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《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_10025244.jpg《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_10031972.jpg




《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席) [3公演パスポート 11,000円 5公演パスポート 18,000円]
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(


F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第13番イ長調 D 664》(1819)、《幻想曲ハ長調「さすらい人」 D 760》(1822)、《クラヴィアソナタ第17番ニ長調「ガスタイナー」 D 850》(1825)
杉山洋一(1969- ):《華(はな) ~西村朗の追憶に》(2023、委嘱初演)
ブリス・ポゼ(1965- ):《フォルテピアノのための「ミニュット3/ミニュット4」》(2021/23、世界初演
【アンコール】 F.シューベルト(F.リスト編):《魔王 D 328》(1815) /S.558-4 (1837/76)

F.シューベルト:《4つの即興曲 D 899》(1827)、《クラヴィアソナタ第14番イ短調 D 784》(1823)、《クラヴィアソナタ第18番ト長調「幻想曲」 D 894》 (1826)
横島浩(1961- ):《マッシュプローム Maschubroom》(2023、委嘱初演)
ブリス・ポゼ(1965- ):《フォルテピアノのための「ミニュット5/ミニュット6」》(2021/23、世界初演
【アンコール】 F.シューベルト(S.ラフマニノフ編):歌曲集《水車小屋の娘》より「何処へ」(1823/1925) [生誕150周年]、G.リゲティ:歌曲集《笛と太鼓とフィドルで》より「懸巣」(2000) [生誕100周年]

F.シューベルト:《4つの即興曲 D 935》(1827)、《クラヴィアソナタ第15番ハ長調「レリーク」 D 840》(1825/2017) [M.フィニッシーによる補筆完成版/日本初演]、《クラヴィアソナタ第19番ハ短調 D 958》(1828)
小林純生(1982- ):《ポホヨラの火の娘たち Pohjola's Daughters of Fire》(2023、世界初演)
【アンコール】 F.シューベルト(F.リスト編):歌曲集《冬の旅 D 911》(1827)より第24曲「辻音楽師」+第19曲「まぼろし」 [S. 561- 8+9] (1840)

F.シューベルト:《3つのクラヴィア曲 D 946》(1828)、《クラヴィアソナタ第16番イ短調(「大ソナタ第1番」)D 845》(1825)、《クラヴィアソナタ第20番イ長調 D 959》(1828)、《クラヴィアソナタ第8番嬰へ短調 D 571》(1817/1997) [R.レヴィンによる補筆完成版/日本初演]
南聡(1955- ):《帽子なしで: a Capo Scoperto Op.63-4》(2023、世界初演)
【アンコール】 F.シューベルト:ソナタ《グラン・ドゥオ D 812》第4楽章(1824) [J.F.C.ディートリヒ/L.シュタルク編独奏版]

F.シューベルト:《楽興の時 D 780》(1823/28)、《クラヴィアソナタ第21番変ロ長調 D 960》(1828)、M.フィニッシー(1946- ):《シューベルト:ソナタ断章 D769a の外衍》(1823/2023、世界初演)
近藤譲(1947- ):《ペルゴラ》(1994/2024、フォルテピアノ独奏版初演
【アンコール】 シューベルト:《クラヴィアソナタ第8番嬰へ短調 D 571》 第3・第4楽章 (1817/1997) [R.レヴィンによる補筆完成版/日本初演]、杉山洋一(1969- ):《華(はな) ~西村朗の追憶に》(2023)


[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]


《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_04414818.jpg
(左から)杉山洋一(11月公演)、ブリス・ポゼ(11月公演)、横島浩(12月公演)、
小林純生(1月公演)、南聡(2月公演)、マイケル・フィニッシー(1月/3月公演)、近藤譲(3月公演)


"Schubertiade von Zeit zu Zeit" (5 concerts)
Hiroaki OOI, fortepiano
Shōtō Salon (1-26-4, Shōtō, Sibuya-ku, Tokyo) Google Map https://shorturl.at/bgzJM
instrument: An original Hammerflügel by Johann Krämer [1825, Vienna, 80 keys, 4 pedals, 430Hz]
4,000 yen
reservation: poc@artandmedia.com (Art & Media Inc.)

Fri. 10 November 2023, 7pm start
Franz Schubert : Sonate Nr.13 A-Dur D 664 (1819), "Wanderer-Fantasie" D 760 (1822), Sonate Nr.17 D-Dur D 850 "Gasteiner" (1825)
Yoichi Sugiyama (1969- ): "Hana - in memory of Akira Nishimura" for fortepiano (2023, world premiere)
Brice Pauset (1965- ): "Minutes 3-4" for fortepiano (2021/23, world premiere)

Fri, 8 December 2023, 7pm start
Franz Schubert : 4 Impromptus D 899 (1827), Sonate Nr.14 a-moll D 784 (1823), Sonate Nr.18 G-Dur "Fantasie" (1826)
Hiroshi Yokoshima (1961- ) : "Maschubroom" for fortepiano (2023, world premiere)
Brice Pauset (1965- ): "Minutes 5-6" for fortepiano (2021/23, world premiere)

Fri, 19 January 2024, 7pm start
Franz Schubert : 4 Impromptus D 935 (1827), Sonate Nr. 15 C-Dur D840 "Die Reliquie" (1825) [+ Michael Finnissy : "Vervollständigung von Schuberts D840" (2017, Japan premiere)], Sonate Nr.19 c-moll D 958
Sumio Kobayashi (1982- ) : "Pohjolas Daughters of Fire" for fortepiano (2023, world premiere)

Fri, 16 February 2024, 7pm start
Franz Schubert : 3 Klavierstücke D 946 (1828), Sonate Nr.16 a-moll D 845 "Première Grande Sonate" (1825), Sonate Nr.20 A-Dur D 959 (1828), Sonate Nr. 8 fis-moll D 571 (1817/1997) [completed by Robert Levin, Japan premiere]
Satoshi Minami (1955- ) : "A Capo Scoperto Op. 63-4" for fortepiano (2023, world premiere)

Fri, 22 March 2024, 7pm start
Franz Schubert : Moments musicaux D 780 (1823/28), Sonate Nr.21 B-Dur D 960 (1828)
Michael Finnissy (1946- ) : "Fortsetzung von Schuberts Sonaten-Fragment D769A" (1823/2024, world premiere)
Jo Kondo (1947- ) : "Pergola" (1994/2024, fortepiano solo version, world premiere)

*This is the first attempt in Japan to cover Schubert's major piano masterpieces in five concerts on the ancient instrument (fortepiano/ Hammerflügel) of Schubert's period.


《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_10380035.jpg
  シューベルトの後期クラヴィアソナタの復権は、20世紀後半を待たねばならなかった。数百~数千席の大ホールでは、外面的・即時的な演奏効果とは縁遠い内向的なシューベルト作品に、爛熟した後期ロマン派の過剰な演出を施される事も多く見られた。
  シューベルトの主要クラヴィア作品を、フォルテピアノの繊細な息遣いが聴き手にもダイレクトに届く親密なサロンの空間で、当時の演奏慣習(Historische Aufführungspraxis)に則って行われる本シリーズは、日本国内では初の試みとなり、同一会場での集中的な連続コンサートとしては欧米での先例も見当たらないと云う。


  現代音楽の演奏で名高い大井浩明は、ベルン芸術大学(スイス)で名匠イェルク・エヴァルト・デーラー教授からフォルテピアノによるシューベルト演奏法の手ほどきを受けて以来、長らくこの楽器にも取り組んできた。日本モーツァルト協会例会にて寺神戸亮指揮レ・ボレアード(古楽器オーケストラ)とフォルテピアノで協奏曲(KV453)を共演、その成果により第61回文化庁芸術祭新人賞を受賞(2006)。また、ベートーヴェン:クラヴィアソナタ全32曲ならびにリスト編交響曲全9曲を、時代順様式別の9種類のフォルテピアノで弾き分けるシリーズ(全13公演)を開催、NHK-BS「クラシック倶楽部」等で紹介され、第15回日本文化藝術賞を受賞している(2008)。
 近年では、1843年製プレイエルで初期ロマン派(ベルリオーズ/ショパン/シューマン/リスト/アルカン)を5回シリーズで紹介(2020)、1887年製スタインウェイで後期ロマン派(ワーグナー/フランク/ブラームス/フォーレ/レーガー)を同じく5回シリーズでを取り上げた(2021)。これらのプログラミングは、いずれも本邦初の試みであった。大井にとって長らく「伏せ札」であったシューベルトチクルスは、いわば一連のフォルテピアノシリーズの完結編にあたる。

 大井は、チェンバロ・クラヴィコード・フォルテピアノ・オルガンといった古楽器のためにも、内外の作曲家に新作委嘱を続けており、この十数年で既に40曲以上に及ぶと云う。本シリーズでは、南聡、横島浩、杉山洋一、小林純生、そしてマイケル・フィニッシーが書き下ろしたフォルテピアノのための新作が、併せて世界初演される。

 1825年ウィーンのヨハン・クレーマー製作によるオリジナル楽器(80鍵、4本ペダル、430Hz)の修復にあたる高木裕は、つい先ごろ(2023年2月)、「ヴィンテージピアノを極力オリジナルのままに、今なお生きた楽器として当時の音をステージから伝えている」長年の功績を称え、第33回日本製鉄音楽賞を受賞したばかりである。

  シューベルトの生前、個人宅のサロンで気の置けない仲間たちが集まり音楽を楽しんだ催しは、当時「シューベルティアーデ(シューベルトの集い)」と呼ばれた。音楽構造を決定付ける音像の距離・乖離、そして「沈黙」の重みを、至近距離で聴き手がそのまま味わえる200年前のピリオド楽器(古楽器)を通じて、自身が病に斃れ貧困のうちに夭折したシューベルトの19世紀ウィーンと、コロナ禍によって多様なコミュニケーションの有りようが一変した21世紀の東京を切り結ぶ、都市の日常生活に根差した「そのときどき (von Zeit zu Zeit)」のシューベルティアーデに想いを馳せたい。(三輪与志)




大井浩明 Hiroaki OOI, fortepiano

  京都市出身。スイス連邦政府給費留学生ならびに文化庁派遣芸術家在外研修員としてベルン芸術大学(スイス)に留学、ブルーノ・カニーノにピアノと室内楽を師事。同芸大大学院ピアノ科ソリストディプロマ課程修了。また、チェンバロと通奏低音をディルク・ベルナーに師事、同大学院古楽部門コンツェルトディプロマ課程も修了した。アンドラーシュ・シフ、ラーザリ・ベルマン、ロバート・レヴィン(以上ピアノ)、ルイジ・フェルディナンド・タリアヴィーニ(バロック・オルガン)、ミクローシュ・シュパーニ(クラヴィコード)等の講習会を受講。
  第30回ガウデアムス国際現代音楽演奏コンクール(1996/ロッテルダム)、第1回メシアン国際ピアノコンクール(2000/パリ)に入賞。第3回朝日現代音楽賞(1993)、第11回アリオン賞奨励賞(1994)、第4回青山音楽賞(1995)、第9回村松賞(1996)、第11回出光音楽賞(2001)、第61回文化庁芸術祭新人賞(2006)、第15回日本文化藝術奨励賞(2007)、第1回一柳慧コンテンポラリー賞(2015)等を受賞。2010年からは、東京で戦後前衛ピアノ音楽を体系的に網羅する作曲家個展シリーズ「Portraits of Composers (POC)」を開始、現在までに51公演(約500曲)を数える。
  近年の主な活動として、中全音律バロックオルガンによるフレスコバルディ《音楽の花束(3つのオルガン・ミサ)》(全曲による日本初演)(2015)、ヒストリカル・チェンバロによるフランソワ・クープラン連続演奏会(全27オルドゥル/220曲)(2012/18、全8回)、2段鍵盤ペダルクラヴィコードによるバッハ:トリオソナタ集 BWV525-530(全6曲)(2016)、シリーズ《ピアノで弾くバッハ Bach, ripieno di Pianoforte》(2012/15、全8回)、ピアノ独奏/重奏によるマーラー:交響曲集(全11曲)(2012/15)等。公式ブログ: http://ooipiano.exblog.jp/


高木 裕 Yu TAKAGI, piano restorer/technician
《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_17242935.jpg
  ニューヨークにてスタインウェイ&サンズ本社の研究開発コンサルタント兼調律技術統括マネージャーであったW・ガーリック氏とコンサート部チーフのフランツ・モア氏に師事。コンサート・チューナーとして、著名アーティストのコンサートや、レコーディングを数多く手掛けている。1992 年より自社所有コンサートグランドピアノをステージに持ち込むスタイルを開始。これによりピアニストと技術者が理想とするコンサートやレコーディングが可能となり、すでに全国で7000回を越える日本唯一最大のコンサート&アーティスト部に成長した。
  2004 年、洋泉社より『スタインウェイ戦争』(共著)、2010 年 11 月、朝日新書より『調律師、至高の音をつくる』を出版、朝日新聞の天声人語に引用される。
  2013 年、日経プレミア新書より『今のピアノでショパンは弾けない』、2019 年音楽之友社より『ホロヴィッツ・ピアノの秘密』を出版。『音楽の友』誌に 3 年にわたって連載を執筆。テレビ朝日「徹子の部屋」「題名のない音楽会」などにゲスト出演。全国で講演、レクチャーコンサートなど多数に出演。



大井浩明による古楽器委嘱作

【チェンバロ】
伊左治直《機械の島の旅(夜明け)》[harpsichord solo](2004年2月初演)
三宅榛名《Come back to music(チェンバロ版)》[harpsichord solo](2004年2月初演)
等々力政彦編《豊かな森 Bai-la Taigam》《残忍な領主 Ambïn Noyan》《子守歌 Öpei Ïrï》 [Igil, Xöömei-vo, harpsichord](2009年9月初演)
佐野敏幸《GRS(ガレサ)》[harpsichord solo](2009年9月初演)
川上統《花潜(ハナムグリ)》[harpsichord solo](2009年9月初演)
エムレ・デュンダル《S.シャルボニエール氏の墓》[harpsichord solo](2018年6月初演)
古川聖《アリアと18の変換》[harpsichord solo](2018年6月初演)
上野耕路《リベルタン組曲(全7楽章)》[harpsichord solo](2018年8月初演)

【クラヴィコード】
鈴木優人《バッハ「フーガの技法」より未完の3重フーガ補筆》[clavichord solo](2007年6月初演)
福島康晴《楽興の時 I/II/III》[clavichord solo](2014年3月初演)

【フォルテピアノ(60鍵~80鍵各種)】
林加奈《好転反応II》[fortepiano solo](2006年10月初演)
安野太郎《ダニエラ》《カナスヴィエイラス》[fortepiano solo](2008年2月初演)
小出稚子《ヒソップ》[fortepiano solo](2008年4月初演)
川上統《閻魔斑猫》[fortepiano solo](2008年4月初演)
鈴木光介《Even Be Hot(ホットこともありえます)》(全7曲)[fortepiano solo](2008年7月初演)
河村真衣《クロスローズ》[fortepiano solo](2008年7月初演)
安野太郎《帰って来ないあなた》[fortepiano + mp3](2008年7月初演)
清水一徹《老人の頭と鯨の髭のためのクオドリベット》[fortepiano solo](2008年10月初演)
鈴木純明《白蛇、境界をわたる》[fortepiano solo](2008年11月初演)
有馬純寿《琥珀のソナチネ》[fortepiano solo](2009年3月初演)
福井とも子《夜想曲》(全3曲)[fortepiano solo](2009年3月初演)
野村誠《ベルハモまつり》[fortepiano solo](2009年3月初演)
高橋裕《濫觴》[fortepiano solo](2020年10月初演)
鈴木光介《マズルカ》[fortepiano solo](2020年11月初演)
中川真《非在の声》[fortepiano solo](2020年12月初演)
アダム・コンドール《5つの超越的前奏曲集》[fortepiano solo](2021年1月初演)
クロード・レンナース《パエトーン》[fortepiano solo](2021年2月初演)
杉山洋一《華(はな) ~西村朗の追憶に》[fortepiano solo](2023年11月初演)
横島浩《マッシュプローム Maschubroom》[fortepiano solo](2023年12月初演)
小林純生《ポホヨラの火の娘たち Pohjola's Daughters of Fire》[fortepiano solo](2024年1月初演)
南聡《帽子なしで: a Capo Scoperto Op.63-4》[fortepiano solo](2024年2月初演)
マイケル・フィニッシー:《ソナタ断章 D769a》(2024年3月初演)

【オルガン】
河合拓始《オーガンザ》[organ solo](2005年6月初演)
木下博史《九重親方のイビキ》[organ solo](2005年6月初演)
久保田翠《くろきもの わが眼おほへど》[organ solo](2005年10月初演)
石川高《何処で私は道を踏みはずしたのか。何を私は行ったのか。なすべきことの何を私は成し遂げないでしまったか。》[sho + organ](2011年3月初演)
池田拓実《Pearl on Ruby》[organ + live-electronics](2011年3月初演)
有馬純寿《多色刷りの後奏曲I、II》[organ + live-electronics](2011年3月初演)
多久潤一朗《オル・ガン・バン・スリング》[microtone flute + organ](2011年3月初演)
上野耕路《パルティータ》[baroque organ](2015年3月初演)
福島康晴《モノローグ》[baroque organ](2015年3月初演)



《Schubertiade von Zeit zu Zeit シューベルトの時の時》(全5回公演)[2023/05/23 update]_c0050810_10141633.jpg


# by ooi_piano | 2024-02-05 06:56 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)
1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02304499.jpg

大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席) [3公演パスポート 11,000円]
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【第3回公演】 2024年1月19日(金)19時開演(18時半開場)

F.シューベルト:《4つの即興曲 D 935》(1827) 30分
I. Allegro moderato - II. Allegretto - III. 主題と5つの変奏 - IV. Allegro scherzando

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第15番ハ長調「レリーク」 D 840》(1825/2017)
[M.フィニッシーによる補筆完成版(*)/日本初演] 35分
  I. Moderato - II. Andante - III. Menuetto (*) - IV. Finale (*)

 (休憩10分)

小林純生(1982- ):《ポホヨラの火の娘たち》(2023、世界初演) 6分

F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第19番ハ短調 D 958》(1828) 30分
I. Allegro - II. Adagio - III. Menuett. Allegro - IV. Allegro

[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]





M.フィニッシー:《シューベルト クラヴィアソナタ D 840 メヌエット/フィナーレ楽章の補筆》(2017、日本初演)

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02335434.jpg
 シューベルトをはじめとする過去の作曲家たちの音楽が、コンサート演目やレコード・カタログの中で重要な位置を占め続けている今、私はしばしば自分の作品の中で、この「文化的状況」を分析し、有意義に考察しようと試みている。尤も、巧緻さを競ったり、直接引用したり、パロディやフェイクに走ることは避けている。そうではなく、「クラシック」音楽の内容のさまざまな側面に思慮深く疑問を投げかけ、向き合い、発見したものを自分自身の創作物と同様に扱うのである。その結果は、ある種の肖像画作法、「再映像化」「再編集」されたモンタージュであり、音楽史の諸相を今日の世界(と現代の作曲手法)から選択的に再構築したものと考えている。

 シューベルトがピアノ・ソナタ D840を作曲し始めたのは1825年4月のことで、あちこちが未完成であった事もあり、初めて出版されたのは彼の死後33年経った1861年のことだった。最初の出版物の編集者であるF.ホイッスリングは、第1楽章(モデラート)に細かな加筆修正を加え、第2楽章(アンダンテ)の24小節の終わりと87小節の始まりの間の「隙間」を埋めた。現存する第3楽章(メヌエット)の自筆譜には、17小節から80小節までと、トリオ(95小節から122小節)までしか書かれていない。1877年から現在に至るまで、この楽章の「様式的に一貫した」11の代替的な補筆例が存在する。しかし、第4楽章(フィナーレ)については現在何も残っていない。

 メヌエットにおける空白部を、私は1825年と2017年の間のどこかに位置する曖昧な方法で埋めた。フィナーレは明らかに内省的で「現代的」だが、それにもかかわらず、ソナタの他の3つの楽章や、アウグスト・フォン・プラーテン(1796-1835)の詩による2つの歌曲《貴方は私を愛していない D 756》《愛は裏切られ D 751》を引用している。この補筆(2016-17)は、ロンドン王立音楽アカデミーでジョアンナ・マクレガーから紹介された彼女の弟子、イェフダー・インバールの委嘱により作曲された。(マイケル・フィニッシー)



小林純生:《ポホヨラの火の娘たち》(2023、委嘱新作)
 この作品において最も重視されているのは、幻覚的な作用をもたらす音群を論理的に構成することである。シェパード・トーンと三全音パラドックスと呼ばれる二つの特殊な音響が用いられており、音が上行しているのか、下降しているのか、分かりづらく、聞きながら辿っていく音階は気付けば別の位置に存在する。幻覚をもたらすというと、不快なものにも捉えられるかも知れないが、この作品ではむしろ、特徴的な美学を想起させることを目的として幻覚が用いられている。
 幻覚で描かれるのは、フランスの作家、ジェラール・ド・ネルヴァル的な書法での、火のように不定で捉え難い、混濁して歴史によって色褪せた記憶と焦燥した意識下の描写による、女性である。ネルヴァルは、幸か不幸か、先天的にこういった描写が可能だった人物であり、今なお比類ない書法をもった作家だと言える。この作品はそういった生まれつきの書法を後天的に再現しようとしているとも考えられるだろう。ペダリングに関しては演奏者に委ねられているが、その一方で、幻覚的作用を実現するために正確な音量のコントロールが求められている。(小林純生)


小林純生 Sumio Kobayashi, composer
1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02315001.jpg
 1982年、三重県菰野町生まれ。三重県私費海外留学生奨学金を受け、英国ケント大学博士後期課程修了、博士(言語学)。日本音楽コンクール (2009)、 国際尹伊桑作曲賞 (2011/韓国)、ICOMS国際作曲コンクール (2011/イタリア)、 アルヴァレズ室内オーケストラ作曲コンクール (2012/英国)、 武満徹作曲賞 (2013)、 パブロ・カザルス国際作曲コンクール (2015/フランス)、ワイマール春の音楽祭作曲コンクール (2016)、ブロツワフ国際作曲コンクール(2016/ポーランド)等に入賞・入選。アイコン・アーツ現代音楽際 (2013/ルーマニア) 、武生国際音楽祭 (2010/2013/2014)、統営市国際音楽祭 (2015/韓国) 、メロス・エトス国際現代音楽祭(2015/スロバキア)等で、アンサンブル・カリオペ、アンサンブルTIMF、東京シンフォニエッタ、東京フィルハーモニー交響楽団、アンサンブル・ミセーエン等により作品が演奏されている。日本大学芸術学部専任講師。http://sumiokobayashi.com/



小林純生・作品リスト(音源リンク付)


駆ける緑、うねる青 (2009) 11.5'
ピアノ五重奏のための

アメジストの樹の上から (2010) 12.5'
フルート、オーボエ、クラリネット、ヴァイオリン、チェロとピアノのための

草とサファイアの平原 (2011) 11.5'
オーケストラのための

雪のなかのヒバリ (2012) 13.5'
フルートと弦楽オーケストラのための

馥郁たる月の銀色のノート (2013) 10'
フルート、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとハープのための

水中の雪 (2014) 15'
クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバスとピアノのための

水が咲いて (2014) 15'
フルート、クラリネット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロとピアノのための

森から聞こえるのは… (2014/2015)
リコーダーのための

レクイエムズ (2015) 10'
オーケストラのための

《フーガ ~ モーリス・ラヴェルを頌して》(2016、大井浩明委嘱作) https://www.youtube.com/watch?v=N-zYvn721do

ファンタジー I・II (2016) 6' 6'
ヴァイオリンのための

小人の音楽 (2016) 15'
オーケストラのための
ノスタルジア (2018) 11'
フルート、クラリネット、ピアノとヴァイオリンのための

ミラージュ (2019) 10’
ヴァイブラフォン、ヴァイオリンとチェロのための
アンリアル・レイン (2020) 5'
ピアノのための

オープン・ユア・ストリングス (2023) 4’
弦楽オーケストラのための

ロマンス (編曲作品 2023) 8’
ピアノのための


1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02350538.jpg



シューベルトに魅せられた人々、受容史の万華鏡
白石知雄(音楽学)

 シューベルトはヨハン・シュトラウス父子と並ぶ生粋のウィーンっ子、古都の秘蔵っ子として愛されているが、人なつこい外見の裏に未完成交響曲や「冬の旅」の荒涼とした闇が口を開いている。同主長短調のポジとネガのような反転は、優しさと孤独が背中合わせであることの端的な表現に聞こえる。しかも31歳で生涯を終えてから10年以上、重要な作品が埋もれていた。没後の評価を含めてのシューベルトであり、実像と後世の虚像を簡単には切り分けられない。以下、その概略を俯瞰してみよう。

 フランツ・シューベルト(1797〜1828)の父親はウィーン近郊で小学校長を務める名士で、フランツ少年は王宮礼拝堂の合唱団員に選ばれて、宮廷音楽家サリエリから特別レッスンを受ける優秀な生徒だったが、ナポレオン戦争後の不景気もあり定職が見つからず、友人の家を転々とする。
 ただし歌曲や舞曲、ピアノ小品は生前にウィーンで順調に出版・演奏されていたことがわかっている。三大歌曲集に現れる弱々しい自己愛は、ドイツ文化史で言う「新興市民の微温的ビーダーマイヤー」なのか、凡庸を嫌うロマン主義の価値反転なのか。そして交響曲やソナタを書き続ける諦めの悪さは、弱々しい自己愛と順接するのか逆接するのか。シューベルトの「実像」のわかりにくさは、このあたりに帰着する。

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02460291.jpg
 シューマン、リスト、ベルリオーズなどシューベルトの没後1830年代にデビューした若い世代の態度は明快で、彼らはロマン主義の名の下に、シューベルトを独創的な「器楽」の先駆者として評価した。
 リストは歌曲のピアノ・トランスクリプションを量産して、「さすらい人」幻想曲を華麗な協奏曲に作り替え、ベルリオーズは「魔王」を管弦楽伴奏に編曲した。歌曲から言葉を引きはがし、圧倒的な超絶技巧や極彩色の楽器法でシューベルトを「絶対音楽」「言語を越えた王国」に迎え入れる。ライプツィヒでは、シューベルトの「大ハ長調」交響曲発掘・初演(1839年)に関わった2人が、「大ハ長調」と同じように金管楽器の主題ではじまる「春の交響曲」(シューマン、1841年)とカンタータ交響曲「讃歌」(メンデルスゾーン、1840年)を書いた。パリのドイツ派、ドイツのベートーヴェン主義者は、いずれもシューベルトに敬意を払った。

 1850年生誕100年のバッハ全集を皮切りに、19世紀後半、ブライトコプフ・ウント・ヘルテル社は大作曲家の作品全集を次々出す。シューベルトの作品全集は没後百年の1897年に完成した。
 ブラームスは傑作と凡作をいっしょくたにする「作品全集」という出版形態に懐疑的だったとされるが、案の定、量は質に転化する。室内楽や宗教音楽の全貌が知られて、シューベルトの評価は、「ロマン派の先駆者」から「最後の古典派」、ベートーヴェンに匹敵する「本格派」へと塗り替えられた。そして「シューベルトはロマン派か古典派か」という果てしない議論がはじまるのだが、「古典的vsロマン的」のヘーゲル風観念論はともかく、シューベルトが18世紀の音楽文化と地続きの素養を持っていた可能性は考察に値するだろう。寄宿学校時代にサリエリの個人指導を受けたとき、その場にどんな楽器があったのか。フォルテピアノかチェンバロか、あるいはクラヴィコードだったのか・・・。ヴァイオリンとクラヴィアが親密に語り合う初期の愛らしいニ長調ソナタ(二つの楽器は室内楽としても異例なほど「距離が近く」感じられる)や、指先が鍵盤上を転げ回る変ホ長調の即興曲(指先で愛でる無窮動のミニチュア感はショパンの即興曲につながる)は、ずんぐりしていたと伝えられるシューベルトの体型だけの問題ではないかもしれない。

1月19日(金)シューベルト《レリーク》(フィニッシー補筆版)日本初演+小林純生委嘱初演他 [2024/01/14 update]_c0050810_02475377.jpg
 19世紀に「大作曲家」の作品全集(いわゆる「旧全集」)はケルンの大聖堂やベルリンのフリードリヒ大王馬上像と同根で、「音楽の国」ドイツ帝国のナショナル・アイデンティティの誇示と総括されても仕方がない面がある。
 一方、第二次大戦後に出版社と研究機関が総力をあげた「新全集」は、CERNやNASAの大規模プロジェクトを連想させる。O.E.ドイチュの一連の「ドキュメント」は、足で稼ぐ犯罪捜査に似た実証主義の極みだが(楽譜の年代特定には新バッハ全集でおなじみの筆跡鑑定・透かし調査が威力を発揮)、膨大なデータを蒐集したのは、その先に19世紀的観念論とは水準の違う理論的・美学的「発見」があると信じられていたのだと思う。
 事実、新シューベルト全集の編集主幹W.デュルは、「声楽における言葉と音楽には不可避的なズレがあり、それが声楽に豊かさをもたらす」という主張を言語学で補強しながら展開した(『19世紀のドイツ独唱歌曲』)。K.シュトゥッケンシュミットからベルリン工科大学音楽学講座を引き継いだC.ダールハウスは、「主題的コンフィギュレーション」というドライな言い回しでシューベルトのト長調の弦楽四重奏曲を分析した。極端に鋭い付点リズム、ゼクエンツ風の半音下降、同主和音への反転などの特徴的なパラメータの束が、まるでデジタル機器の「カスタム設定パネル」のように舞台裏で楽曲を制御しているという見立てである。この分析はダールハウスが準備中だったベートーヴェン論(『ベートーヴェンとその時代』)の副産物で、後期ベートーヴェンとシューベルトがほぼ同等の抽象度で音楽を捉えていたという歴史的な見取り図が議論の背景にある。
 戦後西ドイツ学派の楽曲分析はちょっと偏屈で高精度な職人芸、ライカのレンジファインダー機のようなところがある。シューベルトの「冴えない豊かさ」は楽曲構造、音楽思考の問題でもある。

 20世紀末から音楽論・音楽研究の焦点は社会史とメディア史(音が織りなす構造体としての音楽というより、人間たちの行為・交流としてのミュージッキング)に移っている。帝国のエリートたちを夢中にさせた詩と音楽の会とは、具体的にどういうものだったのだろう。サリエリの弟子シューベルトと引退した宮廷歌手フォーグルがそれほどおかしな演奏をしていたとは思えないが、衆人環視のショウアップされた「本番」ではなかっただろう。現在の音楽会にその空気感を蘇らせることはできるのか。歴史情報化(Historically informed)されたシューベルティアーデを体験してみたい。



# by ooi_piano | 2023-12-29 01:54 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)
1月7日(日) ショパン:ワルツ全14曲/舟歌/演奏会用アレグロ 他 [2023/12/12 update]_c0050810_07445362.jpg


Recitale Fortepianowe Hiroaki Ooi
《Szlak Fryderyka Chopina》


松山庵 (芦屋市西山町20-1) 阪急神戸線「芦屋川」駅徒歩3分
4000円(全自由席)
〔要予約〕 tototarari@aol.com (松山庵)
チラシ(

1月7日(日) ショパン:ワルツ全14曲/舟歌/演奏会用アレグロ 他 [2023/12/12 update]_c0050810_19534352.jpg1月7日(日) ショパン:ワルツ全14曲/舟歌/演奏会用アレグロ 他 [2023/12/12 update]_c0050810_19535473.jpg



〈第4回公演〉2024年1月7日(日)15時開演(14時45分開場)


■エロルドとアレヴィの歌劇《リュドヴィク》の「私は聖衣を売る」
の主題による華麗なる変奏曲 Op. 12 (1833) 8分

●ワルツ第1番 変ホ長調 Op.18 「華麗なる大円舞曲」 (1831) 5分

●3つの華麗なるワルツ Op.34 (1835/38) 12分
第1番 変イ長調 - 第2番 イ短調 - 第3番 ヘ長調

■タランテラ Op.43 (1841) 3分

●ワルツ第5番 変イ長調 「大円舞曲」 Op.42 (1840) 4分

●3つのワルツ Op.64 (1846/47) 8分
第1番 変ニ長調「仔犬」 - 第2番 嬰ハ短調 - 第3番 変イ長調

  (休憩15分)

●2つのワルツOp.69 [WN47/WN19] (1835/29) 8分
第1番 変イ長調「別れ」 - 第2番 ロ短調

■演奏会用アレグロ Op.46 (1841) 12分

●3つのワルツOp.70 [WN42/WN55/WN20] (1832/42/29) 8分
第1番 変ト長調 - 第2番 ヘ短調 - 第3番 変ニ長調

●ワルツ第14番 ホ短調 Op.Posth. [WN29] (1830) 3分

■舟歌 Op.60 (1846) 8分

■ピアノ協奏曲第1番ホ短調 Op.11 第2楽章〈ロマンス〉+第3楽章〈ロンド〉
(1830/1873/2023) [C.ライネッケ/米沢典剛による独奏版] 20分


[使用エディション:ポーランドナショナル版]

1月7日(日) ショパン:ワルツ全14曲/舟歌/演奏会用アレグロ 他 [2023/12/12 update]_c0050810_07451627.jpg



サロン――あるいはワルツのアポテオーズ
山村雅治

1

 ショパンの音楽は三つの歴史的背景がある。その第一の背景は国家ではなく国際的な広がりに求められた。若いショパンは彼の「ピアノ協奏曲 第一番」を演奏することによって、ワルシャワ、ドレスデン、ウィーン、ミュンヘン、パリの音楽家と聴衆に認められようと望んだ。しかし彼の弾くピアノの音は小さく、大きな会場を満たすことはできなかった。この国際的な背景からショパンが退いたのはきわめて若いころのことであり、彼が名声を得た時期には、ほとんど完全にそこから身を引いていた。
 彼がサロンで名士を相手に、あるいはまれではあるが公開の席で名士を相手にするとき、そのスタイルは音楽会場で人気があるヴィルトゥオーゾたちのそれとは似ても似つかぬものだった。ときには小編成の伴奏アンサンブルか第二ピアノ奏者を伴って「協奏曲」の中間楽章が演奏されたものの、それは他のヴィルトゥオーゾたちの「協奏曲」に迫力において匹敵しうるものではなかった。

 第二の背景はポーランドだ。とりわけワルシャワの教養ある、国家意識の強い上流社会にかぎられていた。この背景からポロネーズとマズルカが、そしてバラードとポーランド語の詩をうたった歌曲がうまれた。彼の父親が教職を得て、一家がワルシャワに移ったころにはショパンはまだ幼かった。ショパンの父親はフランス人であり、ロシアやポーランドでの上流社会の会話はフランス語で交わされた。そしてショパンは、ポーランドがその苦闘の絶頂と領土併合の苦悶のさなかにあったとき、フランスに滞在したままだった。
 国民主義的と呼ばれてきたショパンの音楽には「英雄」を気取ったところは微塵もない。郷土舞踊家が身に着ける派手な衣装もみつけることができない。花も実も葉も落とし去った裸木の姿があり、そのたくましさに感嘆するだけだ。ショパンにおけるポーランドの要素は、リストの場合のハンガリーの要素と同じく「ヨーロッパ風」(もしくはパリ風)に洗練されていている。ショパンのポーランド的背景は必ずしも「最も重要な」ものではない。ポーランドに対する同情、共感と、意識しての国民楽派的な作風は、ロマンティックといえるにしても、それとは裏腹な誠実さをもつ。

 第三の背景はパリとそのサロンが現れる。彼と彼の友人の優雅な部屋であり、それに加えてジョルジュ・サンドと二人で過ごしたノアンの夏。この背景をもつ作品がノクターンとワルツになる。これらを「愛玩犬ショパン」と評されたこともある。これらが移り気な独創的な和声を含み、しかもそれらがロマン派の詩―華麗であるとともに内省的な詩にぴったりと対応するものとして、ショパンのさらに感銘深い曲と肩を並べているからだ。
 この同じ背景をもつ作品には練習曲、スケルツォと前奏曲がある。これらは単に「国際的演奏会の産物」「ポーランドの産物」、また「フランスの産物」であるだけでなく、高度に独創的な精神の産物であり、それでもこれらの曲は主としてパリと関連のある時代と社会の産物でもある。

1月7日(日) ショパン:ワルツ全14曲/舟歌/演奏会用アレグロ 他 [2023/12/12 update]_c0050810_07452709.jpg



 1831年にショパンはパリにやってきて、すぐさま音楽活動をはじめた。オペラを楽しみ、ロッシーニやケルビーニ、宮廷指揮者のパエルらに会った。パエルの紹介でパリ随一のピアノの名教師カルクブレンナーにめぐりあった。弟子入りはしなかったが、カルクブレンナーはショパンのために演奏会を開いてくれた。
 「ワルシャワから来たフレデリック・ショパン氏による大演奏会」は何度か延期されたのち、1832年2月26日にプレイエルの小ホールで開かれた。亡命ポーランド貴族が喝さいを送り、メンデルスゾーンやリストも来場し、音楽雑誌にも好評が載ったが、入りは3分の1程度で収入は少なかった。
 5月にはパリ音楽院ホールで慈善演奏会に出演し、「協奏曲第1番」を弾いたがまたもや「ピアノの音量が小さくてよく聞こえず」、しかも「管弦楽書法も不十分だ」と批判された。ショパンは次第に、自分はロッシーニのようなオペラ作曲家としても、リストのようなコンサート・ピアニストとしてもやっていけないことを悟るようになる。

 彼が訪れたパリは、革命時代のまったく古いパリとはちがっていた。21歳の彼がパリに引きつけられたのは、ウィーン会議後にほとんどの上流・中級階級のポーランド人たちが亡命した都市だったからだろうか。それが第一の理由ではないにしても、彼がフランスに到着するや、ただちに交際を求めた最初の人びとは彼らだった。
 ショパンがフランス人の裕福な家庭にはじめて紹介され、そのサロンで自分の作品を弾いたり、その子女に最高の謝礼で教えることになったのは、ロッシーニやカルクブレンナーといった音楽家よりも、亡命したポーランド上流階級の人びとのおかげだっただろう。ヴァレンティン・ラージヴィル公爵は、彼をパリのロスチャイルド家に紹介することで社交界と財政面での成功を確保してやり、フランスからさらに他国へ移住するという考えを一掃してしまった。パリに住むショパンの同胞のなかで彼ほどに裕福な暮らしをしているものは少なかった。

 ロスチャイルド家はドイツ系ユダヤ人の銀行家一族で、ドイツ、オーストリア、イギリス、イタリア、フランス各国で事業を展開している。パリのロスチャイルド男爵のサロンで演奏したショパンは、男爵夫人から弟子入りを志願された。噂はまたたく間に社交界に広がり、多くの上流階級の貴婦人たちがショパンの個人レッスンを受けることになった。リストはパリ時代のショパンを「貴族のご落胤のよう」と評した。ワルシャワ時代のショパンは、アマチュア劇団に属する役者志望の少年だった。パントマイムや物真似の名人で、戯画を描くのもうまかった。パリの上流階級に出入りするショパンは、もしかすればかなり計算された彼なりの見せ方だったかもしれない。退路を断たれたショパンは、なんとしてもこの花の都で生きていかなければならなかった。

 ロンドンやウィーンでは、音楽はまだ貴族の掌中にあったが、たびかさなる革命で貴族による音楽活動が停滞していたパリでは、中産階級が貴族のようなサロンを開くなかで文化面の社会的進出を果たしていった。サロンが文化を生みだす時代はここに始まった。
 サロンには必ずグランド・ピアノが置かれ、うまくピアノが弾けるヴィルトゥオーゾが大いにもてはやされる。ショパンやリストのような優れたピアニストはパリの最上級の貴族たちが住むフォーブル・サンジェルマン界隈のサロンにも招かれたため、1840年代にはいると彼らのコンサートに貴族たちも来るということになった。かつてはあり得なかったふたつの階級がここで顔を合わせて、新しい文化を創造する基地になった。

 こうした状況はショパンにとっては都合がよかった。彼は公開演奏会の大きなホールでは大音量を出せないために、自己評価するほどの成果はあげられなかった。彼のピアノ演奏の美点は、繊細なニュアンスの変化、軽やかにして、ときに地底をも貫く重さをもつタッチの妙は、洗練された感覚をそなえる人々がつどう社交の場「サロン」でこそ真価を輝かせた。ショパンは、自分のことを知らない人々に向かって演奏すれば、ひどく気後れがして自分を満足に表現できなかったという。その意味でも、サロンの少人数の親密な空間がもっともショパンにふさわしい演奏の場だったといえるだろう。パリに滞在していた18年の間、彼がホールと名がつく場で演奏したのはいくつほどか。

1月7日(日) ショパン:ワルツ全14曲/舟歌/演奏会用アレグロ 他 [2023/12/12 update]_c0050810_07454293.jpg


3

 ショパンの主要作品の多くはパリ時代にはいってから書かれている。ワルシャワ時代との大きな違いは作品の規模だろう。ウィーンでの成功を夢見ていたころは、協奏曲をはじめとしてオーケストラを伴う大規模な作品を5曲も書いている。パリに来てからもしばらくは新しい協奏曲を構想していたかもしれない「演奏会用アレグロ」が名残としてあるけれども、サロンの規模になじみ、より規模の小さなピアノ一台の曲に集中していった。

 それはショパンが公開演奏会で多くの聴衆を圧倒しうならせる「ヴィルトゥオーゾ」から、よい趣味をもつサロンに集まる人びとに音楽を届けるピアニストへと昇華した証だった。
 ノクターンはささやきかけるような旋律に沿って精緻な和声を聴かせる。それはサロンでのピアノ演奏の大きな武器になっただろう。ワルツもまた、ウィーンで流行していたような「踊るためのワルツ」ではなく、優雅で洗練された芸術作品として創造された。



 ショパンのワルツの作曲は生涯の全般にわたっている。しかし生前に出版されたものはわずか8曲。最初のワルツの出版は、パリの生活をはじめた3年後の1834年まで待たなければならない。
 ワルツ出版を遅らせたのは、成功を夢見て挫折したウィーンでの体験があったからだろう。20歳で訪れた2度目のウィーンでは演奏の機会は容易には手にはいらなかった。「自分の音楽が望まれないのは、人びとの趣味がシュトラウス・ファミリーのワルツだからだ」と手紙に書いている。

 しかし、パリではじまったサロンでの音楽生活のなかでショパンはワルツを発表しはじめる。彼は「踊らないワルツ」を書いた。それらは気品と洗練を愛するサロンにつどう人たちの耳を奪った。
 ノクターン、マズルカ、練習曲を集中して作曲した1831年から1833年にかけて完成させたのが「華麗なる大円舞曲」作品18だ。
 ワルツは全19曲あり、その順番は作曲された順番に番号がつけられていない。
 ショパンが生前に出版したのは作品18につづいて、作品34の3曲は1835年と1838年につくられて1838年に出版された。作品42は1840年に作曲、出版。作品64の3曲は1846年から1848年にかけての作品。第8番にあたるワルツが生前に出版された最後の作品になる。
 フォンタナによってまとめられた未発表のワルツは5曲ある。作品69の2曲。69-1は「別れのワルツ」として名高い作品で、1835年、マリア・ヴォジンスカとドレスデンで楽しいときを過ごしたあと、別れるときにこの楽譜を渡した。 69-2はワルシャワ時代の1829年の作品で、パリ時代の華やかさはまだない。作品70の3曲は1832年、1842年、1829年の作品。これら5曲はそれぞれ1853年と1855年に出版された。ここまでで13曲だ。14番は1830年に作曲したワルツである。 いまだ郷里ジェラゾヴァ・ヴォラにいて、華やかな演奏技巧で名をあげようとしていた時期の作品で、出版は死後の1868年だった。


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# by ooi_piano | 2023-12-12 07:52 | ショパンの轍 | Comments(0)
大井浩明(フォルテピアノ)
松涛サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)Google Map

使用楽器 ヨハン・クレーマー(Johann Krämer)製作フォルテピアノ(1825年ウィーン、80鍵、4本ペダル、430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]

4000円(全自由席) [3公演パスポート 11,000円 5公演パスポート 18,000円]
お問い合わせ poc@artandmedia.comアートアンドメディア株式会社
チラシpdf(



【第2回公演】 2023年12月8日(金)19時開演(18時半開場)

B.ポゼ(1965- ):《ミニュット5》(2021/23、世界初演 2分
F.シューベルト:《4つの即興曲 D 899》(1827) 26分
  I. Allegro molto moderato - II. Allegro - III. Andante - IV. Allegretto

B.ポゼ(1965- ):《ミニュット6》(2021/23、世界初演 2分
F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第14番イ短調 D 784》(1823) 20分
  I. Allegro giusto - II. Andante - III. Allegro vivace

  (休憩10分)

横島浩(1961- ):《マッシュプローム Maschubroom》(2023、委嘱初演) 8分
F.シューベルト:《クラヴィアソナタ第18番ト長調「幻想曲」 D 894》(1826) 31分
  I. Molto moderato e cantabile - II. Andante - III. Menuetto / Allegro moderato - IV. Allegretto

[使用エディション:新シューベルト全集(1984/2023)]


横島浩:《マッシュプローム Maschubroom》(2023、委嘱新作)
 音楽史における引用技法の歴史は長い。オルガヌムの発生からして「引用」作品といえるだろうし、中世ルネサンス時代のパロディ・ミサなど引用元を隠してクイズのように提示しているものもある。オケゲム《ミサ・ミミ》の引用元など、20世紀終末になり明らかになったという例もあり、そのような場合作曲家としての存在意義はどのような立ち位置になるのだろうか、私たちにはなかなかわかりづらい。
 19世紀末から興ったリコンポーズ作風は、前提的「引用」手法の前夜であったう。ストラヴィンスキー・シェーンベルク・ウェーベルンなど当時の前衛作曲家のほかに、レーガー・レスピーギ・エルガー等が古典曲を自家薬籠中し自己の独自性をアピールした。戦後はコラージュや素材としての引用が主流となったが、ポストモダン期に入ると、素材原曲のイメージを優先し残しつつ「幻惑」というキーワードで聞き手を引きこむという手法も現れた。今回の私の作品もその部類に入るものだろう。
 原曲の基本和音から第7~15倍音全てを根音から拾い上げて、次第にそれらをカットしてく作法による。倍音の鳴り方が現代ピアノより独特な古楽器で、どのような効果が生まれるのかが楽しみである。(横島浩)


横島浩 Hiroshi Yokoshima, composer
12月8日(金)シューベルト《4つの即興曲 D 899》《幻想ソナタ》+横島浩/ブリス・ポゼ新作初演 [2023/11/23 update]_c0050810_16092065.jpg
 1961年長野県生まれ。武蔵野音楽大学大学院(作曲)修了。作曲を池本武、竹内邦光、田辺恒弥の各氏に師事。シアターピース《C.P.E.タイムス》により第5回日本現代音楽協会新人賞入選(1988)。室内楽《モードへのオード I》により第58回日本音楽コンクール入選(1989)。室内楽《インヴァッディオン》により第7回日本現代音楽協会新人賞入選(1990)。《グラーヴェより遅く》により第74回日本音楽コンクール作曲部門第1位、併せて明治安田賞(2005)。
 1990年、作曲家グループ「TEMPUS NOVUM」創立メンバーに加わる。2011年、2015年に作曲個展を開催。現在、福島大学教授。




ブリス・ポゼ:《ミニュッツ MINUTES》(2021/23)
12月8日(金)シューベルト《4つの即興曲 D 899》《幻想ソナタ》+横島浩/ブリス・ポゼ新作初演 [2023/11/23 update]_c0050810_21100088.jpg
 ピアノのための《MINUTES》は、1時間=60分というテーマで60曲を作曲すると云う、故・シュトックハウゼンのプロジェクトに部分的に呼応しています。彼の連作は、1日=24時間に基づく24曲の《クラング》に続く筈でした。
 私の作品では、フランス語の「Minute」という語の少なくとも3つの意味を生かすようにしています。すなわち、時間の単位、幾何学の角度の単位、そして(法律行為の)原本です。
 作曲プロセスにおいては、3つの意味が考慮され、連作自体と個々の断片の間の弁証法的関連において結晶化されます。それぞれ約1~3分の60曲のつらなりは、瞬間的な主観性の集合全体の途中に位置します。
 非常に短い作品で構成された長い連作の作曲は、大変特殊な技術的かつ美学的な問題を提起します。すなわち、何かを繰り返すたびに、膨らんでいく全体との接触を維持することが問題となるのです。ある意味、それは作曲家の創造的反射神経と衝動を記録した作品のようなものです。私はさらに、各曲の作曲と並行して、その作曲のプロセスにおける、特定の「世界の状態」をたどってマッピングすることを意図した、一種の作品日記を書き始めました。すなわち、自宅近所の写真(特に、各曲の作曲終了時にいつも同じ場所で撮影した小川の写真で、できるだけ「現実の生活」に即した気候変動を記録するものです)や、新聞記事の抜粋、作曲時に読んだり調べたりした文章、作曲時に観た芸術作品のことです。
 今回演奏される各曲は、一種のインスタレーションないし展示といった感じで提示しているので、これを聴きなが、ら2024年末頃に予定される全曲完成版を思い描いてみてください。
 この作品は1810年代から1820年代初頭にかけてのウィーン製のピアノのために特別に構想されています。よって、様々な音響的変化(ウナ・コルダ、モデレーター、ダブル・モデレーターや複数の効果の組み合わせ)を加えるとと、位相的な距離をシミュレーションすることが非常に容易になり、現代のグランドピアノのよりもはるかに効果的になります。
 《MINUTES》はまた、音楽学者のロザモンド・ハーディングへのオマージュでもあります。彼女は楽器学、美学、美術史研究における驚くほど謙虚な人物でありました。彼女の著作、《ピアノフォルテ》(1931)は当時このテーマに関して非常に先端を行く研究成果で、《インスピレーションの解剖学》(1940)もまた今日においてもなお示唆に富み、アイデアを与えてくれる著作だと思われます。(ブリス・ポゼ、訳/中西充弥




ましてや今は遠き世に――器楽の「復元」という試み
杉本舞(関西大学准教授)

12月8日(金)シューベルト《4つの即興曲 D 899》《幻想ソナタ》+横島浩/ブリス・ポゼ新作初演 [2023/11/23 update]_c0050810_21081515.jpg
 今でもよく覚えている。あれは私が中学生の頃、当時師事していたピアノ教師からベートーヴェンのソナタ第1番 Op.2-1 を課題に出されたときのことだった。レッスンで指導を受けた後、自宅のグランドピアノでおさらいをしながら「なんでこんな曲なんだろう」と思ったのだ。ベートーヴェンの作品は総じて好きだった。第1番も気に入って、よく練習していた。なのに、弾けば弾くほどしっくり来ない。なんだか「うまくない」。飛んだり跳ねたり転がったりする音の流れに、教師の言うとおりのメリハリをつけて弾くのだが、何故か「鳴り過ぎているのにスカスカ」というような訳の分からないことになってしまう。それはもちろん、そもそも自分の演奏が下手糞すぎるからには違いないのだが、ピアノ教師の模範演奏を聞いても、市販のCDを聞いても、何かがちぐはぐのまま残るのである。どんな演奏なら自分の感覚にしっくりくるのかわからない。ベートーヴェンは何故こんな、どう弾いてもしっくりこないような曲を書いたのか。「ピアノソナタ」なのに、はたしてこの曲はピアノという楽器に寸法が合っているのだろうか。あるいはベートーヴェンのピアノソナタ自体がそもそも「こんなもの」なのか。それとも自分の感覚が変なのか。……結局、好きな曲なのに好みの演奏に出会えないまま曲のレッスンは終わってしまい、ただ漠然とした違和感が頭の片隅に残ったのだった。
 ところが、2008年に大井氏がヨハン・アンドレアス・シュタインのフォルテピアノでこのベートーヴェンのソナタ第1番を演奏するのを聴いたとき、それまでの十数年間に及ぶ疑問はあまりにもあっけなく溶け去ってしまったのだった。シュタインのフォルテピアノは、飴細工のような質感の、みやびで繊細で大きすぎない、よく響く音を出していた。モダン・ピアノとはまったく違う方向性の表現力。モダンに比べて、ダイナミックレンジが制限されているのだけれど、それが良い。残響が大きすぎず、わりと歯切れがよく、しかし鋭すぎないのが良い。フォルテピアノ上では、少ない音で構成されたシンプルな曲想は、鳴り過ぎることも切れすぎることもスカスカになることもなかった。形容しがたい艶のある音で綴られたソナタ第 1 番は、まさしく楽譜上の表現の「寸法通り」だった。「なんだ、そういうことだったのか」と思った。何のことはない、単にこの曲はピアノ―モダン・ピアノのための曲ではなかったという、ただそれだけのことだったのだ。


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12月8日(金)シューベルト《4つの即興曲 D 899》《幻想ソナタ》+横島浩/ブリス・ポゼ新作初演 [2023/11/23 update]_c0050810_21083531.jpg
 ロンドンの科学博物館に、1991 年に復元された一台の機械式計算機が展示されています。この機械は、もとはイギリスの数学者チャールズ・バベッジが 1847 年から 49 年にかけて設計したものです。航海用の天文表を効率よく計算したいという動機から計算機の製作を企画しはじめたバベッジは、結局生涯をかけてその作業にのめりこみ、何台もの試作機と大量の設計図を残しました。博物館の技術部が 6 年半をかけて復元したのは、設計されたもののついに組み立てられることのなかった「第二階差機関」と呼ばれる複雑な機械で、手回しで動き、計算だけでなく印字まで行う機能のあるものでした。技術部は当時の技術水準や、実際に製作されたならば利用されただろう材料を慎重に判断しながら何千個もの部品を組み立て、これを動作させることに成功しました(*) 。
 博物館では、歴史的な文化財を補修・補完したり、あるいは古い文化財を分析してその製作工程を明らかにし、同じものを新しく製作する、「復元」とよばれる作業がしばしば行われます。こういった復元には、文化財の保存という目的があるだけでなく、それ自体が歴史研究の一環として行われるという側面があります。技術史の研究でも、古い設計図やスケッチに基づいて、作者の意図した事物を当時の条件にできるだけ忠実に復元する、実験的試みが行われることがあります。こういった試みが行われるのは、その事物が実際に製作可能なものであったのかどうか、またそれがどのような機能をもっていたのかといった、紙に書かれたことを分析するのではわからない事実や作者の意図が復元から明らかになることがあるからです。たとえば、先に述べたバベッジの計算機復元では、設計図を見るだけではわからなかった内部機構の機能や、バベッジの設計が当時の技術水準でおおむね実現可能であったということなどが判明し、バベッジ研究に進展をもたらしました。

 ただ、どれほど当時の技術水準を吟味して再現し、どれほど精密さを期そうとも、出来上がった復元物は作者が当時作ろうとしたもの(もしくは作ったもの)そのものではありえません。材料調達や取るべき手順の決定など、その作業はしばしば困難です。それでも復元が試みられるのは、紙に書かれた情報を五感でとらえられる形へと具現化することで初めて「わかる」何かが確実にあるからです。それが「復元」とよばれるあらゆるプロジェクトの肝だと言って良いでしょう。
 また、こういった研究手法は、とりわけ科学史・技術史の場合には、歴史的事物を当時の文脈に置き、現代的な後付けの視点からは解釈しないという科学史・技術史研究の基礎的態度に、慎重に裏打ちされなければなりません。われわれは、今の科学・技術の水準を「高み」であるとみなし、人類がそこに向かって直線的に知識を蓄積してきた、あるいは科学研究・技術開発を行ってきたと考えがちです。現代の技術に比べて、過去の技術には何が「足りなかったか」という視点を持ってしまうことが往々にしてあります。しかし、実際には過去の事物と現在の事物はそれほど簡単には比較できません。事物の歴史的評価は、その時代の社会的・思想的背景を含む、複雑な関係性のなかに位置づけながら行わなければならないからです。現代の主流・常識が、過去の主流・常識であったことが、まず無いと考えられる以上、過去の技術を一概に「足りなかった」とはいえないのです。

12月8日(金)シューベルト《4つの即興曲 D 899》《幻想ソナタ》+横島浩/ブリス・ポゼ新作初演 [2023/11/23 update]_c0050810_21085262.jpg
 さて、作品を作曲当時にできるだけ近い状況・環境・文脈に置いて再現を試みるという意味で、古楽の演奏会は、上述の「復元」プロジェクトに似た構造を持ちえます。その時々の鍵盤楽器のために書かれてきた作品について、歴史的に真価を問おうとするならば、現代的な後付けからの解釈――モダン・ピアノに密着した解釈から離れてみる必要があります。フォルテピアノはモダン・ピアノとは似て非なる楽器です。作品そのものと作曲当時に使用されていた楽器は、本来切り離すことはできません。作曲当時により近い条件で作品を演奏すれば、楽譜だけ、あるいは楽器だけを観察・分析するだけではわからなかった何かが立ち現れる可能性があります。たとえ歴史的な価値を問う気がなくても、作曲者の意図を知りたいならば、作品を歴史的な文脈の中に置いてみるべきです。歴史的文脈の網目の間には、作品の中には直接書かれていないある種の空気が満ちており、作品のありようはその空気に決定的に影響されているからです。
 とはいえ、事態はより複雑です。なぜなら、器楽は楽器、作品、作曲者、演奏者、聴衆という多数の要素が絡み合って構成されたものであり、作品は本来、その網目の中で意図を与えられ演奏されてきたものであるからです。いざ楽器と演奏者をもってきて当時の状況を再現しようとしたとき、そこには単なる古物や古い機械の復元の範囲を越えた、独特の問題が立ちふさがります。
 大前提となるのが、まず楽器の再現性の問題です。これはあらゆる「復元」につきまとう課題ですが、古楽器を含む歴史的機械が、本当に当時使われていたそのままの状態で復元されることは、まずありえません。これは長年保管されていた古楽器を用いる場合も同様です。楽器には日々のメンテナンスの手順や頻度、老朽化に伴う補修に使われる技術などが必要ですが、これらは長年の間に必ず何らかの変化をこうむっています。機械にまつわる暗黙知は決して保存されえません。これは避けがたいことです。また、補修やメンテナンスに必要な材料(たとえば木材や金属材料など)も、当時のままというわけにはいきません。

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 楽器に様々なバージョンがある場合には、どの楽器で演奏するかという問題も重要です。たとえばベートーヴェンはウィーン式とイギリス式の両方のフォルテピアノを所有していました。ベートーヴェンがどの楽器を好んだのかというのは興味深い問題ですが、ベートーヴェン作品の行間ならぬ「五線譜間」の意図を明らかにするには、ウィーン式だけではなくロンドン式のフォルテピアノで演奏され、比較される必要があるかもしれません。また、「採用されなかった」「好まれなかった」と言われる楽器に注目することも大切です。最終的に採用されたり、主流になったりしたものは、歴史の中で選ばれるべくして選ばれたのではないことも多いからです。
 次に、演奏法の再現性です。言うまでもなく、楽器の演奏法は(楽器製作と同じく、もしくはそれ以上に)暗黙知の塊です。その曲を弾くとき、どのように身体を使うべきであったのかは、伝わっている伝統的奏法、史料や作品の分析、楽器の機構による制約、そして自分の身体そのものによる制約などから推測するしかありません。
 ただし、器楽の場合、楽器の機構による制約そのものが復元を試みる際のヒントとなっている側面はあるでしょう。作曲当時の演奏は、鍵盤の幅や弾いたときのタッチ、ダイナミックレンジといった、当時使われていた楽器の特徴や制約のなかで可能な表現であったはずです。その点、楽器を使わず声だけを使った芸能などでは、復元が難しいことが少なくありません。たとえば日本の伝統芸能である能は、現在ではゆっくりとした重い曲調や、強吟と呼ばれる唸るような謡い方で特徴づけられていますが、室町当時は曲によっては現在の半分以下という遥かにスピーディな上演時間であったそうですし、強吟という謡い方は存在しなかったと言われています。江戸期を通じて変化した能の上演スタイルの元の姿は、現在のそれとはかけ離れたものだったのです。しかし、史料も少なく、機械による制約といったようなヒントも残されていない今となっては、かつての姿の再現はおそろしく困難な試みとなっています。

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 第三に楽器と演奏者をとりまく環境の再現性です。楽器はどこに置かれたのか。それはどれくらいの大きさのどのような部屋だったのか(もしくは戸外だったのか)。聴衆は何人くらいで、どこに座り、何をしながら(あるいは何もせずに?)聴いていたのか。作曲者はこの曲がどのような環境で弾かれることを想定していたのか、そして演奏者が実際どこで弾いたのか。聴衆なしに音楽がありえない以上、本当に当時の状況を再現するならば、この要素を無視するわけにはいきません。
しかも、フォルテピアノの場合、座る位置の微妙な差異でモダン・ピアノとは比べ物にならないほど聞こえる音に違いが出ます。2008年7月に大井氏によるアントン・ヴァルターのフォルテピアノ演奏(於:京都文化博物館別館ホール)を鑑賞した際、会場内で座る場所を変えると、別の楽器かと思うほど聞こえる音に差がありました。演奏者側の前から 2 列目に座って聴いたときは、音はどこか少し遠くで鳴っており、強弱もそれほど感じられず、趣味良く可愛くこじんまりした印象があったのですが、そののち席を替え反響板側で残りを聴いたところ、音量は大迫力、機構の動作音も聞こえますし、強弱のメリハリに至っては明らかに作品の差を超えた違いでした(大井氏によれば、楽器の中に頭を突っ込んで聴けば、さらに違う音が聴けるとのことです)。座る場所がたった数メートル変わるだけで明らかな差が出るということは、フォルテピアノがモダン・ピアノと同じ環境で聴かれた楽器ではないということを示唆しています。

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 結局のところ、当時の状況の完璧な「復元」は不可能なのです。多数の要素の絡み合った「器楽」というものの構造、さらには演奏者がこれまで受けてきた教育課程や、聴衆の音楽経験や期待といった、演奏とその鑑賞に影響を与えるさまざまな社会的条件が、事態をさらに複雑にしています。しかし、それを承知のうえで敢えて器楽作品の「復元」を試みることに意味があるのは、楽譜に書きようのない、現代的演奏では欠落してしまう何かが、その試みの中で緩やかに立ち現れるからにほかなりません。堆く積みあがった解釈と変革の上にあるモダン・ピアノによる音楽は、それはそれ自身として価値のあるものです。しかし、ひとときそれを忘れて、モダン・ピアノに無いきめ細かな音の膚触りや、現代とはまったく異質の美意識を味わうとき、我々は作曲者の語る言葉なきメッセージに一歩近いところにいるのです。


(*) Science Museum, “Charles Babbage’s Difference Engines and the Science Museum,” July 18, 2023.
Swade, Doron. "The Construction of Charles Babbage's Difference Engine No. 2." IEEE Annals of the History of Computing 27.3 (2005): 70-88.





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# by ooi_piano | 2023-12-05 02:39 | Schubertiade vonZzuZ | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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