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クセナキス《ピアノ協奏曲第3番『ケクロプス』》(日本初演) ツイート集まとめ


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半龍半神のケクロプス王の壷絵

  1996年7月新日本フィル定期におけるクセナキス:ピアノ協奏曲第1番《シナファイ Synaphaï - Συναφαί》(1969/ピアノと86奏者)、2001年6月出光賞授賞式コンサートにおける同:ピアノ協奏曲第2番《エリフソン Erikhthon - Ερίχθων》(1974/ピアノと88奏者、日本初演)に続き、東京フィル定期にてピアノ協奏曲第3番《ケクロプス Keqrops - Κέκροψ》(1986/ピアノと92奏者)を日本初演します。


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東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会
井上道義(指揮) 大井浩明(ピアノ)

●E. エルガー(1857-1934)/序曲『南国にて』Op.50 (1904)
●I. クセナキス(1922-2001)/ピアノ協奏曲第3番『ケクロプス』(1986、日本初演) ~クセナキス生誕100年
●D. ショスタコーヴィチ(1906-1975)/交響曲第1番 ヘ短調 Op.10 (1925)

2022年2月24(木)19時 東京オペラシティコンサートホール
2022年2月25日(金)19時 サントリーホール
2022年2月27日(日)15時 Bunkamura オーチャードホール

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Tokyo Philharmonic Orchestra - Subscription Concerts

Michiyoshi Inoue, conductor  Hiroaki Ooi, piano
Edward Elgar : Overture "In the South" Op.50 (1904)
Iannis Xenakis : "Keqrops - Κέκροψ" for piano and 92 musicians (1986, Japan Premiere)
Dmitry Shostakovich : Symphony No. 1 in F minor, Op.10 (1925)

19h Thu. 24th Feb. 2022 Tokyo Opera City Concert Hall
19h Fri. 25th Feb. 2022 Suntory Hall, Tokyo
15h Sun. 27th Feb. 2022 Orchard Hall, Tokyo




【動画/音源リンク】
●クセナキス:ピアノ協奏曲第1番《シナファイ Synaphaï - Συναφαί》(1969/ピアノと86奏者)
 (β) 井上道義指揮京都市交響楽団(1996年11月、ライヴ録音)(前半 後半
●クセナキス:ピアノ協奏曲第2番《エリフソン Erikhthon - Ερίχθων》(1974/ピアノと88奏者) アルトゥーロ・タマヨ指揮ルクセンブルク・フィル(2004年6月録音)
●クセナキス:ピアノ協奏曲第3番《ケクロプス Keqrops - Κέκροψ》(1986/ピアノと92奏者) 井上道義指揮東京フィル(2022年2月24日、日本初演ライヴ)

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●CD《シナファイ》 

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Portraits of Composers 第6回公演 クセナキス全鍵盤作品によるリサイタル(没後10周年記念) [2011.9.23]


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●野々村禎彦インタビュー [2018.02.14]



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クセナキス日本未初演主要作リスト by 野々村 禎彦

【first 10】

Bohor (1962) tape

Polla ta dhina (1962) child chorus & orchestra

Akrata (1964-65) wind ensemble

Terretektorh (1965-66) orchestra in audience

Anaktoria (1969) 9 players

Cendrees (1973) mixed chorus & orchestra

N’Shima (1975) 2 mezzo soprano & 5 players

La legend d’Eer (1977) tape

Alax (1985) 3-group ensembles

Echange (1989) bass clarinet & ensemble


【next 10】

Medea (1967) mixed chorus & 5 players

Kraanerg (1968-69) ballet music for ensemble & tape

Antikhthon (1971) ballet music for orchestra

Phlegra (1975) 11 players (日本初演済み)


Jonchaies (1977) orchestra

Anemoessa (1979) mixed chorus & orchestra

Nequia (1981) mixed chorus & orchestra

Idmen (1985) mixed chorus & 6 percussionists

Dox-Orkh (1991) violin & orchestra

Troorkh (1991) trombone & orchestra



イアニス・クセナキス:京都賞受賞講演《我が道》(1997)
【要旨】
(1)日本への賛辞 日本の都市、国民、伝統文化、現在の文化に対する賛辞
(2)問いかけのモザイク 私が芸術の道を選択するに至った経緯 -統一空間の階層化から見た説明- 行動と知識をもたらす各基準の定義 芸術:部分的に推論的なもの 数学・自然科学:完全に推論的なもの 実験による実証を必要とする数学・自然科学と、実証不可能な美的価値を含む芸術の領域
(3)経歴 私の知的、芸術的発展における各段階 ギリシャの全寮制私立学校での子供時代 ギリシャの古典と天文学との出会い  ギリシャ内戦 アテネ工科大学での勉学 第二次世界大戦 共産党入党と街頭デモ フランスへの亡命 建築家ル・コルビュジエとの共同作業
(4)ギリシャ音楽とヨーロッパの前衛音楽 伝統的なギリシャ音楽とヨーロッパの前衛音楽を融和させようという最初の作曲上の試み 全ての音楽を音のシグナル、メッセージとして理解すること
(5)推計音楽 「推計音楽」の構想と確率計算の作曲への応用(メタスタシス:1953~54年;ピソプラクタ:1954~55年) 直線的なポリフォニーの限界から脱出し、ミクロおよびマクロの作曲に、音群、および一般的な確率を取り入れ、また、発展させるため、組み合わせた計算法を開発したこと(アホリプシス:1956~57年) 最初のコンピュータ・プログラム「ST」の開発と実現(ST10:1956~62年)
(6)形成化された音楽 私が実践している作曲方法を理論化し、「形成化された音楽」として1963年に出版。1992年改訂・増販。 「時間内」と「時間外」の構造の区別 「時間」とは何か、「時間」の定義 群理論の発展(ノモス・アルファ:1956~66年)
(7)ポリトープ 1970年代における音楽と建築を融合させる新たな方法の開発(クリュニー等)
(8)樹枝状態 上記の関心事と平行して、しかし、それらとは無関係に発展した「樹枝状態」という新たな概念について(エリフソン:1974年)
(9)ユーピック 1970年代半ばから、数学自動音楽センター(CEMAMu)において開発したユーピック(UPIC)システムと、その後研究を続けたミクロサウンド合成について(ミケーネ・アルファ:1978年)その後の、ダイナミックな推計音楽合成のためのGENDYNプログラム開発
(10)ふるいの理論 1970年代後半、全音楽のパラメーターにおける音階の問題を解決するため編み出された「ふるいの理論」について(ジョンシェ:1977年、プレアデス:1978年)
(11)最近の心境 新しい理論を持たない現在の心境は、大いなる自由の境地であり、新たな独創性の始まりであること

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Iannis Xenakis, 1975












# by ooi_piano | 2022-01-29 15:09 | コンサート情報 | Comments(0)





ヤニス・クセナキス《日本の閃光――1961》

*この文章は、クセナキスが1961年4月に「東西音楽会議」のために初来日した直後に執筆したものである。

クセナキス初来日時のエッセイ《日本の閃光――1961》 [2022/01/22 update]_c0050810_15313136.jpg
  太陽はまだ水平線の上、三十度のところにあり、飛行機の主軸と同じ角度である。乗客は疲労困憊して、 皆カーテンを閉めて眠ろうとしていたが、私は彼らを真似することはできない。
  上空は深い青紫色だ。我々は、実体の感じられない、綿のような雲の上を飛んでいる。雲は紫紅色から緋色へと変りつつあり、見慣れない色調をしている。
  前方の朧げに見える水平線の上には、霧のような雲が幾層も連なっているが、我々が紺碧の大洋を想い描くことを妨げるほどに密集しているわけではない。コズミックなフライトだ。既に何時間も太陽は動かない。ジェット機のスピードが地球の自転をあざ笑っている。
  その時、飛行機が下降する。幾つもの空を通り過ぎ、突然、東京湾が窓外に迫ってくる。太陽は雲の背後に消えた。夕方だ。地球の反対側にあるこの国によって喚起された溢れんばかりの疑問符。パリから東京まで北回りで十七時間……それは本当にこの新しい国へ来るのにふさわしいプレリュードだったのだろうか?
  たった今我々が横切ってきた、あの驚くべき色彩。「旧世界」の空には、あれに相当するようなものはない。あのような色彩に満ちた広大な空間は、我々とは別種の、もう一つの生活を暗示しているのだろうか?

  郊外、というよりむしろ都市そのものが、既にここにある。ここには、非常に高さの低い二階建ての黒っぽい木造家屋が無数にあり、他の国と同様に、一階は店舗になっている。看板が掛かっているが、踊っているような表意文字なので、何か書いてあるのかさっぱり分からない。少しは同じ文字だと同定できるものの、それは際限なく変化しうるのだ。
  人間のミニマムのスケールに合わして建てられた小さな家々は、この新世界の秘密を隠しているかのようである。この古い国内建築は、渋滞した道路の喧騒と、多かれ少なかれ、西洋の他の大都市に匹敵するほどの明りに包まれている。かくして、奇妙な感じは、現代の見慣れた科学技術という動因によって背後へ追 いやられてしまう。

クセナキス初来日時のエッセイ《日本の閃光――1961》 [2022/01/22 update]_c0050810_15331834.jpg
  科学技術は地球を小さく均一なものにしてしまった。そのベースは? 石油と電力である。
  私は完全に日本で作られたかわった車の車体が見れると期待していたのだが、それは実現しなかった。 アメリカ車が写真を独占し、フランスの四馬カルノー車が安いタクシー会社に指定されていた。しかし、創造的な想像力は都市の中心部でネオンサインに囲まれながらも、炸裂していたのだった。近代的な都市の夜の明りは、大衆表現の主要な方途である。それゆえ、我々は少しの間それについて注目してみよう。
  大雑把に言って、照明には二つのカテゴリーが存在する。一つは、銀座のような歓楽街において見出さ れるものであり、もう一つは、大産業企業の宣伝に含まれるものである。後者の標徴は、巨大な石壁や深い堀に囲まれている皇居周辺の東京中心部にある高層ビルの最上部にある。
  歓楽の標徴は、地階から始まり、二階や三階がナイトクラブやレストランや商店によって占められている。この狭い路地では、形と色の戯れは、狂気的集団が創り出した芸術作品の暴力性を持っている。孤独な知性でさえ、未だ嘗てこれほどまでに表現の豊穣さを希求することはできなかったのであり、孤立した西洋の前衛芸術家たちの試みは、この激騒に比べれば、どもりながら青ざめるしかないのである。

クセナキス初来日時のエッセイ《日本の閃光――1961》 [2022/01/22 update]_c0050810_15320865.jpg
  なぜなのだろうか?  私の考えでは、このような事実を支配する三つの根本的法則がある。第一に、この標徴は、常にすべて、道路のどちら側からでも見えなければならず、路上では、ネオン管の三次元的タペストリーが重要とされる。第二に、ナイトクラブや商店は小規模であるから、経済的理由によって、標徴は必然的に小さくなる。第三に、しかし、客を惹き寄せるためには、形も色も際限なく、どんな曖昧さもないよう正確に変化せねばならない。
  このためには色(ネオンカラー)の密度に変化を付けなければならないのだから、これはもう色における音楽という意味になるが、そこで我々が触れているのは、四十年ほどの歴史を持った、製図版の上の抽象的なアーバニズムが抱える本質的な問題なのである。抽象的な都市計画が産み出したものは、ピカピカではあるが既に死んだ都市であった。どんなに優れた都市設計技師の頭脳から産み出された幾何学的な都市であろうとも、何千何万の個人の利害関心と趣味に支えられた生き生きとした街に取って代ることは決してないのである。
  芸術においてもそうであるが、アーバニズムにおいても、思想家は、ルネサンスを想起させるような静的なコンセプションを捨て去らねばならず、その代わりに、大多数の人々を支配している法則を利用し、大衆によって創られた現象と結果に注意せねばならない。つまり、思想家は統計学を扱い、微積分に撤退せねばならないのだ。

  東京や京都のような日本の都市は、芸術家のためにヴィジュアルなデモンストレーションが行われてい る。勿論、日本人の芸術的センスが、ごくわずかであれ、芸術の趣をコントロールしてきた。
  対照的に、高層ビルの宣伝照明は、より大きな法則によってコントロールされる。巨大な球状や円錐状や円柱状の構造はイルミネーションを施され、空間的シネラマを創り出しているが、それは視覚芸術がまもなく大都市中心部の路上に押し寄せてくるであろうと告げている。
  東京は真に光の都市であり、単にガス灯が蛍光灯に取って代った都市なのではない。
  昼でも夜でも、都市の外観は、しかし、表層的な印象しか与えない。人間的な触れ合いは、国民と都市の本質についての中心的問題を解く、真の鍵なのである。

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  自分の作品のために、私は日本の音楽家や技術者と連絡を取らねばならなかったが、そこでは英語が唯一の情報伝達の手段であり、私は相互に理解しあうことの難しさに悩まされた。西洋社会では意見を交換するのに10分もあれば充分であっただろう事が、東京でははるかに長い時間を要した。この時間のロスは職業上の序列制度のせいだと言う人もいたが、私はその説明に満足できなかった。というのも、私が言っているのは、日本語の文の性質と、日本人の思考を反映しているように思われるその流動性についての難しさだからである。この徴候は私を含語の問題に向けさせた。学校で我々は、日本語がインド・ヨーロッパ語の言語構造とは異なることを学ぶ。私は一人の東洋学者に尋ねてみた。彼は、文における語順が日本語においては明らかに異なっているにもかかわらず、論理は基本的には同じである、と考えていた。日本語からフランス語や英語へ翻訳するにあたって、精神的な障壁があるべきではないのは当然であり、このことは、一般的に言って正しい。しかし、深刻な疑惑が私の心をじらし続けていた。以下に挙げるのは、日本に住んでいる日本人及びヨーロッパ人の文学者あるいは科学者の何人かと交わした会話である。

  「語順が違うのですか?」
  「ええ」
  「しかし、同じ現象は、ヨーロッパの幾つかの言語にもあります。例えば、ルーマニア語では、冠詞は名詞の語尾に付けられますし、ドイツ語では、動詞は文章の最後に来ます。それに、フランス人にはよく混乱を招くのですが、現代ギリシア語のように動詞と名詞の区別が曖昧な言語を除けば、動詞は名詞の形に分解して他のあらゆる言語に翻訳できます。一体、どこに違いがあるのですか?」
  「違いはあるのですが、それを即座に説明することは難しいことです」
  「よろしい。そうであると認めましょう。しかし、我々は、アリストテレスの論理学や、その結果として当然現代の論理学も、言語の内部で形成されてきたものであり、また今なおそのようにして作られているのだ、ということを知っています。そういったものを排除しようとする最近の努力もありますがね。すると、我々は次のようなことも想定できるのでしょうか。即ち、日本語の背後には、西洋人にも東洋人にも未だに発見されていない根本的に異なる論理が隠されているのだ、と」
  「ええ。そう考えることは可能です」
  「もし、そうであるなら、西洋のものとは異なる科学やテクノロジーが現れる可能性もあるのです か?」
  「おそらくはね。しかし、今日の知識に至るまでに西洋世界において三千年以上もかかったプロセスを、人工的に創り出すことは、不可能でしょう」
  「確かにその通りです。しかし、ひょっとすると、知識の、あるいはもっと一般的に言うなら思考の一つの手段が、日本語の領域外における新しい代数的構造の発見から利益を得ることもありうるのでしょうか?」

  この問題に取り組んでいる論理学者が大阪にいるということを、私は後になって聞いた。私自身は、パリにいる論理学者たちにこの問題について聞いてみようと決めた。
  日本語の書き言葉の三重の特性(漢字、カタカナ、ひらがな)から言って、この仮説を承認するのは実に簡単なことである。三重の特性とは、例えば、名詞は幾つかの異なった形で書くことができるし、逆に、日本語で書かれたものは、音とイメージにおいて無限のレゾナンスを持ちうる、という意味である。記号と音と概念の間の正確さを欠いているという事実によって、日本語は難しいが、言語としての潜在的な豊いを持ちうるのである。日本人は、自分の言葉と筆跡を通じて、西洋的思考の最も発達した風土の中で、直接に自分を発見する。そこでは、象徴的で格調高いヨーロッパの表現手段はほとんどついて行けないのだ。

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  ところで、思い出したのだが、活版印刷が発明されるよりはるかに昔に日本では印刷術が知られていた。 このことは、奈良の法隆寺博物館に所蔵されているような、十三世紀の鎌倉時代における仏教教典の木版によって証明されている。
  東京では道路に名前や番号がついておらず、ヨーロッパから来た訪問客はこのことにすっかり驚かされるのだが、それは同じ考え方の範疇にある。分類の原理は、算術の秩序を通じて、もっと直接的な幾何学的知識によって置きかえられた。アメリカ合衆国の占領軍は絶望して、五番街だとか九十番街だとか書いた木の立て札を立てざるを得なかったが、その立て札が、彼らの立ち去った今でも取り去られずに残っている場所がある。
  それにもかかわらず、私は、日本人の友人が日本語で書いてくれた住所に到着するまでに、四回もタク シーを乗り替えねばならなかった。勿論、その四人の運転手はそれを完全に読むことができた(三つも異なる書き方があるにもかかわらず、日本には文字の読めない人はいない)
  この多価性ゆえに、日本人は新しいものすべてに対して警戒心と好奇心を持つのである。中国から伝わった芸術や文化や宗教を吸収・同化した今日、日本人は、自分たちを何か新しい発見に注目させてくれる知識に渇望している。全てを語り尽くし、もはや何ものも待ち望んではいないヨーロッパ人の、催眠術にかか ったような《無感動》状態から、我々は遠く離れているのである。このことは、おそらく、人間関係における極端な優しさの説明になるだろう。つまり、知り合いの人に会うたびに、恭しい挨拶やお辞儀が長々と交わされるのである。

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  ある日、一人の紳士が私に自己紹介し、私を京都・奈良を探訪するように招待してくれた。私はこの親切な申し出にいたく感動したが、私は言葉が分からないうえに知人もいなかったので、この旅行が実りあるものになるとは思えない、と言った。すると、彼は即座にガイドとして私に同伴してくれると言ってくれたのだ。彼は京都で、私を日本の生活様式で過ごさせ、市内観光してくれた。私は、人間の内の最も偉大な豊かさの一つ、即ち、無私の奉仕という可能性をぶち壊してしまう西洋人の無関心さや自己満足を、彼の態度と比べずにはいられなかったが、しかし、これは彼に限ったことではなかった。特に、私の二人の友人、一人は詩人で批評家、もう一人は建築家で、二人ともまだ若い「アヴァンギャルド」な芸術家なのだが、彼らは、私が日本に滞在している間中、まるで兄弟がしてくれるかのように、何かと便宜をはかってくれた。
  もし、ヨーロッパが、あるいはもっと一般的に、ロシアをも含めた西洋が、宗教や資本やあるいは国家によって唯一の文化を常に創り出すことが出来てきたとするなら、日本では、複数の文化――仏教、禅、神 道、キリスト教、無神論、そして現代の工業化された生活から生れた科学――が共存しているのだ
  伝統的芸術は、家庭の習慣や建築がそうであるように、この驚くべき多様性を示している。つまり、日本では幾つもの生活を同時にすることができるのである。この共存のバランスは、必ずしも普及しているわけではないが、今日それは、同時代の歴史の中で、例外的かつおそらくは唯一であろう雰囲気を醸し出して いる。それは、多分、古代ギリシア文明と比較されうる。古代ギリシアでは、新しく誕生したキリスト教も含めてあらゆる宗教が受け入れられ、前五世紀のペリクレス時代には科学が発生したのだ。
  日本の海岸線がギリシアのそれと同様入り組んているように、日本とギリシアは、過去、現在、未来にわたって近接性を有しており、互いに触れ合い再現しあっているのである。そして、こうしたあらゆる興奮を広げていくことは、日本人の豊かな性格であり、それは、伝統的建築や人々の接触、料理、舞台あるいは音楽表現、そして工業的美学において表現されている。

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  ある晩、私は京都で能を見に行った(入場料は無料だった)。正方形のステージの上に、黒色や青灰色の衣装をまとった男たちが、仏像の如く座っており、鏡のように磨かれたステージの上で、ユニゾンで朗吟した。男たちは各々が扇を斜めに持っており、それは、彼らに話をする権利を与える一種の日本風の笏である(それは沈黙の間に引っ込められる)。文が何時間かぶっ通しで読まれるのだが、西洋人にはいささか単調である。飾り気のない厳格な朗吟は、テクストに合わせてゆっくりと半音階的に上昇したり下降したりし、 時々ビザンティンのプサルモディーに似た終り方によって中断される。能は仏教の詠唱に由来するため、この類似性が、ギリシア=仏教の時代における歴史的連関の喪失から来たものであるということは、ありえないことではない。男声のコーラスは、ソロと交替する。この時、コンポジションが変化し、コーラスはソロに取って代られる。脆そうな十二、三歳の少女が出てきて、ステージの前面に静かに座った。彼女は赤と白の上着を着、銀色の刺繍の入った金色のガウンのようなものをまとい、青灰色の帯をしていた。それは男たちの厳格な衣装とは対照的だった。
  男たちが、感知しえない程の変化でもって、別の台詞を読み始めたその時、突然、少女が扇を手に取り、ヴィブラートのない新鮮な声をほんのわずか発した。ソロとコーラスの声部分配というこの方法は、日本における伝統芸能の力を説明する
  観客は、さほど多くなく、しかもその大半が四十歳過ぎの男女で占められていたが、この間ずっと、観客たちは、自分たちのテクストを見ながら、ソロの後を追っていた。
  能は、身のこなしや音楽伴奏にとって、最も簡素な舞台光景である。私は皇居で舞楽を見た。舞楽は極めて古いものであり、中国に起源を発する。舞楽には、壮麗に彩色された中国のヴァイオリンや打楽器の大オーケストラがあり、それに合わせて、パントマイムや、舞妓や芸者の都踊りのようなものが演じられる。 それは、身のこなしにおいても歌においても、そしてその光景においても洗練されており、コーラスや、あるいは今日の我々なら立体音響とでも呼ぶだろうものを伴っている。それから歌舞伎を見た。歌舞伎は人気 のある舞台だが、最近では現代化される傾向があり、伝統の純粋さの一部が破壊される恐れがある....

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  日本の粋を集めた芸術は、そのユニークな料理にも見出される。生野菜や刺し身の芳香は、舌の先に箸でつまんで味わったり香りを楽しんだりする。料理を作ることが料理を食べることと同義であるような国は日本以外にはないだろう。香りと味わいの感覚は、それとは互いに対立しあう様々な傾向に囲まれている。 西洋人のフォークやインド人の指を考えれば、このことがよくわかるだろう。
  私は日本庭園について多くのことを聞いてきた。この雑誌にも、パリにあるユネスコの小さな日本庭園の写真が載っており、建築家と彫刻家が日本庭園について賞賛しながら語っていた。私は本物の日本庭園を見るのを待ちわびていた。日本庭園には大きく分けて二つのタイプがある。一つは、京都の龍安寺の「石庭」のような、禁欲的なタイプ。もう一つは、やはり京都にある桂離宮のようなタイプである。どちらの場合も、実物は、彫刻家や風景画家による模型や模写から私が見聞きしていたものと違っている。龍安寺の庭は、本質的に宗教的な二つの欲求から生れた。秩序と自然である。これら二つの欲求が、芸術家でない人間、例えば僧侶によって見られる時、その結果は極めて意義深いものとなり、芸術そのものを超出するので ある。それは、自分たちは傑作を作ったのだと信じているストーン=トーテムの制作者たちとは対極にある。 桂離宮も同じようにその熱意を表現しているが、しかしそれは俗人の視点からである。即ち、自然に対する尊敬と、自然とのコラボレイション。日本人は、自然の上に幾何学的図形を探そうとするとき、西洋人のように自然を踏みにじったりしない。

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  ここでは、土地と形の自由さが、構成や、あるいは幾つかの次元に向けられている。空間にとっては次の三つの次元がある。第一の次元は、物質、小石、玉砂利、石、大地、木、湖、多種多様な植物、針葉樹、確かな立体的形。第二の次元は、影、花、緑色の色合い。第三の次元は、小道にそって立ち並ぶ焦茶色の建物の明確な立体的形。そして、最後の次元は時間であり、それは、感覚と知性に対して、絶えず新たな驚きの発見 に導く。人間の手になる丘は、地面と池を多様化する。水は山峡を開き、太陽は、人間が惜し気もなく創り 出したこの自然の形の上に、明るくそして穏やかに降り注ぐ。
  しかし、もし日本人が自然を尊敬し、暴力を振るうことなく自然に対して本質的に働きかけているならば、庭園や離宮に点在する小さな茶室を造る時、日本人は幾何学的に、厳しく、ありのままに振る舞っているのである。障子や襖を用いることで、日本人は、同時代の立体的建築の最も偉大な作品が成し遂げたよりもはるかに偉大に、はるかに親しみやすく、室内にパースペクティヴの無限の豊かさを与えた。造形的効果の変化や紙越しに漏れてくる光は、世界中の建築家にとって豊富なレッスンとなるべきである。
  寺院や塔における杉の木の木造構造を最大限に利用することは、極めて難しい。それはまさに、屋根や枠組みの重量をアクロバティックなやり方で支えるカスケードであり、アルキメデスの法則の無限のヴァリエイションである。しかし、このような伝統的な構造は学校では教えられていない。学校で我々が習うのは、西洋風の格子窓だとか、ポロンソー梁についてである。京都の東大寺(原文のまま――訳注)や、奈良の法隆寺の複雑な建築が教えてくれるような、物質の抵抗について学習しようとするものはいないのだろうか?

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  しかし、音楽や建築、造形芸術が、伝統芸術の価値に見合うだけの現代的な表現手段を作り出すことに一般的に成功していなかったなら、映画や産業的美学こそが最も高いクオリティーを持っていると言えよう。 『羅生門』のような古典的映画の他にも、科学的映像作品がある。私は、その実例を少し見たが、色や映像の技術的すばらしさは、その構成と同じくらい、卓越している。
  知性はあらゆる芸術における共通の尺度であるが、これらの映画において、知性は、主体のリアリズムと、形と動きのいわば「コズミックな」抽象の間にある、生命の流れを創造することに成功した。その結果は、岡田桑三氏がプロデュースした『ミクロの世界』や『マリンスノー』『潤滑油』におけるような、直接的論理である。
  産業的美学について言えば、技術的な洗練さや色や形は、日本人の忍耐強さとデリカシーによって、 ヨーロッパやアメリカの生産品と強力に張り合うまでに発達した。テープ・レコーダー、トランジスター、 テレヴィジョン、家庭用電気製品。産業文明のこれらすべての小悪魔たちは、完璧で魅力的で親しみやすく、ここでは、実用的な目的の方が、良い趣味の背後に追いやられるのだ。
  アテネ風の花瓶や、俗悪な古い容れ物は、地中海世界におけるアテネの経済的優位を築くのに非常に貢献し、その経済的優位は、大英帝国やドイツが他を圧倒的に引き離したのと同じくらいであった。機械製の小さな生産品を持つ日本は、アメリカのトランジスター市場の一角を征服した。もしヨーロッパがまだ侵略されていないとするならば、それは、ヨーロッパが高い関税障壁によって自分を守っているからである。日本においては、1960年のエレクトロニクス分野での生産高は、1956年のそれに比べて、300パーセントも上回っており、工業拡大の年平均指標は、アメリカ合衆国が7.5パーセントであるのに対して、29パーセントにも及ぶ。勿論、この拡大に問題がないわけではない。労働は相対的に安く、メイ・デーの平和なデモは、労働者の世界が組織化され統制されていることを物語っていた。
  あらゆるものが急速な動きの渦中にあり、しかも伝統が脈々と深く根付いているこの国の未来はどうなるのだろうか?

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【年表/クセナキスと日本】

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1953
À la demande de Le Corbusier, Xenakis organise pour le Congrès International d’Architecture Moderne (CIAM) un « concert spatialisé » sur le toit de l’unité d’habitation de Marseille, avec trois sortes de musique en trois points différents de la terrasse (musique concrète, musique traditionnelle de l’Inde et du Japon, jazz).


1961(初来日)
17-23 avril : participe à Tokyo au Congrès international Orient-Occident (East-West music encounter) organisé par Nicolas Nabokov. Parmi les compositeurs occidentaux : Berio, Carter, Cowell, Sessions, ainsi que le musicologue Stuckenschmidt.
29 avril : présente à Tokyo un concert de musique expérimentale, comprenant des œuvres instrumentales et électroniques. Le programme y annonce : Hidalgo : Ukanga, Tremblay : Pièces pour piano, Malec : Mouvement en couleur, Ballif : Lovecraft, Philippot : Composition pour double orchestre, Ferrari : Visage IV, Xenakis : Metastasis, Analogiques A et B, Concret PH, Achorripsis, Pithoprakta, Riedle : Elektronische Musik, Henry : Co-existence concret, Boucourechliev : Texte II, Mâche : Praelude, Varèse : Déserts, Schaeffer : Etude aux objets, Ferrari : Tête et queue dragon (le concert commence à quatorze heures!).
Rencontre au Japon Yuji Takahashi qui restera un de ses interprètes les plus dévoués : le compositeur Toru Takemitsu le présente à Seiji Ozawa.

<L'éclat du japon> (1961)
: "La littérature japonaise peut avoir des résonances infinies en sons et en images. "
: "Par le langage et par l'écriture le japonais se trouve d'emblée dans le climax le plus avancé de la pensée occidentale, que les modes d'expression symboliques et sonores ont tant de peine à suivre. (…) Cette polyvalence de la pensée les rend alertes et curieux de tout ce qui est nouveau. (…) On est bien loin de l’état hypnotique et blasé des européens qui ont tout dit et n’attendent plus rien. C’est ça qui explique peut-être l’extrême gentillesse dans les relations humaines."


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1962
23 février : création de Herma par Yuji Takahashi à Tokyo.

1970 (大阪万博)
Exposition Universelle d’Osaka : Présentation de Hibiki-Hana-Ma, pour bande huit pistes, en même temps qu’un spectacle de lasers de Keiji Usami.

1972
Oresteia - "Some of the instruments can be replaced by Japanese traditional ones whenever this is possible. I think that the frugality of the action in the Noh constitutes a deep power of dramatic expression which should be reflected in the staging of Oresteia. I would admit even traditional Japanese costumes and masks adequally chosen from the existing Noh repertoire, bearing in mind that the ancient Greek drama used such tools although we very little know about the way and the stile they had. The phonetics also should be inspired from the ancient Japanese language as it is used in Noh."

1985
30 juin : création au Festival d’Angers de Nyuyo (入陽/Soleil couchant) pour shakuhashi, sangen et deux kotos par l’ensemble Yonin-No-Kaï de Tokyo.

1987
24 octobre : création de Horos par l’Orchestre philharmonique du Japon dirigé par Hiroyuki Iwaki, à Tokyo, pour l’inauguration du Suntory Hall.

1989
1er avril : création de Voyage absolu des Unari vers Andromède, réalisé au CEMAMu, au Temple Kameyama Hontokuji de Himeji (Hyogo), dans le cadre de l’Exposition Internationale des Cerfs-Volants.

1990
9 octobre : création de Tuorakemsu à Tokyo par l’Orchestre symphonique Shinsei, dirigé par Hiroyuki Iwaki, pour le soixantième anniversaire de Toru Takemitsu.

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1996
"Il est certain que, lorsque à Ypsilanti je me suis lancé dans l'Orestie, l'idée était présente à mon esprit sinon de réaliser un théâtre total, du moins d'aller dans ce sens là. Aujourd'hui, le théâtre total, avec cette vie et cette harmonie interne qui le définissent, n'existe à mon sens véritablement qu'à l'extérieur de l'Occident - au Japon, à Java, en Inde même, éventuellement en Afrique. Je pense d'ailleurs qu'à l'époque où elle vivait encore, la tragédie antique devait être beaucoup plus proche du Nô japonais que de la façon qu'aujourd'hui nous avons de représenter une œuvre d'Eschyle ou de Sophocle. Séparez dans le théâtre Nô la musique de l'action scénique ou l'action scénique de la musique: le résultat sera à chaque fois probant. Cette forme-là se prête à tous les tests susceptibles d'examiner sa validité théâtrale. Même isolé, chaque élément du conserve tout son intérêt."(I.X.)

1997
11 novembre : reçoit au Japon le Prix Kyoto.
30 novembre : création de O-Mega, sa dernière œuvre, à Huddersfield par Evelyne Glennie (percussion solo) et le London Sinfonietta dirigé par Markus Stenz.


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ル・コルビュジェ門下の坂倉準三(1901-1969)設計による、渋谷駅西口・東急百貨店東横店南館
「クセナキス窓」のファサード(1970年完成/2020年3月閉館)



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# by ooi_piano | 2022-01-22 19:02 | POC2011 | Comments(0)
Oser Xenakis [2022/01/19 update]_c0050810_8193367.jpg

  Salabert/Universal発行のクセナキス没後10周年記念冊子《Oser Xenakis》(仏語版)《It's time for Xenakis》(英語版): http://twitpic.com/photos/XupoakuOu
  [(掲載順) Pascal Rophé(指揮)・大井浩明(ピアノ)・Irvine Arditti(ヴァイオリン)・Hae-Sun Kang(ヴァイオリン)・Pierre Strauch(チェロ)・Alain Damiens(クラリネット)・Christian Lindberg(トロンボーン)・Pedro Carneiro(打楽器)・Jean-Paul Bernard(ストラスブール打楽器合奏団)・Steven Schick(打楽器)・Roland Hayrabedian(合唱指揮)・Michel Tabachnik(指揮)]
  問い合わせ/promotion.umpc@umusic.com, http://www.durand-salabert-eschig.com/
Oser Xenakis [2022/01/19 update]_c0050810_21104052.jpg

(拙寄稿部分、仏語/英語)
  « Le compositeur dit dans la préface (de Synaphaï) que ‘le pianiste doit jouer toutes les lignes s’il le peut’. Face à cette partition redoutable, il vaudrait mieux éviter de recourir à des références qui peuvent s’avérer perturbantes, comme des versions par des interprètes qui nous ont précédés (y compris moi-même), les opinions de musicologues ou même du compositeur lui-même.
  Avant de se lancer dans Synaphaï, il est nécessaire d’examiner attentivement trois de ses pièces pour piano solo [Herma, Evryali, Mists]. Un enfant de sept ans sait que 3 : 2 = 1,5. S’il a plus de huit ans, il doit voir que 6 : 5 = 1,2. C’est un bagage mathématique suffisant pour exécuter avec exactitude la structure rythmique de Herma et Eonta, tandis que Evryali ne demande pas plus de patience que la Sonate Hammerklavier de Beethoven. Une calculatrice Alpha est utile pour le découpage des rythmes irrationnels de Mists, Komboï et Keqrops. Les annotations données par Xenakis sont beaucoup plus intéressantes et importantes que l’expression subjective et incontrôlée de l’émotion de l’interprète, donc suivez-les avec exactitude. Les temps où ‘la belle infidèle’ était appréciée sont révolus.
  N’étant pas [le génial mathématicien] Srinivasa Ramanujan, il ne faut pas hésiter à réécrire les 10 portées de la partition de Synaphaï en 5 portées, voire 2 ou 3. Ne soyez pas paresseux. Cela prend seulement trois ou quatre semaines. Inutile de dire que copier de la musique comme le jeune Bach est la manière la plus efficace d’étudier la musique. Plus votre formation aura été approfondie, plus vous risquez d’être frustré de ne pouvoir déchiffrer cette musique qui est loin de l’écriture académique enseignée dans les conservatoires. Pensez que ce n’est pas écrit pour un piano moderne, mais pour un Hammered-Dulcimer à 88 chœurs, et rappelez-vous les mots de Busoni : ‘Jouez du piano avec la conviction que tout est possible avec un piano’.


  “The solo part of Xenakis’ first piano concerto Synaphaï is written on 10 staves with a maximum of 16 voices. The composer says in the preface, “The pianist shall play all the lines, if he can”. Faced with this awesome score, you should never take into account any extraneous information, such as the performances by previous performers, opinions of musicologists or even of the composer himself.The staggering ability to create an imaginative score has nothing to do with the ability to check the correctness of performance.
  Before tackling Synaphaï, it is necessary to go through his three solo piano pieces carefully. Any seven-year-old knows that three divided by two is one point five. If you are older than eight, you can see that six divided by five equals one point two. That’s enough of a mathematical background to count accurately the rhythmical structure of Herma and Eonta, while Evryali needs as much patience as for the “Hammerklavier” Sonata. An alpha calculator is helpful for fixing the irrational rhythms of Mists. The notes that Xenakis wrote down are much more interesting than your physiology, so just follow them. The days of accepting something as beautiful yet inaccurate have gone.
  Not being Srinivasa Ramanujan, you should not hesitate to rewrite the 10-stave score of Synaphaï on 5 staves, or even 3 or 2. It takes only three or four weeks. Laziness will not take you to the end point of the marathon! Needless to say, copying the score like a young Bach is the most effective way of studying the music. The more training you have, the more you may be frustrated that you cannot play the music at sight, and that it is far removed from the academic conservatory style. Don’t think of it as written for the modern piano but for the Hammered Dulcimer with 88 courses, remember Busoni’s words: playing the piano, with the conviction that everything is possible with the piano.”

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ヤニス・クセナキス管弦楽全集第4集
第2ピアノ協奏曲《エリフソン-ちはやぶる大地》(1974)(世界初録音)
《アタ~89奏者のための》(1989)
《アクラタ~16管楽器のための》(1964-65)
《シルモス~36弦楽器のための》(1959)
《クリノイディ~71奏者のための》(1991)(世界初録音)
大井浩明(ピアノ) アルトゥーロ・タマヨ指揮 ルクセンブルク・フィル
仏TIMPANI 1C1084


仏ディアパゾン誌“★★★★★”
"(...)Dans Erikhthon (1974), où l'on retrouvera les larges glissandos devenus si emblématiques d'une partie de la production du compositeur, la partie de piano soliste rappelle par sa difficulté démoniaque celle de Synaphaï (vol.III), où l'on avait déjà salué la performance remarquable du même Hiroaki Ooï, lequel se trouve ici de surcroît sollicité presque sans relâche. Il s'agit ici du premier enregistrement de cette oeuvre à l'impressionnant flux énergétique." (Pierre RIGAUDIERE/ DIAPASON)

「《エリフソン》(1974)には、この作曲家の作品の一部ではすっかり象徴的となったあの大グリッサンドがみられるが、ピアノソロの部分は、悪魔的ともいえる難易度から《シナファイ》のピアノソロを思い起こさせる。大井浩明は、すでに《シナファイ》の素晴らしい演奏をわれわれに聴かせてくれたのだが、ここではさらに多くが要求されており、ほとんど息をつく間もない。驚異的な力強さで湧き上がるこの作品は、これが初めての録音である。」(ピエール・リゴディエ ール)


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ヤニス・クセナキス管弦楽全集第3集
ピアノ協奏曲「シナファイ(連接)」
「エリダノス」
「ホロス(参照点)」
「キアニア(暗き紺碧の国)」
大井浩明(ピアノ) アルトゥーロ・タマヨ指揮 ルクセンブルク・フィル
仏TIMPANI M1C-1068


仏ディアパゾン誌“★★★★★”
" (...) Enfin, il serait injuste de ne pas saluer la performance du pianiste Hiroaki Ooï. Durement mis à l' épreuve dans Synaphaï (l' oeuvre présente toutes les caractéristiques d'un concerto), il sort glorieux d'un double combat, contre l'orchestre et contre une écriture pianistique à la limite du jouable." (Pierre RIGAUDIERE/ DIAPASON)

「最後に、ピアニスト・大井浩明の演奏に讃辞を捧げず筆を擱くなら不当の誹りを免れまい。《シナファイ》という 曲はピアノ協奏曲の持つ特徴をすべて備えている作品なのだが、大井は、第一に管弦楽の巨大なマッスに対する、そして第二にほぼ演奏不可能というピアノのエクリチュールに対する二つの戦いに勝利を収め、凱旋しつつ帰還している。」(ディアパゾン誌/ピエール・リゴディエール)


英BBCミュージック・マガジン誌“★★★★★”
"(...) In Synaphai, the expertise of orchestra and conductor is complemented by the pianistic acrobatics of Hiroaki Ooi, who makes light of the extreme demands of the work,whether hurling massive chords all over the keyboard or picking out a melodic line in the middle of dense counterpoint." (Martin COSTON/ BBC Music Magazine)

「《シナファイ》において、指揮者とオーケストラの熟達した演奏は、ピアノの大井浩明の離れ技によって完全となった。彼は、鍵盤全域から襲いかかる大量の和音や、濃密な対位法の最中の旋律線の弾き分けといっ たこの作品の極限的要求を、軽々と処理している。」
(英BBCミュージック・マガジン誌/マーティン・コストン)


仏ル・モンド・ドゥ・ラ・ミュジック誌 "ショック(CHOC)" 2003年度現代音楽部門グランプリ
仏ディアパゾン誌“★★★★★”
英BBCミュージック・マガジン誌“★★★★★”
独フォノ・フォルム誌“★★★★”
西Music Espagne誌“★★★★★”
HMV Classical Awards 2002(現代音楽部門)etc
国内批評集


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# by ooi_piano | 2022-01-19 13:15 | POC2011 | Comments(0)
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ロマン派ピアノ音楽の摂動(全5回) ~1887年製スタインウェイ《ローズウッド》とともに
大井浩明(ピアノ独奏)
松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)
全自由席 5000円
【要予約】お問い合わせ pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)
チラシpdf 




ロマン派ピアノ音楽の摂動(全5回) ~1887年製スタインウェイ《ローズウッド》とともに [2022/01/21 Update]_c0050810_23335405.jpg
【最終回】 2022年3月24日(木)19時開演(18時30分開場) 〈レーガー主要ピアノ作品〉
林加奈(1973- ):《そっかー》(2022、委嘱初演)
●F.リスト(1811-1886): 《B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ S.529》(1871)
M.レーガー(1873-1916):《B-A-C-Hの主題による幻想曲とフーガ Op.46》(1900/10) [A.シュトラダル編/日本初演]、《バッハの主題による変奏曲とフーガ Op.81》(1904)、《テレマンの主題による変奏曲とフーガ Op.134》(1914)
 (※)日程が変更になりました


【関連公演】
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公開録音コンサート 《 \重・厚・長・大❀MAX!/ 
浦壁信二+大井浩明(2台ピアノ)
2022年5月19日(木)19:00開演(18:30開場)
東音ホール(JR山手線/地下鉄都営三田線「巣鴨駅」南口徒歩1分)
入場料: 3500円
マックス・レーガー(1873-1916):《ベートーヴェンの主題による変奏曲とフーガ Op. 86》 (1904)、《序奏、パッサカリアとフーガ Op.96》(1906)、《モーツァルトの主題による変奏曲とフーガ Op.132a》 (1914)、《ピアノ協奏曲 Op.114》 (1910、作曲者編2台ピアノ版)


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(C)林喜代種(桒形亜樹子)

●落晃子: 《八犬伝》(2021、委嘱初演)
●R.ワーグナー(1813-1883)
●R.ワーグナー(1813-1883):『ニュルンベルクのマイスタージンガー』第1幕への前奏曲(1867) [H.v.ビューロー編(1868)]、『タンホイザー』序曲(1845) [F.リスト編(1849)]、『ローエングリン』より「第3幕への前奏曲と結婚行進曲」(1848) [F.リスト編(1854)]、『トリスタンとイゾルデ』より「前奏曲と愛の死」(1859) [E.シェリング編(1932)/F.リスト編(1868)]
●R.ワーグナー/L.マゼール:《言葉のない指環》(1848-74/1987/2021) [米沢典剛編/世界初演]
  楽劇『ニーベルングの指環/ラインの黄金』(1854)より 〈斯てラインの「緑色の黄昏」が始まる〉〈ヴァルハラ城への神々の入城〉〈地底の国ニーベルハイムの侏儒〉〈槌を打つ雷神ドンナー〉、『ワルキューレ』(1856)より 〈我らはジークムントの愛の眼差しを見る〉〈二人の逃走(第2幕前奏曲)〉〈ヴォータンの憤激〉〈ワルキューレの騎行〉〈ヴォータンの告別〉、『ジークフリート』(1871)より 〈ミーメの恐れ〉〈魔法の剣を鍛えるジークフリート〉〈森のささやき〉〈ドラゴン退治〉〈ファーフナーの嘆きの歌〉、『神々の黄昏』(1874)より 〈ジークフリートとブリュンヒルデを包む朝焼け〉〈ジークフリートのラインへの旅〉〈ハーゲンの呼びかけ〉〈ジークフリートとラインの娘たち〉〈ジークフリートの死と葬送行進曲〉〈ブリュンヒルデの自己犠牲 - 神々の滅亡〉
 
 (※)ワーグナー関連 演奏動画プレイリスト ジークフリート牧歌(G.グールド編独奏版)、ヴェーゼンドンク歌曲集(シュトラダル編独奏版)、パルジファル前奏曲、ローエングリン前奏曲、フォーレ「バイロイトの思い出」、G.ペッソン「水夫の歌」、米沢典剛「デビルマンの黄昏」他



●塩見允枝子: 《素描 A-214 / R-215 / P-216 (Dessin for a Moment Unknown)》(2021、委嘱初演)
●C.フランク(1822-1890) :《前奏曲、フーガと変奏曲 Op.18》(1862/1910) [H.バウアー編]、《前奏曲、コラールとフーガ》(1884)、《前奏曲、アリアと終曲》(1887)、《弦楽四重奏曲(全4楽章)》(1890/2018) [米沢典剛編/世界初演]


●三宅榛名:《捨て子エレジー》(1973)、《Come back to music 異聞》(2021)
●J.ブラームス(1833-1897):《7つの幻想曲 Op.116》(1892)、《3つの間奏曲 Op.117》(1892)、《6つの小品 Op.118》(1893)、《4つの小品 Op.119》(1893)

J.ブラームス:交響曲第2番 Op. 73 第2楽章(1877/1915) [レーガー編]、 《野の寂しさ Op.86-2》(1881/1907) [レーガー編] 、《セレナード Op.106-1》(1885/1907) [レーガー編]、交響曲第4番 Op. 98 第2楽章 (1886/1916) [レーガー編] 、《メロディのように Op.105-1》(1888/1912) [レーガー編] 、《我が眠りは一層浅くなり Op.105-2》(1888/1906) [レーガー編]、《弦楽五重奏曲第2番 ト長調 Op.111》(1890/1920) [クレンゲル編]、《クラリネット五重奏曲 Op.115》(1891/1904)[クレンゲル編]、クラリネットソナタ第2番(Op.120-2) 第1楽章 (1894/2021) [米沢典剛編]、《4つの厳粛な歌 Op.121》(1896/1912) [レーガー編]、《一輪のバラが咲いて Op.122-8》(1896/1902) [ブゾーニ編]


●桒形亜樹子:《輝石》(2021、委嘱初演)
●G.フォーレ(1845-1924):《舟歌第8番 Op.96》(1908)、《夜想曲第9番 Op.97》(1908)、《夜想曲第10番 Op.99》(1908)、《舟歌第9番 Op.101》(1908/09)、《即興曲第5番 Op.102》(1909)、《9つの前奏曲集 Op.103》(1909/10)、歌劇《ペネロペ》第2幕前奏曲(1912) [作曲者編独奏版]、《夜想曲第11番 Op.104-1》(1913)、《舟歌第10番Op.104-2》(1913)、《舟歌第11番 Op.105》(1914)、《舟歌第12番 Op.106b》(1915)、《夜想曲第12番 Op.107》(1915)、《天守夫人(塔の奥方) Op.110》(1918)、《舟歌第13番 Op.116》(1921)、《夜想曲第13番 Op.119》(1921)

G.フォーレ:《弦楽四重奏曲 Op.121》(1924)(サマズイユ編独奏版)、《幻想曲 Op.111》(1918)(作曲者編2台ピアノ版)、《ピアノ三重奏曲 Op.120》(1923)(米沢典剛編独奏版)、組曲《マスクとベルガマスク Op.112》 (1919/2018) [米沢典剛編ピアノ独奏版]、歌劇《ペネロープ》第1幕への前奏曲 (1913、作曲者編)、《平和が来た Op.114》(1919/2021) [横島浩によるピアノ独奏版]、《ディアーヌよ、セレネよ Op.118-3》(1921) 、《チェロソナタ第1番 Op.109》(1917)、《チェロソナタ第2番 Op.117》(1921)他




# by ooi_piano | 2022-01-08 06:40 | Rosewood2021 | Comments(0)
2022/01/14(金)G.フォーレ後期全ピアノ曲+桒形亜樹子新作 [2022/01/10 update]_c0050810_21084079.jpg

大井浩明(ピアノ独奏)
松濤サロン(東京都渋谷区松濤1-26-4)地図pdf
全自由席 5000円
【要予約】 pleyel2020@yahoo.co.jp (エッセ・イオ)
チラシpdf 


【第4回公演】 2022年1月14日(金)19時開演(18時30分開場)〈フォーレ後期全ピアノ曲〉 L'intégrale des œuvres pour piano des dernières années de Gabriel Fauré (Opp. 96-119)

使用楽器: 1887年製NYスタインウェイ「ローズウッド」


●G.フォーレ(1845-1924):《舟歌第8番 変ニ長調 Op.96》(1908) 3分
《夜想曲第9番 ロ短調 Op.97》(1908) 4分
《夜想曲第10番 ホ短調 Op.99》(1908) 4分

◇桒形亜樹子:《紅石(ルビー)》(2021、委嘱初演) 3分

●G.フォーレ:《舟歌第9番 イ短調 Op.101》(1908/09) 4分
《即興曲第5番 嬰へ短調 Op.102》(1909) 3分
《9つの前奏曲集 Op.103》(1909/10) 22分
  I. Andante molto moderato - II. Allegro - III. Andante - IV. Allegretto moderato - V. Allegro - VI. Andante - VII. Andante moderato - VIII. Allegro - IX. Adagio

  (休憩 10分)

●G.フォーレ:歌劇《ペネロペ》第2幕前奏曲(1912) [作曲者編独奏版] 3分
《夜想曲第11番 嬰へ短調 Op.104-1》(1913) 4分
《舟歌第10番 イ短調 Op.104-2》(1913) 3分

◇桒形亜樹子:《紫水晶(アメシスト)》(2021、委嘱初演) 3分

●G.フォーレ:《舟歌第11番 ト短調 Op.105》(1914) 4分
《舟歌第12番 変ホ長調 Op.106b》(1915) 3分
《夜想曲第12番 ホ短調 Op.107》(1915) 6分

◇桒形亜樹子:《黒尖晶石(ブラック・スピネル)》(2021、委嘱初演) 2分

●G.フォーレ:《天守夫人(塔の奥方) Op.110》(1918) 5分
《舟歌第13番 ハ長調 Op.116》(1921) 3分
《夜想曲第13番 ロ短調 Op.119》(1921) 7分



G.フォーレ:《弦楽四重奏曲 Op.121》(1924)(サマズイユ編独奏版)、《幻想曲 Op.111》(1918)(作曲者編2台ピアノ版)、《ピアノ三重奏曲 Op.120》(1923)(米沢典剛編独奏版)、組曲《マスクとベルガマスク Op.112》 (1919/2018) [米沢典剛編ピアノ独奏版]、歌劇《ペネロープ》第1幕への前奏曲 (1913、作曲者編)、《平和が来た Op.114》(1919/2021) [横島浩によるピアノ独奏版]、《ディアーヌよ、セレネよ Op.118-3》(1921) 、《チェロソナタ第1番 Op.109》(1917)、《チェロソナタ第2番 Op.117》(1921)他


【cf.】
●フォーレ:ヴァイオリン作品全曲(千々岩英一(vn)) ヴァイオリンソナタ第1番イ長調Op.13 (1875/76)、子守唄 Op.16 (1879)、ロマンス Op.28 (1883)、初見試奏曲(1903)、アンダンテ Op.75 (1897)、ヴァイオリンソナタ第2番ホ短調Op.108 (1916/17) [2013.11.2]
●フォーレ:チェロ作品全曲(上森祥平(vc)) 子守唄 Op.16 (1878/79)、エレジー Op.24 (1883)、蝶々 Op.77 (1885)、シシリエンヌ Op.78 (1893)、ロマンス Op.69 (1894)、セレナーデ Op.98 (1908)、チェロ・ソナタ第1番ニ短調 Op.109 (1917)、チェロ・ソナタ第2番ト短調 Op.117 (1921) [2014.12.23]
●フォーレ:ピアノ五重奏曲全2曲(長原幸太/佐久間聡一(vn)、中島悦子(va)、上森祥平(vc)) ピアノ五重奏曲 第1 番 ニ短調 Op.89 (1895)、ピアノ五重奏曲 第2 番 ハ短調 Op.115(1921) [2014.7.15]
●フォーレ:後期歌曲集他(鎌田直純(artiste lyrique)) リディア Op.4-2 (1870)、月の光 Op.46-2 (1887)、ひそやかに Op.58-2 (1891)、消え去らぬ香り Op.76-1 (1897)、アルペジオ Op.76-2 (1897)、歌曲集《蜃気楼(ミラージュ) Op.113》 (1919) 、歌曲集《幻想の水平線 Op.118》 (1921) [2015.04.03]

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桒形亜樹子:《輝石 3 Stones》(2021)
   I. 紅石 Ruby - II. 紫水晶 Amethyst - III. 黒尖晶石 Black Spinel

 減衰の早い歴史的鍵盤楽器のために書き、曲の成立後に好きな石を選んで命名したところ、期せずして硬い石ばかりとなった。
 第1曲「ルビー(紅石)」は硬度9とダイヤモンドの次に硬い。ラテン語のルフス(赤)から来た名前の通り、その赤い色(消えない火、などとも言われる)に秘められたパワーが古今信じられて来た。最古の記述としては2500年前、スリランカが原産地といわれている。
 第2曲「アメシスト(紫水晶)」は硬度7、ギリシア神話に登場する娘の名前。ディオニュソスの蛮行を見た女神ダイアナが彼女の姿をクオーツに変え、自分の行いを恥じたワインの神の涙がその上に落ちて出来たという逸話が起源である。その紫色が高貴なものの象徴である他、アメシストには酩酊を防ぐ、禁欲、思考能力の増大など多くの効果があると伝えられており、今日でもカトリック司教の指輪に使われている。18世紀になってヨーロッパに輸出され大人気を博した。
 第3曲「ブラック・スピネル(黒尖晶石)」は硬度8、魔除けとして特に有名だが、潜在能力を引き出す効果もあると言われている。八面体の結晶が尖っている事から、ラテン語のスピナ(とげ)が語源である。大きな原石がほとんどないこの貴重な天然の漆黒の石は、高い技術のカットの下で美しい反射光を放ち、ブラックダイヤモンドに匹敵する輝きを持つ。(桒形亜樹子)


桒形亜樹子 Akiko KUWAGATA, composer
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 東京藝術大学附属高校、同大学作曲科を経てDAAD給費留学生としてドイツへ留学。北西ドイツ・デトモルト音楽院、シュトゥットガルト芸術大学でチェンバロ専攻。国家ソリスト・ディプロム取得。1990年よりフランス、パリへ移りセルジー・ポントワーズ国立音楽院、ショーモン市立音楽院でチェンバロ、通奏低音の講師を務める。日本文化庁在外派遣研修員としてイタリア、スペインでも研鑽を積む。2000年に17年間の欧州滞在の後帰国、現在東京を中心に自由で多様な活動を行っている。
 W.デューリンク、K.ギルバート、R.アレッサンドリーニにチェンバロを、O.バイユー、J.L.ゴンサレス=ウリオルにオルガンを師事。1986年ブリュージュ国際コンクール1位なし2位、その他パリ、ライプツィヒの国際チェンバロ・コンクールで上位入賞。
 2018年フランソワ・クープラン『クラヴサン奏法』新訳を全音楽譜出版社より刊行。音律に関する論文も執筆。A.コレッリなどの通奏低音のレアリゼーション譜面なども出版している。東京藝術大学非常勤講師などを歴任し、現在松本市音楽文化ホール講師。
 深田晃氏の自主レーベルDream Window Inc.よりフローベルガー、J.S.バッハ、ルイ・クープランのソロアルバムを2017年以降ハイレゾ世界配信開始、他にもコジマ録音、マイスターミュージックより室内楽で参加しているCDも発売されている。[photo/ (C)林喜代種]




《ペネロープ》とフォーレ晩年の様式――中西充弥

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  ガブリエル・フォーレ(1845-1924)の晩年の音楽は歌劇《ペネロープ》(1913年初演)に代表され、作品が作曲され始めた1907年以降を創作人生における区切りの一つとしてよいでしょう。フォーレの人生の多くの部分で音楽的にもキャリア的にもその師であり友人であったカミーユ・サン=サーンス(1835-1921)の影響を受けていますが、おそらく《ペネロープ》の企画を思い立ったのもサン=サーンスの《エレーヌ》(1904年初演)の後を受けたからと考えられます。

  古代ギリシア・ローマの西洋古典古代への関心はサン=サーンスが以前から抱いていたものですが、時代的な背景と大きな関係があります。ハインリヒ・シュリーマン(1822-1890)のトロイア発掘による考古学熱の高まりは直接的な影響でしょう。現代の我々が古代の遺跡のロマンにかき立てられるように、19世紀の人々も興味を持つどころか、ちょうど発掘ブームの中で1873年のトロイアの「プリアモスの財宝」発見に続き、1922年のツタンカーメン王の墓の発見へと、まさに世紀の発見に現在進行形で立ち会い、固唾を呑んで見守っていたのです。そして、日本から見るとフランスとギリシャはヨーロッパの近い国々と一括りにしてしまいがちですが、交通機関の発達していない当時、フランス人から見てギリシャも「オリエント(東)」であり、異国情緒を抱く対象の国でした。

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  もちろんこの熱狂は芸術運動にも影響を与えます。かつて、ルネサンスにより西洋古典古代の文化が「復興」されましたが、爛熟した19世紀末から20世紀初頭の文化においては多様なベクトルの内の一つとして取り上げられます。フランス文学、特に詩においてはヴィクトル・ユゴー(1802-1885)らのロマン派とポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)らの象徴派の陰に隠れてあまり注目されませんが、この二つの世代をつなぐ高踏派という芸術様式がありました。この高踏派において重視された考えがテオフィル・ゴーティエ(1811-1872)の「芸術のための芸術」であり、象牙の塔に籠るかのように、いわば藤原定家が「紅旗征戎吾が事に非ず」としたためたように、社会問題や政治には関心を示さず、もっぱら芸術に身を捧げる活動でした。その中で理想とされたものの一つが、古代ギリシア・ローマの大理石の彫像の美、感情を超越した形式美だったのです。大理石の均整の取れた人物像は美しい半面、冷たい印象を受けることがありますが、まさにその世俗の塵芥から超然とした姿に高踏派の芸術家たちは憧れたのでした。サン=サーンスの音楽も形式的で感情がないと生前から非難され、現在においてもその評価が尾を引いていますが、ある意味それはサン=サーンスが目指した理想を具現化したものであったのです。フォーレはヴェルレーヌの詩に作曲した歌曲集《優しい歌》等が有名なため、象徴派の美学との関係に注目されがちですが、高踏派の代表的な詩人、ルコント・ド・リール(1818-1894)や先述のゴーティエの詩にも多く音楽を付しており、その思想に共鳴していたことが窺われます。

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  さて、「発掘」ブームは考古学だけにとどまりません。古代ギリシアの文化、すなわち当時の人々の生活が明らかになるにつれ、当然古代ギリシア人たちが奏でた音楽にも目が向けられるようになり、古代ギリシア音楽の研究が進められ「発掘・復興」が図られました。代表的なものが、ルイ=アルベール・ブルゴー=デュクドレー(1840-1910)によるギリシャ民謡の調査に基づく1878年パリ万博での講演「ギリシア音楽における旋法」です。ここから古今東西の旋法性の研究が進められ、20世紀音楽の扉を開く原動力の一つとなってクロード・ドビュッシー(1862-1918)やモーリス・ラヴェル(1875-1937)らの活躍を生み出したのです。もちろん、サン=サーンスやフォーレらはこの古代ギリシア旋法の研究と同時代に生きましたので、不十分とはいえ最新の研究成果に触れ、それに刺激を受けて創作活動を行い、後の世代を準備することとなりました。それが《エレーヌ》であり、《ペネロープ》であったのです。

  また、サン=サーンスは南仏のベジエにおいて闘牛場を利用した音楽祭の企画に参加し、1898年の第一回目の公演においては演劇版《デジャニール》が初演されました。南仏の野外円形劇場というアイデアは、当然古代ギリシアやローマの劇場の復活が意図され、サン=サーンスにとってはまさに「ラテン精神」の発揚の場として、リヒャルト・ワーグナー(1813-1883)のバイロイト音楽祭に体現される「ゲルマン精神」に対抗する意識が明らかに感じられます。ただ、さすがに自作だけでは音楽祭を継続するのが難しく、1900年の公演に当たってはサン=サーンスの勧めによりフォーレに作品が委嘱され、《プロメテ》が初演されます。というわけで、サン=サーンスとフォーレはもちろん当時の潮流の影響もありますが、西洋古典古代への興味関心を共有していたのでした。

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  さらに、エレーヌ(ヘレネー)とペネロープ(ペーネロペー)には、どちらもトロイア戦争にまつわる美女という共通点があります。しかし非常に対照的で、方やトロイア戦争のきっかけとなった傾国の美女に対し、方や貞淑な妻の模範なのです。しかも、ヘレネーを取り上げたのが堅物のサン=サーンスで、ペーネロペーを取り上げたのが浮名を流したフォーレというのも大変興味深いところです。互いに「ないものねだり」と言ったところでしょうか。サン=サーンスの方は《エレーヌ》に対する思い入れが大変強く、小規模な作品であるものの、他人の台本では納得できないので、それでは自分で書けばよいということで台本まで執筆するほどでした。フォーレの方も忙しい公職の合間を縫って足掛け7年かけ作曲することになったのですが、なぜそこまで《ペネロープ》にこだわったのでしょうか。フォーレはその理由を「良い台本に中々巡り合えなかったから」と説明していますが、そこにフォーレの慎重で控えめな創作態度が見られます。ただ、1905年にフォーレはパリ音楽院の院長に就任しており、院長としての代表作、そして難聴の始まった60代の老いを迎えて未だに大作がないということへのプレッシャー、焦りがあったのかもしれません。フォーレが育てた生徒たちは器楽分野で活躍していきますが、フォーレを育てた世代の作曲家の成功モデルは劇場、それもオペラ座でのグランド・オペラ(グラントペラ)の成功でしたので、サン=サーンスもオペラを量産しました。フォーレは世間の評価にはどちらかというと無頓着で、自分の書きたいものを作曲するあまり、ピアノ曲、声楽曲、室内楽曲という小規模で親密な編成を好み、その結果世俗的な大きな成功とは無縁でしたが、もちろんこのままでよいのか、という葛藤があったのでしょう。また19世紀当時はフランス楽壇におけるワーグナーの影響が大変大きく、フォーレ自身バイロイト詣でをしたこともある程ですから、オペラに興味が無かったと言えば嘘になるでしょう。だからこそ、フォーレなりの「オペラ」という解答を提出するのに逡巡したのだと考えられます。それはベートーヴェンの壁に対する解答である《弦楽四重奏曲》が人生の最後まで後回しにされ、絶筆になったのと同じ理由でしょう。

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  さて、《ペネロープ》の様式はというと、オペラと思って聴くと肩透かしを食らうほど音数が少なく、盛り上がりに欠け、五線譜を音符で埋めるというより、音を削ってそぎ落としていく印象があります。なぜこのような語法になったかというと、当然老境の作曲家に共通する、淡白な志向、枯淡の境地というものがあり、ブラームスの後期作品などがその典型でしょう。ただ、フォーレの場合はそれだけではない、もっと切実な理由がありました。それが難聴でした。彼の難聴は1903年頃に既に始まっていたのですが、ただ聞こえなくなるのとは異なり、高い音が低めに、低い音が高めに、という風に音程が歪んで聞こえたため、音楽家にとっては非常に苦痛を伴う状態だったのです。そのため、フォーレは聞き取りやすい中音域や密集配置の和音を好んで用いるようになり、ダイナミクスの抑揚も小さくなります。当然、彼は職業作曲家ですから、頭の中では作品のイメージを作り、鳴らすことができたでしょうが、やはり実際の演奏を聴くことができないことは大きなダメージでした。それでも、この逆境にめげずに、逆手に取って晩年のフォーレ独自の語法を生み出したことは人生の皮肉というべきでしょうか。

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  そして、《ペネロープ》によって確立された語法によって、歌曲集《閉ざされた庭》、《幻影》や《幻想の水平線》、《ヴァイオリン・ソナタ 第2番》、2曲の《チェロ・ソナタ》、《ピアノ五重奏曲 第2番》、《ピアノ三重奏曲》、白鳥の歌の《弦楽四重奏曲》といった晩年の傑作群が生みだされ、今回演奏される後期ピアノ作品も含まれます。しかし、この表現を切り詰めていく語法は、《ペネロープ》初演の同年にパリでイゴール・ストラヴィンスキー(1882-1971)の《春の祭典》が初演された時代に、よく言えば斬新ですが、悪く言うと当時の聴衆は面食らってしまい、《春の祭典》とは違う意味での独創性についていけなかったと考えられます。確かに、この音をそぎ落とす語法は峻厳で人を寄せ付けない面がありますが、これは先述の大理石を彫琢する職人仕事を礼賛した高踏派に通じるものがあります。また老境の孤独な立場で内省的になり、難聴により頭の中の観念的な音楽に没頭するということは、象牙の塔という点でも高踏派らしいと言えますが、フォーレは子ども時代「物思いにふける口数の少ない」少年であったことから、ある意味で原点回帰と言えるかもしれません。さらに、大理石の彫像の冷たい美しさは、表現をそぎ落として作り出される日本の能面の美に通じるものがあり、見る角度によって表情を変えるその微妙な味わいがやはり共通しています。大理石のヴィーナスの顔と能面の小面を比較するとその純白で均整の取れた美しさに、時代と距離を超えた普遍的な美を感じ取れずにはいられません。このようにして、フォーレはその晩年において孤高の音楽性を確立したのでした。



中西充弥 Mitsuya NAKANISHI, musicology
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京都大学文学部フランス語学フランス文学専修卒業。京都市立芸術大学大学院音楽研究科修士課程音楽学専攻修了。フランス政府給費留学生として渡仏、パリ第四大学ソルボンヌ(現パリ=ソルボンヌ大学)大学院博士課程に留学。2016年、サン=サーンスとその日本趣味に関する論文で博士号(音楽学/パリ=ソルボンヌ大学)取得。日本音楽学会正会員。NHK Eテレ「クラシックTV」『再発見!サン=サーンス 真の魅力』(2021年6月17日放送)監修、出演。カワイ出版『サン=サーンス ピアノ曲集』(2021)校訂。ウェブ連載『旅するピアニスト、サン=サーンス』等。専門はサン=サーンスを中心とした19世紀/20世紀フランス音楽史。

【著書/論考 リンク集】




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# by ooi_piano | 2022-01-07 18:24 | Rosewood2021 | Comments(0)

Blog | Hiroaki Ooi


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