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9/18(水)クセナキス《エオンタ 𐠭𐠛𐠃𐠁 》+全ピアノ独奏曲他 [2024/09/08 update]_c0050810_12391643.jpg
〈日本・ギリシア文化観光年2024記念事業〉
大井浩明ピアノリサイタル
2024 : Έτος Πολιτισμού και Τουρισμού Ιαπωνίας- Ελλάδας
Ρεσιτάλ πιάνου Χιροάκι ΟΟΙ

2024年9月18日(水)19時開演(18時半開場)
全自由席 5,000円 




9/18(水)クセナキス《エオンタ 𐠭𐠛𐠃𐠁 》+全ピアノ独奏曲他 [2024/09/08 update]_c0050810_12393653.jpg
【演奏曲目】

マイケル・フィニッシー(1946- ):《ピアノ協奏曲第4番》(1978/96) 17分

ヤニス・クセナキス(1922-2001):《6つのギリシア民謡集 Έξι τραγούδια》(1950/51) 10分
 1.「麝香は香る Μόσκος μυρίζει」
 2.「かつて私には愛があった Είχα μια αγάπη κάποτε」 
 3.「ウズラが一羽降りていた Μια πέρδικα κατέβαινε」 
 4.「クレタの修道士が三人 Τρεις καλογέροι κρητικοί」 
 5.「今日、天は黒い Σήμερα μάυρος ουρανός」 
 6.「ススタ Σούστα」

《ヘルマ(胚) - 記号的音楽 Έρμα - Συμβολική μουσική》(1961) 7分

《エヴリアリ Ευρυάλη》(1973) 9分

  (休憩 15分)

《靄 Ομίχλες》(1980) 11分

《ラヴェル頌 στον Ραβέλ》(1987) 3分

《エオンタ(存在するものども) Εόντα 》(1964、ピアノと金管五重奏) 19分


【客演】
〈演出補佐〉田中敏文(金剛流シテ方、重要無形文化財保持者)
〈指揮〉大井駿(第1回ひろしま国際指揮者コンクール第1位)
〈トランペット〉高橋敦(東京都交響楽団首席)、服部孝也(元・新日本フィルハーモニー交響楽団首席、昭和音楽大学准教授)
〈トロンボーン〉小田桐寛之(元・東京都交響楽団首席、日本トロンボーン協会会長)、伊藤雄太(日本フィルハーモニー交響楽団首席)、菅貴登(中部フィルハーモニー交響楽団首席)





●CD《シナファイ》 

■Portraits of Composers 第6回公演 クセナキス全鍵盤作品によるリサイタル(没後10周年記念) [2011.9.23]


●野々村禎彦インタビュー [2018.02.14]



クセナキスの音楽をどう聴くか(野々村禎彦)

  現代音楽を結構聴いている人でも、クセナキスというと、現代数学がアレする作曲理論でよくわからない、という先入観があるようだ。パソコンが普及したおかげで、コンピュータで計算して作りました、というだけで敬遠する人は、さすがに少なくなってきたとはいえ。だが、音楽を聴く時に作曲理論を気にする方がおかしいのではないだろうか。誰が和声連結の禁則を 気にしながらロマン派の音楽を聴くだろうか。
  そもそも彼自身も、この作曲理論をそれほどシリアスに捉えていたわけではない。とりあえずコンピュータに計算させても、楽譜に変換する際にかなり「感覚的修正」を施していたというし、現代音楽界での評価が定まってからは、直観的な作曲法へ転向している。音楽は素人同然の青年がギリシャなどというヨーロッパのド田舎からパリにやって来て、セリー技法を駆使する秀才たちにナメられないように「科学的」に理論武装しようとしたあたりが、いかにもイデオロギー論争で鍛えられた元左翼ゲリラらしいなあ、というくらいに思っておけばいい。彼の理論はインチキだとイチャモンをつける人も少なくないが、それこそ野暮というものだろう。大学初年度レベルの数学を使っただけであれほどダイナミックでドラマティックな音楽が出来てしまうはずなどないことは、最初からわかりきっている。
  とは言っても、いわゆるクラシック音楽とはかなり違うことは確かなので、どのあたりにポイントを絞って聴くのかを考える際には、作曲の背景を多少気にしてみるのも悪くない。まず、個々の音は最終的にはランダムに選ばれているので、「メロディ」をたどってもしかたない(「ヘルマ」は特に)。彼が決めたのは、もう少し長い時間スケールの間に鳴る音の種類や密度だけなのだから、詰め込まれた音の数の多さに惑わされずに、響きの移り変わりをゆったりと聴いていればいい。MTVによく出てくる、数秒ごとにパターンの変わるコンピュータグラフィックスを眺めるような感じ、とでも言おうか。
  そして、クラシック音楽のような洗練された形式があるわけでもないので、音楽の流れは作曲者の気持ちの流れに忠実で、それについていけばむしろ聴きやすい音楽だとも言える。しだいに盛り上がっていってふと緩む、そこで気を抜いた途端にドーンと来る。アクション映画を観るようなつもりで気楽につきあえばいい。そう思えば、ピアノ曲などはどれも10分弱で、軽いものだ。逆に、細かい音の動きに耳を奪われて、大きな流れを見失わないようにしたい。彼の作曲理論の枠組の外にある、ギリシャ古典劇を思わせる劇的な構成こそが彼の音楽の本質なのだから。彼の理論は、彼の音響へのヴィジョンと不可分のものであり、彼の理論を形だけ真似ても、面白い作品は書けない。
  あとは、ただ耳を傾けるしかない。彼の音楽の最大の魅力は、音楽用語のあれこれでは表現できない剥き出しの音のパワーにあり、体の奥から湧き上がってくる言葉にならない原初的な衝動に身を任せることが、彼の音楽を楽しむためのポイントである。




# by ooi_piano | 2024-08-21 16:17 | プロメテウスへの道 | Comments(0)
7/7(日)リスト《遍歴時代(巡礼の年)》全曲(約3時間) [2024/06/30 update]_c0050810_11470233.jpg

大井浩明 連続ピアノリサイタル
フランツ・リストの轍、その啓行と跛行

Hiroaki Ooi Matinékoncertek
Liszt Ferenc nyomában, látomásai és vívódásai

松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)

後援 全日本ピアノ指導者協会(PTNA) []

チラシ 

7/7(日)リスト《遍歴時代(巡礼の年)》全曲(約3時間) [2024/06/30 update]_c0050810_11471485.jpg

【第1回】 2024年7月7日(日) 15時開演 (14時45分開場)

ロッシーニ(リスト編):歌劇《ヴィルヘルム・テル》序曲 S.552 (1829/42) 12分
   I. 夜明け - II. 嵐 - III. 牧歌 - IV. スイス独立軍の行進

《遍歴時代(巡礼の年)》 第1年 スイス S.160 (1848/55) 45分
  1. ヴィルヘルム・テルの聖堂 - 2. ヴァレンシュタットの湖 - 3. 牛追唄 - 4. 泉のほとりで- 5. 嵐 - 6. オーベルマンの谷 - 7. 羊追唄 - 8. 郷愁(傷愴と牛飼歌による) - 9. ジュネーヴの鐘(夜想曲)
 ---
第2年 イタリア S.161 (1846/49) 49分
  1. 婚礼 - 2. 沈思の人 - 3. サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ - 4. ペトラルカのソネット 第47番 - 5. ペトラルカのソネット 第104番 - 6. ペトラルカのソネット 第123番 - 7. ダンテを読んで : ソナタ風ファンタジア

第2年補遺 ヴェネツィアとナポリ S.162 (1859) 16分
  1. G.B.ペルキーニの「ゴンドラの金髪娘」による舟唄 - 2. ロッシーニ《オテロ》の船頭歌「猶大いなる苦患なし」(ダンテ)によるカンツォーネ - 3. G.L.コトローによるタランテラ
 ---
第3年 S.163 (1867/82) 45分
  1. アンジェリュス!(御告げの鐘) 守護天使への祈り - 2. エステ荘の糸杉に I : 哀歌 - 3. エステ荘の糸杉に II : 哀歌 - 4. エステ荘の噴水 - 5. ことごとは涙の粒(ハンガリー風の調べで) - 6. 葬送行進曲(メキシコ皇帝マクシミリアーノ1世の追憶に、1867年6月19日) - 7. 心臓を捧げよ


[使用エディション:新リスト全集 (1972/2019、ミュジカ・ブダペシュト社)]

7/7(日)リスト《遍歴時代(巡礼の年)》全曲(約3時間) [2024/06/30 update]_c0050810_11543666.jpg

 《Les Années de pèlerinage》は、フランツ・リスト(1811-1886)のピアノ独奏曲集である。訳語については「巡礼の年」が一般に流布されてきたが、そもそもはゲーテ(1749‐1832)の「ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代」(Wilhelm Meisters Wanderjahre)のフランス初版、"Les années de pélerinage de Wilhelm Meister" に由来しており、また信仰者が巡礼する聖地は作品と関わりがない。
 曲集全体は、「第1年:スイス」、「第2年:イタリア」、「ヴェネツィアとナポリ(第2年補遺)」、「第3年」の4集からなる。20代から60代までに断続的に作曲したものを集めたもので、リストが訪れた地の印象や経験、目にしたものを書きとめた形をとっている。

 先んじて書かれた《旅人のアルバム》 (Album d'un voyageur) S.156は、「第1年:スイス」の原型となる作品集だ。「印象と詩」 (Impressions et poésies) 、「アルプスの旋律の花々」 (Fleurs mélodiques des Alpes) 、「パラフレーズ」 (Paraphrases) の3部19曲からなる。1836年より第3部、第2部、第1部の順に出版され、1842年に《旅人のアルバム 第1年 スイス》としてまとめて出版された。
 若いリストが1835年から1836年にかけてマリー・ダグー伯爵夫人と共に訪れたスイスの旅先を、「もっとも強い感動、もっとも鮮明な印象」を表現している。

第1部:印象と詩
1. リヨン Lyon
2a. ヴァレンシュタットの湖で Au lac de Wallenstadt
2b. 泉のほとりで Au bord d'une source
3. G*****の鐘 Les cloches de G*****
4. オーベルマンの谷 Vallée d'Obermann
5. ウィリアム・テルの聖堂 Chapelle de Guillaume Tell
6. 詩篇 Psaume
 第1、6曲を除いて《遍歴時代 第1年》に引き継がれた。第1曲「リヨン」はフランスの街であるため除かれた。第3曲で、ジュネーヴ (Genève) をなぜ伏せ字にしたのかは不明である。

第2部:アルプスの旋律の花々
 全9曲が無題である。このうち第2曲を《遍歴時代 第1年》の第8曲「郷愁」、第3曲を同第3曲「パストラール」へと改訂している。

第3部:パラフレーズ
1. F.フーバーの牛追い歌による即興曲 Improvisata sur le ranz de vaches de F. Huber
2. 山の夕暮れ Un soir dans les montagnes
3. F.フーバーの山羊追い歌によるロンド Rondeau sur le ranz de chèvres de F. Huber
 フェルディナント・フーバー(第1、3曲)とエルネスト・クノップ(第2曲)の歌によるパラフレーズ。《遍歴時代 第1年》には引き継がれていない。


 《遍歴時代 第1年:スイス》は、《旅人のアルバム》の第1部の5曲と第2部の2曲を改訂し、さらに2曲を追加した曲集になった。1855年、ショット社から出版された。

第1年 スイス S.160 (1848/55) 

1 ヴィルヘルム・テルの聖堂 Chapelle de Guillaume Tell
 ウィリアム・テルはシラー(1759‐1805)の戯曲によって知られるスイス独立の英雄。彼にゆかりの聖堂は湖のほとりにある質素な礼拝堂だ。リストはここに独立運動の勝利とよろこびと聖歌の歌声を聞いたのかもしれない。

2 ヴァレンシュタットの湖 Au lac de Wallenstadt
 冒頭にバイロン(1788‐1824)の劇詩『チャイルド・ハロルドの遍歴』から一節が記されている。「湖は私が住んでいる俗世間とはまるで異なり、その静けさは私に教える。地上のわずらわしい水を捨てて、清純な泉を見つけるように、と」。リストとダグー伯爵夫人は淋しいこの湖を好んだ。

3 牛追唄 Pastorale
 田園曲。アッペンツェルの牛飼いの歌。

4 泉のほとり Au bord d'une source
 冒頭にシラーの詩の一節。「さざめく冷たさのなかで、若い自然のたわむれがはじまる」。水のきらめきがあざやかに表現され、華麗な技巧と詩的な楽想、ともに美しい。

5 嵐 Orage
 冒頭にバイロンの一節が記されている。「おお、嵐よ。汝の行く先はどこか。汝は人間の息に似たものか。あるいは鷲のように高みに巣をもっているのか」。

6 オーベルマンの谷 Vallée d'Obermann
 セナンクール(1770‐1846)の小説『オーベルマン』(1804)に基づく。小説は書簡体で、青年の人生への迷いや疑いがたたきつけるようにつづられる。《旅人のアルバム》のときにすでに完成されていた。若いリストが書いた会心の作品。 "Que veux-je? Que suis-je? Que demander à la nature?" (なにを俺は望むのか。俺はなにものなのだ。自然になにを望むのだ) 

7 羊追唄 Eglogue
 冒頭にバイロンの一節がある。「朝がふたたび明ける。さわやかな朝がすべての香気を吸いこみ、あらゆる花をあつめ、楽しいほほえみをもって雲を笑い、大地が墓などもっていないように、生きている」。

8 郷愁 Le mal du pays
 セナンクール「オーベルマン」からの長大な引用が序文として掲げられている。村上春樹の小説(2013)では、この曲が重要なモチーフとして登場する。

9 ジュネーヴの鐘(夜想曲) Les cloches de Genève
 1835年12月18日、リストとダグー伯爵夫人の間に長女ブランディーヌが生まれた。わが子の無事を祈る安らぎに満ちた音楽。


第2年 イタリア S.161 (1846/49) 

1.婚礼 Sposalizio
 ミラノのラファエロ(1483‐1520)の絵画「聖母の婚礼」による。聖ヨゼフと聖マリアの婚礼を描いた作品。

2. 沈思の人 Il penseroso
 ミケランジェロ(1475‐1564)の彫刻「瞑想」に基づく。フィレンツェのサン・ロレンツォ教会にあるメディチ家の墓に刻まれた作品。

3. サルヴァトール・ローザのカンツォネッタ Canzonetta del Salvator Rosa
 ローザ(1615‐1673)はイタリアの画家で詩人、歌手としても知られた。この作品は現在ではボノンチーニ作とされている。

4. ペトラルカのソネット 第47番 Sonetto 47 del Petrarca
 ペトラルカ(1304-1374)はダンテ(1265‐1321)に続くイタリアの大詩人である。《カンツォニエーレ》はイタリア文学史上、不滅の輝きをはなつ。

 祝福あれ、かの日、かの月、かの年よ、/ かの季節、かの時間、かの刻、かの瞬間よ / かの美しの国 二つの眸に縛られて / その眼と契り結びし かの処よ。
 祝福あれ 初めての甘い苦しみ、 / “愛”と結ばれて受けたる苦しみ / わが身突き刺せる弓も 矢も / 心の底までとどいた深傷よ。
 祝福あれ あまたの呼び声よ、 / わが女人の名呼び 撒き散る声よ / 溜息に 涙に 憧れに。
 祝福あれ かの人の名声高める / あまたの草稿に 他処には眼もくれず / ひたすら馳せゆく女への想いよ。

5. ペトラルカのソネット 第104番 Sonetto 104 del Petrarca

 平和な心がえられない 戦を挑む力なく / 恐れては望み 燃えては氷となる、 / 空高く翔けゆき 大地にひれ伏し / 虚空を摑み 世界をしかと抱き締める。
 かのひとが捕える牢獄は 開きもせず 閉じもせず / 仕掛けた罠は 囚われ人を解きもせず 縛りもせず / “愛”の鎖は殺めもせず 解きもせず。 / わが生きるを希わず 邪魔者から救いもせず。
 盲いて眺め 舌失くして泣き叫ぶ / 滅びるを切に願い 助けを乞う / 自らに愛想をつかせ 他人を愛す。
 悲しみを糧として 涙でほほ笑む。 / 生きるも死ぬも どちらも嫌い、 / あなたゆえに 女よ このありさま。

6. ペトラルカのソネット 第123番 Sonetto 123 del Petrarca

 地上で ふと眼にふれた天使の装い / 世にかけがえのない天上の美 / 想い返せば歓び溢れ 悲しみに沈み / 何処を見ても映るは 夢か影か煙のごと、
 眼に入るは 太陽も幾千度妬みを味わう / 双眸の涙ぐむを、耳にするはその / ことばの 溜息まじりの囁きを、 / かくて山も動き 川さえも流れ止めるか
 “愛” “思慮” “淑徳” “慈悲” “悲哀” / それらが涙ながらに奏でた 一曲の協奏曲 / いずこの世の人声よりも甘美にして、
 天空も かかる和声に聞き惚れて / 梢にさえ 葉のひとひらのそよぎなく / 大気も風も 妙なる甘美に包まれており。

7. ダンテを読んで Après une Lecture du Dante
 リストは1837年にコモ湖畔に滞在中、ダンテ(1265–1321)の《神曲》を読んで感銘を受けた。標題はユーゴーの詩集「内なる声」の中の一篇からとられており、ダンテ《神曲》の「地獄篇」の凄惨な情景を描き出している。


第2年補遺 ヴェネツィアとナポリ S.162 (1859)

1 G.B.ペルキーニの「ゴンドラの金髪娘」による舟唄 Gondoliera
 ジョヴァンニ・バッティスタ・ペルキーニのカンツォネッタ「小さいゴンドラのブロンド娘」(La biondina in gondoletta) による舟歌。

2 ロッシーニ《オテロ》の船頭歌「猶大いなる苦患なし」によるカンツォーネ Canzone
 ロッシーニ(1792‐1868)の歌劇『オテロ』の一節、「われ彼に 幸なくて幸ありし日しのぶより なほ大いなる苦患なし」(ダンテ《神曲》)に基づく。

3.G.L.コトローによるタランテラ Tarantella
 タランテラはイタリア・ナポリの舞曲。激情的な舞曲に始まり、中間部は美しいカンツォーネとなる。

 
第3年 S.163 (1867/82)

 1883年に出版された。多くはリストが挫折し精神的に憔悴しきっていた1877年に作曲されていて、1840年頃にほとんどの原曲がある、それまでの作品集とは40年ほどにも及ぶ隔たりがある。

1. アンジェリュス!(御告げの鐘) 守護天使への祈り Angélus! Prière aux anges gardiens
 アンジェリュスとはカトリックの御告げの祈り、またはその時を知らせる鐘のこと。次女コジマとビューローとの間に生まれた初孫ダニエラ・フォン・ビューローに捧げられている。

2. エステ荘の糸杉に I : 哀歌 Aux cyprès de la Villa d'Este I: Thrénodie
 エステ荘はティヴォリ公園にある16世紀の城館で、糸杉と噴水によって知られる。リストは枢機卿に三部屋を無期限で貸し与えられ、1877年8月に落ちついて創作に励んだ。「三日間にわたって糸杉の下にいた。糸杉がつきまとって、ほかのことは何も考えられない。その枝が歌い、泣く声がきこえる」と書いた。マリー・ダグー伯爵夫人は前年1876年に死んでいた。

3. エステ荘の糸杉に II : 哀歌 Aux cyprès de la Villa d'Este II: Thrénodie
 リストの書簡によれば、この糸杉はエステ荘ではなく、ローマの教会の糸杉から霊感を受けたという。ミケランジェロ(1475‐1564)が植えたと言い伝えられていたが、1882年にそれは事実と異なることが明らかになり、当初の「ミケランジェロの糸杉」から現在の題に差し替えられた。

4. エステ荘の噴水 Les jeux d'eaux à la Villa d'Este
 ラヴェル(1875‐1937)の「水の戯れ」やドビュッシー(1862‐1918)の「水の反映」といった、フランス印象主義音楽を予見する作品。主題が嬰へ長調からニ長調にうつる場面でヨハネ福音書(第4章 13‐14節)の言葉が記される。「私の与える水を飲むものはいつまでも渇きを知らないだろう。私が与える水はその人のなかで、永遠の命に湧き出る水の泉となる」。

5. ことごとは涙の粒(ハンガリー風の調べで) Sunt lacrymae rerum/En mode hongrois
 1872年に作曲され、ハンス・フォン・ビューローに献呈。「ことごとは涙の粒」は、ウェルギリウス「アエネーイス」におけるトロイア陥落の場面に現れる一節である。元々は「ハンガリー哀歌」という曲名であったことから、トロイア陥落とハンガリー革命(1848-1849)の失敗を重ね合わせて、国に殉じた者たちに捧げた哀歌とした。

6. 葬送行進曲 Marche funèbre
 1867年に作曲。銃殺されたメキシコ皇帝マクシミリアーノ1世の追悼のための葬送音楽で、皇帝の死後すぐに書かれている。

7 心臓を捧げよ Sursum corda
 直訳すれば、カトリックでは「心をあげて主を仰がん」(ミサ序唱の初めの応唱の部分)。また「心を上に向けよ」(不幸などで沈み込んでいる人を勇気づける言葉)。(山村雅治)



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(予告)

【第2回】 2024年11月10日(日) 15時開演 (14時45分開場)

演奏会用大独奏曲 S.176 (1849)
ハンガリー狂詩曲第2番 S.244-2 (1847)
マイアベーア《ユグノー教徒》の主題による大幻想曲 S.412 (1842、最終版)
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スペインの歌による演奏会用大幻想曲 S.253 (1845)
バラード第2番 S.171 (1853)
死の舞踏 S.525 (1865) [作曲者編独奏版]
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ドニゼッティ《ルクレツィア・ボルジア》の回想 S.400 (1840)
半音階的大ギャロップ S.219 (1838)
モーツァルト《ドン・ジョヴァンニ》の回想 S.418 (1841)



【第3回】 2025年1月12日(日) 15時開演 (14時45分開場)

マイアベーア《悪魔のロベール》の回想 S.413 (1841)
ハンガリー狂詩曲第14番 S.244-14 (1846)
ギャロップ S.218 (1841)
ベルリオーズ《レリオ》の主題による交響的大幻想曲 S.120 (1834) [独奏版]
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J.S.バッハのカンタータ第12番《泣き 歎き 憂い 慄き》の通奏低音と《ロ短調ミサ》の「十字架に釘けられ」による変奏曲 S.180 (1862)
ハンガリー狂詩曲第6番 S.244-6 (1847)
モーツァルト《フィガロの結婚》と《ドン・ジョヴァンニ》の動機による幻想曲 S.697 (1842/1993) [L.ハワード補筆版]
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ベッリーニ《清教徒》の回想 S.390 (1836)
スケルツォと行進曲 S.177 (1851)
パガニーニによる超絶技巧練習曲集 S.140 (初版、1838) [全6曲]



【第4回】 2025年3月9日(日) 15時開演 (14時45分開場)

交響詩《前奏曲》 S.511a (1855/85) [作曲者/K.クラウザー編独奏版]
ハンガリー狂詩曲第12番 S.244-12 (1847)
パガニーニの「鐘」による華麗な大幻想曲 S.420 (1832)
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ベッリーニ《ノルマ》の回想 S.394 (1841)
スペインの主題「密輸業者」による幻想的ロンド S.252 (1836)
マイアベーア《預言者》のコラール「我らに救いを求めし者たちに」による幻想曲とフーガ S.259 (1850/97) [ブゾーニ編独奏版]
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オベール《ポルティチの唖娘》による華麗なるタランテラ S.386 (1869)
メンデルスゾーン《真夏の夜の夢》の「結婚行進曲」と「妖精の踊り」 S.410 (1850)
ハンガリー狂詩曲第15番 「ラコッツィ行進曲」 S.244-15 (1853)
管弦楽のない協奏曲 S.524a (1839)


7/7(日)リスト《遍歴時代(巡礼の年)》全曲(約3時間) [2024/06/30 update]_c0050810_12011162.jpg



# by ooi_piano | 2024-06-30 02:52 | Comments(0)
3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_19263419.jpg

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【最終公演】 2024年3月22日(金)19時開演(18時半開場)


F.シューベルト:《楽興の時 D 780》(1823/28) 25分
I. Moderato - II. Andantino - III. Allegro moderato 「ロシアの唄」
- IV. Moderato - V. Allegro vivace - VI. Allegretto 「吟遊詩人の嘆き」

M.フィニッシー(1946- ):《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》
(1823/2023、献呈初演) 16分

(休憩10分)

近藤譲(1947- ):《ペルゴラ》(1994/2024、フォルテピアノ独奏版初演 8分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第21番変ロ長調 D 960》(1828) 35分
I. Molto moderato - II. Andante sostenuto
- III. Scherzo. Allegro vivace con delicatezza - IV. Allegro ma non troppo


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]




M.フィニッシー:《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》 (1823/2023)
 シューベルトのソナタ断片D769Aは1823年頃の作品。ソナタ(ホ短調)の冒頭部分で、1ページしか残っていない。「Fortsetzung」という言葉は通常「続き」と訳されるが、私の作品は「続き」ではなく、シューベルトの現存する断片的な草稿を再文脈化(re-contextualise)している。この作品では、シューベルトのピアノ連弾のための《ハンガリー風ディヴェルティメント D 818》(1824)や、1822-23年のシューベルトの2つの歌曲、《愛は裏切られ D 751》《貴方は私を愛していない D 756》も参照したが、後者はシューベルトの未完ソナタ《レリーク D 840》の私の補完稿(2017)にも登場している。
 シューベルトは「遠い人」であり、私の心を込めた補作は気に入らないかもしれないが、東欧の民俗音楽へのアウトサイダー的な興味は彼と共有している。研究の後には、努力と空想と想像がある。(マイケル・フィニッシー)


マイケル・フィニッシー Michael Finnissy, composer
 1946年3月、テムズ川の南、ロンドンのランベス区に生まれる。 父親は写真家・記録家で、第二次世界大戦後のロンドンの爆撃被害と再建問題を記録していた。4歳から断続的にピアノを習い、独学で作曲を始める。奨学金を得て、ロンドンの王立音楽大学でバーナード・スティーヴンスに師事、さらにイタリアでローマン・ヴラドに師事。ブライアン・ファーニホウと出逢い、書簡で議論を重ねる。1977年、フライブルク=イム=ブライスガウでピアニストとしてデビュー。ダーティントン・サマースクール、サセックス大学、ルーヴェン・カトリック大学、英国王立音楽アカデミーで教鞭をとる。1990年、国際現代音楽協会(ISCM)会長に就任、1993年に再選され、1998年には同協会終身名誉会員となった。1999年から2018年までサウサンプトン大学教授、現在は名誉教授。2008年に英国王立音楽院フェロー、2023年にクーセヴィツキー賞。


近藤譲:《ペルゴラ》(1994/2024) [フォルテピアノ独奏版]
 曲題「ペルゴラ」は、例えば藤棚のような、蔓性の花樹や果樹で作ったトンネル状の四阿の意。元の編成はフルートとピアノの二重奏だが、ピアノ伴奏付きのフルート曲というよりも、フルートのオブリガートを伴うピアノ曲であった。旋律楽器とピアノという二重奏のための私の作品では、大抵の場合、ピアノが音楽の持続を担う役割を果たしている。(近藤譲)


3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_19262350.jpg


 ロバート・レヴィン(ハーヴァード大学名誉教授)がシューベルト《2つの断章 D 916B/C》の自身による補筆稿と併せて2015年に発表したシューベルト奏法概論(約2万2千字)は、古楽器ならびに歴史的演奏実践を注意深く踏まえている点で例外的な文献である。この論考を叩き台として参照しつつ、現時点で妥当と思われる落としどころについて、幾つか省察を行う。いわゆる「古楽奏者とモダン奏者の温度差」や「古楽器へのアプローチ方法」については、10年前に《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》シリーズのためのプログラムノートで詳説した。

 シューベルトの存命中、フォルテピアノ製造の中心地はウィーン、パリ、ロンドンの3都市だった。エラール(パリ)やブロードウッド(ロンドン)から楽器を譲り受けながらも、ベートーヴェン、そして無論シューベルトのクラヴィア書法は、あくまでウィーン方式の楽器を前提としていた。ハンマーシャンクの方向と打弦位置、フェルトではなく革で覆われた小さなハンマーヘッドにより、打鍵速度は俊敏で、明瞭なアーティキュレーションに長けていた。英仏の丸みを帯びた、いわゆる「歌うような」響きに対し、ウィーン方式では「語る」ように設計されている。クラヴィコードやチェンバロの流れを汲む後者は、シューベルトの死後急速に廃れ、前者の優勢は延いてはモダンピアノへと結実してゆく。ロマン派の嚆矢として解釈されがちのシューベルトは、少なくとも使用楽器の外形的な特性については、モーツァルト・ベートーヴェンと同じカテゴリーに属している事に留意が必要である。

 ベートーヴェンのクラヴィア曲では、世紀をまたがりつつ5オクターヴから5オクターヴ半へじりじりと使用音域を拡げていったが、彼のホームグラウンド(そして当時の常識)は5オクターヴ半であり、Op.106(1818年)でもそれに準じて音域を狭めたロンドン初版が作成された。
 対照的に、若いシューベルトは所与のものとして高音域を渉猟し、ベートーヴェンでは最晩年のバガテルでのみ無茶振りされる「高音域へのクレッシェンド」も、屈託なく指示される。一方、低音域はE1を絶対に下回らない。ソナタ第14番D 784第3楽章で、ベーレンライター版でD1と太字で印刷されている音符は、初版ではもちろんD(1オクターヴ上)であった。

3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_20220139.jpg

 シューベルトが作曲を始めた頃には、膝レバーは足ペダルに置き換えられ、ダンパーペダルも使いやすくなった。フンメルの教則本(1827年)では、「ダンパーをあげたままの演奏の流行は、未熟者の隠れ蓑である」「学習者はペダルを控えるべき」「ペダルの濫用に耐えられるのは鈍麻な耳の持ち主だけである」と、烈しい語気で戒めている。ことにシューベルトの中庸のテンポの楽章で、モダンピアノに準じてダンパーペダルを使用すると、途端に「語るような」アクションが不規則・不如意にかき乱されるため(生理的に弾きにくい)、むしろチェンバロ並みのかなり思い切った節制を余儀なくされた。
 チェルニーの教本(1839年、シューベルトの死から11年後)では、ダンパーペダルを徐々に活用し始めたのは「ベートーヴェン(1770-1827)、ドゥシーク(1760-1812)、シュタイベルト(1765-1823)」以降であり、ペダルを頻用する新しい作曲家達として「リース(1784-1838)、カルクブレンナー(1784-1849)、フィールド(1782-1837)、ヘルツ(1803-1888)、リスト(1811-1886)、タールベルク(1821-1871)、モシェレス(1794-1870)」を挙げている。そこにシューベルト(とショパン)の名は無い。

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 シューベルト時代の弱音ペダルには2種類あり、1つはシフトペダル、もう1つはモデラートペダルである。ベートーヴェンOp.110(1821年)では、3本弦から2本弦、そして1本弦へとシフト指定がしてある(モダンピアノでは不可能)。シューベルトでシフトペダル(mit Verschiebung)が書き込まれているのは、ソナタ第16番第3楽章トリオとソナタ第17番第2楽章だけである。音楽面で際立った楽句でもないので、(シューベルト自身による)出版時の気まぐれな追加に見える。
 シューベルト作品でのpppはモデラートペダルの使用を指す、という口頭伝承は、ソナタ第14番第2楽章(1823)での8分休符で枠取りされた短い挿入句「sordini」に由来する。歌曲《テクラ D595》と《死と乙女 D 531》(どちらも1817年)でsordiniはPed.と同時に併記されているため、この説を補強している(違う種類のペダルを指している事になる)。
 pppの楽句が休符等で枠取りされていれば良いが、そもそもpppはppからの連続で現れる事も多い。ダンパーペダルと併用される条件下で、シフトペダルとモデラートペダルは連続させることが出来ない。シフトペダルの効き具合には楽器の個体差があるようである。
 シューベルト中期ソナタの冒頭第1主題は、第13番イ長調(p)、第14番イ短調(pp/ユニゾン)、第15番ハ長調(p/ユニゾン)、第16番イ短調(pp/ユニゾン)と云った調子で、たとえp/ppと書かれていても、シフトペダルで輝きを減じさせて大ソナタを開始出来るものなのか、という疑問がある。シフトペダルが無ければ即死するか、と言われれば、《さすらい人幻想曲》第2部後半(1822)を除けば、おおよそどの曲も演奏可能であった。チェルニー曰く、「シフトペダルは滅多に用いてはならない」「最も美しく賞賛に値する弱音は、常に指の柔らかいタッチだけで作り出す物である」。さらには、「ファゴットペダルは、しっかりした演奏家なら決して使わない子供騙しである」

3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_20242077.jpg
3/22(金) シューベルト:クラヴィアソナタ第21番/楽興の時 + M.フィニッシー献呈作/近藤譲初演 [2024/03/17 update]_c0050810_20242904.jpg

 シューベルト自筆譜のアクセント記号は、大きさも長さもまちまちで、時には(=五線譜にスペースがある時には?)斜め上方に伸ばされており、デクレッシェンドと区別が付きにくい。ベーレンライター社の新シューベルト全集は、一説には「長さだけで」即物的に判断してアクセント記号に統一しているため、この点で長らく悪名高い。
 アクセント記号についてはやや配慮した他社の新しいエディションには、漏れなく編者による指使いが付け加えられており、その点のみがベーレンライター版の優位を保証していたが、2011年の《即興曲集》《楽興の時》の新訂版では何故かわざわざ指使いを添加し、旧版を絶版にしてしまった。モダン奏者による「レガート優先」の愚鈍な指使いに煩わされないためには、ベーレンライター社ライセンスによるヤマハミュージックメディアの日本版(2001年)を入手するしかなくなったが(!)、これも既に国内の在庫は払底している。
 2015年以降、ウィーン科学研究技術基金(WWTF)のウェブサイトでシューベルトの自筆譜ならびに初版譜等は無料ウェブ公開が開始され、20/21世紀の原典版の校訂報告と照らし合わせなくとも、第1次史料に容易にアクセス可能となったのは喜ばしい。初版譜をそのままプリントアウトして使用すれば、少なくとも「指使い」問題は解決される。

 シューベルトのディミヌエンド(dim.)には、デクレシェンド「かつ」リタルダンドが含意される、という口頭伝承も厄介である。《3つのクラヴィア曲 D 946》第1曲中間部の最後のように、ppでdecresc.した直後、pppがdimin.されて冒頭に回帰するような、一目見て分かりやすい箇所ばかりではない。構造上の区切りの前に出現するのは良いとして、変に早すぎるタイミングでのdim.指定も少なからず見かける。ただ、「ベートーヴェンは初期にはdecresc.を使っていたが後年はdim.に移行した一方、シューベルトは初期から両方同時に使用している」「a tempo指示はdim.のあとに書かれてもdecresc.の後には書かれない」等の指摘は傾聴に値する。

 快速テンポで3連符が付点と一致するのは、18世紀以来親しまれた記譜法に過ぎず、シューベルト《グレート》(1826)の両端楽章とショパン《ロンド ハ短調 Op.1》(1825)は同じ慣行に従っている。ソナタ第19番第2楽章等の6連符での一致も同様である。どうしても諦めきれない場合は、彼らの自筆譜での音符位置を眺める事である。
 シューベルトやショパンの新全集が現れる以前と以降の解釈差がはっきり分かりやすいのはこのリズムの扱いあたりで、シューベルトでは往年の巨匠は苦心して付点を詰めているし、21世紀でもショパンホ長調前奏曲をワルシャワ優勝者は律儀に一致させている(主催者からお達しが来るのだろうか)。

 シューベルト時代の繰り返し記号は、任意ではない事を認めなければならない(閉館時間を気にしなくて良いのなら)。クラヴィア三重奏曲第2番第4楽章を846小節から約100小節ぶん刈り込んだ際、シューベルトは繰り返し記号を削除した。(繰り返しが任意ならそんな事をする必要はない)。翻って、《楽興の時》第1番の再現部、ヘ短調即興曲の再現部には繰り返し指定は無い。
 《3つのクラヴィア曲 D 946》第1曲は、A-B-Aの3部形式であるが、元々はA-B-A-C-Aであった初稿を、シューベルト自身が最後の2セクションを抹消した。1828年の自筆譜が、40年後に初めて公刊された際、校訂者ブラームスは削除された2セクションを断り無しに復活させた。この「古い」楽譜をそのまま使った演奏もある(アラウ、ピレシュ、内田etc)。本来なら、ハース版とノヴァーク版の殴り合いになりそうなトピックスだが、聴き手の関心は呼んでいないようである。

  シューベルトの生前に出版されたクラヴィア曲は限定的である。レントラー・エコセーズ・ワルツ・ギャロップ等の舞曲集(D 145 / 365/ 734/ 735/ 779/ 783/ 924/ 969)、連弾作品(D 599/ 602/ 617/ 624/ 675/ 733/ 773/ 813/ 819/ 818/ 823/ 824/ 859/ 885/ 951)を除けば、独奏曲としては《さすらい人幻想曲》(1823年出版)、ソナタ第16番イ短調「大ソナタ第1番」(1826年出版)、同第17番「大ソナタ第2番」(1826年出版)、同第18番「幻想曲」(1827年出版)、《即興曲 D 899》(1827年出版、第1・第2曲のみ)、《6つの楽興の時》(1828年出版)を数えるのみであり、残りは公刊前の推敲を経ない「遺作草稿」に過ぎない。言い換えれば、D 850の最終草稿と出版譜の差異程度の斟酌は、演奏者の裁量に任されている。バッハ・モーツァルト・ベートーヴェンの諸作とは事情が異なり、少なくともシューベルトの遺作群に関しては、1820年代当時の楽器で演奏されるのは20世紀/21世紀を待たねばならなかった
 
 シューベルトの1818年から1825年にかけてのクラヴィアソナタは、4曲の完成作品と5曲の未完成作品からなっている。シューベルトの未完成作品の補筆作業の意義は、偏に「現代人が『シューベルト様式』でゼロから作曲したもの」より、明瞭に上質なものが出来上がる点にある。
 補筆にあたっては、シューベルト全作品の「悉皆調査」は当然の大前提であるとして、クラシック作品の「どこが面白いか(特別か)」についての直観的洞察力が問われる。嬰へ短調ソナタ(第8番)D 571では、マルコム・ビルソン、バドゥラ・スコダ(ヘンレ版)、マルティノ・ティリモ(ウィーン原典版)他の補筆例は、どうしても辛抱が出来なくなって余白を塗りつぶしてしまいがちなのに対し、2月16日公演で初演したロバート・レヴィン版(未出版)では、聴衆の想像力を誘発する余韻と悠揚迫らぬエレガンス、「何てことない機微」の決定的なセンスの差があるように感じられる。
 この嬰へ短調ソナタ D 571については、ベーレンライター社の「シューベルト初期ソナタ集(第1巻)」は、2000年のエディション(BA5642)では、(伝統的に欠落楽章を補綴するとされる)D 570/ 571が含まれていた。(D 604は大冊のBA 5525にしか採録されず)。ところが奇妙なことに、2022年の新訂エディション(BA9642)では丸ごと削除されてしまった。旧エディション(BA5642)は、前掲の《即興曲集》と同様に廃版状態であり、「国立音大のアカデミア出張売店に売れ残っていた」のが国内最後の1冊だったようである。(大井浩明)



# by ooi_piano | 2024-03-17 19:18 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)
2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15490018.jpg


大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席)
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【第4回公演】 2024年2月16日(金)19時開演(18時半開場)

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第8番嬰へ短調 D 571》(1817/1997)
[R.レヴィンによる補筆完成版/日本初演]  8分

F.シューベルト:《3つのクラヴィア曲 D 946》(1828) 23分
I. Allegro assai - II. Allegretto - III. Allegro

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第16番イ短調(「大ソナタ第1番」)D 845》(1825) 35分
I. Moderato - II. Andante poco mosso
- III. Scherzo. Allegro vivace /Trio. Un poco più lento - IV. Rondo. Allegro vivace

(休憩 10分)

南聡(1955- ):《帽子なしで: a Capo Scoperto Op.63-4》(2023、世界初演) 5分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第20番イ長調 D 959》(1828) 35分
I. Allegro - II. Andantino
- III. Scherzo. Allegro vivace / Trio. Un poco più lento - IV. Rondo. Allegretto


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]




南聡:《帽子なしで》(2023、委嘱初演)
  極めて圧縮された奇想的なファンタジーである。シューベルトのファンタジーが残骸のようにちりばめてあるが、音楽の質量の差を際だだせる効果を曲のなかで形成することが狙いだった。その他、師匠の初期作であるファンタジーの一節を同時に引用した。師へのささやかな敬意表明と追悼の意をこめた。当初二曲でセットにしようとしたが適当な二曲目を作ることができなかった、そのため、短いながら単独の曲となった。
 作品63は老いの遊興といったかんじの独奏曲・室内楽をあつめたもの。相互の関連性は室内楽以外ない。独奏曲は衛星的な存在だ。(南聡)

南聡 Satoshi MINAMI, composer
2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15503474.jpg
  1955年生まれ。東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程修了。在学中作曲を野田暉行、黛敏郎に師事。 1982年今日の音楽国際作曲コンクール入選。 1983年日本音楽コンクール作曲部門2位(1位空位)。 1983年より八村義夫の周辺に集まった、中川俊郎、久木山直、内藤明美らと同人グループ「三年結社」を結成活動。 1986年北海道に移住。 1988年日本現代音楽協会と日本フィルの共催コンサートで初演された、独奏ハープを伴うオーケストラのための《譬えれば・・・の注解》によって注目される(2003年アジア音楽祭に入選)。 1990 年環太平洋作曲家会議に参加。 1991 年オーケストラのための《彩色計画Ⅴ》の初演が評価され村松賞。1992年3人の独奏と3群のための《歓ばしき知識の花園 Ib》にて文化庁舞台芸術奨励賞。同年ケルンでの日本音楽週間 '92 に湯浅譲二、藤枝守らとともに招かれ、室内アンサンブルのための《昼Ⅱ》の委嘱初演と自作に関する講演を持つ。 2001年ISCM 世界音楽の日々に3楽器のための《帯 / 一体何を思いついた?》 (1998)が入選。翌 2002 年にも8人の奏者のための《日本製ロッシニョール》 (1994) が入選した。現在は、北海道教育大学岩見沢校教授を経て同校名誉教授、日本現代音楽協会会員、荒井記念美術館評議委員、北海道作曲家協会会員。






「補筆完成」などあり得ない
川島素晴

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15463051.jpg
 作曲家が様々な理由で完成できなかった作品を、後世の別人が補筆して完成させるということはしばしば行われてきた。例えばマーラーの《交響曲第10番》の場合は、第1楽章がほぼ完成していて、残る楽章をクックが補筆完成したものが広く演奏されているが、これは、作曲者が遺したスケッチなどを参照して、その様式によって完成を試みるものである。この手のものでは(2月14日に没後1年となる)ツェルハによるベルクの《ルル》3幕版などが有名だが、ツェルハのように補筆者が作曲家として活動している場合、その献身的な労力たるや、想像を絶するものがある。この二つに共通するのは、作曲者の逝去により絶筆、未完となった作品という点だが、補筆者が、学者としての活動がメインの場合と、現役で作曲活動もしている場合とでは、その作品性のあり方において異なる背景を見ることになる。学究的な肉薄か、それとも作家性を備えた筆による作品としてのリアリティか。前者に傾けば芸術性への疑義が、後者に傾けば学術的な疑義が生じ、どちらに対しても、それぞれの立場で賛否が分かれることだろう。つまり、どちらの立場からも完全なる同意や納得を得る仕事は、なかなか困難なのではなかろうか。

 一方、ベリオが、シューベルトの未完の交響曲を素材として作曲した《レンダリング》の場合は、ベリオ自身が「修復」作業と位置付けているように、遺された部分以外の埋め合わせを、シューベルト様式を逸脱してベリオのオリジナル部分によって行っている。この場合は、学究的な態度を残しつつ、作曲家独自の「作品」としても位置付ける取り組みとなっているわけだが、こうなると、もはやオリジナル作品としてみなされることで、学究的な意味での批判は免れる(というよりは無視することになる)だろう。実際、この作品はベリオの管弦楽作品の中でも再演回数が多いものの一つであり、ある種の「現代音楽マーケティング」成功例とも考えられよう。

 今回のコンサートシリーズにおけるレヴィンの態度が学究的なものの究極とすれば、フィニッシーの態度はオリジナルであることを厭わない態度の究極である。そもそもフィニッシーは、民謡や既存の名曲を素材に、編曲と称して全く原型を留めない作曲を行うことでよく知られている。原作者の様式に忠実に、などという考えは毛頭ないであろうことは想像に難くない。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15463987.jpg
 では、レヴィンの試みが、果たして原曲作曲家の想定通りに作曲されたものと考えられるのか、と言えば、それはまた別の議論になるだろう。そもそも、作曲家逝去による絶筆ではない作品の場合、それを補筆完成することにはどのような意義があるのだろうか。初演予定に間に合わなくてお蔵入り、初演機会が頓挫してお蔵入り(コロナ禍では頻発した)、などの理由(つまり作曲家自身がそれを完成させる意欲があったに違いないと推定される場合)であれば、それを完成させる意義はあるかもしれない。しかし、作曲者自身が作品の完成を望まず、破棄と同義で完成を放棄したのだとしたら、それを「作曲者の意を汲んで」完成させるということは、ある種の矛盾を孕んでいる。そもそも、本当に「作曲者の意を汲む」のであれば、完成させないことこそが最も意を汲むことなのだから。では仮に、何らかの理由でお蔵入りして絶筆したものだったとしよう。それにしても、作曲家は、いついかなるときもある一定の様式をもって作曲に臨んでいるわけではなく、時代とともに、あるいは人生の様々な場面に応じて、その都度、少しずつでも新しい思考や経験則を伴って作曲を行うものだとするなら、その筆が途絶えたその瞬間の思考に肉薄してこそ「正しい」補筆と言えるわけだが、しかし果たして、そんなことが可能なのだろうか。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15470407.jpg
 ここで、武満徹の《リタニ》のような作曲者自身による補筆完成作品を思い出してみよう。1950年に作曲した《二つのレント》の紛失した譜面を思い起こしつつ1989年に再作曲したというこの作品は、1989年時点の武満の経験値なり審美眼なりが反映しているという意味で、1950年当時のものと異なる姿であることは明白だ。しかし同時に、作曲者自身の手によるものという意味で、これ以上の説得力はないし、その作品性に疑義を呈する必然性はない。1950年当時の完全再現ではないということの批判にどれほどの意味があるだろうか。武満自身が1989年時点での眼が入ることを厭わなかったとしても、それは紛うことなき武満自身の作品である。では仮に、後世の者が、この作業を行ったとしたらどうだろうか。1950年当時の武満を想定すべきなのか、それとも1989年時点の武満を想定すべきなのか。このように、後世の者が補筆する場合は、どちらの武満を想定すべきか、という観点での判断の難しさを提供することになるだろう。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15465051.jpg
 筆者自身の補筆経験として、1998年に行った甲斐説宗(1938-78)の生誕60年、没後20年企画に際して実行した《コントラバスとピアノのための音楽》について振り返りたい。遺族とともに4公演とシンポジウムなどを開催したこのイベントの首謀者だった筆者は、日本初演、未演奏作品の初演などを集めた回を設定し、そこでこの作品を補筆完成、初演した。甲斐本人によって遺されたものは、少しの断片とメモのみであった。その意味では、補筆というよりは事実上の再作曲と言ってよい取り組みだった。40歳を目前に逝去した甲斐の短い創作期間においても、作風には変化が見られる。この作品のメモが遺された時点の作風を想定すべきなのか、はたまた、最晩年に到達した世界を参照すべきなのか。逡巡はあったが、ここでは、学究的な態度を極めることよりは、むしろ自由にアプローチすることとした。しかしながら、甲斐説宗ならばどうしただろうか、という問いは常に保ち続けていた。このイベントの準備のために、遺族の協力のもと甲斐説宗の全作品のスコアも参照し、遺された様々なノートなども参照していたので、当時筆者は26歳と若かったが、その時点で筆者以上に甲斐説宗作品に通じている作曲家はいなかったはずだ。《コントラバスとピアノのための音楽》のために遺された断片とメモは、それを完成させたいと思わせるに足る魅力的なものだったし、この編成のための作品になかなか名曲が存在しないことを思うと、完成させることへのモチベーションは極めて高いものだった。筆者が試みたことは、当該メモが遺された1970年頃よりは少し後の時期である《ピアノのための音楽Ⅰ》(1974)の作風を主体として、最晩年(といってもそのたった4年後ではあるが)の世界も織り込んだ、いわば「甲斐説宗の軌跡」を一作に込めるものだった。だから、当然のことながら、作者自身が生きてこれに取り組んだら、このようにはならなかったであろう。ベリオのように、補筆者(即ち筆者)のスタイルを盛り込むことはしなかった(ただし、調弦変更などに筆者自身のアイデアも含めてはいる)が、しかし、全体としては確実に甲斐自身が書いたはずのものを想定するならそれとは異なる内容であり、それと同時に、どの瞬間も、甲斐自身が書いたかもしれない内容を想定して作業しており、そのことについては(少なくとも他者による作業を凌駕する)自負がある。このような補筆作業の実例、つまり作曲家の創作の軌跡を織り込みつつ細部は作曲家の書法を再現する試みは、他にはあまり存在しないかもしれない。武満が《リタニ》で見せたように、1998年時点からの再作曲作業は、1970年当時の本人の仕事とは異なるものを導くこととなったが、これが適切な作業だったのかどうかは、当然、賛否が分かれるだろう。

2/16(金)シューベルト:ソナタ第8番(レヴィン補筆版)/第16番「大ソナタ」/第20番 + 南聡委嘱新作 [2024/02/06 update]_c0050810_15472567.jpg
 筆者による補筆の実例をもう一つ挙げておく。筆者が師事した師匠である松下功(1951-2018)が舞台作品《影向のボレロ》という新作の委嘱を受けていた。2019年3月24日に福島県白河市で初演されるはずのその作品は、松下自身は全く手付かずの状態で、松下は2018年9月16日に急逝した。その後、主催者による判断で、弟子である筆者が継承することになったのである。管弦楽、合唱のほか出演者総勢200名、正味2時間半に及ぶ全体の中で、幾つか、既存の松下作品を組み入れて上演することは予め決まっていたことだが、残る2時間程度の新しい音楽を作曲しなければならなかった。しかもその依頼を受けたのが9月下旬。本番まで半年を切る状況でのスタートだった。(それだけだったらよかったものの、これ以外の新作8曲の作曲と、本番直前にドイツに一週間滞在する仕事を抱えた状況だった。)組み入れることが決まっていた作品と、白河踊りの音楽など、使うことが決定している素材を軸に、筆者が「作曲」そのものを継承するというオーダーだったため、実際の作業は補筆ではなく、事実上の作曲であった。構想メモのようなものもない全くの手付かずの状況だったため、使用素材以外の事前情報は全く無い。ならば筆者自身の創作として自由に作曲できるかというと、予め組み入れられる素材とのバランスを調停しなければ全体がバラバラになるため、そうはいかない。そこでまず、組み入れることが決まっている松下による3作品と白河踊りを検証し、リズム的な共通点と、旋律的な共通点を見出した。(そのような共通点が存在したこと自体、奇跡的である。)さらに、そのリズム素材と旋律素材を全体の核となす素材として定義した。その上で全体を構築、管弦楽作品や合唱に加え、自身によるピアノや打楽器を用いたブリッジ部分を含めて2時間に及ぶ楽曲を完成させた。構想メモすらない状況での作曲は、補筆とは言えないかもしれない。しかし、既存部分との繋がりもあるので、筆者が筆者のスタイルで作曲したものとも言えない。と同時に、松下の筆ではあり得ず、筆者でなければ実行しないような部分も多々あった。そういった意味では筆者の作品であるが、もしも一から委嘱を受けたなら、全く異なる作品になったであろう。この事例は、作曲者没後の取り組みの実例ではあるものの、前述のマーラー/クックやベルク/ツェルハ、シューベルト/ベリオ等のいずれの例とも異なる、これまた珍しいタイプの補筆完成作業だったと言えよう。この場合はもちろん、松下功の仕事を再現することを目的にしたものではなく、筆者の作品であると思われることを厭わない態度だったが、それと同時に、筆者としては、筆者のオリジナル作品であるという意識もなかった。この作品は何だったのか。筆者自身、明確な答えを未だ持てずにいる。

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 このような稀有な上演を遂行した後、しばらく経ってから、同時期にオペラ《紫苑物語》を完成させていた西村朗と話をする機会を得た。師匠の松下功を継承して舞台作品を完成させたという話をしたところ、西村曰く、「病気を患っていたこともあり、万が一、この《紫苑物語》のオーケストレーションが完成しなかったら、川島さんに頼もうと思っていたんだよ。」本気か冗談かはともかく、ご一緒しているいずみシンフォニエッタ大阪での編曲の仕事などを通じて技術への信頼を得ていることの証左であり、誠に光栄な話だが、実際には、上記の松下功の件もあって、もしも依頼されたとしても手がけることはできなかっただろう。それに、ご承知の通り、《紫苑物語》は全て本人の手によって完成されており、実演に接しその完成度を目の当たりにした筆者は、到底その代行なぞできなかったと感服し平伏したものである。
 補筆してまでして完成に至らしめたいと思うような作品であればあるほど、その本人の筆致を完全再現する、いや、再現しないまでもせめて足元に及ぶ程度の内容になる、ということのハードルが高くなる。とある音楽作品の補筆完成などということは、それが高度なものであればあるほど、とどのつまり絵空事であり、実際に達成をみることなどあり得ないという言説も成立するのではなかろうか。
 ところで、そうした「完全再現」を目的とする補筆作業こそ、昨今話題の生成AIに実行させたらどうなのか。完成度や理念的な観点から、完全再現が実際に達成をみることなどあり得ないのだとすれば、AIをひたすら稼働させて、出力された無数の候補の中から、ベストと考えられるものを選択すればよいのではないだろうか。実際、作曲に関していうと、かなり前からプログラミングを行った上での自動作曲は実行されていた。ここ最近の生成AIの発展を見るだに、生成AIが絶筆作品の補筆完成を行うこと、それも、その候補を無数にはじき出すことは、近い将来に実現する話だろう。しかし、この事実をもってしても、なお、誰の目にも納得のいく補筆完成など存在しない、ということを物語っている。結局のところ、多くの候補が出力されて、それを判定するという過程が存在する以上、そこで全ての人が納得する唯一無二の候補を導くことはできないだろう。
 そう。作曲とは、そういうものなのだ。

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 仮に個人様式を確立していたとしても、そのときまでの体験に根差し、そのときに置かれた状況に影響され、思いついたり立ち止まったり、あるいは破棄してやり直したり、といったことをしながら完成させていく過程は、その作品を書き始めた本人が、その瞬間に紡いでいくことでしか、達成できない。少なくとも筆者は、「AIにはできないであろう仕事」を心がけているし、昨日の自分では思いつかなかった発想を得た瞬間など、AIにも、後世の他人にも、絶対に導けないだろう、という確信を感じている。
 そしてそれは、過去のあらゆる作曲家も同じだったことだろう。真の意味での「補筆完成」など、あり得ないのである。

 「補筆完成」・・・それは、いわば高度な遊戯である。今風に言うなら「◯◯が絶筆した作品を完成させてみた!」という動画をYouTubeにアップロードするかのような。それ以上でも以下でもない、という自覚をもって、こうした作業には臨むべきだろうし、こうした仕事に接するべきだろう。どうせ誰もが認める補筆なぞあり得ないのだから、真顔でその是非を論じても仕方あるまい。ツッコんだり愚痴こぼしたり、ときにスゲーと感嘆しながら、楽しんで聴けばいいのだ。







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# by ooi_piano | 2024-02-05 15:36 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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