.102》という名の奇怪な作品を見ても明らかだが、近頃の音楽とはそんな類のものだ」(NYサン紙、1908年)。
  それでも、1912年作の《マリアの子守歌 Maria Wiegenlied op.76-52》が、出版するや10万部を売り上げるベストセラーになったりもし、彼は決して売れない作曲家ではなかった。指導者としての生活も多忙を極め、1905年からはミュンヘン王立音楽院で、1907年からはライプツィヒ音楽院で、作曲法の教鞭をとった。1911年からは、かつてハンス・フォン・ビューローが君臨していたマイニンゲン宮廷管弦楽団の音楽監督となり、「一ヶ月のうち25回別のベッドで眠る」、つまり演奏旅行でほぼ毎日宿泊先が違ったほどの多忙な日程をこなした。宮廷楽団での経験は彼の管弦楽創作を豊かにし、1913年までに5作、および後期ロマン派的ジャンルである管弦楽伴奏つき声楽曲4作を成さしめている。
  無理がたたったのだろう、1914年3月、ハーゲンでの演奏会のあと、レーガーは卒中の発作に倒れた。マイニンゲンでの職も、この年に辞すこととなった。健康の回復をはかりながら作曲したもののひとつが、《モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ Op.132》(管弦楽版とピアノ版)である。
  1914年は、第一次世界大戦がはじまった年でもあった。ドイツ兵がさらされた悲惨な結果をまのあたりにした衝撃から、レーガーは翌年、戦争で倒れたドイツの英雄たちの追憶にと、フリートリヒ・ヘッベルの詩を用いた簡素な《レクイエム Op.144b》を作り、また16年までにかけて、同様の趣旨に基づくオルガン曲《7つの小品 Op.145》を書いた。
  1916年が、レーガーの死の年になった。5月11日夕方、ライプツィヒでの仕事を終えて新聞を読んでいるとき心筋梗塞に見舞われ、レーガーは43歳で息を引き取ったのだった。レーガーの肉体は、大戦敗北によるドイツ帝国の瓦解に先立って消滅した。

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  レーガーは、没後まもなくは世界的に知られた作曲家だった。まだドイツと戦火を交えていたロシアでも追悼演奏会が開かれていたほどだ。一方、ドイツ語圏外では死後急速に忘れられることとなった。彼の生前の名声がオルガン音楽・教会を軸にしており、この点でマーラーやR.シュトラウスと異なる土俵に立っていたことも大きいのかも知れない。
  レーガーの記憶を世に留めることに力を尽くしたのは、1902年にレーガーの妻となったエルザだ。その活動が、こんにちのマックス・レーガー研究所の礎となっている。優れたバッハ演奏に驚嘆した叔父からレーガーを紹介されたものの、酒浸りの印象しか持てず、プロポーズを一度は断っている。それでもその才能には魅かれるところがあったのだろう、レーガーが歌曲の伴奏を素晴らしく務めたのを見た後、バイロイトで鑑賞した『パルジファル』で、クンドリが主人公のために犠牲を払うのを目の当たりにするや、芸術への奉仕としてレーガーの妻になると決意したと云う。夫婦に実子はなく、二人の女子を養子に迎えている。渋面の写真ばかり残るレーガーが、子供たちと共に写ったものでは暖かな笑顔を見せているのが、なんとも印象深い。


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# by ooi_piano | 2022-02-14 02:47 | Rosewood2021 | Comments(0)
クセナキス《ピアノ協奏曲第3番『ケクロプス』》(日本初演) ツイート集まとめ


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半龍半神のケクロプス王の壷絵

  1996年7月新日本フィル定期におけるクセナキス:ピアノ協奏曲第1番《シナファイ Synaphaï - Συναφαί》(1969/ピアノと86奏者)、2001年6月出光賞授賞式コンサートにおける同:ピアノ協奏曲第2番《エリフソン Erikhthon - Ερίχθων》(1974/ピアノと88奏者、日本初演)に続き、東京フィル定期にてピアノ協奏曲第3番《ケクロプス Keqrops - Κέκροψ》(1986/ピアノと92奏者)を日本初演します。


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東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
井上道義(指揮) 大井浩明(ピアノ)

●E. エルガー(1857-1934)/序曲『南国にて』Op.50 (1904)
●I. クセナキス(1922-2001)/ピアノ協奏曲第3番『ケクロプス』(1986、日本初演) ~クセナキス生誕100年
●D. ショスタコーヴィチ(1906-1975)/交響曲第1番 ヘ短調 Op.10 (1925)

2022年2月24(木)19時 東京オペラシティコンサートホール
2022年2月25日(金)19時 サントリーホール
2022年2月27日(日)15時 Bunkamura オーチャードホール

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Tokyo Philharmonic Orchestra - Subscription Concerts

Michiyoshi Inoue, conductor  Hiroaki Ooi, piano
Edward Elgar : Overture "In the South" Op.50 (1904)
Iannis Xenakis : "Keqrops - Κέκροψ" for piano and 92 musicians (1986, Japan Premiere)
Dmitry Shostakovich : Symphony No. 1 in F minor, Op.10 (1925)

19h Thu. 24th Feb. 2022 Tokyo Opera City Concert Hall
19h Fri. 25th Feb. 2022 Suntory Hall, Tokyo
15h Sun. 27th Feb. 2022 Orchard Hall, Tokyo




【動画/音源リンク】
●クセナキス:ピアノ協奏曲第1番《シナファイ》(1969)
 (β) 井上道義指揮京都市交響楽団(1996年11月、ライヴ録音)(前半後半
●クセナキス:ピアノ協奏曲第2番《エリフソン》(1974) アルトゥーロ・タマヨ指揮ルクセンブルク・フィル(2004年6月録音)

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●CD《シナファイ》 

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Portraits of Composers 第6回公演 クセナキス全鍵盤作品によるリサイタル(没後10周年記念) [2011.9.23]


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●野々村禎彦インタビュー [2018.02.14]



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クセナキス日本未初演主要作リスト by 野々村 禎彦

【first 10】

Bohor (1962) tape

Polla ta dhina (1962) child chorus & orchestra

Akrata (1964-65) wind ensemble

Terretektorh (1965-66) orchestra in audience

Anaktoria (1969) 9 players

Cendrees (1973) mixed chorus & orchestra

N’Shima (1975) 2 mezzo soprano & 5 players

La legend d’Eer (1977) tape

Alax (1985) 3-group ensembles

Echange (1989) bass clarinet & ensemble


【next 10】

Medea (1967) mixed chorus & 5 players

Kraanerg (1968-69) ballet music for ensemble & tape

Antikhthon (1971) ballet music for orchestra

Phlegra (1975) 11 players (日本初演済み)


Jonchaies (1977) orchestra

Anemoessa (1979) mixed chorus & orchestra

Nequia (1981) mixed chorus & orchestra

Idmen (1985) mixed chorus & 6 percussionists

Dox-Orkh (1991) violin & orchestra

Troorkh (1991) trombone & orchestra



イアニス・クセナキス:京都賞受賞講演《我が道》(1997)
【要旨】
(1)日本への賛辞 日本の都市、国民、伝統文化、現在の文化に対する賛辞
(2)問いかけのモザイク 私が芸術の道を選択するに至った経緯 -統一空間の階層化から見た説明- 行動と知識をもたらす各基準の定義 芸術:部分的に推論的なもの 数学・自然科学:完全に推論的なもの 実験による実証を必要とする数学・自然科学と、実証不可能な美的価値を含む芸術の領域
(3)経歴 私の知的、芸術的発展における各段階 ギリシャの全寮制私立学校での子供時代 ギリシャの古典と天文学との出会い  ギリシャ内戦 アテネ工科大学での勉学 第二次世界大戦 共産党入党と街頭デモ フランスへの亡命 建築家ル・コルビュジエとの共同作業
(4)ギリシャ音楽とヨーロッパの前衛音楽 伝統的なギリシャ音楽とヨーロッパの前衛音楽を融和させようという最初の作曲上の試み 全ての音楽を音のシグナル、メッセージとして理解すること
(5)推計音楽 「推計音楽」の構想と確率計算の作曲への応用(メタスタシス:1953~54年;ピソプラクタ:1954~55年) 直線的なポリフォニーの限界から脱出し、ミクロおよびマクロの作曲に、音群、および一般的な確率を取り入れ、また、発展させるため、組み合わせた計算法を開発したこと(アホリプシス:1956~57年) 最初のコンピュータ・プログラム「ST」の開発と実現(ST10:1956~62年)
(6)形成化された音楽 私が実践している作曲方法を理論化し、「形成化された音楽」として1963年に出版。1992年改訂・増販。 「時間内」と「時間外」の構造の区別 「時間」とは何か、「時間」の定義 群理論の発展(ノモス・アルファ:1956~66年)
(7)ポリトープ 1970年代における音楽と建築を融合させる新たな方法の開発(クリュニー等)
(8)樹枝状態 上記の関心事と平行して、しかし、それらとは無関係に発展した「樹枝状態」という新たな概念について(エリフソン:1974年)
(9)ユーピック 1970年代半ばから、数学自動音楽センター(CEMAMu)において開発したユーピック(UPIC)システムと、その後研究を続けたミクロサウンド合成について(ミケーネ・アルファ:1978年)その後の、ダイナミックな推計音楽合成のためのGENDYNプログラム開発
(10)ふるいの理論 1970年代後半、全音楽のパラメーターにおける音階の問題を解決するため編み出された「ふるいの理論」について(ジョンシェ:1977年、プレアデス:1978年)
(11)最近の心境 新しい理論を持たない現在の心境は、大いなる自由の境地であり、新たな独創性の始まりであること

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クセナキス《ケクロプス》日本初演  [2022/10/20 update]_c0050810_14513081.jpg
Iannis Xenakis, 1975












# by ooi_piano | 2022-01-29 15:09 | コンサート情報 | Comments(0)





ヤニス・クセナキス《日本の閃光――1961》

*この文章は、クセナキスが1961年4月に「東西音楽会議」のために初来日した直後に執筆したものである。

クセナキス初来日時のエッセイ《日本の閃光――1961》 [2022/01/22 update]_c0050810_15313136.jpg
  太陽はまだ水平線の上、三十度のところにあり、飛行機の主軸と同じ角度である。乗客は疲労困憊して、 皆カーテンを閉めて眠ろうとしていたが、私は彼らを真似することはできない。
  上空は深い青紫色だ。我々は、実体の感じられない、綿のような雲の上を飛んでいる。雲は紫紅色から緋色へと変りつつあり、見慣れない色調をしている。
  前方の朧げに見える水平線の上には、霧のような雲が幾層も連なっているが、我々が紺碧の大洋を想い描くことを妨げるほどに密集しているわけではない。コズミックなフライトだ。既に何時間も太陽は動かない。ジェット機のスピードが地球の自転をあざ笑っている。
  その時、飛行機が下降する。幾つもの空を通り過ぎ、突然、東京湾が窓外に迫ってくる。太陽は雲の背後に消えた。夕方だ。地球の反対側にあるこの国によって喚起された溢れんばかりの疑問符。パリから東京まで北回りで十七時間……それは本当にこの新しい国へ来るのにふさわしいプレリュードだったのだろうか?
  たった今我々が横切ってきた、あの驚くべき色彩。「旧世界」の空には、あれに相当するようなものはない。あのような色彩に満ちた広大な空間は、我々とは別種の、もう一つの生活を暗示しているのだろうか?

  郊外、というよりむしろ都市そのものが、既にここにある。ここには、非常に高さの低い二階建ての黒っぽい木造家屋が無数にあり、他の国と同様に、一階は店舗になっている。看板が掛かっているが、踊っているような表意文字なので、何か書いてあるのかさっぱり分からない。少しは同じ文字だと同定できるものの、それは際限なく変化しうるのだ。
  人間のミニマムのスケールに合わして建てられた小さな家々は、この新世界の秘密を隠しているかのようである。この古い国内建築は、渋滞した道路の喧騒と、多かれ少なかれ、西洋の他の大都市に匹敵するほどの明りに包まれている。かくして、奇妙な感じは、現代の見慣れた科学技術という動因によって背後へ追 いやられてしまう。

クセナキス初来日時のエッセイ《日本の閃光――1961》 [2022/01/22 update]_c0050810_15331834.jpg
  科学技術は地球を小さく均一なものにしてしまった。そのベースは? 石油と電力である。
  私は完全に日本で作られたかわった車の車体が見れると期待していたのだが、それは実現しなかった。 アメリカ車が写真を独占し、フランスの四馬カルノー車が安いタクシー会社に指定されていた。しかし、創造的な想像力は都市の中心部でネオンサインに囲まれながらも、炸裂していたのだった。近代的な都市の夜の明りは、大衆表現の主要な方途である。それゆえ、我々は少しの間それについて注目してみよう。
  大雑把に言って、照明には二つのカテゴリーが存在する。一つは、銀座のような歓楽街において見出さ れるものであり、もう一つは、大産業企業の宣伝に含まれるものである。後者の標徴は、巨大な石壁や深い堀に囲まれている皇居周辺の東京中心部にある高層ビルの最上部にある。
  歓楽の標徴は、地階から始まり、二階や三階がナイトクラブやレストランや商店によって占められている。この狭い路地では、形と色の戯れは、狂気的集団が創り出した芸術作品の暴力性を持っている。孤独な知性でさえ、未だ嘗てこれほどまでに表現の豊穣さを希求することはできなかったのであり、孤立した西洋の前衛芸術家たちの試みは、この激騒に比べれば、どもりながら青ざめるしかないのである。

クセナキス初来日時のエッセイ《日本の閃光――1961》 [2022/01/22 update]_c0050810_15320865.jpg
  なぜなのだろうか?  私の考えでは、このような事実を支配する三つの根本的法則がある。第一に、この標徴は、常にすべて、道路のどちら側からでも見えなければならず、路上では、ネオン管の三次元的タペストリーが重要とされる。第二に、ナイトクラブや商店は小規模であるから、経済的理由によって、標徴は必然的に小さくなる。第三に、しかし、客を惹き寄せるためには、形も色も際限なく、どんな曖昧さもないよう正確に変化せねばならない。
  このためには色(ネオンカラー)の密度に変化を付けなければならないのだから、これはもう色における音楽という意味になるが、そこで我々が触れているのは、四十年ほどの歴史を持った、製図版の上の抽象的なアーバニズムが抱える本質的な問題なのである。抽象的な都市計画が産み出したものは、ピカピカではあるが既に死んだ都市であった。どんなに優れた都市設計技師の頭脳から産み出された幾何学的な都市であろうとも、何千何万の個人の利害関心と趣味に支えられた生き生きとした街に取って代ることは決してないのである。
  芸術においてもそうであるが、アーバニズムにおいても、思想家は、ルネサンスを想起させるような静的なコンセプションを捨て去らねばならず、その代わりに、大多数の人々を支配している法則を利用し、大衆によって創られた現象と結果に注意せねばならない。つまり、思想家は統計学を扱い、微積分に撤退せねばならないのだ。

  東京や京都のような日本の都市は、芸術家のためにヴィジュアルなデモンストレーションが行われてい る。勿論、日本人の芸術的センスが、ごくわずかであれ、芸術の趣をコントロールしてきた。
  対照的に、高層ビルの宣伝照明は、より大きな法則によってコントロールされる。巨大な球状や円錐状や円柱状の構造はイルミネーションを施され、空間的シネラマを創り出しているが、それは視覚芸術がまもなく大都市中心部の路上に押し寄せてくるであろうと告げている。
  東京は真に光の都市であり、単にガス灯が蛍光灯に取って代った都市なのではない。
  昼でも夜でも、都市の外観は、しかし、表層的な印象しか与えない。人間的な触れ合いは、国民と都市の本質についての中心的問題を解く、真の鍵なのである。

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  自分の作品のために、私は日本の音楽家や技術者と連絡を取らねばならなかったが、そこでは英語が唯一の情報伝達の手段であり、私は相互に理解しあうことの難しさに悩まされた。西洋社会では意見を交換するのに10分もあれば充分であっただろう事が、東京でははるかに長い時間を要した。この時間のロスは職業上の序列制度のせいだと言う人もいたが、私はその説明に満足できなかった。というのも、私が言っているのは、日本語の文の性質と、日本人の思考を反映しているように思われるその流動性についての難しさだからである。この徴候は私を含語の問題に向けさせた。学校で我々は、日本語がインド・ヨーロッパ語の言語構造とは異なることを学ぶ。私は一人の東洋学者に尋ねてみた。彼は、文における語順が日本語においては明らかに異なっているにもかかわらず、論理は基本的には同じである、と考えていた。日本語からフランス語や英語へ翻訳するにあたって、精神的な障壁があるべきではないのは当然であり、このことは、一般的に言って正しい。しかし、深刻な疑惑が私の心をじらし続けていた。以下に挙げるのは、日本に住んでいる日本人及びヨーロッパ人の文学者あるいは科学者の何人かと交わした会話である。

  「語順が違うのですか?」
  「ええ」
  「しかし、同じ現象は、ヨーロッパの幾つかの言語にもあります。例えば、ルーマニア語では、冠詞は名詞の語尾に付けられますし、ドイツ語では、動詞は文章の最後に来ます。それに、フランス人にはよく混乱を招くのですが、現代ギリシア語のように動詞と名詞の区別が曖昧な言語を除けば、動詞は名詞の形に分解して他のあらゆる言語に翻訳できます。一体、どこに違いがあるのですか?」
  「違いはあるのですが、それを即座に説明することは難しいことです」
  「よろしい。そうであると認めましょう。しかし、我々は、アリストテレスの論理学や、その結果として当然現代の論理学も、言語の内部で形成されてきたものであり、また今なおそのようにして作られているのだ、ということを知っています。そういったものを排除しようとする最近の努力もありますがね。すると、我々は次のようなことも想定できるのでしょうか。即ち、日本語の背後には、西洋人にも東洋人にも未だに発見されていない根本的に異なる論理が隠されているのだ、と」
  「ええ。そう考えることは可能です」
  「もし、そうであるなら、西洋のものとは異なる科学やテクノロジーが現れる可能性もあるのです か?」
  「おそらくはね。しかし、今日の知識に至るまでに西洋世界において三千年以上もかかったプロセスを、人工的に創り出すことは、不可能でしょう」
  「確かにその通りです。しかし、ひょっとすると、知識の、あるいはもっと一般的に言うなら思考の一つの手段が、日本語の領域外における新しい代数的構造の発見から利益を得ることもありうるのでしょうか?」

  この問題に取り組んでいる論理学者が大阪にいるということを、私は後になって聞いた。私自身は、パリにいる論理学者たちにこの問題について聞いてみようと決めた。
  日本語の書き言葉の三重の特性(漢字、カタカナ、ひらがな)から言って、この仮説を承認するのは実に簡単なことである。三重の特性とは、例えば、名詞は幾つかの異なった形で書くことができるし、逆に、日本語で書かれたものは、音とイメージにおいて無限のレゾナンスを持ちうる、という意味である。記号と音と概念の間の正確さを欠いているという事実によって、日本語は難しいが、言語としての潜在的な豊いを持ちうるのである。日本人は、自分の言葉と筆跡を通じて、西洋的思考の最も発達した風土の中で、直接に自分を発見する。そこでは、象徴的で格調高いヨーロッパの表現手段はほとんどついて行けないのだ。

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  ところで、思い出したのだが、活版印刷が発明されるよりはるかに昔に日本では印刷術が知られていた。 このことは、奈良の法隆寺博物館に所蔵されているような、十三世紀の鎌倉時代における仏教教典の木版によって証明されている。
  東京では道路に名前や番号がついておらず、ヨーロッパから来た訪問客はこのことにすっかり驚かされるのだが、それは同じ考え方の範疇にある。分類の原理は、算術の秩序を通じて、もっと直接的な幾何学的知識によって置きかえられた。アメリカ合衆国の占領軍は絶望して、五番街だとか九十番街だとか書いた木の立て札を立てざるを得なかったが、その立て札が、彼らの立ち去った今でも取り去られずに残っている場所がある。
  それにもかかわらず、私は、日本人の友人が日本語で書いてくれた住所に到着するまでに、四回もタク シーを乗り替えねばならなかった。勿論、その四人の運転手はそれを完全に読むことができた(三つも異なる書き方があるにもかかわらず、日本には文字の読めない人はいない)
  この多価性ゆえに、日本人は新しいものすべてに対して警戒心と好奇心を持つのである。中国から伝わった芸術や文化や宗教を吸収・同化した今日、日本人は、自分たちを何か新しい発見に注目させてくれる知識に渇望している。全てを語り尽くし、もはや何ものも待ち望んではいないヨーロッパ人の、催眠術にかか ったような《無感動》状態から、我々は遠く離れているのである。このことは、おそらく、人間関係における極端な優しさの説明になるだろう。つまり、知り合いの人に会うたびに、恭しい挨拶やお辞儀が長々と交わされるのである。

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  ある日、一人の紳士が私に自己紹介し、私を京都・奈良を探訪するように招待してくれた。私はこの親切な申し出にいたく感動したが、私は言葉が分からないうえに知人もいなかったので、この旅行が実りあるものになるとは思えない、と言った。すると、彼は即座にガイドとして私に同伴してくれると言ってくれたのだ。彼は京都で、私を日本の生活様式で過ごさせ、市内観光してくれた。私は、人間の内の最も偉大な豊かさの一つ、即ち、無私の奉仕という可能性をぶち壊してしまう西洋人の無関心さや自己満足を、彼の態度と比べずにはいられなかったが、しかし、これは彼に限ったことではなかった。特に、私の二人の友人、一人は詩人で批評家、もう一人は建築家で、二人ともまだ若い「アヴァンギャルド」な芸術家なのだが、彼らは、私が日本に滞在している間中、まるで兄弟がしてくれるかのように、何かと便宜をはかってくれた。
  もし、ヨーロッパが、あるいはもっと一般的に、ロシアをも含めた西洋が、宗教や資本やあるいは国家によって唯一の文化を常に創り出すことが出来てきたとするなら、日本では、複数の文化――仏教、禅、神 道、キリスト教、無神論、そして現代の工業化された生活から生れた科学――が共存しているのだ
  伝統的芸術は、家庭の習慣や建築がそうであるように、この驚くべき多様性を示している。つまり、日本では幾つもの生活を同時にすることができるのである。この共存のバランスは、必ずしも普及しているわけではないが、今日それは、同時代の歴史の中で、例外的かつおそらくは唯一であろう雰囲気を醸し出して いる。それは、多分、古代ギリシア文明と比較されうる。古代ギリシアでは、新しく誕生したキリスト教も含めてあらゆる宗教が受け入れられ、前五世紀のペリクレス時代には科学が発生したのだ。
  日本の海岸線がギリシアのそれと同様入り組んているように、日本とギリシアは、過去、現在、未来にわたって近接性を有しており、互いに触れ合い再現しあっているのである。そして、こうしたあらゆる興奮を広げていくことは、日本人の豊かな性格であり、それは、伝統的建築や人々の接触、料理、舞台あるいは音楽表現、そして工業的美学において表現されている。

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  ある晩、私は京都で能を見に行った(入場料は無料だった)。正方形のステージの上に、黒色や青灰色の衣装をまとった男たちが、仏像の如く座っており、鏡のように磨かれたステージの上で、ユニゾンで朗吟した。男たちは各々が扇を斜めに持っており、それは、彼らに話をする権利を与える一種の日本風の笏である(それは沈黙の間に引っ込められる)。文が何時間かぶっ通しで読まれるのだが、西洋人にはいささか単調である。飾り気のない厳格な朗吟は、テクストに合わせてゆっくりと半音階的に上昇したり下降したりし、 時々ビザンティンのプサルモディーに似た終り方によって中断される。能は仏教の詠唱に由来するため、この類似性が、ギリシア=仏教の時代における歴史的連関の喪失から来たものであるということは、ありえないことではない。男声のコーラスは、ソロと交替する。この時、コンポジションが変化し、コーラスはソロに取って代られる。脆そうな十二、三歳の少女が出てきて、ステージの前面に静かに座った。彼女は赤と白の上着を着、銀色の刺繍の入った金色のガウンのようなものをまとい、青灰色の帯をしていた。それは男たちの厳格な衣装とは対照的だった。
  男たちが、感知しえない程の変化でもって、別の台詞を読み始めたその時、突然、少女が扇を手に取り、ヴィブラートのない新鮮な声をほんのわずか発した。ソロとコーラスの声部分配というこの方法は、日本における伝統芸能の力を説明する
  観客は、さほど多くなく、しかもその大半が四十歳過ぎの男女で占められていたが、この間ずっと、観客たちは、自分たちのテクストを見ながら、ソロの後を追っていた。
  能は、身のこなしや音楽伴奏にとって、最も簡素な舞台光景である。私は皇居で舞楽を見た。舞楽は極めて古いものであり、中国に起源を発する。舞楽には、壮麗に彩色された中国のヴァイオリンや打楽器の大オーケストラがあり、それに合わせて、パントマイムや、舞妓や芸者の都踊りのようなものが演じられる。 それは、身のこなしにおいても歌においても、そしてその光景においても洗練されており、コーラスや、あるいは今日の我々なら立体音響とでも呼ぶだろうものを伴っている。それから歌舞伎を見た。歌舞伎は人気 のある舞台だが、最近では現代化される傾向があり、伝統の純粋さの一部が破壊される恐れがある....

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  日本の粋を集めた芸術は、そのユニークな料理にも見出される。生野菜や刺し身の芳香は、舌の先に箸でつまんで味わったり香りを楽しんだりする。料理を作ることが料理を食べることと同義であるような国は日本以外にはないだろう。香りと味わいの感覚は、それとは互いに対立しあう様々な傾向に囲まれている。 西洋人のフォークやインド人の指を考えれば、このことがよくわかるだろう。
  私は日本庭園について多くのことを聞いてきた。この雑誌にも、パリにあるユネスコの小さな日本庭園の写真が載っており、建築家と彫刻家が日本庭園について賞賛しながら語っていた。私は本物の日本庭園を見るのを待ちわびていた。日本庭園には大きく分けて二つのタイプがある。一つは、京都の龍安寺の「石庭」のような、禁欲的なタイプ。もう一つは、やはり京都にある桂離宮のようなタイプである。どちらの場合も、実物は、彫刻家や風景画家による模型や模写から私が見聞きしていたものと違っている。龍安寺の庭は、本質的に宗教的な二つの欲求から生れた。秩序と自然である。これら二つの欲求が、芸術家でない人間、例えば僧侶によって見られる時、その結果は極めて意義深いものとなり、芸術そのものを超出するので ある。それは、自分たちは傑作を作ったのだと信じているストーン=トーテムの制作者たちとは対極にある。 桂離宮も同じようにその熱意を表現しているが、しかしそれは俗人の視点からである。即ち、自然に対する尊敬と、自然とのコラボレイション。日本人は、自然の上に幾何学的図形を探そうとするとき、西洋人のように自然を踏みにじったりしない。

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  ここでは、土地と形の自由さが、構成や、あるいは幾つかの次元に向けられている。空間にとっては次の三つの次元がある。第一の次元は、物質、小石、玉砂利、石、大地、木、湖、多種多様な植物、針葉樹、確かな立体的形。第二の次元は、影、花、緑色の色合い。第三の次元は、小道にそって立ち並ぶ焦茶色の建物の明確な立体的形。そして、最後の次元は時間であり、それは、感覚と知性に対して、絶えず新たな驚きの発見 に導く。人間の手になる丘は、地面と池を多様化する。水は山峡を開き、太陽は、人間が惜し気もなく創り 出したこの自然の形の上に、明るくそして穏やかに降り注ぐ。
  しかし、もし日本人が自然を尊敬し、暴力を振るうことなく自然に対して本質的に働きかけているならば、庭園や離宮に点在する小さな茶室を造る時、日本人は幾何学的に、厳しく、ありのままに振る舞っているのである。障子や襖を用いることで、日本人は、同時代の立体的建築の最も偉大な作品が成し遂げたよりもはるかに偉大に、はるかに親しみやすく、室内にパースペクティヴの無限の豊かさを与えた。造形的効果の変化や紙越しに漏れてくる光は、世界中の建築家にとって豊富なレッスンとなるべきである。
  寺院や塔における杉の木の木造構造を最大限に利用することは、極めて難しい。それはまさに、屋根や枠組みの重量をアクロバティックなやり方で支えるカスケードであり、アルキメデスの法則の無限のヴァリエイションである。しかし、このような伝統的な構造は学校では教えられていない。学校で我々が習うのは、西洋風の格子窓だとか、ポロンソー梁についてである。京都の東大寺(原文のまま――訳注)や、奈良の法隆寺の複雑な建築が教えてくれるような、物質の抵抗について学習しようとするものはいないのだろうか?

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  しかし、音楽や建築、造形芸術が、伝統芸術の価値に見合うだけの現代的な表現手段を作り出すことに一般的に成功していなかったなら、映画や産業的美学こそが最も高いクオリティーを持っていると言えよう。 『羅生門』のような古典的映画の他にも、科学的映像作品がある。私は、その実例を少し見たが、色や映像の技術的すばらしさは、その構成と同じくらい、卓越している。
  知性はあらゆる芸術における共通の尺度であるが、これらの映画において、知性は、主体のリアリズムと、形と動きのいわば「コズミックな」抽象の間にある、生命の流れを創造することに成功した。その結果は、岡田桑三氏がプロデュースした『ミクロの世界』や『マリンスノー』『潤滑油』におけるような、直接的論理である。
  産業的美学について言えば、技術的な洗練さや色や形は、日本人の忍耐強さとデリカシーによって、 ヨーロッパやアメリカの生産品と強力に張り合うまでに発達した。テープ・レコーダー、トランジスター、 テレヴィジョン、家庭用電気製品。産業文明のこれらすべての小悪魔たちは、完璧で魅力的で親しみやすく、ここでは、実用的な目的の方が、良い趣味の背後に追いやられるのだ。
  アテネ風の花瓶や、俗悪な古い容れ物は、地中海世界におけるアテネの経済的優位を築くのに非常に貢献し、その経済的優位は、大英帝国やドイツが他を圧倒的に引き離したのと同じくらいであった。機械製の小さな生産品を持つ日本は、アメリカのトランジスター市場の一角を征服した。もしヨーロッパがまだ侵略されていないとするならば、それは、ヨーロッパが高い関税障壁によって自分を守っているからである。日本においては、1960年のエレクトロニクス分野での生産高は、1956年のそれに比べて、300パーセントも上回っており、工業拡大の年平均指標は、アメリカ合衆国が7.5パーセントであるのに対して、29パーセントにも及ぶ。勿論、この拡大に問題がないわけではない。労働は相対的に安く、メイ・デーの平和なデモは、労働者の世界が組織化され統制されていることを物語っていた。
  あらゆるものが急速な動きの渦中にあり、しかも伝統が脈々と深く根付いているこの国の未来はどうなるのだろうか?

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【年表/クセナキスと日本】

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1953
À la demande de Le Corbusier, Xenakis organise pour le Congrès International d’Architecture Moderne (CIAM) un « concert spatialisé » sur le toit de l’unité d’habitation de Marseille, avec trois sortes de musique en trois points différents de la terrasse (musique concrète, musique traditionnelle de l’Inde et du Japon, jazz).


1961(初来日)
17-23 avril : participe à Tokyo au Congrès international Orient-Occident (East-West music encounter) organisé par Nicolas Nabokov. Parmi les compositeurs occidentaux : Berio, Carter, Cowell, Sessions, ainsi que le musicologue Stuckenschmidt.
29 avril : présente à Tokyo un concert de musique expérimentale, comprenant des œuvres instrumentales et électroniques. Le programme y annonce : Hidalgo : Ukanga, Tremblay : Pièces pour piano, Malec : Mouvement en couleur, Ballif : Lovecraft, Philippot : Composition pour double orchestre, Ferrari : Visage IV, Xenakis : Metastasis, Analogiques A et B, Concret PH, Achorripsis, Pithoprakta, Riedle : Elektronische Musik, Henry : Co-existence concret, Boucourechliev : Texte II, Mâche : Praelude, Varèse : Déserts, Schaeffer : Etude aux objets, Ferrari : Tête et queue dragon (le concert commence à quatorze heures!).
Rencontre au Japon Yuji Takahashi qui restera un de ses interprètes les plus dévoués : le compositeur Toru Takemitsu le présente à Seiji Ozawa.

<L'éclat du japon> (1961)
: "La littérature japonaise peut avoir des résonances infinies en sons et en images. "
: "Par le langage et par l'écriture le japonais se trouve d'emblée dans le climax le plus avancé de la pensée occidentale, que les modes d'expression symboliques et sonores ont tant de peine à suivre. (…) Cette polyvalence de la pensée les rend alertes et curieux de tout ce qui est nouveau. (…) On est bien loin de l’état hypnotique et blasé des européens qui ont tout dit et n’attendent plus rien. C’est ça qui explique peut-être l’extrême gentillesse dans les relations humaines."


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1962
23 février : création de Herma par Yuji Takahashi à Tokyo.

1970 (大阪万博)
Exposition Universelle d’Osaka : Présentation de Hibiki-Hana-Ma, pour bande huit pistes, en même temps qu’un spectacle de lasers de Keiji Usami.

1972
Oresteia - "Some of the instruments can be replaced by Japanese traditional ones whenever this is possible. I think that the frugality of the action in the Noh constitutes a deep power of dramatic expression which should be reflected in the staging of Oresteia. I would admit even traditional Japanese costumes and masks adequally chosen from the existing Noh repertoire, bearing in mind that the ancient Greek drama used such tools although we very little know about the way and the stile they had. The phonetics also should be inspired from the ancient Japanese language as it is used in Noh."

1985
30 juin : création au Festival d’Angers de Nyuyo (入陽/Soleil couchant) pour shakuhashi, sangen et deux kotos par l’ensemble Yonin-No-Kaï de Tokyo.

1987
24 octobre : création de Horos par l’Orchestre philharmonique du Japon dirigé par Hiroyuki Iwaki, à Tokyo, pour l’inauguration du Suntory Hall.

1989
1er avril : création de Voyage absolu des Unari vers Andromède, réalisé au CEMAMu, au Temple Kameyama Hontokuji de Himeji (Hyogo), dans le cadre de l’Exposition Internationale des Cerfs-Volants.

1990
9 octobre : création de Tuorakemsu à Tokyo par l’Orchestre symphonique Shinsei, dirigé par Hiroyuki Iwaki, pour le soixantième anniversaire de Toru Takemitsu.

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1996
"Il est certain que, lorsque à Ypsilanti je me suis lancé dans l'Orestie, l'idée était présente à mon esprit sinon de réaliser un théâtre total, du moins d'aller dans ce sens là. Aujourd'hui, le théâtre total, avec cette vie et cette harmonie interne qui le définissent, n'existe à mon sens véritablement qu'à l'extérieur de l'Occident - au Japon, à Java, en Inde même, éventuellement en Afrique. Je pense d'ailleurs qu'à l'époque où elle vivait encore, la tragédie antique devait être beaucoup plus proche du Nô japonais que de la façon qu'aujourd'hui nous avons de représenter une œuvre d'Eschyle ou de Sophocle. Séparez dans le théâtre Nô la musique de l'action scénique ou l'action scénique de la musique: le résultat sera à chaque fois probant. Cette forme-là se prête à tous les tests susceptibles d'examiner sa validité théâtrale. Même isolé, chaque élément du conserve tout son intérêt."(I.X.)

1997
11 novembre : reçoit au Japon le Prix Kyoto.
30 novembre : création de O-Mega, sa dernière œuvre, à Huddersfield par Evelyne Glennie (percussion solo) et le London Sinfonietta dirigé par Markus Stenz.


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ル・コルビュジェ門下の坂倉準三(1901-1969)設計による、渋谷駅西口・東急百貨店東横店南館
「クセナキス窓」のファサード(1970年完成/2020年3月閉館)



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# by ooi_piano | 2022-01-22 19:02 | POC2011 | Comments(0)