人気ブログランキング | 話題のタグを見る
1月9日(土)15時 シュトックハウゼン《マントラ》関西初演(2021/01/07 Update)_c0050810_23231649.png
芦屋市制施行80周年 ルナ・ホール開館50周年記念コンサート
1970年の音を聴く 
2台のピアノと電子音響のための
シュトックハウゼン 『マントラ』(1970年)

[出演]浦壁信二(ピアノ) 大井浩明(ピアノ) 有馬純寿(電子音響)

チラシpdf


1月9日(土)15時 シュトックハウゼン《マントラ》関西初演(2021/01/07 Update)_c0050810_22355902.jpg
ルナ・ホール開館の1970年、作曲家シュトックハウゼンが大阪万博に来日、構想、作曲した現代音楽の伝説的傑作、関西初演

[日時]2020年1月9日(土) 3:00PM開演(2:15PM開場)
[会場]芦屋市民センター ルナ・ホール(〒659-0068 兵庫県芦屋市業平町8-24)
JR芦屋駅、阪急芦屋川駅より徒歩約7分、阪神芦屋駅から徒歩約8分
[料金]一般前売 3,000円(当日3,500円)  
高・大・大学院生 2,000円(当日同料金)
小・中学生 1,500円(当日同料金)
※未就学児のご入場はご遠慮ください


プログラム

【第1部】
W.A.モーツァルト(1756-1791):2台のピアノのためのソナタ ニ長調K.448 (1781)  23分
 W.A.Mozart: Sonata for two pianos in D major, K.448 (1781)
  I. Allegro con spirito - II. Andante - III. Molto Allegro

A. ジョリヴェ(1905-1974):「パチンコ」 (1970) 2分
 A.Jolivet: “Patchinko” for two pianos (1970)

西村 朗(1953-):「波うつ鏡」(1985) 5分 
 A. Nishimura: “Vibrancy Mirrors” for two pianos (1985)

  〔第1ピアノ 浦壁信二、第2ピアノ 大井浩明〕


  〈休憩〉


【第2部】
K.シュトックハウゼン(1928-2007):2台のピアノと電子音響のための「マントラ」(1970) 70分
 K.Stockhausen: “MANTRA”for two pianos and electronics (1970)

  〔第1ピアノ 大井浩明、 第2ピアノ 浦壁信二、 エレクトロニクス 有馬純寿〕



─────────────────────
[チケット取り扱い]
・芦屋市民センター事務所(ルナ・ホール南隣、芦屋市業平町8-24 9:00-17:30(日・祝は17:00まで)、火曜休)
・芦屋市役所売店(市役所南館地下1階 9:30-17:00平日のみ)
・ローソンチケット(Lコード56705)
・市民センターWEB予約 (HPアドレス http://www.city.ashiya.lg.jp/kouminkan/shijigyou.html

[お問い合わせ]ルナ・ホール事業担当 TEL.0797-35-0700

※2020年6月6日に予定していた公演の延期公演です。 6月6日のチケットをお持ちの方は当日お使いいただけます。

主催 芦屋市・芦屋市教育委員会
後援 大阪・神戸ドイツ連邦共和国総領事館
協力 帝塚山学院大学、Stockhausen-Stiftung für Musik / Kürten


1月9日(土)15時 シュトックハウゼン《マントラ》関西初演(2021/01/07 Update)_c0050810_22365836.jpg
 芦屋市民センター ルナ・ホールは、ル・コルビュジェの弟子、坂倉準三率いる坂倉建築研究所により設計され、ホワイエに芦屋で誕生した具体美術協会の創始者、吉原治良デザインの白い巨大な円環を擁した近代建築で、1970年に開館しました。
 2台のピアノと電子音響のための「マントラ」は、20世紀ドイツが生んだ大作曲家、カールハインツ・シュトックハウゼンが、同じ1970年、大阪万博での演奏のために来日、ドイツ館での連日の演奏のさなかに構想し、その後の作曲へのターニングポイントともなった代表作のひとつ。2人のピアニストが超絶技巧のピアノパートの演奏を繰り広げながら、打楽器を鳴らし、電子音を同時に操作する、緻密に作曲された難曲で、演奏時間は約70分。壮大な交響曲にも匹敵する、音楽史上で伝説的な超大作です。膨大なリハーサルを要すとあって、これまで日本で演奏される機会はまれでした。作曲から50年を経て、関西での初演となります。
 ピアニスト浦壁信二と大井浩明は2014年以来ドゥオを結成し、マーラー、R.シュトラウス、ショスタコーヴィチ、バルトーク、ストラヴィンスキー等のピアノ版の世界初演/日本初演に加え、ブーレーズ、バートウィッスル、ツィマーマンから邦人作品に至る幅広いプログラミングで10公演の共演を重ねています。今回が初の関西公演となります。電子音響の第一人者である有馬純寿を迎えて強力かつ完全な布陣での演奏。2台のピアノと打楽器、そして電子音響が織りなす豪華絢爛な音の宇宙を存分にご堪能ください。



出演者プロフィール
浦壁 信二(ピアノ)Shinji Urakabe, piano
 1969年生まれ。4才の時にヤマハ音楽教室に入会、1981年国連総会議場でのJOC(ジュニア・オリジナル・コンサート)に参加し自作曲をロストロポーヴィッチ指揮ワシントンナショナル交響楽団と共演。1985年から都立芸術高校音楽科、作曲科に在籍後、1987年パリ国立高等音楽院に留学。和声・フーガ・伴奏科で1 等賞を得て卒業、対位法で2等賞を得る。ピアノをテオドール・パラスキヴェスコ、伴奏をジャン・ケルネルに師事、その他ヴェラ・ゴルノスタエヴァ、イェルク・デームス等のマスタークラスにも参加。1994年オルレアン20 世紀音楽ピアノコンクール(フランス)で特別賞ブランシュ・セルヴァを得て優勝。ヨーロッパでの演奏活動を開始。その後拠点を日本に移し室内楽・伴奏を中心に活動を展開、国内外の多くのアーティストとの共演を果たしている。近年ソロでも活動の幅を拡げ2012年CD「水の戯れ~ラヴェルピアノ作品全集Ⅰ」、2014年「クープランの墓~ラヴェルピアノ作品全集 II」をリリース、それぞれレコード芸術誌に於て特選、準特選を得るなど好評を得ている。EIT(アンサンブル・インタラクティブ・トキオ)メンバー。現在、洗足学園音楽大学客員教授、ヤマハマスタークラス講師として後進の指導にも当たっている。


有馬 純寿(電子音響)Sumihisa Arima, electronics
1965年生まれ。エレクトロニクスやコンピュータを用いた音響表現を中心に、ジャンルを横断する活動を展開。ソリストや室内アンサンブルのメンバーとして「サントリーホール サマーフェスティバル」「コンポージアム」などの現代音楽祭をはじめ数多くの演奏会で電子音響の演奏や音響技術を手がけ高い評価を得ている。第63回芸術選奨文部科学大臣新人賞芸術振興部門を受賞。2012年より国内外の現代音楽シーンで活躍する演奏家たちと現代音楽アンサンブル「東京現音計画」をスタート、その第1回公演が第13回佐治敬三賞を受賞した。東京シンフォニエッタメンバー。現代音楽作品の電子音響の演奏以外では、一柳慧、湯浅譲二、杉山洋一をはじめとする作曲家との共同作業や、スガダイロー、石若駿などジャズミュージシャンや、国内外の実験的音楽家とのセッションも積極的に行っている。また、会田誠、小沢剛らとの「昭和40年会」をはじめ美術家とのコラボレーションも多く、最近では「瀬戸内国際芸術祭2013、2016」に参加し、香川県男木島にてインスタレーションの展示やワークショップなどを行ったほか、昨年10月にはソウルにて韓国の同世代の美術家たちとのプロジェクト「50|50」 を行った。現在、帝塚山学院大学人間科学部情報メディア学科准教授。京都市立芸術大学非常勤講師。


------------------------------------------------------------
『マントラ』関連講演会
「1970年の音を聴く 大阪万博でのシュトックハウゼンと武満徹を中心に」  
講師:川崎 弘二(電子音楽研究)
1970年大阪生まれ。著書に「日本の電子音楽」「黛敏郎の電子音楽」、12年に「篠原眞の電子音楽」、「武満徹の電子音楽」等。相愛大学音楽学部非常勤講師。

2021年1月9日(土) 13:00-14:00
会場:芦屋市民センター本館(ルナ・ホール南隣)4F 401室  
先着50名(予約不要) 参加費無料 直接会場へ 
1月9日(土)15時 シュトックハウゼン《マントラ》関西初演(2021/01/07 Update)_c0050810_00030864.jpg

(C) Stockhausen Foundation


――――――――――――――――――――

【関連リンク集】

●シュトックハウゼン:クラヴィア曲第17番(日本初演)他 感想集曲目解説 [2011.3.25]
●シュトックハウゼン:クラヴィア曲第1番~第11番+第18番(日本初演)感想集 曲目解説 シュトックハウゼン素描(野々村 禎彦) [2012.1.29]
●「1977年東京で――《暦年》世界初演」 (木戸敏郎) 前編 後編
●「三人称の雅楽《リヒト》」(木戸敏郎) 前編 後編

1月9日(土)15時 シュトックハウゼン《マントラ》関西初演(2021/01/07 Update)_c0050810_00043213.jpg

(C) Stockhausen Foundation


――――――――――――――――――――

【浦壁信二+大井浩明 ドゥオ】


■2014年9月12日 http://ooipiano.exblog.jp/22474259/

 D.ショスタコーヴィチ:交響曲第4番ハ短調作品43 (1935/36) (作曲者による2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約60分]

 A.スクリャービン:交響曲第4番作品54《法悦の詩》 (1908) (レフ・コニュスによる2台ピアノ版)[単一楽章、約20分]

(アンコール)B.バルトーク:《管弦楽のための協奏曲》より第4楽章「遮られた間奏曲」(1943、ヴェデルニコフ編)

 三宅榛名:《奈ポレオン応援歌》(1979)


■2015年3月13日 http://ooipiano.exblog.jp/23322462/

 A.オネゲル:交響曲第3番《典礼風》(1945/46)(ショスタコーヴィチによる2台ピアノ版、日本初演)[全3楽章、約30分]

  I. 怒りの日(Dies irae) - II. 深き淵より(De profundis clamavi) - III. 我らに平和を(Dona nobis pacem)

 O.メシアン:《アーメンの幻影》(1943)[全7楽章、約50分]

  I. 創造のアーメン - II. 星たちと環のある惑星のアーメン - III. イエスの苦しみのアーメン - IV. 願望のアーメン - V. 天使たち、聖人たち、鳥たちの歌のアーメン - VI. 審判のアーメン - VII. 成就のアーメン

(アンコール)A.オネゲル:《パシフィック231》(1923)(N.キングマン(1976- )による二台ピアノ版(2013)、世界初演)

 P.ブーレーズ:構造Ia (1951)


■2015年5月22日  http://ooipiano.exblog.jp/24126209/

 G.マーラー:交響曲第2番ハ短調《復活》(1888/94) [全5楽章] (約80分) H.ベーン(1859-1927)による二台ピアノ版(1895) (日本初演)

  I. Maestoso - II.Andante con moto - III. In ruhig fließender Bewegung - IV.Urlicht - V. Im Tempo des Scherzos. Wild herausfahrend

 B.A.ツィマーマン:《モノローグ》(1960/64) [全5楽章]  (約20分)

  I.Quasi irreale - II. - III. - IV. - V.

(アンコール)G.マーラー:交響曲第3番第5楽章「天使たちが私に語ること」(J.V.v.ヴェスによる四手連弾版)


■2016年9月22日 《СТРАВИНСКИЙ ОСТАЕТСЯ》 http://ooipiano.exblog.jp/25947275/

 I.ストラヴィンスキー:《4つのエテュード》(1917)

  I. 踊り - II. 変わり者 - III. 雅歌 - IV. マドリード

 I.ストラヴィンスキー:舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917)

  花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)

 I.ストラヴィンスキー:舞踊音楽《浄められた春(春の祭典)》(1913)

  〈大地讃仰〉 序奏 - 春の兆しと乙女たちの踊り - 誘拐 - 春の輪舞 - 敵の部族の戯れ - 賢者の行進 - 大地への口吻 - 大地の踊り

  〈生贄〉 序奏 - 乙女たちの神秘の集い - 選ばれし生贄への賛美 - 曩祖の召還 - 曩祖の祭祀 - 生贄の踊り

(アンコール)I.ストラヴィンスキー:《魔王カスチェイの地獄踊り》

 S.プロコフィエフ:《邪神チュジボーグと魔界の悪鬼の踊り》 (米沢典剛による2台ピアノ版)


■2017年4月28日 《Bartók Béla zenekari mesterművei két zongorára átírta Yonezawa Noritake》 http://ooipiano.exblog.jp/26516776/

 B.バルトーク=米沢典剛:組曲《中国の不思議な役人 Op.19 Sz.73》(1918-24/2016、世界初演)

    導入部 - 第一の誘惑と老紳士 - 第二の誘惑と学生 - 第三の誘惑と役人 - 少女の踊り - 役人が少女を追い回す

 B.バルトーク=米沢典剛:《弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽 Sz.106》(1936/2016、世界初演)

    I.Andante tranquillo - II.Allegro - III.Adagio - IV.Allegro molto

 B.バルトーク=米沢典剛:《管弦楽のための協奏曲 Sz.116》(1943/2016、世界初演)

  I.序章 - II.対の提示 - III.悲歌 - IV.遮られた間奏曲 - V.終曲

(アンコール) 星野源:《恋 (Szégyen a futás, de hasznos.)》(2016) (米沢典剛による2台ピアノ版)


■2017年9月20日 現代日本人作品2台ピアノ傑作選  https://ooipiano.exblog.jp/27397266/

 ストラヴィンスキー(1882-1971):舞踊カンタータ《結婚(儀礼)》(1917/2017、米沢典剛による2台ピアノ版) 花嫁の家で(おさげ髪) - 花婿の家で - 花嫁の出発 - 婚礼の祝宴(美しい食卓)

 西風満紀子(1968- ):《melodia-piano I/II/III 》(2014/15、世界初演)

 一柳慧(1933- ): 《二つの存在》(1980)

 西村朗(1953- ): 《波うつ鏡》(1985)

 篠原眞(1931- ): 《アンデュレーションB [波状]》(1997)

 湯浅譲二(1929- ): 《2台のピアノのためのプロジェクション》(2004)

 南聡(1955- ): 《異議申し立て――反復と位相に関する2台のピアノのための協奏曲:石井眞木の思い出に Op.57》(2003/10、本州初演)

(アンコール) 武満徹(1930-1996):《クロスハッチ》(1982)


■2018年5月25日 ストラヴィンスキー2台ピアノ作品集成 https://ooipiano.exblog.jp/29413702/

ピアノと木管楽器のための協奏曲(1923/24)( 二台ピアノ版)

  I. Largo / Allegro - II. Largo - III. Allegro

ピアノと管弦楽のためのカプリッチョ(1926/29)( 二台ピアノ版)

  I.Presto - II. Andante rapsodico - III. Allegro capriccioso ma tempo giusto

《詩篇交響曲》(1930)(ショスタコーヴィチによる四手ピアノ版、日本初演)

  I. 前奏曲:嗚呼ヱホバよ願はくは我が禱りを聽き給ヘ(詩篇38篇) - II. 二重フーガ:我耐へ忍びてヱホバを俟望みたり(詩篇39篇) - III. 交響的アレグロ: ヱホバを褒め讚へよ(詩篇150篇)

二台ピアノのための協奏曲(1935)

  I. Con moto - II. Notturno (Allegretto) - III. Quattro variazioni - IV. Preludio e Fuga

ダンバートン・オークス協奏曲(1938)(二台ピアノ版)

  I.Tempo giusto - II. Allegretto - III. Con moto

二台ピアノのためのソナタ(1943)

  I.Moderato - II. Thème avec variations - III. Allegretto

ロシア風スケルツォ(1944)

ピアノと管弦楽のためのムーヴメンツ(1958/59)(二台ピアノ版)

  I. - II. - III. - IV. - V.


■2018年11月30日 米英近現代作品コンピレーション https://ooipiano.exblog.jp/29850225/

G.ガーシュイン(1898-1937)/P.グレインジャー(1882-1961):歌劇《ポギーとベス》による幻想曲 (1934/1951)

  I. 序曲 Overture - II. あの人は行って行ってしまった My Man's Gone Now - III. そんなことどうでもいいじゃない It Ain't Necessarily So - IV. クララ、君も元気出せよ Clara, Don't You Be Down-Hearted - V. なまず横丁のいちご売り Oh, Dey's So Fresh And Fine - VI. サマータイム Summertime - VII. どうにもとまらない Oh, I Can't Sit Down - VIII. お前が俺には最後の女だベス Bess, You Is My Woman Now - IX. ないないづくし Oh, I Got Plenty O' Nuttin - X. お天道様、そいつが俺のやり方 Oh Lawd, I'm On My Way

L.バーンスタイン(1918-1990)/J.マスト(1954- ): ミュージカル「ウェストサイド・ストーリー」より 《シンフォニック・ダンス》 (1960/1998)

 I. プロローグ - II. サムウェア - III. スケルツオ - IV. マンボ - V. チャ・チャ - VI. クール(リフとジェッツ) - VII.決闘 - VIII. フィナーレ

H.バートウィッスル(1934- ):《キーボード・エンジン――二台ピアノのための構築》(2017/18、日本初演)

J.アダムズ(1947- ):《ハレルヤ・ジャンクション》(1996)

N.カプースチン(1937- ):《ディジー・ガレスピー「マンテカ」によるパラフレーズ》(2006)

(アンコール)メシアン:《星の血の喜び》(1948)(米沢典剛による2台ピアノ版)


■2019年5月31日 調性音楽の仄暮~2台ピアノによる協奏曲集 https://ooipiano.exblog.jp/30257234/

G.フォーレ:《幻想曲 ト長調 Op.111》(1919、アルフレッド・コルトーに献呈)

  I. Allegro moderato - II. Allegretto - III. Allegro moderato

K.シマノフスキ:《交響曲第4番 Op.60 「協奏的交響曲」》 (1932、アルトゥール・ルービンシュタインに献呈) [グジェゴシュ・フィテルベルクによる2台ピアノ版]

  I. Moderato - tempo commodo - II. Andante molto sostenuto - III. Allegro non troppo, ma agitato ed ansioso

スクリャービン:《ピアノ協奏曲 嬰へ短調 Op.20》 (1897) 全3楽章

  I. Allegro Moderato - II. Andante - III. Allegro

スクリャービン:《交響曲第5番 Op.60 「プロメテウス(火の詩)」》(1910) [レオニード・サバネーエフによる2台ピアノ版]



■2019年11月22日〈超人とアンチクリスト〉 https://ooipiano.exblog.jp/30557627/

R.シュトラウス:交響詩《ツァラトゥストラはこのように語った!》 作品30 (1896、オットー・ジンガーによる二台ピアノ版、日本初演)

  導入部(ツァラトゥストラの序説) - 背後世界論者について - 大いなる憧れについて - 歓楽と情欲について - 墓の歌 - 学問について - 病の癒えゆく者 - 舞踏の歌 - 夢遊病者の歌

R.シュトラウス:《アンチクリスト ~ アルプス交響曲》 作品64 (1915/2019、米沢典剛による二台ピアノ版、世界初演)

  夜 - 日の出 - 登り道 - 森に入る - 小川沿いに歩く - 滝 - 幻影 - 花咲く草原で - アルムの牧場で - 道に迷い茂みと藪を抜ける - 氷河で - 危険な瞬間 - 頂上で - 幻視 - 霧が立ちのぼる - しだいに日がかげる - 哀歌 - 嵐の前の静けさ - 雷雨と嵐、下山 - 日没 - 終了 - 夜

(アンコール)冬木透:《ウルトラセブンのテーマ》(米沢典剛による2台ピアノ版)


1月9日(土)15時 シュトックハウゼン《マントラ》関西初演(2021/01/07 Update)_c0050810_23241577.jpg

# by ooi_piano | 2021-01-07 18:01 | コンサート情報 | Comments(0)
【第3回】2020年12月11日(金)19時開演(18時半開場) 
大井浩明(フォルテピアノ独奏)

12/11(金)1843年製プレイエルによるシューマン《謝肉祭》《クライスレリアーナ》《幻想曲》+中川真新作 (2020/11/28 Update)_c0050810_17054967.jpg
松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4) 渋谷駅徒歩10分、神泉駅徒歩2分
全自由席 5000円
お問い合わせ pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)〔要予約〕

使用楽器:プレイエル社1843年製80鍵フォルテピアノ(430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]



12/11(金)1843年製プレイエルによるシューマン《謝肉祭》《クライスレリアーナ》《幻想曲》+中川真新作 (2020/11/28 Update)_c0050810_20480611.jpg


□R.シューマン(1810-1856)
●《謝肉祭 - 4つの音符によるドタバタ劇 Op.9》 (1833/35)(全20曲) 28分
  [緒言 - ピエロ - アルレッキーノ - 高雅なワルツ - オイゼビウス - フロレスタン - 艶女 - その追記 - (スフィンクス) - 蝶々(パピヨン) - A.S.C.H.-S.C.H.A.(踊る文字) - キアリーナ(クララ) - ショパン - エストレラ(エルネスティーネ) - 再会 - パンタローネとコロンビーナ - ドイツ風円舞曲 - (間奏曲)パガニーニ - 告白 - そぞろ歩き - 幕間 - ペリシテ人に対するダビデ同盟の行進]

●《クライスレリアーナ - ピアノのための幻想曲集 Op.16》(1838)(全8曲) 30分
 I.Äußerst bewegt - II. Sehr innig und nicht zu rasch - III. Sehr aufgeregt - IV. Sehr langsam - V. Sehr lebhaft - VI. Sehr langsam - VII. Sehr rasch - VIII. Schnell und spielend


  (休憩)

□中川真(1951- ):フォルテピアノ独奏のための《非在の声》(2020、委嘱初演)  10分

●《幻想曲 Op.17(初稿)》(1836/39)(全3楽章) 30分
  I. (遺址)Durchaus phantastisch und leidenschaftlich vorzutragen - II. (凱旋門)Mäßig. Durchaus energisch - III. (星辰)Langsam getragen. Durchweg leise zu halten


   [使用エディション:新シューマン全集版(2016/2018)]




中川真:フォルテピアノ独奏のための《非在の声》(2020)
12/11(金)1843年製プレイエルによるシューマン《謝肉祭》《クライスレリアーナ》《幻想曲》+中川真新作 (2020/11/28 Update)_c0050810_20494482.jpg
  インドネシアのジャワ島のある街で、ガムラン音楽の新作のリハーサルをしているというので、現場に行った時のことだ。紙切れ1枚に数字譜が書かれ、それをもとに15人くらいのプレーヤーが演奏しているが、しばしば止まっては、あれこれ相談が始まる。作曲者らしき人はいるのだが、お構いなしだ。やがて皆が納得する作品ができあがる。ガムランには有名な曲が多くあるが、作曲者名が記されていることは、まずない。基本的には共同作品であり、匿名である。結果としてエッジの効いた曲は少なくなるが、個性よりも集合性を優先させる作品づくりに強い興味をそそられた。
  私は様々なコミュニティ(例えば過疎地の人々、障害のある人、元ホームレスなど)で協働的な作品づくりをしているが、「私」はできる限り消し去り、そこにいる人々の声を最大限に聴き取ろうと努めている。10人いれば10の声があるわけだが、その10人は孤立した10人ではなく様々なネットワークに紐づけされている。そこでネットワークからの声もまた山彦のように反響する。その曖昧模糊とした声の集合の彼方から、時折、雲間に射す一条の光のごとくクリアな声が聞こえてくるのである。それが聞こえた時、作品は生き始めると思っている。
  ガムラン音楽には「隠された旋律 lagu tersembunyi」という現象が存在する。ガムランはゆったりとした旋律が豊潤な装飾的音群によって覆われた彩色的な音楽であるが、コアな聴き手はその音響を手がかりに「隠された旋律」を聴くという。聴き手の中でそれは具体的な旋律の像を結ぶ。
  私には上記2つの話は繋がっているように思える。近年、コミュニティ・エンゲイジド・アートの実践が活発化してきているが、主に社会的価値が強調され美的価値への言及が少ない。その架橋を試みるのが私の仕事であると思っている。本作でも共同的な制作手法を用いたが、コロナ禍において私たちは集まることができなかったため、リモート制作を実施することとした。私からの投げかけに対して、様々な楽想やアイデアで応答していただいた今回のコミュニティの皆さん(下田展久、HIROS、西村彰洋、黒川岳、大井卓也、朝日山裕子、大畑和樹、和田悠花各氏)に深甚の謝意を表したい。(中川真)



  アジアの民族音楽、サウンドスケープ、アーツマネジメントを研究するかたわら、「現代アートの森」芸術監督(2000〜2008年)、楽舞劇『桃太郎』芸術監督(2001〜08年)、船場アートカフェディレクター(2004-2013年)を歴任。著書『平安京 音の宇宙』でサントリー学芸賞、京都音楽賞、小泉文夫音楽賞、現代音楽の活動で京都府文化賞、アーツマネジメントの成果で日本都市計画家協会賞特別賞、ゆめづくりまちづくり賞(共同)を受賞。他に『サウンドアートのトポス』、『アートの力』、小説『サワサワ』などの著作がある。ガムラン演奏家として国内外で活動し、インドネシア政府外務省文化交流表彰(2007)、総領事表彰(2017)を受ける。また環境騒音の取り組みに対して大阪府司法表彰を受ける(2019)。近年は社会包摂型アートの実践に注力する。大阪市立大学都市研究プラザ特任教授、インドネシア芸術大学、チュラロンコン大学(タイ)客員教授。1951年奈良県生まれ。




シューマンとフランス・ロマン主義───上田泰史

  19世紀初頭より、ピアノのヴィルトゥオーゾはこぞってパリを訪れた。かのベートーヴェンも、一時はパリ行きを計画して自身のヴァイオリン・ソナタをフランスの名手ロドルフ・クロイツェルに献呈した。結局断念したものの、作曲家にとってパリは大きな音楽市場であると同時に、なにより国際的人脈の築くのに適した文化圏だった。メンデルスゾーンは二度パリを訪れているし、ショパンは1831年から生涯パリに居を構え後半生をフランスで過ごした。その後輩エドゥアール・ヴォルフやペシュトからきたシュテファン・ヘラーも多かれ少なかれ同じ道を辿っている。だが、自由主義とコスモポリタニズムが浸透しても、ライン川を越えずに青春時代を過ごす音楽家もいた。シューマンはショパン世代のロマン主義音楽家の中でも、特異な例であろう。


エチュードへの憧憬

12/11(金)1843年製プレイエルによるシューマン《謝肉祭》《クライスレリアーナ》《幻想曲》+中川真新作 (2020/11/28 Update)_c0050810_20513261.jpg
 ヴィルトゥオーゾとして大成することを夢見ていた若きシューマンは、1832年、過度な練習から右手中指に変調をきたして以後も、ピアノ芸術に強い関心を向け続けた。カルクブレンナー、エルツ、そしてとりわけパガニーニから感化を受けて育まれた超越願望は、シューマンをピアノ音楽の更なる深みへと導いた。1830年にパガニーニを初めて聴いた日、彼は興奮した頭と手で日記にこう書きつけた。「夜にパガニーニを聴いた。芸術の理想への疑い。なぜなら、偉大で高貴で厳かな芸術の落ち着きが、彼には欠けていたから*。」藝術の静かなる美**という新古典主義的な価値観は、説明不可能な技巧と熱気によって根こそぎ覆され、シューマンに新たなピアノ音楽の地平を開いた。

*鄭理耀『ローベルト・シューマンとピアノ・テクニック――運指練習から多面的な音楽活動へ』より。
**ショパンは同じ頃、対照的にカルクブレンナーの「落ち着き」を称賛している(前回記事参照)。

  ピアニストの道を諦めながらも、大きく変化しつつあるピアノ奏法を作曲・分析的観点から追究し続けた。例えば1836年に自ら主幹を務める『音楽新報』で練習曲をテーマにした記事を投稿している。J. S. バッハ(おそらく《平均律クラヴィーア曲集》)を「練習曲」の嚆矢と見做しつつ、総勢22名の練習曲を分析対象とし、技巧別に29の視点からそれらに註釈を付けた。そこにはイングランドのクレメンティ、クラーマー及びポッター、チェコのモシェレス、ポーランドのシマノフスカおよびショパン、フランスのカルクブレンナー、エルツ、オーストリアのチェルニー、ドイツのフンメル、リース、ベルガー(メンデルスゾーンの師)、ケスラー、ヒラー、そして自身の作品3と10(パガニーニに基づく2巻の練習曲集)に至るまで、国際色豊かな音楽家の練習曲が含まれる。シューマンはザクセン王国に居ながらにして広く最新の情報を集め、ヨーロッパ的視点からの状況把握に余念がなかった。


アルカンへの批判

  ちょうどこの1830年代半ば、新しい世代の音楽家による「エチュード熱」がピアノ界を席巻し始める。ショパン、シューマン、ヒラーがそれ自体を表現の場とする「練習曲」の先陣を切り、リスト、タールベルク、アルカン、ヘンゼルトら同じ1810年世代の若者が続いた。同世代のヴィルトゥオーゾが一斉にエチュードを書き始めたことは、シューマンを喜ばせ、また苛立たせもした。とりわけ彼は、フランスの急進的な動向に我慢がならなかった。彼の批評の矛先は、アルカンに向けられた。
  1838年5月29日、シューマンは前年に出版されたアルカンの《悲愴的ジャンルの3つの断章》作品15に辛らつな批評を書いた。

 《この曲集にざっと目を通すだけで、この新フランス人の趣味に気づく。それはウジェーヌ・シューとジョルジュ・サンドの著作を感じさせる。藝術と自然さが同じように欠如しているのを前にして、唖然としてしまうのだ。リストは少なくとも知性を持って風刺する。ベルリオーズは錯乱だらけだが、あちこちで人間らしい心を見せている。彼は力強さと大胆さ溢れるリベルタンなのだ。だがこの曲集に見出されるものときたら、ほとんど精神的脆弱とあらゆる想像力なき凡庸さばかりである。これらの練習曲には次のようなタイトルが付いている。〈私を愛して〉、〈風〉、〈死せる女〉。そして50頁に亘って僅かばかりの演奏指示さえない音符の洪水が目を引く。気まぐれにさえ、その責任は負わせられないだろう。いずれにせよこの種の音楽をたいへんうまく演奏する方法については、知られているのだから。だがこの作品では、内面の虚しさが、目にも明らかな空虚さと相まって際立っている。あとは何が残るだろうか。(後略)》*

*仏訳(1994)からの和訳。アルカンの当該作品の初版には実際、強弱等の表現指示がない。献呈を受けたリストに対する挑戦心、ないしは敬意からだろうか?

  さらに翌年5月24日、フランスで《12ヶ月》と題して出版されたアルカン作品の抜粋版《6つの性格的小品》に対する批評ではアルカンとフランス・ロマン主義をこう位置づけた。「この作曲家はフランス・ロマン主義者たちのなかでも最右翼に属し、ベルリオーズを模倣している」。シューマンの見解は、全体として前年に打ちのめした作品15よりも好意的とはいえ、「心(âme)、この語はおそらくどのフランス語辞典にも載っていないし、この国で生まれた作品にも欠けている」と敵愾心を隣国文化全体に敷衍している。


シューマン作品の伝播

12/11(金)1843年製プレイエルによるシューマン《謝肉祭》《クライスレリアーナ》《幻想曲》+中川真新作 (2020/11/28 Update)_c0050810_20531230.jpg
  遡ること3ヶ月、シューマンの婚約者で19歳の若きクララ・ヴィークは小間使いをつれてパリを訪れていた。この旅行に父フリードリヒは伴わず、クララは国際的ヴィルトゥオーゾとしての自立心を確立していた。この旅の目的は、ピアニスト兼作曲家としての成功と首都の著名音楽家たちとの人脈作りだったことだろう。だがもう一つ、彼女には別の使命があったようだ。それは、シューマン作品をフランスに紹介することである。パリで、クララはマイアベーアやアレヴィ、オベールといったオペラ作曲家に加え、当然のことながら、多くのピアニストたちと交流した。カルクブレンナー、ヅィメルマン、オズボーン、アルカン、ショパン、デーラー、コンツキ・・・。彼女自身は3月、パリ・デビューとして出版人シュレザンジェのサロンでタールベルクの「カプリース」、ヘンゼルトの「変奏曲」、シューベルトの歌曲編曲(おそらくリスト編)、自作《4つの性格的小品》作品5から〈幻想的情景:亡霊の舞踏会〉と〈即興曲:サバト〉を弾いた。特にこの自作は「ファウスト熱」に取り憑かれていたパリの「ロマン主義的」な聴き手を意識した選曲である。プログラムからシューマン作品を除いたのは、おそらくパリの聴衆の趣味に合致しないと考えたためだろう。では、クララはどこでシューマンの作品を弾いたのか。
  1839年5月後半から6月初旬にかけて、彼女の書簡と日記にはシューマン作品をヅィメルマン(パリ音楽院ピアノ教授、アルカンの師)およびアルカンのサークルで演奏したことを示唆する記述が現れる。日を追って見てみよう。

-5月26日の日記:「ヅィメルマンとアルカンの来訪。私はシューマン作品[複数]と自作の練習曲を弾いた。アルカンも自作の幾つかを弾いたが、テクニックはとてもまずい。彼はたくさんの才能があり素晴らしい着想もあるが、どれも余りに遅く弾いた。」
-5月28日、シューマンへの手紙:(同じ機会について)「最近、ヅィメルマンがアルカン(他の数多の才能豊かな作曲家の一人)を伴って私を訪ねてきました。私は彼らに《謝肉祭》[作品9]と《交響的練習曲》[作品13]、それに《子どもの情景》[作品15]を弾いてあげました。アルカンはすっかり魅了されたけれど、彼らが完全に理解したとは思いません。(中略)アルカンが、あなたがどんな人か尋ねてきたけど、私ったら、とても困惑してしまって、エミールが代わりに話したわ。彼女はあんまり熱心に貴方のことを説明するものだから、皆さん、エミールが貴方のフィアンセだと思ったかもしれないわね(後略)」
-6月2日、シューマンへの手紙「アルカンの〈過越祭〉が貴方の一番気に入らない曲だというのは本当に不思議だわ*。私としては、ごく短い曲のなかでも、最良の曲と評価しようと思います。アルカンはピアニストとして興趣はないし、それどころか、潤がない。貴方は雑誌で熱心に書いているわね、まだ読んでないけれど、何か貴方が書いた記事がないか、受け取り次第いつも頁を繰っているわ。」
-6月8日、日記「アルカン来訪。彼のためにシューマンの《幻想曲》[作品17]**を弾く」
-6月11日、シューマンへの手紙(同じ機会について)「最近、アルカンにあなたの《幻想曲》を弾いてあげたの。すっかり魅了されていたけど、誰も私のようには、貴方の曲を理解できないわ――不可能よ、当然!」

* 〈過越祭〉は上述《12ヶ月》の第4番で、シューマンは5月24日の記事で「取るに足らない」曲と切り捨てている。
** クララはロベルトから5月23日に《幻想曲》の楽譜を受け取っている。つまり、彼女はアルカンを最初の聴き手に選んだ可能性が高い。


シューマン作品の出版拡大

  行間に垣間見られるクララの作曲家アルカンに対する好意的評価のせいで、前後して出版された《12ヶ月》についてのシューマンの批評は、かえって辛辣さを増したようだ。ともあれ、クララのパリ滞在はフランスにおけるシューマン受容の端緒となったことは間違いない。それまで、シューマン作品はフランスで全くといって良いほど知られていなかった。1839年以前にパリ刊行されていたのは、《クララ・ヴィークの主題による10の即興曲》作品5(1834)、《謝肉祭》作品9(1837)だけであった。しかし、1839年から40年にかけて、《パガニーニの奇想曲による6つの練習曲》作品3、《トッカータ》作品7、《パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲》作品10、《交響的練習曲》作品13、《子どもの情景》作品15、《アラベスク》作品18、《花の曲》作品19、《フモレスケ》作品20が相次いで出版された。1840年、ヅィメルマンはパリ音楽院用に執筆したピアノ教則本『ピアニスト兼作曲家の百科事典』でシューマンが作品3の序で示した練習課題を採り上げ、シューマンに礼状とともにこの教本を贈った。この教本には、ヅィメルマンとその弟子アルカン、プリューダン、ラヴィーナが書き下ろした練習曲が含まれているが、ラヴィーナのエチュードはおそらくシューマンの《トッカータ》をモデルにしている。ヅィメルマンはクララだけでなく、ショパンからもシューマン作品を知ったことを礼状に記している。シューマンは1838年に上梓した《クライスレリアーナ》をショパンに献呈しているから、当然、クララのパリ滞在中にシューマン作品が話題となれば、ヅィメルマンにあれこれ感想を述べたことだろう。


パリ音楽院ピアノ科とシューマン作品

  シューマンを弾くフランス往年の巨匠といえば、アルフレッド・コルトーやイヴ・ナットの録音を思い浮かべる。二人ともパリ国立音楽院出身だが、それ以前にシューマン作品に熱心に取り組んだピアニストと言われると、あまりピンとこない。20世紀初期にアンリ・エルツの弟子ロジェ・ミクロスによる録音もあるが、そこに至るまでのシューマン作品受容の足取りはごくゆったりとしたものにすぎなかった。「コンクール」と呼ばれる公開修了選抜試験の課題曲となったのは、男子クラスで1877年と1900年、女子クラスで1882年と1895年の、4回に過ぎない。曲は《ピアノ・ソナタ 第2番》作品22と《謝肉祭》作品9、《幻想小曲集》作品12-7〈夢のもつれ〉である。1865年時点で、ピアノ教授たちのシューマンに対する見解は前向きではあるが、やや躊躇いの色が見える。フェリックス・ル・クーペ教授は、シューマン作品を「様式やしばしば奇妙な和声の点で全く古典的、ではない」と保留しつつも、「古典という言葉が、学ぶに値するものすべてを指し示すのなら、日ごと名声を高めているこの大家の諸作品を探究することは不可欠ということになろう」として《子どもの情景》を高く評価している。パリ音楽院の定期試験記録では、1868年にはじめてル・クーペの生徒が弾いた《アルバムの綴り》作品124の抜粋が最初である。「奇妙な和声」や錯綜した形式は、明晰判明性を尊重するフランス文化にはすぐに馴染まなかったのだ。そのため、音楽院はまず解毒剤としてシューマンとショパンを「中和」したシュテファン・ヘラー作品を広く受容した。そして漸く、1870年代以降、ピアノ科でシューマン作品が広く弾かれるようになっていった。
  その頃、晩年に差しかかっていたアルカンは、都会の隠遁生活を終えてエラール社屋で連続演奏会を行っていた。プログラムには、シューマンの足鍵盤付きピアノのための作品や、室内楽が組み込まれた。アルカンがシューマンのかつての批評を読んだり、その内容を伝え聞いたりしたのかついては、はっきりとしたことは判らない。だが仮に知っていたとしても、人生の秋に、彼は亡きシューマンの辛辣な批評さえ懐かしく思い出すことができたことだろう。











# by ooi_piano | 2020-11-28 23:00 | Pleyel2020 | Comments(0)

【第2回】2020年11月13日(金)19時開演(18時半開場) 
大井浩明(フォルテピアノ独奏)

11/13(金)1843年製プレイエルによるショパン《練習曲集(全27曲)》《ソナタ集(全2曲)》+鈴木光介新作 (2020/11/02 Update)_c0050810_17054967.jpg
松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4) 渋谷駅徒歩10分、神泉駅徒歩2分
全自由席 5000円
お問い合わせ pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)〔要予約〕

使用楽器:プレイエル社1843年製80鍵フォルテピアノ(430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]




11/13(金)1843年製プレイエルによるショパン《練習曲集(全27曲)》《ソナタ集(全2曲)》+鈴木光介新作 (2020/11/02 Update)_c0050810_02250199.jpg□F.F.ショパン(1810-1849)
3つの新しい練習曲 B.130 (1839)  7分
 I. Andantino - II. Allegretto - III. Allegretto
12の練習曲Op.10 (1829/32)  30分
  I. - II. - III.「別れの曲」 - IV. - V.「黒鍵」 - VI. - VII. - VIII. - IX. - X. - XI. - XII.「革命」
12の練習曲Op.25 (1832/36)  30分
  I.「エオリアンハープ」 - II. - III. - IV. - V. - VI. - VII. - VIII. - IX.「蝶々」 - X. - XI.「木枯らし」 - XII.「大洋」

 (休憩10分)

ピアノソナタ第2番 変ロ短調 Op.35《葬送》(1837/39)  24分
 I. Grave /agitato - II. Scherzo - III. Marche, Lento - IV. Finale, Presto
□鈴木光介(1979- ):フォルテピアノ独奏のための《マズルカ》(2020、委嘱初演) 5分
ピアノソナタ第3番 ロ短調 Op.58 (1844)  25分
 I. Allegro maestoso - II. Scherzo, Molto vivace - III. Largo - IV. Finale, Presto non tanto

    [使用エディション:ポーランドナショナル版]




鈴木光介:フォルテピアノ独奏のための《マズルカ》(2020)
  遥か遠くの国、ポーランドでは、若者も、老人も、マズルカを踊りあかすという。いいなあ。そんなことをイメージしながら、それを直接的に音楽で表現するのではなく、音楽に写し取ることはできないだろうか?とアプローチした本作。12年前の《Even Be Hot ホットこともありえます》(2008)に続き2作目のフォルテピアノ作品。12年前の興味は音符そのものにあったが、最近は人間に興味がある。人間の声、肉体、感触。なお、今回の作曲法は僕が所属する劇団「時々自動」の『fffffffffffffffffffffff(フォルティッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシッシモ)』(2014)に強く影響を受けている。(鈴木光介)

鈴木光介 Kosuke SUZUKI, composer
11/13(金)1843年製プレイエルによるショパン《練習曲集(全27曲)》《ソナタ集(全2曲)》+鈴木光介新作 (2020/11/02 Update)_c0050810_21062855.jpg
  1979年生まれ 茨城県出身。9歳よりピアノを習い始め、中学生で吹奏楽部に入部、トランペットを始める。1998年、茨城県立取手松陽高校音楽科トランペット専攻卒業。2000年より劇団「時々自動」に参加、独学で作曲を開始。以降の時々自動の全作品に出演。作曲、演奏、人形操演、ダンス、パフォーマンスなどを担当する。 2002年より時々自動主宰・朝比奈尚行の舞台音楽作曲助手を務める。2012年より舞台音楽作曲を手がける。トランペットの他に、キーボード、ホーミー、ウクレレ、パチカ、口琴などを演奏。ボイスワークショップ、歌唱指導、楽器演奏指導も行う。近年の主な舞台音楽に、流山児★事務所『コタン虐殺』(20)、ケムリ研究室『ベイジルタウンの女神』(20)、serial number『All My Sons』(20)など。第27回読売演劇大賞 優秀スタッフ賞を受賞。





ショパンがみたカルクブレンナーの「カルム(落ち着き)」─上田泰史

11/13(金)1843年製プレイエルによるショパン《練習曲集(全27曲)》《ソナタ集(全2曲)》+鈴木光介新作 (2020/11/02 Update)_c0050810_06050480.jpg
 もし、「フランス的な」ピアノ演奏様式が存在したとすれば、それはどのような流儀だろうか?演奏文化がグローバル化した現代において、演奏を聴いて流儀の「国籍」を言い当てることは不可能である。だが、19世紀から20世紀中頃に至るまで、パリ国立音楽院のピアノ教育と演奏における「フランスらしさ」は演奏様式によって見分けられていた。たとえば、それを指す表現で「真珠飾りのような演奏(ジュ・ペルレ)」という言い回しがある。これは、奏でられた音符が真珠のネックレスのように音が粒立ち良く並んでフレーズを形作る様を、比喩的に言い表している。とはいえ、「ジュ・ペルレ」はパリ音楽院ピアノ科のドグマでは決してなかった。「ジュ・ペルレ」はあくまで詩的な批評用語であり、なんらかの教育的方法論を言い表したものではない。にもかかわらず、昨今、「ジュ・ペルレ」がメソッドであったかのように考える研究者は少なくない。というのも、パリ音楽院(1795年創立)の草創期から、名高いピアノ教師たちは著書や教本で――真珠の比喩を用いることはなかったにせよ――姿勢、明瞭な発音、フレージング等について、一貫したメソッドを保持していた。


系譜を遡る

  「ジュ・ペルレ」の代表的人物として良く引き合いに出されるのはマルグリット・ロン女史(1874~1966)である。パリ国立音楽院の上級クラスでアレクシス=アンリ・フィッソ(1843~1896)に、そして個人的にはアントナン・マルモンテル(1850~1907)に師事しているが、この二人はショパン世代のパリ音楽院教授アントワーヌ=フランソワ・マルモンテル(1816~1898)の弟子である(後者は養子になったのでマルモンテル姓を名乗った)。マルモンテル父が師事したのはジョゼフ・ヅィメルマン教授(1785~1853)である。ヅィメルマンは学生時代、音楽院の修了選抜試験(コンクール)で同い年の名手、フレデリック・カルクブレンナーと競ったことがある。1800年のコンクールで一等賞を手にしたのはヅィメルマンだった。カルクブレンナーは翌年に一等賞を得るが、公的機関への就職には関心を持たず、ヨーロッパ中でヴィルトゥオーゾとして名を馳せた。
  カルクブレンナーが受けた教育には、後に「フランス的」と呼ばれるようになる質が現れていたと思われる。彼の師匠はルイ・アダン教授(1758~1848)で、チェコの音楽家ルートヴィヒ・ヴェンツェル・ラクニッツ(1746~1820)とともにパリ音楽院最初期の公式ピアノ教本を書いた。この教本は、1804年にラクニッツの名を外して再編・出版された。カルクブレンナーはアダン自身から、そして修了後はこの教本から多くを学んだ。アダンの打鍵に関する美学はこうである。「美しい音を出すようになるには、(中略)そしてpのときと同じようにfのときも音を響かせるためには、指の力だけを用いるよう慣れなければならない。」カルクブレンナーは、手に前腕の重さをかけない感覚に身体を慣らすため、手導器(guide-mains)という練習器具を考案し、自著『ピアノフォルテを学ぶためのメソッド』の中で紹介した。カルクブレンナーは、カミーユ・プレイエルとともにピアノ会社の経営に参与しており、このメソッドもプレイエル社から刊行された。彼のメソッドの技術的基礎は五指を完全に独立させ、明瞭で粒立ちの良い(=「真珠のような」)音を自在に奏することにあった。たとえば下の譜例のように音を出さずに全音符を押さえ、各指を動かす練習である。この種の「指の独立」の練習法は、プレイエルとドゥシークの『ピアノフォルテのための教本』(1797刊)にすでに現れており、1959年に刊行されたマルグリット・ロンのメソッドまで継承されることになる。
11/13(金)1843年製プレイエルによるショパン《練習曲集(全27曲)》《ソナタ集(全2曲)》+鈴木光介新作 (2020/11/02 Update)_c0050810_20572980.jpg
カルクブレンナー『ピアノフォルテを学ぶためのメソッド』(1831)より、指の独立のための練習


ショパンから見たカルクブレンナー

  カルクブレンナーによる《ピアノフォルテを学ぶためのメソッド》は、1831年12月にフランス国立図書館に法定納本された。カルクブレンナーに心酔していた若きポーランド人ヴィルトゥオーゾが、このメソッドを手にしなかったはずがない。ショパンは、同年の9月にパリに到着したばかりだった。彼が同月に語っているカルクブレンナーの演奏に対する敬意は、本心からのものだろう。「彼のカルム[=静けさ、落ち着き。フランス語からのショパンの独自の借用]、うっとりするようなタッチ――信じがたいほどの均一さ、そして音符一つ一つにあらわれる名人藝――この巨人を前にしたら、エルツだのチェルニーだのは、つまりはこの僕も、踏みにじられるだけの存在だ。」(1831年12月12日 『ショパン全書簡 1831~1835パリ時代[上]』)

11/13(金)1843年製プレイエルによるショパン《練習曲集(全27曲)》《ソナタ集(全2曲)》+鈴木光介新作 (2020/11/02 Update)_c0050810_20582837.jpg
Grevedon (Pierre-Louis dit Henri). Portrait de Frédéric Kalkbrenner, 1829, Paris,
Musée de la musique, E.995.6.42. Photo : Guy Vivien


  カルクブレンナーはショパンに「クラーマー流」の弾き方、「フィールド流」の打鍵を見出したが、ショパンはどの流派(エコール)にも属していないと思ったらしい。これは誉め言葉ではなく、演奏様式に確固たる基盤がないということだった。だからカルクブレンナーは3年間、自身の門弟となりしっかり勉強することをショパンに提案した。だがショパンは自分自身の道があることを直覚し、旧師エルスネルの助言もあって入門を踏みとどまった。この一件で、多くのショパン伝はカルクブレンナーを天才ショパンに振られたベテランとして印象づけがちである。しかし、カルクブレンナーの演奏様式は逆に言えば当時の規範的「エコール」であり、孫弟子のサン=サーンスに至るまで受け継がれた美学を体現している。それゆえその詳細が分からなければ、ショパン独自の美学との差異も判明とはならないだろう。

11/13(金)1843年製プレイエルによるショパン《練習曲集(全27曲)》《ソナタ集(全2曲)》+鈴木光介新作 (2020/11/02 Update)_c0050810_20590239.jpg
Götzenberger, Jakob. Chopin au piano, 1838. Fryderyk Chopin Museum, MC/352



カルクブレンナーの「カルム(落ち着き)」

  では、カルクブレンナーの「カルムcalme」な演奏とは何を意味するのか?まず、カルクブレンナーの師ルイ・アダンがメソッドの中で作品を引用しているC. P. E. バッハの身振りの原則について見てみよう。C. P. E. バッハは『正しいクラヴィーア奏法』(1753刊)第1部第3章でこう述べている。

  《自身が無感動であるために、彫像のごとく楽器の前に座っていなければならないような人の存在を知れば、これらすべてのこと[奏者の感情を聴き手に伝えるということ]が、少しの身振りもなしに行われうるということは否定されるだろう。醜い身振りは無作法かつ有害であるが、良い身振りは有益である。なぜならそれが、われわれ奏者の意図を聴き手に伝える助けとなるからだ。》

  C. P. E.バッハは、ここで聴き手/観者の視点を考慮に入れている。別の箇所で「弱々しく悲しい箇所では、自らが弱々しく、悲しくならねばならない。人はそれを観て、聴くのである」とも書いていることからも、それは明らかだ。演奏は情念表出にあり、という前提は、フランスにおいても広く受け入れられていた(前回記事参照)。身振りは、それを効果的に聴き手に伝える限りにおいて有効であった。しかし、18世紀の末から刊行され始めたピアノフォルテの教本は、身振りの雄弁さを締め出していった。例えば、前述のプレイエルとドゥシークの教本には、C. P. E. バッハの教本と同様に、聴者の視線について記されている。だが彼らにとって奏者の身体は、決して雄弁であるべきではなかった。彼らにとって「優美さ」を聴者=観者に伝える姿勢とは、俯かず、背筋を伸ばして「猫背」を避け、「格好と然るべき優美さを保つために」肩を張らず、「どんなに難しいように見える所でも」呼吸しやすい姿勢である。結果として、「前腕だけが動くべきであり、肩から肘にかけての部位、および頭は動くべきではない。」そして、「表現は顔の表情から来るのではなく、心が表現を指に伝え、指だけが、様々なタッチの変化によって、各々の音楽作品にふさわしい表現をもたらすのだ」。後に、カルクブレンナーは前述のメソッドで、そのようなドゥシークの演奏を「優美さの模範」と見なし、「指が動いている間、腕は全く動かない」と書いている(ここでの腕は上腕のことだろう)。
  しかし、奏者の所作の抑制は、情念の表出を否定するものではなかった。カルクブレンナーの孫弟子にあたるサン=サーンスは、カルクブレンナーの流派が常に「エスプレッシーヴォ」を要求したと述懐している。しかし、それは大きな身振りによって表現されるべきではなかった。カルクブレンナーにとって、情念の表出は感情の赴くままに行われるべきではなく、冷静な計算によって制御されるべきものだった。彼は円熟期の俳優フランソワ=ジョゼフ・タルマ(1763~1826)の語りを引用している。「私の[演技の]効果が計算され考え抜かれ、私が自らの最高の主人になったときに、いつも最高の喝采を浴びた」。カルクブレンナーはこれを受けて、ピアノ演奏にも自制心を発揮することが重要だと力説する。

  演奏する曲の美しさを表現するには、心意気と熱意がなければならない。だが、それは自身の受けるすべて霊感に危なげなく身を委ねる術を学んで初めて持つべきものだ。人前で演奏するときに熱意に身を委ねると、踏み越えてはいけない一線を定め難くなり、演奏に明瞭さが保てないほどに激高してしまう危険を冒しかねない。

  「落ち着きある」身体は、知性によって「霊感」や「熱意」が統制されていることを表していた。



社交性と奏者の姿勢

  次に、「カルムcalme」を社交性という視点から考えてみよう。「彫像」のような身体という理想は、18世紀における社交所作に一致している。舞踏教師シュヴァリエ・ド・ロンドーによる若年者向けのマナー教本『身のこなしの手引き、および自らを優美に見せる方法』(1760刊)には、「散歩、集会、隣人・友人・目上の人の家、公爵の館、および教会」で通用する作法が記されている。頭の動きについて書かれた第二章には、その動きを制限すべき理由が示されている。

  《頭は常に堅苦しさを除き、張り子の人形のように頭が下がったりしないよう、高くも低くもなりすぎないように留めるべきである。つまり、頭をまっすぐに、胴体に対してバランスよく、右や左に回転させ、必要に応じて上げたり下げたりして、傾げたり、肩と胴を同時に回したりせず、決してゆすったりしないこと。話しているときは動かさず、もし時折「はい」というために二度うなずいたり、「いいえ」というために少し頭を振ったりする場合には、それらの動きはたいへん慎ましくあるべきで、「はい」または「いいえ」と発音するために言葉を発せられない場合にのみ生じるべきものである。その他の動きはすべて、話しているときによからぬ優美さ、つまりは不作法となるのであるから、慎むべきである。》

  こうした社交所作は、旧体制下の宮廷に由来する。社会学者のノルベルト・エリアスが述べるように、権謀術数の渦巻く宮廷においては、わずかな所作によって、動作主の背景や目論見が読み取られかねないため、過度な感情表出という予見不可能な行動は回避された。「宮廷的合理性」と彼が呼んだこの行動規範は、必然的に強い感情を表現する身振りの抑制を要求した。宮廷における地位存続上の必要から様式化された身のこなしは、ロンドーの著作において、市民階層の行動様式規範として示されている。19世紀、自由主義が拡大するにつれ、市民は上流階級の行動規範に憧れ、これを採り入れるようになった。同時に、ピアノは、裕福な市民のステイタスシンボルになっていた。ショパンがわざわざフランス語でカルクブレンナーに「カルムcalme」な質を見出したのは、感情を統制しながら演奏する貴族的なエレガンスを見て取ったからだろう。
  やがてショパンはパリで自身の道を確信し、固有の演奏法を体系的に理解するようになってからは、カルクブレンナーの流儀にきっぱりと反対的立場を示すようになる。それはとくに、均質な指よりも個々の指の個性を重んじるところから来る美学の相違に由来していた。ショパンの奏法は弟子たちによって伝承され、それ自体が一つの新しい流派を形成していった。その結果、フランスは、「フランスらしい」アカデミックな奏法(ジュ・ペルレ)とは別に、「ショパンらしい」奏法というもう一つの伝統を持つようになった。


〈補遺〉
  昨今、ピリオド楽器による演奏実践が急速な広がりを見せ、演奏者、研究者、聴衆がそれぞれの視点から見解を述べている。楽譜だけではなく、身体や楽器、情念表出に関する理論的・美学的背景も追究されている。いくぶん混乱した状況も見られるが、とくに身体についての問題でいつも注意しなくてはならないのは、過去の教本等に記述された事柄と演奏者の体感に生じうる差異である。例えばカルクブレンナーが上腕の動きを禁じたからといって、指が動く間、実際に上腕筋や背筋が休んでいるわけではない。I. プレイエル、ドゥシークやカルクブレンナーたちが書いたことは、一方では知性を「どのように観せるか」という文化的な言表である。また他方では、彼らが示す奏法は、彼らの長年の経験から導かれた運動学的な帰結(合理的で自然な姿勢)でもありうる。ピアノ演奏史(特に身体)に関する議論は、文化的な側面と運動学的側面の両方から意味づけを行われなければならないが、そうした議論の場が形成されるには、もう少し時間がかかるだろう。








# by ooi_piano | 2020-11-01 13:21 | Pleyel2020 | Comments(0)

(※)満席となりました。


【第1回】2020年10月23日(金)19時開演(18時半開場) 
大井浩明(フォルテピアノ独奏)
須田祥子(ヴィオラ客演/東京フィル首席奏者)

10/23(金)1843年製プレイエルによるベルリオーズ《幻想》《ハロルド》(リスト独奏版)+高橋裕新作_c0050810_17054967.jpg
松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4) 渋谷駅徒歩10分、神泉駅徒歩2分
全自由席 5000円
お問い合わせ pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)〔要予約〕

使用楽器:プレイエル社1843年製80鍵フォルテピアノ(430Hz) [タカギクラヴィア(株)所蔵]
 Andreas PreussによるSanto Serafin(1710)のレプリカ(2012、裸ガット弦使用)



●H.ベルリオーズ(1803-1869): 《幻想交響曲 ~ある芸術家の生涯の出来事》 S.470 (1830/36、F.リストによるピアノ独奏版)[全5楽章] 約50分
  I. 夢想、情熱 - II. 舞踏会 - III. 野の情景 - IV.断頭台への行進 - V.サバトの夜の夢

 (休憩 15分)

●高橋裕(1953- ):フォルテピアノ独奏のための《濫觴》(2020、委嘱新作初演) 約7分

●H.ベルリオーズ:《交響曲「イタリアのハロルド」》S.472 (1834/36、F.リストによるピアノ独奏版)[全4楽章]  約45分
  I. 山岳のハロルド:憂鬱、幸福、歓喜の情景 - II. 夕べの祈祷文を唱和する巡礼者の行進 - III.アブルッツィの或る山人が愛する女に捧げるセレナード - IV.山賊の酒盛り、先だつ数々の情景の回想




■須田祥子 Sachiko SUDA, viola
10/23(金)1843年製プレイエルによるベルリオーズ《幻想》《ハロルド》(リスト独奏版)+高橋裕新作_c0050810_16443963.jpg
  6歳よりヴァイオリンを始め、桐朋学園大学在学中にヴィオラに転向し、98年同大学を首席で卒業。ヴァイオリンを室谷高廣、ヴィオラを岡田伸夫に師事。
97年、第7回日本室内楽コンクール、99年、第7回多摩フレッシュ音楽コンクール、99年、第23回プレミオ・ヴィットリオ・グイ賞国際コンクール、2000年、第2回淡路島しづかホールヴィオラコンクールの全てのコンクールで第1位優勝。
  皇居内御前演奏会、トッパンホール ランチタイム コンサート、日本演奏連盟リサイタルシリーズ、FMリサイタル、B→C、ヴィオラスペース等数多くのソロ・室内楽の演奏活動を行なっている。特に、「日本の作曲家2001」及びオーケストラ・アンサンブル金沢との演奏など、NHK-FMでも紹介され高い評価を得た。宮崎音楽祭、鎌倉ゾリスデン、サイトウ・キネン・オーケストラ等に度々出演。
  2015年5月の「題名のない音楽会」及び2016年11月の「らららクラシック」のヴィオラ特集、同月の「題名のない音楽会」の「弦楽四重奏特集」に出演。2016年1月には「報道ステーション」で白川氷柱群の前からヴィオラだけのソロ演奏が生中継された。また、2018年6月にNHK-FM「きらクラ」の水戸での公開収録に、2020年2月には「今日は一日ビオラ三昧」にゲスト出演。
  現在、東京フィルハーモニー交響楽団首席奏者、日本センチュリー交響楽団首席客演奏者、アクロス弦楽合奏団、ザ・シンフォニエッタみよしのメンバーを務める他、ヴィオラ演奏集団「SDA48」を主宰。洗足学園大学非常勤講師として後進の指導にも当たっている。
ソロアルバム「ビオラは歌う」シリーズ、SDA48「びおらざんまい」をリリース。 公式ブログ https://ameblo.jp/sachikosuda/



■高橋裕:フォルテピアノ独奏のための《濫觴》(2020)
  濫觴とは、物のはじまり、物の起源を表す(揚子江も水源を遡れば觴(さかずぎ)を濫(うか)べるほどに微である)。ひいては生命の始まり、地球の始まり、宇宙の始まりへと想いは拡がる。時間空間の悠久の時の流れと、その壮大なる誕生には、我々人間の思いも遠く及ばない、壮絶なるドラマが起こっていたことであろう。
  曲は始原の空間から始まり、やがて膨大なるエネルギーの渦に巻き込まれていく。
  ベルリオーズも生きていた頃に生を受けたこのプレイエルが、類稀なる大井浩明氏の演奏によって、いかなる響きの世界を誕生させるか楽しみである。(高橋裕)


●高橋裕 Yutaka TAKAHASHI, composer
10/23(金)1843年製プレイエルによるベルリオーズ《幻想》《ハロルド》(リスト独奏版)+高橋裕新作_c0050810_16463435.jpg
  1953年京都生まれ。1980年東京藝術大学大学院作曲専攻修了。池内友次郎、松村禎三、黛敏郎の各氏に師事。《Sinfonia Litrugica》が日本交響楽振興財団作曲賞入選。1983年《般若理趣交響曲》で世界仏教音楽祭コンクール第1位。1987年《弦楽四重奏曲》で国際C.M.v.ウェーバー室内楽コンクール第1位。1988年藤堂音楽賞受賞。1991年《Symphonic Karma》が第1回芥川作曲賞。1992年《笙とオーケストラのための「風籟」》がオーケストラ・アンサンブル金沢より特別賞。1993年京都新人賞受賞。1997年2枚組CD「シンフォニック・カルマ/高橋裕管弦楽作品集」(DENON)でレコード芸術特選。作品は欧州から北米・中南米他、数多くの国々で演奏されている。東京藝大、同附属高校にて長く指導にあたった後、現在名古屋音楽大学特任教授、大阪芸大客員教授。 公式サイト http://www.yutaka-takahashi.com/






ベルリオーズの「情熱」―――上田泰史

  「パッション」という言葉は、「情熱」と訳されることが多い。「受難」という意味もあるように、この語は外部刺激への反応から生じる心の動きのことを指す。同じくギリシャ語の「パトス」から派生した言葉に「アフェクト」というのもあるが、こちらは反対に能動的ニュアンスがある。
  フランス人は昔からパッションの類型化に余念がなかった。デカルトの『情念論』における「情念」は「パッション」で、彼は外的刺激の受容器官である感覚と心の関係を追究した。画家のシャルル・ルブランは、デッサン教本でデカルト流のパッション類型を表情の描写によって示している。
10/23(金)1843年製プレイエルによるベルリオーズ《幻想》《ハロルド》(リスト独奏版)+高橋裕新作_c0050810_16494718.jpg
Charles Le Brun, Conférence de Monsieur le Brun [...] sur l'expression générale et particulière des passions, 1713. 
左から「平静」、「感嘆」、「驚嘆」、「恐怖を伴う驚嘆」

  ベルリオーズも《幻想交響曲》の標題で、パッションに触れている。第一楽章の標題にはこうある。「彼はとある著名な作家が『あてどない情熱』と呼んだ、心の病に冒されている」。この「あてどない情熱 Le vague des passions」は、作家シャトーブリアンの著作『キリスト教精髄』(1802年)第9章の章題から採られている。しかし、シャトーブリアンの「パッション」は、類型としてのそれとは種類が違う。
  彼によると、「あてどない情熱」とは「情熱」の未成熟な状態で、表出される前の閉ざされた内なる力である。情熱が向かうべき目的を外部に持たないので、その力は行き場もなく、内面に渦巻く。煙突のない蒸気機関車さながら、内圧が高まり、深い憂鬱が生まれる。
  なぜこんな心性が時代を覆ったのか?シャトーブリアンは旧貴族の生まれだが、フランス大革命までは啓蒙思想に染まり共和政に傾倒していた。だが、革命の暴力を目の当たりにしてアメリカとイギリスで亡命生活を送る。その間に身内が次々に逮捕されたり、処刑されたりした。母の死をきっかけにふたたび信仰心を取り戻し、王政支持者となる。フランス革命の理念と現実に起こったこととの乖離が、実生活に対する諦念を抱かせ、信仰を取り戻したのだ。彼は『キリスト教精髄』で「あてどない情熱」について、こう書いている。

  《人民が文明へと歩を進めればそれだけ、このあてどなき情熱の状態は増大する。というのも、そのときたいへん悲しい事象が生じるからだ。人はあまたの実例を目の当たりにしている。人間や感情を論ずる多くの書物は経験なきまま巧緻になっていく。人々は享受する前から誤謬を悟る。願望はなおいくつもあるのに、人はもう幻想を抱かない。想像力は豊かに溢れ、目を見張るほどだ。[だが] 生活は貧しく干からび、魅力を失っている。人はいっぱいに詰まった心でからっぽの世界に暮らし、何かに頼ったわけでもないのに、あらゆることから目覚めている。》
   
  豊かな理想と逼迫した現実。ここから「世紀病mal du siècle」や「時代の子enfant du siècle」といった言葉で、ロマン主義者たちは自らの世代を言い表すようになった。
  第一共和政末期に生まれたベルリオーズはシャトーブリアンより一世代下だが、人々は未だ大革命の生々しい記憶を留めていた。やがてナポレオン戦争が終結し王政が復古した。1820年代の末、パリの若者を中心に再び革命的機運が高まる。シャルル10世の強権的な治世下で蓄積した若者の鬱憤は、文芸や芸術をはけ口として表面化していった。《幻想交響曲》第四楽章の処刑シーンは、この時代の空気を、革命の克明なイメージとともに描いている。

10/23(金)1843年製プレイエルによるベルリオーズ《幻想》《ハロルド》(リスト独奏版)+高橋裕新作_c0050810_18130820.jpg
 1834年、パリでリストによる《幻想交響曲》のピアノ・トランスクリプションが刊行されたとき、パリの『ルヴュ・ミュジカル』で健筆を振るっていたフェティスはベルリオーズに対する辛辣な批評を書いた。第2楽章のワルツ以外、ほとんど理解しようとしなかった(第5楽章に至っては4行しか書かず、「手から筆を落としてしまった!」)。彼は音楽と標題についての議論を一蹴する。彼にとって、音楽(器楽)は本質的に曖昧で不定の芸術なので、悟性ではなく感性に訴えるものだからである。だから器楽に標題をつけるという行為は、本来音楽に出来ないはずのことを音楽に無理強いする事に他ならない。これは特にフェティスが石頭ということではなく、フランスの伝統的な器楽観である(→フォントネルの「ソナタよ、お前は私に何を欲するのか」)。
  フェティスの批評を読んだ25歳年下のシューマンは、もうすこし寛容な見解を示した。標題は聴き手の想像力を限定するから各楽章タイトルがあれば充分だとしながらも、音楽を聴く内に次第に想像力が働きだして、標題の影響が和らいだと書いている。ベルリオーズはそうした批判の声を気にしたのか、1855年の改訂版では続編《レリオ》と併せて演奏しない限りは、標題を配布しなくてよいと意見を変えた。「劇的意図をすっかり差し引いても、独立した音楽的趣向をそれ自体で提供することは可能だからだ。」(1855年の標題序文より) とはいえ、どうして1830年の時点で標題の配布を必須と考えたのだろうか。この点については、一考の価値がある。彼は標題に先だってこう書いている。

  《作曲者が目指したのは、とある芸術家の生涯のさまざまな状況を、それら[=状況]が音楽的な状態で含み持っているものの領域内で発展させることである。言葉の助けを借りない器楽劇という構想については、前もって提示しておく必要がある。以下のプログラム[標題]はつまり、オペラの話される台詞*と考えて頂きたい。それは各楽章を導き、それらの性格と表現がなぜそうなっているのかを説明している。》
  [原註] *本プログラムは、この交響曲が演奏されるコンサートにおいて、必ず聴衆に配布すること。それは、本作の劇的構想を完全に理解してもらうためである。

  これを読むと、ベルリオーズが「器楽」の新しい可能性に踏み出そうとしていることがよくわかる。彼は「ソナタよ、お前は私に何を欲するのか」という古くからある問いに、正面から立ち向かっている。フェティスなら、「言葉の助けを借りない器楽劇」という表現自体が破綻していると考えただろう。なぜなら、「曖昧で不定の」器楽表現はそもそも劇(ドラマ)のような具体的プロットを描き得ないという信念を持っていたのだから。
  今日では、器楽に具体的な指示機能がないと主張するひとはあまり見かけない。音楽が文化的な事象である限り、いつの時代も聴衆は文化的コードに即して作品に意味を見出そうとする。シューマンが要求する想像力の自由は、実のところコードに規定された自由でしかない。たとえば「ヴァルプルギスの夜の夢」という第五楽章のタイトルだけで、既にフランスでも第一部が読まれていたゲーテの『ファウスト』が連想されるし、「夜の夢」という言い回しはシェイクスピアの『夏の夜の夢』を参照させる。ある文化を共有している聴き手は、共通の連想のネットワーク上で意味を見出す。こうした、文化的・社会的文脈において人々が共有する「場所=topos」は、トピックと呼ばれている。グレゴリウス聖歌の〈ディエス・イレ〉は、『ファウスト』第一部で、メフィストに殺されたヒロインの兄の葬儀(教会の場面)で鳴り響く。ベルリオーズはこの旋律(イデー・フィクスのジグザグ音型はこの聖歌から発想された?)を用いれば、大体聴き手がどんな情景かわかると考えたはずである。彼には、文学的・政治的なトピックを巧みに配置すれば、聴衆の連想を刺激して、器楽で器楽以上のこと(劇)を語ることが可能になる、という信念があった。とはいえ、パリ音楽院の大ホールに来る聴衆の全員が仏訳されたばかりの『ファウスト』第一部を読んでいるとも限らない。そこでベルリオーズは、親切心からこの標題を用意したのだろう。実際、何も背景を知らない人がこれを聴くと、この作品の新しさの意味が全く理解できない恐れもあった。
  だが、そうした配慮はフェティスの前では何の役にも立たなかった。フェティスほどの知識人であれば、当然『ファウスト』第一部を読んでいてもおかしくないが、音楽の領分について断固たる美学を持っていたので、標題と音楽の関係についての議論はハナから拒絶してしまった。しかし、ベルリオーズは長らく正当化されてきた音楽芸術の「曖昧」「不定」といった否定的属性を「果てしない憧れ」や「出口のない憂鬱」として読み替え、交響曲をロマン主義的想像力の新しい領域に引きずり込んだのだ。(上田泰史/音楽学)



******
以下に訳出した標題は、初演(1830年12月5日)に先だって、フランソワ=ジョゼフ・フェティスが自身の音楽雑誌『ルヴュ・ミュジカル』で紹介した標題である。

はじめに
  作曲者が目指したのは、とある芸術家の生涯のさまざまな状況を、それら[=状況]が音楽的な状態で含み持っているものの領域内で発展させることである。言葉の助けを借りない器楽劇という構想については、前もって提示しておく必要がある。以下のプログラム[標題]*はつまり、オペラの話される台詞(★)と考えて頂きたい。それは各楽章を導き、それらの性格と表現がなぜそうなっているのかを説明している。
[原註] *本プログラムは、この交響曲が演奏されるコンサートにおいて、必ず聴衆に配布すること。それは、本作の劇的構想を完全に理解してもらうためである。
[訳者註]★オペラの一ジャンル、オペラ=コミックは、話される台詞と歌われる台詞から成る。

第一部 夢想、情熱(★)
  作者は、一人の若い音楽家を念頭に置いている。彼はとある著名な作家があてどない情熱(★★)と呼んだ、心の病に冒されている。彼は初めて、想像の中で夢見ていた女性に出会った。彼女は、理想的な人に備わるありったけの魅力をひとまとめにしたような女(ひと)で、彼は無我夢中になった。奇妙なことから、この愛しいイメージが芸術家の心に浮かぶときには、必ずある楽想が浮かぶようになった。その楽想に、彼は情熱的でありながら高貴で内気な性格を感じ取った。彼が愛するその人に見出したような性格を・・・。
  女の姿とともに現れる女の旋律的な似姿は、二重の固定観念となってたえず彼に付きまとう。こうした理由から、最初のアレグロを開始する旋律が、この交響曲の全楽章を通していつも現れる。この憂鬱な夢想に耽溺した状態は、わけもなく訪れる歓喜の発作によって遮られ、錯乱の情熱に駆られた状態へと移ろう。それに伴うのは、勢いづいた憤怒と嫉妬、悲哀、涙、宗教的な慰めである。そうした[情熱の]移ろいが、第一楽章の主題である。
[訳者註]★いずれも複数形。★★従来「情熱の波濤」「情熱のうねり」などと訳されてきたが、« le vague »は「漠たるもの=あてどないもの」の意。 « la vague »(=波)との取り違えか。

第二部 舞踏会
  芸術家はお祭り騒ぎの只中に身を投じたり、自然の美を心穏やかに観照したりと、人生のこの上なく多様な状況を経験する。だが街路にいても野辺にいても、愛しい女の心象から逃れることができず、思い悩む。

第三部 野の情景
  夕刻の野辺で、彼は二人の羊飼いが遠くで吹き交わすランズ・デ・ヴァーシュに耳を傾けている。この牧歌的な二重奏、舞台が映す場所、やさしく風にそよぐ木々のかすかなざわめき、少し前に頭に浮かんだ希望の理由――全てがいつになく彼の心をなだめ、頭の中を前よりもっと微笑ましい色彩で染めてくれる。彼は我が身の孤独に思いを馳せる。もうすぐ独りではなくなるのだ、と期待に胸が膨らむ・・・・・・。でももし彼女に振られたら・・・・・・!期待と恐れがないまぜになり、数々の幸せな楽想は一抹の不吉な予兆に悩まされつつ、アダージョの主題を形づくる。最後に、牧人の一人が、またランズ・デ・ヴァーシュを吹く。もう一方の牧人は、もう吹き返してこない・・・・・・。遠くで雷鳴が響く・・・・・・孤独・・・・・・沈黙・・・・・・

第四部 断頭台への行進
  自分の愛を理解してもらえないと確信した芸術家は、アヘンを煽って自殺を図る(★)。毒は致死量に至らず、彼はまどろみに落ち、この上なく奇怪な幻想を見る。彼は夢の中で恋した女を殺め、断頭台に引き立てられ、自分自身の処刑に立ち会う。行列は時に陰鬱に、時に獰猛に、また時に輝かしく、時に荘重な行進の響きとともに前進する。その行進の中で、重い足取りが響かせる鈍い靴音が、経過部もなしに、この上なく騒々しい歓声に続いて聞こえる。行進曲の最後に4小節の固定楽想が、末期の思慕の念として再び現れるが、致命的な一撃によって遮られる。
[訳者註]★1855年の改訂稿では、冒頭にアヘンを飲む設定に変更され、全てが夢の出来事として再構成された。

第五部 サバトの夜の夢
  彼はサバトに加わり、ありとあらゆる亡霊、魔女、怪物どもの、身の毛もよだつような群れのただ中にいる。この者どもは、彼の葬儀のために集結したのだ。奇怪な物音、ひそひそ声、突発的な笑い声、遠くから聞こえる絶叫、そしてそれに別の絶叫が応えているかのようだ。恋人のメロディが再び姿を見せるが、高貴で内気な性格は失われている。それはもう、醜悪で取るにたらない、グロテスクな踊りの節でしかなくなっている。彼女が、サバトにやってきたのだ・・・・・・。彼女が到着し、歓喜のどよめきが起こる・・・・・・。彼女は悪魔的な乱痴気騒ぎの中に混ざっていく。弔鐘が鳴り、《怒りの日》(★★)の滑稽なパロディが響き、サバトのロンドが幕を開ける。そしてこのサバトのロンドと《怒りの日》が重なり合う。
[原註] **カトリック教会の葬儀で歌われる聖歌
10/23(金)1843年製プレイエルによるベルリオーズ《幻想》《ハロルド》(リスト独奏版)+高橋裕新作_c0050810_17321686.jpg

Louis Candide Boulanger, Ronde du Sabbat (1828)
Les musées des villes de Paris (CC0)






# by ooi_piano | 2020-09-29 15:59 | Pleyel2020 | Comments(0)

8月7日(日)ラフマニノフ《24の前奏曲集》+《18の練習曲集》


by ooi_piano